放課後、図書室で君に出会った

 授業中も、なんだか視線を感じる。
 黒板の文字を写してても、ノートにペンを走らせてても、どこか落ち着かない。まるで常に誰かに見られているみたいだ。

 ちらっと横を見ると、高瀬がこっちを見ていた。

 視線がぶつかると、彼は軽く笑って、また前を向く。

(……なんなんだよ)

 放課後、俺は少し距離を置くように教室を出た。
 けど、背後から軽い足音がついてくる。

「ねぇ、今日も図書室行くの?」

「……なんでお前が知ってんの」

「昨日見たから。いつも行ってるのかなって」

「別に、勉強するだけだし」

「じゃあ僕も行っていい?」

「え、なんで」

「君の隣、座りたい」

 また、心臓が跳ねた。

 なんでそんなこと、さらっと言えるんだよ。
 しかも、わざとじゃなく、本気っぽいトーンで。

「勉強は嘘。ただひまつぶしに寝てるだけだぞ」

「それでもいい」

「……勝手にすれば」

「うん、ありがと」

 彼はそのまま俺の横に並んで歩き出した。
 夕陽の光が差す廊下で、二人の影がゆっくり伸びていく。

◇◆◇◆◇

──図書室に着くと、いつも通り静かな空気が広がっていた。木の机に差し込む夕陽が、オレンジ色の模様を作っている。

「よいしょっと」
「……別に一緒に座らなくてもいいだろ」

「ダメなの?」

「いや、ダメではないが……」
「なら、問題ないよね」
 
 強引な奴だ。元々押しが強いのだろう。

 俺がそう言っても、高瀬はまるで聞いていないように、当然のように隣に腰を下ろした。
 しかも、距離がやたら近い。近すぎる。

「なぁ、高瀬……他にも空いてるだろ。なんで隣なんだ?」

「君の隣が一番落ち着くから」

「……意味分かんねぇ」

「そう?」

 彼は首を傾げながら、俺の方を見た。
 至近距離で目が合う。
 瞳の奥に夕陽が反射して、やけに綺麗だった。

 慌てて視線を逸らして、鞄からやる予定のなかった参考書とノートを取り出す。

「やっぱり勉強するの?」
「まあな」

 けど、落ち着かない。隣からふわっと柔軟剤の匂いがして、頭の中がやけにそわそわする。

 ペン先を動かそうとしても、何を書いてるのか自分でも分からなくなる。
 結局、字がぐちゃぐちゃになって、ため息をついた。

「勉強、進んでる?」
「……全然」

「そっか。彰くんがするなら、僕も勉強しようかな」

「彰くんってお前……まあいいか」
「そうそう。細かいことは気にしないのが一番だよ」

 高瀬は笑いながら、机の上に自分のノートを開いた。
 字が綺麗で、几帳面。俺のとはまるっきり違う。まるで別世界の人が書いたような字。
 それなのに、彼はさらりと俺のノートを覗き込む。

「……うわ、見んなって! 汚いから」
 
 急いで隠したつもりだったが、どうやら遅かったみたいだ。

「ごめん。でも、君が書く字、ちょっと優しい感じする」

「は?」

「筆圧が柔らかい。性格が出てる」

「そんなの、どーでもいいだろ」

「僕は気になる」

 真顔で言われて、言葉が詰まる。
 純粋な目をしてた。
 どうしてそんな風に、何気なく踏み込んでくるんだろう。

 その距離感に、息が詰まりそうになる。

「……お前、いつもそんな感じなの?」

「そんな感じって?」

「距離感近いっていうか……人懐っこいっていうか」

「うーん、そうかも。でも、誰にでもこうじゃないよ」

「じゃあ、なんで俺に?」

「なんでだろうね」

 高瀬は器用にペンを指先で回しながら、ふっと笑った。
 その笑い方が、少しだけ照れたようにも見えて――胸の奥がまた、きゅっと鳴る。

「……お前って、ほんとよく分かんねぇ」

「いい意味で?」

「……どうだろ」

 言葉を濁すと、彼は少しだけ俺の方を向いた。

 静かな空気の中で、時計の針が進む音だけが響いた。
 ほんの数秒の沈黙が、妙に長く感じた。

 そして、俺は思わず口を開いていた。

「なあ、なんで俺なんだよ?」

 図書室の窓際。並んで座りながら、ぽつりと呟く。
 どうしてわざわざ、俺の寝顔なんか見ていたのか。
 どうして、今日も話しかけてきたのか。

 高瀬はペンをくるくる回しながら、少し考えて言った。

「……君、最初に見た時から気になってた」

「は?」

「入学式の日。隣の席だったでしょ。緊張してたの、分かったから」

「……覚えてんの?」

「うん。クラスも一緒だったし、自己紹介の時も小さな声で、『斎藤彰です。よろしくお願いします』って言ってた。可愛かったよ」

「か、可愛くねぇし!」

 まただ。簡単にそんなことを言う。こっちの気も知らないで。

 からかわれてるのに、どこか本気っぽくて、逃げ場がない。
 どうしてこんなに、真顔で言えるんだろう。

「でも、あれから全然話せなかったからさ。昨日みたいな偶然、嬉しかった」

「偶然、ね……」

「運命って言ったら、引く?」

「……ちょっとだけ」

「ちょっとだけか。じゃあ、セーフだね」
「なんだよ、それ。お前の基準おかしいだろ、ははっ!」

「ふふっ、おかしいよね。僕もそう思う」

 俺は机の端を指でなぞりながら、曖昧に笑った。
 気づけば、あの無機質だった図書室の空気が、少しあたたかい。

 高瀬が笑った瞬間、図書室の窓から吹き込む風がカーテンを揺らした。
 その柔らかな光と影の中で、彼の横顔が一瞬まぶしく見えた。
 俺はその眩しさから目をそらすみたいに、手元の参考書に視線を落とす。
 でも、文字はまるで頭に入ってこない。

「……なあ、繰り返しになるんだが、高瀬って、いつもそんな感じなのか? 正直普段のクラスにいる時と比べて雰囲気が違くて」

「ん?」

「その、誰にでも“可愛い”とか言ったり、距離詰めたり」

 高瀬は少しだけ首をかしげて、俺の方を見る。

「答えは一緒。誰にでも、は言わないよ」

「……じゃあ、俺は特別ってこと?」

 冗談めかして言ったつもりだったのに、口にした瞬間、胸がちょっと締めつけられた。
 高瀬は一瞬だけ黙って、それから小さく笑った。

「そうだね。彰くんは、ちょっと特別」

 その一言が、心臓の奥に静かに沈んでいく。
 鼓動の音が、妙に大きく響いて、静かな図書室の中で自分だけ浮いている気がした。

「……なんだよ、それ」

「え?」

「お前、ほんとずるい。言い方が」

「褒めてる?」

「違う」

「そっか。じゃあ、照れてる?」

「ち、ちが……っ!」

 小声で否定しても、耳まで熱くなっていくのが分かる。
 高瀬はそんな俺を見て、目尻を少し緩めた。

「そういうとこ、可愛いって言ってるんだけどな」

「……またそれ」

「本当のことだよ」

 高瀬の声は、いつも柔らかい。
 でも、今はそれがやけに近くて、落ち着かない。それから暫く無言の時間が続いたが、居心地は悪くなかった。

 窓の外は、もうすっかり夕暮れ。

 沈みかけた陽が、本棚の背表紙をオレンジに染めていた。

「――そろそろ帰る?」

「……帰る」

 鞄を手に立ち上がると、隣で高瀬も立ち上がった。手際よく帰り支度を整る高瀬とは反対に、散らかった参考書の片づけはもう少しかかりそうだった。

 ふいに彼が言う。

「明日も、ここに来ていい?」

「……勝手にすれば。いちいち俺に許可とか要らない。図書室はみんなの場所だ」

「うん。じゃあ、勝手にする」

「あ、おい!」

「じゃあね。彰くん。また明日!」

 軽く笑って先に出ていく背中が、夕焼けの光に溶けていった。
 その姿を見送ったあと、俺は机の上に残った体温みたいな温もりを指先でなぞった。

(なんだろう……なんか、変だ)

 あいつの言葉が、少しだけ心の奥に残る。
 “特別”なんて、そんなの、簡単に言っていい言葉じゃないのに。

 でも――。

 ドクン――。ドクン――。

 胸の奥が、少しだけ嬉しかった。