その日の放課後。
結局、俺たちはいつも通り図書室に来ていた。
テスト前でもないのに、ここに来るのが半ば習慣みたいになっているのが、今さら少しだけおかしく感じる。
窓際の席。
向かい合って座る配置も、変わらない。
けれど。
(……気まずい)
空気が、明らかに違っていた。
ページをめくる音だけが、やけに大きく響く。
高瀬はノートを開いているが、視線が合わない。
俺のほうが先に耐えきれなくなった。
「……なあ」
声を出すと、高瀬が一瞬だけ肩を揺らした。
「今日の噂」
「……うん」
「お前、何か言っただろ」
静かな図書室でも聞こえるくらい、声が低くなるのが自分でも分かった。
高瀬は少し迷うように視線を落としてから、観念したように口を開く。
「……否定は、しなかった」
「は?」
「聞かれて。土曜のこと」
「だからって……! あんな詳細に――」
思わず机の下で拳を握る。
「……俺の知らない所で、勝手に話広げんなよ」
「ごめん。でも――」
高瀬は小さく息を吸った。
「事情を説明する流れで、言っちゃったんだ」
「事情?」
「断った理由、聞かれてさ。どうして咲希たちの誘い断ったのって。実はあの日、咲希達にも誘われてたんだ。でも君との約束が先だったから」
知っている……同じでクラスの派手な女の子で、高瀬の事が好きだという噂を前に聞いた事がある。
「……それで?」
「『先約があった』って言った」
「それだけなら、まだ――」
「一緒にいるところを見られてたから、相手が彰くんだってことも正直に伝えた……そしたら。……こんな事になるなんて、ごめん」
沈黙が落ちる。
言葉が、すぐに出てこなかった。
「…………」
じわじわと、どうしようもない感情が押し寄せてきた。
「……僕、君と会ってる事を隠したくなかった。堂々としていたかった。僕だけじゃなく、君にも」
高瀬は静かに続ける。
「でも、君には僕といる事が重かったんだよね?」
その言い方が、余計に胸に刺さる。
「……そういうこと、勝手に一人で決めるなって言ってる」
「彰くん」
「俺は、注目されたくない」
吐き出すように言う。
「お前は平気かもしれないけど、俺は違う」
「……ごめん」
高瀬はそれ以上、何も言わなかった。
その日の読書や勉強は、ほとんど頭に入らなかった。
帰り際も、いつもみたいな軽口はなく、ただ短く「じゃあ」と言って校舎内で別れた。
◇◇◇
それから。
なんとなく、顔を合わせづらくなった。
学校では必要最低限の会話だけ。
図書室でも、同じ席に座るけれど、前ほど言葉が続かない。
距離ができた、というより。
踏み込み方が分からなくなった、という感じだった。
噂は相変わらず消えず、視線も続いていた。
そして、数日後。
放課後になっても、高瀬は図書室に来なかった。
(……遅れてるだけか)
そう思って、本を開く。
けれど、十分、二十分経っても来ない。
次の日も、その次の日も。
席は、空いたままだった。
(なんで……)
どうしようもなく不安になって連絡した。
けれど、スマホを見ても、連絡はない。
既読もつかない。
胸の奥が、嫌な音を立て始める。
◇◇◇
その日、帰り際に空を見上げて、息を呑んだ。
雨。
しかも、結構な降り方だ。
いつの間にか本降りになっていたらしい。
傘も差して、校舎を出てから、どれくらい歩いただろう。
アスファルトに叩きつけられる雨音がやけに大きくて、思考が追いつかない。
――高瀬が、図書室に来なくなった。
その事実が、胸の奥でじわじわと重くなる。
噂が広がってから、どこかぎこちなくなって。
顔を合わせれば、言葉を探してしまって。
それでも、放課後に図書室へ行けば、当たり前みたいにあいつがいると思っていた。
それが、いなくなった。
理由を考えないようにしていたくせに、いざ姿が見えないと、息が詰まる。
「……高瀬」
名前を呼んでも、返事はない。
(……探さないと)
理由は分からない。
でも、じっとしていられなかった。
駅とは逆方向。人気の少ない道を、雨に濡れながら歩く。
「……高瀬」
呼んでも、雨音に消える。
駅前を抜け、しばらく進んだ先。住宅街の方へ向かう途中、公園の脇で足が止まった。
公園の端、街灯の下にあるベンチに、見覚えのある後ろ姿があった。
濡れた髪が額に張り付き、制服の肩はすっかり色が変わっている。
スマホを握ったまま、俯いて動かない。
「……何してんだよ。こんなところで」
思ったより、声が低く出た。
高瀬はびくっと肩を震わせ、ゆっくり振り返る。
「……彰くん?」
驚いた顔。
それから、困ったような、どこか諦めたような笑み。
雨の中で見つけたその姿に、胸の奥が一気に詰まる。
濡れているのも、ここにいる理由も、全部ひっくるめて。
「探した」
「……そっか。ちょっと、考え事してた」
それだけで、会話が止まる。
雨が、二人の間を埋めるみたいに降り続いていた。
「図書室、来なくなった理由か?」
「……うん、それもある」
雨が、二人の間に落ちる。
言いたいことは山ほどあるのに、最初の一言が、どうしても見つからなかった。
でも。探して、見つけてしまった以上、もう、何も言わずに帰る選択肢はなかった。
「傘くらい差せよ」
「ごめん。ありがとう」
俺は自身の傘に、高瀬を入れ、一緒のベンチに座った。
結局、俺たちはいつも通り図書室に来ていた。
テスト前でもないのに、ここに来るのが半ば習慣みたいになっているのが、今さら少しだけおかしく感じる。
窓際の席。
向かい合って座る配置も、変わらない。
けれど。
(……気まずい)
空気が、明らかに違っていた。
ページをめくる音だけが、やけに大きく響く。
高瀬はノートを開いているが、視線が合わない。
俺のほうが先に耐えきれなくなった。
「……なあ」
声を出すと、高瀬が一瞬だけ肩を揺らした。
「今日の噂」
「……うん」
「お前、何か言っただろ」
静かな図書室でも聞こえるくらい、声が低くなるのが自分でも分かった。
高瀬は少し迷うように視線を落としてから、観念したように口を開く。
「……否定は、しなかった」
「は?」
「聞かれて。土曜のこと」
「だからって……! あんな詳細に――」
思わず机の下で拳を握る。
「……俺の知らない所で、勝手に話広げんなよ」
「ごめん。でも――」
高瀬は小さく息を吸った。
「事情を説明する流れで、言っちゃったんだ」
「事情?」
「断った理由、聞かれてさ。どうして咲希たちの誘い断ったのって。実はあの日、咲希達にも誘われてたんだ。でも君との約束が先だったから」
知っている……同じでクラスの派手な女の子で、高瀬の事が好きだという噂を前に聞いた事がある。
「……それで?」
「『先約があった』って言った」
「それだけなら、まだ――」
「一緒にいるところを見られてたから、相手が彰くんだってことも正直に伝えた……そしたら。……こんな事になるなんて、ごめん」
沈黙が落ちる。
言葉が、すぐに出てこなかった。
「…………」
じわじわと、どうしようもない感情が押し寄せてきた。
「……僕、君と会ってる事を隠したくなかった。堂々としていたかった。僕だけじゃなく、君にも」
高瀬は静かに続ける。
「でも、君には僕といる事が重かったんだよね?」
その言い方が、余計に胸に刺さる。
「……そういうこと、勝手に一人で決めるなって言ってる」
「彰くん」
「俺は、注目されたくない」
吐き出すように言う。
「お前は平気かもしれないけど、俺は違う」
「……ごめん」
高瀬はそれ以上、何も言わなかった。
その日の読書や勉強は、ほとんど頭に入らなかった。
帰り際も、いつもみたいな軽口はなく、ただ短く「じゃあ」と言って校舎内で別れた。
◇◇◇
それから。
なんとなく、顔を合わせづらくなった。
学校では必要最低限の会話だけ。
図書室でも、同じ席に座るけれど、前ほど言葉が続かない。
距離ができた、というより。
踏み込み方が分からなくなった、という感じだった。
噂は相変わらず消えず、視線も続いていた。
そして、数日後。
放課後になっても、高瀬は図書室に来なかった。
(……遅れてるだけか)
そう思って、本を開く。
けれど、十分、二十分経っても来ない。
次の日も、その次の日も。
席は、空いたままだった。
(なんで……)
どうしようもなく不安になって連絡した。
けれど、スマホを見ても、連絡はない。
既読もつかない。
胸の奥が、嫌な音を立て始める。
◇◇◇
その日、帰り際に空を見上げて、息を呑んだ。
雨。
しかも、結構な降り方だ。
いつの間にか本降りになっていたらしい。
傘も差して、校舎を出てから、どれくらい歩いただろう。
アスファルトに叩きつけられる雨音がやけに大きくて、思考が追いつかない。
――高瀬が、図書室に来なくなった。
その事実が、胸の奥でじわじわと重くなる。
噂が広がってから、どこかぎこちなくなって。
顔を合わせれば、言葉を探してしまって。
それでも、放課後に図書室へ行けば、当たり前みたいにあいつがいると思っていた。
それが、いなくなった。
理由を考えないようにしていたくせに、いざ姿が見えないと、息が詰まる。
「……高瀬」
名前を呼んでも、返事はない。
(……探さないと)
理由は分からない。
でも、じっとしていられなかった。
駅とは逆方向。人気の少ない道を、雨に濡れながら歩く。
「……高瀬」
呼んでも、雨音に消える。
駅前を抜け、しばらく進んだ先。住宅街の方へ向かう途中、公園の脇で足が止まった。
公園の端、街灯の下にあるベンチに、見覚えのある後ろ姿があった。
濡れた髪が額に張り付き、制服の肩はすっかり色が変わっている。
スマホを握ったまま、俯いて動かない。
「……何してんだよ。こんなところで」
思ったより、声が低く出た。
高瀬はびくっと肩を震わせ、ゆっくり振り返る。
「……彰くん?」
驚いた顔。
それから、困ったような、どこか諦めたような笑み。
雨の中で見つけたその姿に、胸の奥が一気に詰まる。
濡れているのも、ここにいる理由も、全部ひっくるめて。
「探した」
「……そっか。ちょっと、考え事してた」
それだけで、会話が止まる。
雨が、二人の間を埋めるみたいに降り続いていた。
「図書室、来なくなった理由か?」
「……うん、それもある」
雨が、二人の間に落ちる。
言いたいことは山ほどあるのに、最初の一言が、どうしても見つからなかった。
でも。探して、見つけてしまった以上、もう、何も言わずに帰る選択肢はなかった。
「傘くらい差せよ」
「ごめん。ありがとう」
俺は自身の傘に、高瀬を入れ、一緒のベンチに座った。
