放課後、図書室で君に出会った

 翌朝、目を覚ましたとき、天井がいつもより少しだけ違って見えた。

 一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなる。

 それから、綺麗に畳まれた隣の布団に視線をやって、思い出した。

――昨日は高瀬が、俺の家に泊まっていったのだ。

 カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。
 布団はもう空で、生活音は聞こえない。

(先に起きたのか)

 そう思っただけなのに、胸の奥が微かに揺れた。

 期待とも落胆ともつかない、落ち着かない感覚。

 昨日の夜。
 あの暗闇の中で交わした言葉や、静かな呼吸の気配が、やけに鮮明に思い出される。

 触れていない。
 それなのに、近すぎた。

(……何なんだよ、これ)

 起き上がり、頭をガリガリと掻く。

 考えすぎだ。昨日はただ――友達が泊まった、それだけだ。そして少し、変な事言った、だけ。テンションがバグっていたのだ。高瀬も分かってくれるだろう。

 そう言い聞かせながら、リビングへ向かうと、高瀬はすでに制服に着替えていた。

「おはよう。昨日はジャージを貸してくれてありがとう。制服も洗濯しておいてくれたんだね。すっかり乾いてたよ」
「……おはよう。制服は母さんが洗ってくれてたみたいだ」

「そっか。後でお礼を言わないと」

「朝ご飯は食べたのか?」

「ううん。今から。彰くんが起きるの待ってた」

「わりぃ。待たせた」

「いいって」

 いつも通りの笑顔。
 少し安心して、少しだけ、拍子抜けする。

 朝食を一緒に食べて、その日は家で読者や勉強をして、夕食を囲む。

 その日の夕食は高瀬が遠慮したので、家族と一緒ではなく、俺の自室で食べる事にした。

 そうして迎えた日曜日の朝。高瀬は「一人で帰れる。これ以上は彰くん家に迷惑かけるし、家の人も心配するから」と言って、朝早くに出発した。

◇◆◇◆◇

 月曜日。

 教室に入った瞬間、空気が変わったのが分かった。

 ひそひそとした声。

 視線が、やけに多い。

(……またか)

 週が明けたというように、先週と同じ視線を向けられる。時には斎藤は男好き、という噂話まで聞こえる。

 席に着いてからも、落ち着かない。

 視界の端で、誰かがこちらを見ては、目を逸らす。

 原因は分かっていた。
 分かりすぎるほど、分かっている。

(俺と高瀬が遊んだ事。まだ尾を引いてるんだな。いや、それだけならここまでならない……あいつの事が好きな女子の誘いを断って、俺といたから妬まれてるんだろう。変な噂が立ってるのもそのせいだろう)

 高瀬と並んで歩いていたところを見られた。
 それだけで、噂は勝手に膨らむ。

「なあ、彰」

 前の席の田原が、振り返ってくる。

「……何だよ」
「高瀬とつるむのやめたら? 勘違いするなよ。これはお前のために言ってるんだ」
「例の噂のせいか? 自分がいたい相手といるのに、そんな噂のせいで、行動制限されたくはない」

 素っ気なく返すと、田原は肩をすくめた。

「まあ、そうだけど。目立つぞ。それにお前が良くても、高瀬がどう思ってるか。それも大事だろ」
「……」

 言われなくても分かっている。

 高瀬は、学校の中でも特別な存在だ。
 目立たない方が難しい。

(俺が隣にいるから、余計に)

 視線を感じるたび、そんな考えが頭をよぎる。
 授業中も集中できず、休み時間になるたび、妙に疲れていた。

――友達。

 そう思っているはずなのに。高瀬の姿を探してしまう自分がいる。

 笑っているのを見ると、少し安心して。
 誰かと話していると、なぜか胸がざわつく。脳は友達じゃない別の言葉を示そうとしていた。

(……違う)

 これは、勘違いだ。
 助けたから。泊めたから。少し近づきすぎただけ。

 恋だなんて、そんな簡単な話じゃない。

 だから。
 昼休み、高瀬がこちらに来ようとする前に、視線を逸らした。

 放課後も、「用事がある」と言って、先に教室を出た。

 距離を置けば、きっと落ち着く。
 そう思った。

◇◆◇◆◇

「……避けられてる?」

 放課後の廊下。
 追いついてきた高瀬の声は、思ったより近かった。

「別に」
「別に、じゃないでしょ」

 足を止める。
 振り返ると、高瀬は真っ直ぐこちらを見ていた。

「噂、気にしてる? 僕が迷惑してると?」
「……」

 図星だった。

「彰くんさ」
「何だよ」
「君が離れる方が、僕は苦しいよ。僕がいていい居場所。彰くんが作ってくれるんでしょ?」

 あまりにも、素直な声。
 一瞬、言葉を失う。

「僕達が付き合ってるっていう噂。みんなの前で言ってこようか? 本当に付き合ってますって。だって、僕の居場所を作ってくれるって、言われた時、僕は告白なのかなって思ったんだけど?」

 軽く笑っているのに、目は笑っていない。

「……勝手なこと言うな」
「ごめん。でも、正直、どういう意味で言ったのかハッキリと教えてほしいかな」

 その一言で、胸の奥がきつく締まった。

「お前だって、俺の事を特別って……」

 あの言葉の意味。距離を取ろうとした理由。

「僕はその特別の意味。答えられるよ。あとは彰くん次第かな?」

 全部、揺らいでしまう。

(友達、だろ)

 そう思いたいのに。
 高瀬の言葉が、やけに深く刺さって抜けなかった。