俺の同居人は普通じゃない


 「説明して!!」
 叫んだ俺に、おばあちゃんは涼しい顔で言った。

「拾ってきたの」
「ひ、拾ってきたぁ!?」
 
「川の近くで倒れててね。怪我をしてたから、つい」
「つい、で人間一人拾ってこないでよ!」

 青年はその間、ずっと俺だけを見つめていた。
 息を呑むほど整った顔で、懐かしむような、どこか恋しいような視線を向けてくる。
 いやいや――恋しいって何目線だよ。……ていうか、まじで誰なんだ?

 逃げ出したいのに、足がすくんで動けない。
 視線を逸らすことすら許されない圧に、背筋が寒くなった。
 そこへ、おばあちゃんはさらなる追撃をかける。

「今日からここで暮らすってことで、いいわね?」
「はぁ!? 良くない! 全然良くないから!」
 
 すると、青年がこくん、と小さく頷いた。
 ちょっと、お前がなんで頷くの!?
 
「なおや」

 青年が俺の名前を呼ぶ。耳の奥がカッと熱くなる。
 知らない声なのに、なにか求めてしまいそうな気分になった。

「ここがいい」

 ……なにその、ピュアすぎる返答。
 
 **

 俺の人生、終わったかもしれない。
 ――が、始まった。

「ちょ、ちょっと待って。えっと……まず名前! 君、なんて名前?」
 
 俺はパニック状態のまま、青年を指差す。
 青年は一瞬ぽかんとしたあと、ふにゃりと笑った。
 
「よい」

「よい?」
(よい)。よるの前」
 
 あ、漢字説明付きでご丁寧にどうも。
 でも回答としては情報不足すぎるよ。

「いや、そういう詩的みたいなとこじゃなくてさ、名字とか、身元とか、年齢とか!」

 青年――宵はきょとんと首を傾げた。
「なおやと、おなじくらい……かな?」
「なんで疑問形!? ちゃんと質問に答えてよ!」

 おばあちゃんがちゃぶ台にお茶を置きながら、のんきに口を挟む。
「あら、まだ自己紹介してなかったのね」

 なんでそんなに普通なの?
 おばあちゃんはお茶菓子つまみながら、さらっと言った。

「この子、狐原宵(こはらよい)くんよ。(きつね)に原っぱの原でこはら」
「狐原……!?」

「かわいい名前よねぇ」
「いや、かわいいの問題じゃなくて!」

 キツネっぽい苗字なのが、逆に不安を煽るんだけど!?
 
 宵は嬉しそうに微笑んだ。
「なおやの、宵だよ」

「なになに? どういうこと? ほんっとわかんないんだけど!」

 俺はとにかく冷静を取り戻そうと、深呼吸を繰り返した。
 おばあちゃんは隣に座り、宵は俺の正面にちょこんと座り直す。
 顔が良い男にじっと見つめられるだけで、普通になかなかの威力だ。

「で……なんでこの人がうちに居座ることになってるわけ?」

 おばあちゃんは当然のように答える。
「だから、倒れてたからよ」
「それは聞いたけど……でも、普通病院とか警察とか——」
「連れていったわよ。でもすぐ帰りたがっちゃって」
「で、うちに連れ帰ったの!?」

 おばあちゃんは、にっこりと無敵の笑顔を浮かべた。
「だって追い出すのはかわいそうじゃない」

 その『かわいそう理論』で知らない男と同居成立させるのは危ないよ?

 宵は相変わらず俺をじっと見つめている。
 睨むようでもなく、訝しんでるようでもなく、ただひたすらに。
 
「なおや」
 また、あいつが俺の名前を呼ぶ。

「……なんで名前知ってんの?」

 宵は瞬きをした。
「しってるから」
「説明になってないってば」

 宵は少し考えるように目を伏せ、それから顔を上げて、また花が咲くように笑った。

「なおや、なおや、なおや」

 連呼すんなよ、怖いわ。というか、調子が狂う。
 
 おばあちゃんがお茶すすりながら、トドメを刺した。
「尚弥、もう決めたの。今日から宵くんと一緒に暮らすのよ」

 俺は湯飲みを落としそうになった。
「絶対無理でしょ!」

 宵が不安そうに眉を寄せる。
「……いや?」
「いやじゃないけど嫌! いや、自分でも何言ってるのかわかんないけど嫌!」

 すると宵の目がうるりと潤んだ。今にも泣き出しそうになるその顔に、俺は一瞬で凄まじい罪悪感に襲われた。
(えぇ? もう、そんな顔すんの?)

「……なんで泣くの」
「なおや、いなくなるの……?」

「い、いる! いるから! 今はどこにも行かないから!」
「仲良くできそうねぇ」

 おばあちゃんの満足げな声が響く。俺はもう、天を仰ぐしかなかった。
 
 **
 
「……その格好、さすがに外は歩けないだろ」

 俺はクローゼットから適当なパーカーとTシャツ、それからジャージを引っ張り出した。
 宵が着ていた白い羽織は、あまりにも浮世離れしていたからだ。

「これ、サイズ合うかわかんないけど着てみて」

 宵はそれを受け取ると、鼻先を寄せてクンクンと匂いを嗅いだ。

「……なおやの、におい」
「感想そこ!? いいからさっさと着ろって」

 宵は俺より十センチほど背が高かったが、俺がオーバーサイズを好むおかげで、なんとかなった。俺の服を着た宵は、さっきまでの神秘的な雰囲気が少しだけ消えて、年相応の青年に見える。
 
 風呂に向かおうと、居間を離れるとき、宵が袖をぎゅっと掴んだ。
 振り返ると、まっすぐな瞳で見つめられる。

「……なおや」

 蚊の鳴くような、細くて不安そうな声。

「ここにいて」

 意味もなく、胸が締め付けられた。
 この声、なんだかすごく懐かしい気がする。
 懐かしい? いや、知らないはずなのに。

 俺は掴まれた袖をそっと外した。
「……寝る時までは、いるよ」

 宵は、ぱあっと明るく笑った。その笑顔に、俺はなぜか言いようのない胸騒ぎを覚えた。
 
 **

 部屋に戻って、扉を閉める。

「なんなんだよ、アイツ」

 どういうわけか、俺の心は少しだけ安心していた。
 理由がわからなくて、そのことがまた怖い。
 考えまいとして布団に潜り込むと、驚くほどすぐに眠気がやってきて、目を閉じた。

 ◇◇

 湖の波と銀色の耳が揺れている。
 
 冷たい水の匂いが鼻をかすめた。
 
 綾空(あやそら)という名の断片。
 
 それと、愛おしい誰かの声。

『――灯弥(とうや)

 ◇◇
 
 俺は弾かれたように飛び起きた。
 部屋は暗くて、時計の針は深夜一時を回ったところだ。
 
 アヤソラ? トウヤ?
 宵も確かに、俺を『とうや』と呼んでいた。
 夢の声は、宵の声と似ていたような気もする。
 いや、夢、夢だ。ただの夢に決まっている。

 自分にそう言い聞かせ、もう一度瞼を閉じた。
 明日から、とんでもない生活が始まりそうだ。

 ――今はまだ知らないふりをしよう。

 **

 翌朝、まだ太陽が昇りきる前の薄暗い時間に目が覚めた。いや、正確に言うと、目を覚まさざるを得なかった。

 顔のあたりが温かい。
 いや、温かいというか、柔らかいな。
 なんか、もふ……?

「……んん?」

 ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに銀色だった。
 え、猫……? いや、違うぞ。

 人間だわ。

 宵が、俺の枕を半分奪うようにして寝ていた。メチャクチャ至近距離で。

「…………いやいやいや!!」
 ドゴォッ!!
 
 反射的に跳ね起きようとして、布団に足を取られて、床に派手に転んだ。
 痛ってええ……!!
 布団の山の向こうで、宵がうっすらと目を覚ます。

「……なおや?」

 寝起きのその声が色気ありすぎる……やめてよ。

「なおや、落ちたの?」
「落ちたんじゃねーよ、落とされたんだよ!」

 居間に見知らぬ人が座ってた昨日の衝撃より、目が覚めたら知らない男と添い寝してる状況の方が、はるかにヤバい。

 なんでこの布団にいるの?
 いや、昨夜、ちゃんと部屋の鍵閉めたはず――
 ……あ。俺の部屋の鍵、壊れてるんだったぁ。

「どうしたの?」
 
 宵が布団から上半身を起こして俺を見下ろす。
 Tシャツの襟ぐりが大きく開いて、白い肩が覗いている。
 ……あっざとい! 無自覚なんだろうけど、確実にあざとい。

「なんで、俺の部屋にいるの……?」

 宵は当然のように言い放った。

「ここがいいから」
「ちがう、理由きいてんの!」
「なおやが、いるから」

 いや、それが理由にならないって言ってるのに……。
 もうやだ、しかも俺、なんでこんなに顔が熱いんだ。
 
 逃げるように居間に出ると、おばあちゃんが台所で朝食を作っていた。味噌汁のいい匂いが漂う。……落ち着くな。
 
「おはよう、尚弥。早いわね」
「おはよう……って言ってる場合じゃないんだけど!」
「あら? 何が?」
「宵が俺の部屋に勝手に入ってきて……!」

 おばあちゃんはお椀を並べながら、さらりと言った。

「良かったじゃない。寂しくなくて」
「寂しいとかじゃなくてさ!」

 おばあちゃんは楽しそうに笑っただけ。結局、この家の空気に飲み込まれていくのは、俺だけらしい。

 はぁ、もう……。
 おばあちゃんのこういうマイペースなところ、嫌いじゃないけどさ。

 少しして、宵が眠そうに居間に現れた。
 寝癖だらけのぼさぼさ頭で、目が半分閉じている。
「おはよ……」

 おばあちゃんは満面の笑みで声かける。
「あら宵くん、よく眠れたかしら?」
「なおや、あったかかった」

「その言い方なに? 語弊がありすぎるでしょ」
「仲良しねえ」

 仲良しじゃない!
(俺は断じて違う!)

 宵は俺をじっと見つめてくる。
 なぜだかまた胸が、ちりりと痛んだ。
 なぜかはわからない。
 けれど、この嵐のような違和感の中にある「懐かしさ」の正体を、俺はまだ知らない。