放課後、図書室で君に出会った

 部屋の電気が消えた部屋の中に、外の街灯の明かりがカーテン越しにうっすらと差し込んだ。

 時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。
 隣に敷いた布団からは、高瀬の静かな呼吸が伝わってきた。

 ――寝た、わけじゃない。

 そんな気がして、俺も目を閉じたまま、じっと待つ。

「……彰くん」

 やっぱり、そうだった。

「起きてる」
「よかった」

 少し安堵したような声。

 暗闇の中で、布団がわずかに擦れる音がした。

「眠れない?」
「……うん」

 理由は聞かなくても、なんとなく分かる。
 今日の様子を見ていれば、簡単に眠れるはずがない。

「さっきさ」
「ん?」

「雨の中で見つけてくれた時……」

 言葉を探す間が、長い。何を言われるのか、少し怖くもあった。

「……正直、ほっとした」

 ほっとした。まさかそんな言葉が高瀬の口から出てくるとは思わなかった。

「誰にも会いたくない気分だったけど、誰かに見つけてはほしかった」

「……面倒くさいな」
「うん。自分でも思う」

 自嘲するような小さな笑い。

 でも、すぐに消えた。

「家に帰りたくないって言ったでしょ」
「ああ」
「理由、聞かないの?」

 少しだけ、試すような声だった。

「言いたくなったら、言えばいい」
「……やっぱり、彰くんは優しい」

「違う」
「え?」

「踏み込んでいいか分からないだけだ」

 正直な言葉だった。

 沈黙が落ちる。
 しばらくして、高瀬がゆっくり息を吐いた。

「……うちさ」
「うん」
「両親、仲が悪いんだ。それに兄妹もいない」

 淡々とした声。

 感情を削ぎ落としたみたいな言い方。

「喧嘩はしない。怒鳴り合いもしない。でもね、どこか心の距離があるような、お互い踏み込まない……そんな冷めた関係なんだ。だからいつも学校が終わって帰っても誰もいないから、家に帰りたくなかった。二人とも日付が変わるくらいに、別々に帰ってくるから」

「……一番きついやつだな」
「でしょ」

 少しだけ、笑った気配。

「会話もしないし、同じ部屋にもいない。家にいても、それぞれ別の世界にいる感じ。前喋ったのも、もういつだったか思い出せないくらいだよ」

「……」
「僕がいても、いなくても変わらないんだと思う」

「そんなこと——」
「分かってる。理屈ではね」

 遮られて、言葉を飲み込む。

「でもさ、家に帰ると空気が冷たいんだ。物理的じゃなくて……」
「居場所が、ない」

「……うん。だから、君の家が……君の家族の在り方が羨ましくなったりもしたし、なんで自分はって惨めな気分にもなったりした」

 その一言が、やけに重かった。

 布団の中で、高瀬の指先がぎゅっと握られるのが見えた……気がした。

「学校ではさ」
「……」

「みんなが勝手に期待して、勝手に盛り上げて、勝手に噂して」

 あの視線の話だ。

 俺が感じたものと、同じ。それを人気者の高瀬は、俺といる前からずっと感じていた。

 きっと家にも学校にも、心が落ち着く場所がないのだろう。

「だから図書室に来なくなったのか?」
「……うん。彰くんに、迷惑かけたくなかった。それに少し疲れちゃったんだ」

 その言葉に、胸がざらつく。

「勝手に言ったこと、怒ってたでしょ」
「ああ」

「……ごめん。事情説明する時、その方が良いと思った」

 認める声は、驚くほど素直だった。

「一緒にいるところを見られたりしなかったら誰にも言うつもりじゃなかった。でも……」

「でも?」
「彰くんのこと、隠したくなかった」

 一瞬、言葉を失う。

「……それで、余計面倒になった」
「……そうだな」

 否定できなかった。
 けれど。

「それでも、俺は——」

 言いかけて、止める。
 今、何を言うべきか分からなかった。
 また、沈黙。

 高瀬が、ぽつりと呟く。

「今日さ……」
「うん」
「ここに来て、初めて思った」

 少し間があって。

「……息ができる、って」

 その言葉は、あまりにも静かで。
 だからこそ、胸に刺さった。

 俺は天井を見つめたまま、ゆっくり息を吸う。

「……明日、ここにいろ。土曜日だし」
「……いいの?」
「いい。予定あるなら別だが」

「ううん。ない……今無くなった」

 高瀬が短く答える。少し安堵した。

「僕の事を二日間も泊めてくれる理由は?」
「お前のことが、ほっとけないからだ」

 正直だった。

「……嬉しい」

 その声が、少しだけ震えているのが分かった。

 暗闇の中で、二人の距離は変わっていない。

 触れてもいない。

 それなのに、これまでよりずっと近く感じた。

――この先、踏み込めば戻れない。

 そんな予感が、確かにあった。

 それでも。

 今夜だけは、この距離を手放したくなかった。