朝、教室に入るのがギリギリになってしまった。遅くまで勉強していたからか、目覚ましに気づかず起きたら家を出る5分前だった。我が家では、自分で起きられなければ家族はそのままにするルールになっている。
それでも何とか間に合って席に着く。ゆっくり息を吐いて想の座っている席を見やる。テスト期間は出席番号順になっているので、俺からは少し遠い。
ノートに目を向ける想がこちらを見ることはなかった。
挨拶はする程度の距離にいたのに、もう挨拶もしないほうがいいのかもしれない。見ているだけの憧れに近づきすぎて調子に乗ったなあ、俺。
好きになると思わなかった。せめてもうちょっと、想に気づかせないくらい俺がちゃんとできれば――って今さら思っても遅いことだ。
想の距離感が近い気がしたのも、友達としての信頼の上にあったんだ。俺は今、その信頼をすべて失ってしまった。修復を考えられる状況にもない。
テスト最終日をどうにか乗り越えて、俺は机になだれ込む。
仁は元気のない俺を見て「強く生きろ」と雑な扱いだった。いつもどおりでむしろありがたい。意気揚々と部活へ行くのを見送って、俺も帰ろうと準備を始める。
想の方を見ることができなかった。ぞろぞろと教室から出ていく人もなるべく見ないよう気をつけた。目を合わせたくない。
みみちゃんの「匠〜!」と明るい声がして、俺は何だかほっとした。
「今日、服買うの付き合ってくれない?」
「え、いいけど。それゆっちじゃなくていいの?」
「ゆっちと出かけるから、匠がいいの」
「俺どっちがいいかわかんねえよ」
適任はゆっちだろ、と苦笑する。
「どっちが、じゃなくて何が似合いそうか選んでくれない?」
「俺が選んだらゆっちに恨まれる未来が見えるからやだ。女友達いるだろ」
「ゆっちの話気兼ねなくできるの匠くらいなんだよね。けど、ゆっちに恨まれるのかぁ」
腕を組んだみみちゃんが眉根を寄せて、うーんと唸る。
「ゆっち、あたしが着る服はサプライズとゆっちが選ぶのどっちがいい!?」
みみちゃんがいきなり、教室から出ようとする人をガシッと捕まえたかと思えば、ゆっちだった。ちらっとこちらを見たゆっちと目が合って俺は首を横に振る。俺は行かなくていいから2人で行け、の意味で。
「え!? えー、どっちも嬉しい。じゃあ、今回はサプライズって言っとこうか?」
ふにゃふにゃな骨抜きの笑顔のゆっちに、あれ、こいつら付き合ったんだっけと首を傾げる。そんな報告を受けた覚えはない。
「サプライズを匠に選んでもらってもいい?」
「それは全然いいよ。逆に何が良くねーの?」
きょとんとするゆっちに俺とみみちゃんは顔を見合わせて笑った。この前まで俺がみみちゃんを好きなんじゃないかと思ってたくせに。
そうじゃないとわかった途端に余裕の顔を見せる。すごいやつだな。
「俺、ゆっちのこと尊敬してるわ」
「よくわかんねーけど、やった? あ、じゃあオレも匠が服選んでほしい」
「それなら今日一緒に行けばいいじゃん。買う服どれにするかわかんなければいいんだし」
結局、3人で買い物に行くことになった。なぜか俺がみみちゃんとゆっちのデート服を選ぶことになって、責任重大だ。
それでも誰かといられるのは、俺としてもありがたかった。さすがにずっとカップルといては邪魔者になる。途中ではぐれて、映画でも見て帰ろうかな。想のおかげで1人も楽しいし、と自然と想を思い出している自分に歯噛みした。
おなじみのショッピングモールを一緒に回る。途中でゆっちを店の前で待たせている間に、みみちゃんが「付き合ってはないよ」と衝撃のことを言ってきた。
「付き合ったの俺が聞いてねえだけかと思った」
「匠に言わないとかないよ。もうお互いわかってるようなものなんだけど、きちんと伝えさせてほしいって言われて待ってるとこなの」
「それ付き合ってるって言わねえの?」
「待ってるから、まだなんじゃないかなぁ。だから次のデート楽しみなの」
へへ、とはにかむみみちゃんが俺にはまぶしく映って目を伏せる。
「いいね。俺は失恋したから、しばらくしょぼくれてようと思う」
楽しい時間に水を差したくない気持ちもあったが、どうせわかることなので先に言っておいた。
「……そっか」
「あ、けど今日誘ってくれてすげえ助かった。1人でいたくなかったから」
「うるさすぎて1人になりたいときは、いなくならずにちゃんと言ってね」
匠は黙って消えるからなぁ、とみみちゃんが呆れたように言った。見抜かれている。うるさすぎてそうなるわけじゃねえけど。
みみちゃんがかき分けて手に取ったトップスを見て、俺は「みみちゃんはくすんでない淡い色のが合うと思う」と言った。
「こっちか。形はこのあたりどう?」
「かわいい。ゆっち喜ぶよ」
「スカートは? ミニ丈にしようかな」
「みみちゃんミニとか嫌いじゃん。ちょっと短いとしてもこのくらいでいいんじゃねえの」
テンションが上がっていく楽しそうなみみちゃんを見た後は、ゆっちの服を選ぶ。今度はみみちゃんに店の前に待っていてもらって、どれがいいかをゆっちと2人で話した。思いの外難航して、いくつかの店を巡った。
「みみちゃんとゆっちが付き合ったら1人になるんだろうと思ってたから、こうやって3人のままなの意外だった」
まだ付き合ってないにしても似たようなものだ。正直な気持ちを伝えると、ゆっちは「オレもよくわかんないときもあった」と目線を外して耳を触った。
「匠のことも大事な友達だし、だからってみゆに匠と遊ぶなってのはオレが言うことでもねーし。匠が嫌じゃなければこれからも誘いたい。いい?」
「誘ってもらえんなら、俺も嬉しいよ。ただ、カップルのダシにされてる気配を察知したら逃げさせてもらう」
「それはねーだろ……あるのか?」
「気づいたらそうなってるパターンはあるかもな。けど、そんときは言うわ」
居場所がなくなる怖さはもうあまり感じなくなった。この2人は俺の居場所をなくすことなく、そのままでいようとしてくれる。例えなくなったとしても、そうしてくれた事実があればいいと思えた。
「お、ゆっちはこれだろ。その持ってる短パンじゃなくてこっち」
「こういうのあんまり着ねーな」
服を当てた鏡越しのゆっちの頬が上がる。いいと思っているのが、言われなくてもわかる表情だった。
いつだったか、みみちゃんやゆっちの服を選ぶのを面倒だと思っていた。正解がわからないし、どっちでもよかった。そんな最悪な考えだったのから、楽しいと思うようになるなんてびっくりする。友達のために真剣に悩めるってのも、いいものだ。
想がいてくれたおかげだな、と想を浮かべてしまって奥歯を噛みしめた。
「自分じゃ着なさそうな感じになったなー。ありがとう、買ってくる」
「いってら。みみちゃん惚れさせろよ」
「もう惚れさせてはいるから!」
のろけうぜえなと笑うと、ゆっちは「ちげーし」と口元は上がっていた。レジへ向かうゆっちの背中を見つめる。達成感と共に俺の中にあるぽっかり開いた穴は、どうにも埋められそうになかった。
夕暮れ時、考えることはみんな同じらしく、フードコートもカフェも満席で入れない。座る場所を見つけられず、2人からおごってもらった飲み物を店の近くで立ったまま飲んだ。ストローに口をつけるとチョコの香りがふわりと漂った。
ショッパーを持って、ちらちらと自分の買ったものをのぞく2人。デートがうまくいった報告を聞くのが待ち遠しくなる。
冷たい飲み物に頭をやられながら「この後は映画見て帰るよ」と伝えて、俺はカップルの邪魔者として抜けることにした。今やっている映画をまったく確認せず来たら、興味が惹かれるものが見つけられなかった。
無理に見なくてもいいか。1人だとどうするか自分だけで決めてしまえるのは気楽だ。
2人には映画を見ると言ってしまった手前どうするか迷ったものの、本屋へ向かう。遭遇したら、そのときはそのときだ。
本屋に着いても2人の姿はなさそうだった。俺は安心して新刊コーナーのあたりで積まれた本の表紙と向き合う。せっかくだから何か買って帰ろうと思った。
想におすすめされることもなくなるだろうし、自分で新たな作家を開拓してみよう。この前テレビで紹介されていたものを探すのもいいかな。
「――匠?」
上擦った声がして顔を上げると、目を丸くした想が本を片手に立っている。
「想、何で……って、そりゃいることもあるか」
はは、と自嘲の笑みが漏れる。前にも本屋で会ったことがあった。今日だって会えたことに心が反応してしまって、心臓を握りつぶしてしまいたい気分だった。
何を話していいかわからなくて、久しぶりと出そうになった次の言葉を飲み込む。昨日と今日だけで随分時間が流れてしまったように感じられただけで、久しぶりと言うほどの時間は経ってない。
「俺はこれ買うんで」
目についた本を手に取る。またね、と付け足したのが掠れてしまった。想まで届いたかどうかわからなかったが、どうでもよかった。俺はもう、まともに想の顔を見れない。拒絶の顔かもしれないと思うと、喉の奥が震えた。
好きじゃないと何回言い聞かせれば、現実になるんだろう。
「匠、ごめん」
聞こえても、俺は振り返らなかった。謝るべきは俺のほうで想は何も悪くない。レジの列に並んでも、想は追いかけて来ていないらしかった。
ホッと胸をなで下ろして、本の裏を確認する。普段なら手に取らなさそうなジャンルだった。あらすじからして、想が好きそうだ。戻すわけにもいかないので、そのまま流れで買ってしまった。
本屋の外で想が待っているのが視界の端に入って、財布をなるべくゆっくりリュックにしまう。
想と話して何になるんだ、という考えが浮かんでしまった。俺が邪魔していた想の1人の時間を取り戻したと思ってくれたらいい。最低でも何でもいい。今は距離を置いて、時間が解決してくれるのを待つだけ。
想にとってもそのほうがいいだろうに。俺が避ければ終わるなら、そうしよう。
気づかないふりをして、足早に歩いていく。想らしき足音が聞こえても止まらないまま、エスカレーターをどんどん下りて行った。
一番近い出口からショッピングモールを後にして、駅とは逆側に向かうことにした。遠回りして隣の駅まで歩こう。さすがにここまですれば、俺が避けていることは伝わっただろうし、想も追いかけてくることはないだろう。
「匠、待って!」
嘘だろマジかよ。一応振り返って確認しようと首を捻ると、人のいない道を一目散に走ってくる想。外はオレンジの日差しが照り付けている。日陰とはいえ、ここも暑い。俺はもう走るのはごめんだった。
俺の前にたどり着いた想は身をかがめて、げほげほと咳き込む。背中を擦ろうと伸ばした自分の手にハッとして、引っ込めた。
「何してんだよ。俺のことはもういいよ」
低い声になってしまって、ぐしゃぐしゃと頭を掻いた。想が優しいのもわかるけど、その優しさがのしかかって痛い。流れてくる汗を手の甲で拭って息を吐く。
「俺のこと、やになった?」
「その訊き方はずるいだろ。てか、嫌になったのは想じゃねえの? 俺が想のこと好きだってわかって、困ってたじゃん」
汗で想の前髪が張り付いている。想が喉から絞り出すような声で「えっ」と言った。リュックがずり落ちて、想の目が左右を行ったり来たりする。
どういう反応? 想は困ってる自覚がなかったのか。戸惑って一旦1人になりたがった?
何にしても、同じことだろう。
「俺は想のこと困らせたいわけじゃねえから。もう帰ろう」
想をその場に置いていきたい気持ちが8割を占めていたが、残りの2割の心配ががっと急上昇して追い越してしまった。ひとまず駅の待合室まで連れて行って、置いて行けばいいだろう。
「待って。匠、俺のこと好きなの?」
想が俺の腕をつかんで、その熱に慄く。
「――は? 何を今さら、」
意味わかんねえよ、と続く言葉がうまく出てこなかった。じゃあ、あれは何のことだよ。迷いなく触れてくる想が俺に対して嫌悪感を持っていない証明のように思えて、余計によくわからない。
俺が想を好きだとは思ってなかったのに、何で避けられたのか。
じわりと視界が滲んで、空を仰ぐ。
「ごめん、俺が勝手に勘違いしてた。匠、今からうち来れる?」
ここじゃ何だし、ちゃんと話したい。下唇を噛んで、無言でうなずく。口を開いてもろくなことが言えそうになかった。
:
電車ではお互いに何も話さなかった。頭の中で想の反応を思い返しては、どういうことなのか考える。結論は出せず、早く着くことを願うのみだった。
想の家に入って、ひやりとした空気に息を吐く。まだ肌は熱を持っているようだった。
リビングのソファーに腰を下ろして、出された麦茶を一気に飲み干す。テーブルにグラスを置いても沈黙が続いて「さっきの何?」と俺から訊ねた。
「やー……その、俺がちょっと誤解をしてて」
目線を床に落としたまま、隣に座る想が言葉を濁す。
家に呼んだくらいだから、想から話したいと思ったのに。
「何の誤解?」
「この前、匠が友達と話してるの聞いてみみちゃん? さんのことが好きなんだなーと思ったんだよ」
一気に言ってしまえとばかりに早口の想に、俺は瞬きしかできなかった。頬を赤く染めた想が「早とちりした」と口元を手の甲で隠す。
俺の心臓が期待で高鳴っているのがわかった。
「匠の好きな人に気づかないふりして、友達でいるのは無理だって思って――でも、やっぱりちゃんと匠を応援できるようになりたくて、一旦1人になって落ち着きたかったんだよ」
「何だよそれ。俺がみみちゃんを好きとか言った記憶ねえよ」
「え、でも“みみちゃんを好き”って感じのこと言ってるの聞いたよ」
そんな話したっけな、とゆっちとの会話の流れを思い出す。すぐに閃いて、俺は「あれか!」と頭を抱えた。みみちゃんを好きだって言ったらどうするか、みたいなことを言った覚えがある。
あれはあくまで、ゆっちの気持ちを確認するためのものだった。よりにもよって、あれを聞かれていたのか。
「俺は、想が俺の気持ちに気づいて困ってるんだとばっかり思ってたわ」
ただの誤解だとわかって、ほどけたように涙が頬を滑り落ちていく。友達でもいられなくなったんだと思った。
「困るわけないのに。俺は匠のことが好きだよ」
想の親指が涙を優しく拭ってくれた。くすぐったくて目を細めれば、そのまま頬を撫でられる。また新たな涙がこぼれてしまった。
「俺……想のこと、好きでいてもいい?」
自信のなさがそのまま口から出て、吸い込んだ息が震えた。
「好きでいてよ。好かれてたいよ、匠に」
腕を引かれて、想の肩に近づいたところで力を込める。顔が濡れたままだから、想のシャツについてしまう。
それに気づいてか、想は「細かいこと気にしなくていいから」と俺の後頭部を優しく押した。想の肩に寄りかかって、その温もりに胸がいっぱいになった。
「すげえ好きだよ」
「うん、匠から好かれてんじゃないかなーって自惚れてたくらいだからね」
「……やっぱ俺ってわかりやすいの?」
すん、と鼻を啜る。耳元で想がクスクス笑った。
「すぐ赤くなっててかわいかったよ。もっと近づいたらどうなるんだろうって思ってた。意外と反応薄いね?」
耳たぶをむにむにと触られて、ぶわわっと顔の体温が上昇したのがわかった。想の柔軟剤の香りがいつもより近くにあった。心臓も遅れて暴れだす。
これはあれだ、事実を受け入れられるまで時間がかかっただけだ。
「ま、まあ、このくらいはな。ハグくらいはするだろ」
別に動揺じゃねえし、と心の中で言い訳を並べていると想が一層強く俺を抱きしめた。おずおずと俺も想の背中に腕を回す。
「じゃあ、いつしても大丈夫そうだね」
「それは全然大丈夫じゃねえから事前にお知らせして。今もちょっと爆発しそう」
「それは困るな。やめておこうか?」
からかい口調の想に俺は唇を尖らせる。
「やめんなよ。もうちょっとこのままがいい」
想の腕の中におさまったまま、額を想の肩にぐりぐり押し付ける。
「じゃあ、匠は俺に顔見せて」
「わかった」
体を起こそうとすると、離さないというように想から押さえられてうまく想のほうを見れない。押さえてくる手をポンポン叩いても「このままでも俺の顔見えるでしょ?」と言われた。
いや見えねえだろ。
首を動かして想の顔を見ようとしても、近すぎてよくわからない。ふっと息を吐いて、ようやく起き上がらせてもらえた。
えー、と言葉とは裏腹に満足げな想が俺をのぞき込む。
「もうちょっと夢じゃないことわからせてよ」
「意外とベタベタ触りたがんのな」
「匠がやならやめるよ」
ソファーについた俺の手を取って、想が手の甲に唇を落とす。ビクッと俺の肩が反応してしまい、それを見た想の唇が弧を描く。
これ以上をされても断らねえけど、心の準備をする準備が足りなさすぎる。
「……嫌ではないから、やめといて」
背もたれに寄りかかって、両手で顔を覆う。涼しい部屋なのに、思った以上に自分の顔が熱かった。
現実のほうがありえなくて、頭がふわふわする。
想が俺の手を剥がそうとするので一瞬力を込めたものの、細い指がからかうように撫でてきて結局負けた。
「かわいい顔」
「距離感がバグってんだよなあ」
お互い好きだってわかる前から想は距離が近かった。
「匠にだけだよ。すぐ赤くなって面白い」
「や、そこ面白がんなよ!?」
からかうように笑う想の耳も少し赤くなっているのに気づいて、手を伸ばす。と、つかまれた。
「好きだよ」
「……それは、俺もだけど」
2人分の熱が、心地よかった。
それでも何とか間に合って席に着く。ゆっくり息を吐いて想の座っている席を見やる。テスト期間は出席番号順になっているので、俺からは少し遠い。
ノートに目を向ける想がこちらを見ることはなかった。
挨拶はする程度の距離にいたのに、もう挨拶もしないほうがいいのかもしれない。見ているだけの憧れに近づきすぎて調子に乗ったなあ、俺。
好きになると思わなかった。せめてもうちょっと、想に気づかせないくらい俺がちゃんとできれば――って今さら思っても遅いことだ。
想の距離感が近い気がしたのも、友達としての信頼の上にあったんだ。俺は今、その信頼をすべて失ってしまった。修復を考えられる状況にもない。
テスト最終日をどうにか乗り越えて、俺は机になだれ込む。
仁は元気のない俺を見て「強く生きろ」と雑な扱いだった。いつもどおりでむしろありがたい。意気揚々と部活へ行くのを見送って、俺も帰ろうと準備を始める。
想の方を見ることができなかった。ぞろぞろと教室から出ていく人もなるべく見ないよう気をつけた。目を合わせたくない。
みみちゃんの「匠〜!」と明るい声がして、俺は何だかほっとした。
「今日、服買うの付き合ってくれない?」
「え、いいけど。それゆっちじゃなくていいの?」
「ゆっちと出かけるから、匠がいいの」
「俺どっちがいいかわかんねえよ」
適任はゆっちだろ、と苦笑する。
「どっちが、じゃなくて何が似合いそうか選んでくれない?」
「俺が選んだらゆっちに恨まれる未来が見えるからやだ。女友達いるだろ」
「ゆっちの話気兼ねなくできるの匠くらいなんだよね。けど、ゆっちに恨まれるのかぁ」
腕を組んだみみちゃんが眉根を寄せて、うーんと唸る。
「ゆっち、あたしが着る服はサプライズとゆっちが選ぶのどっちがいい!?」
みみちゃんがいきなり、教室から出ようとする人をガシッと捕まえたかと思えば、ゆっちだった。ちらっとこちらを見たゆっちと目が合って俺は首を横に振る。俺は行かなくていいから2人で行け、の意味で。
「え!? えー、どっちも嬉しい。じゃあ、今回はサプライズって言っとこうか?」
ふにゃふにゃな骨抜きの笑顔のゆっちに、あれ、こいつら付き合ったんだっけと首を傾げる。そんな報告を受けた覚えはない。
「サプライズを匠に選んでもらってもいい?」
「それは全然いいよ。逆に何が良くねーの?」
きょとんとするゆっちに俺とみみちゃんは顔を見合わせて笑った。この前まで俺がみみちゃんを好きなんじゃないかと思ってたくせに。
そうじゃないとわかった途端に余裕の顔を見せる。すごいやつだな。
「俺、ゆっちのこと尊敬してるわ」
「よくわかんねーけど、やった? あ、じゃあオレも匠が服選んでほしい」
「それなら今日一緒に行けばいいじゃん。買う服どれにするかわかんなければいいんだし」
結局、3人で買い物に行くことになった。なぜか俺がみみちゃんとゆっちのデート服を選ぶことになって、責任重大だ。
それでも誰かといられるのは、俺としてもありがたかった。さすがにずっとカップルといては邪魔者になる。途中ではぐれて、映画でも見て帰ろうかな。想のおかげで1人も楽しいし、と自然と想を思い出している自分に歯噛みした。
おなじみのショッピングモールを一緒に回る。途中でゆっちを店の前で待たせている間に、みみちゃんが「付き合ってはないよ」と衝撃のことを言ってきた。
「付き合ったの俺が聞いてねえだけかと思った」
「匠に言わないとかないよ。もうお互いわかってるようなものなんだけど、きちんと伝えさせてほしいって言われて待ってるとこなの」
「それ付き合ってるって言わねえの?」
「待ってるから、まだなんじゃないかなぁ。だから次のデート楽しみなの」
へへ、とはにかむみみちゃんが俺にはまぶしく映って目を伏せる。
「いいね。俺は失恋したから、しばらくしょぼくれてようと思う」
楽しい時間に水を差したくない気持ちもあったが、どうせわかることなので先に言っておいた。
「……そっか」
「あ、けど今日誘ってくれてすげえ助かった。1人でいたくなかったから」
「うるさすぎて1人になりたいときは、いなくならずにちゃんと言ってね」
匠は黙って消えるからなぁ、とみみちゃんが呆れたように言った。見抜かれている。うるさすぎてそうなるわけじゃねえけど。
みみちゃんがかき分けて手に取ったトップスを見て、俺は「みみちゃんはくすんでない淡い色のが合うと思う」と言った。
「こっちか。形はこのあたりどう?」
「かわいい。ゆっち喜ぶよ」
「スカートは? ミニ丈にしようかな」
「みみちゃんミニとか嫌いじゃん。ちょっと短いとしてもこのくらいでいいんじゃねえの」
テンションが上がっていく楽しそうなみみちゃんを見た後は、ゆっちの服を選ぶ。今度はみみちゃんに店の前に待っていてもらって、どれがいいかをゆっちと2人で話した。思いの外難航して、いくつかの店を巡った。
「みみちゃんとゆっちが付き合ったら1人になるんだろうと思ってたから、こうやって3人のままなの意外だった」
まだ付き合ってないにしても似たようなものだ。正直な気持ちを伝えると、ゆっちは「オレもよくわかんないときもあった」と目線を外して耳を触った。
「匠のことも大事な友達だし、だからってみゆに匠と遊ぶなってのはオレが言うことでもねーし。匠が嫌じゃなければこれからも誘いたい。いい?」
「誘ってもらえんなら、俺も嬉しいよ。ただ、カップルのダシにされてる気配を察知したら逃げさせてもらう」
「それはねーだろ……あるのか?」
「気づいたらそうなってるパターンはあるかもな。けど、そんときは言うわ」
居場所がなくなる怖さはもうあまり感じなくなった。この2人は俺の居場所をなくすことなく、そのままでいようとしてくれる。例えなくなったとしても、そうしてくれた事実があればいいと思えた。
「お、ゆっちはこれだろ。その持ってる短パンじゃなくてこっち」
「こういうのあんまり着ねーな」
服を当てた鏡越しのゆっちの頬が上がる。いいと思っているのが、言われなくてもわかる表情だった。
いつだったか、みみちゃんやゆっちの服を選ぶのを面倒だと思っていた。正解がわからないし、どっちでもよかった。そんな最悪な考えだったのから、楽しいと思うようになるなんてびっくりする。友達のために真剣に悩めるってのも、いいものだ。
想がいてくれたおかげだな、と想を浮かべてしまって奥歯を噛みしめた。
「自分じゃ着なさそうな感じになったなー。ありがとう、買ってくる」
「いってら。みみちゃん惚れさせろよ」
「もう惚れさせてはいるから!」
のろけうぜえなと笑うと、ゆっちは「ちげーし」と口元は上がっていた。レジへ向かうゆっちの背中を見つめる。達成感と共に俺の中にあるぽっかり開いた穴は、どうにも埋められそうになかった。
夕暮れ時、考えることはみんな同じらしく、フードコートもカフェも満席で入れない。座る場所を見つけられず、2人からおごってもらった飲み物を店の近くで立ったまま飲んだ。ストローに口をつけるとチョコの香りがふわりと漂った。
ショッパーを持って、ちらちらと自分の買ったものをのぞく2人。デートがうまくいった報告を聞くのが待ち遠しくなる。
冷たい飲み物に頭をやられながら「この後は映画見て帰るよ」と伝えて、俺はカップルの邪魔者として抜けることにした。今やっている映画をまったく確認せず来たら、興味が惹かれるものが見つけられなかった。
無理に見なくてもいいか。1人だとどうするか自分だけで決めてしまえるのは気楽だ。
2人には映画を見ると言ってしまった手前どうするか迷ったものの、本屋へ向かう。遭遇したら、そのときはそのときだ。
本屋に着いても2人の姿はなさそうだった。俺は安心して新刊コーナーのあたりで積まれた本の表紙と向き合う。せっかくだから何か買って帰ろうと思った。
想におすすめされることもなくなるだろうし、自分で新たな作家を開拓してみよう。この前テレビで紹介されていたものを探すのもいいかな。
「――匠?」
上擦った声がして顔を上げると、目を丸くした想が本を片手に立っている。
「想、何で……って、そりゃいることもあるか」
はは、と自嘲の笑みが漏れる。前にも本屋で会ったことがあった。今日だって会えたことに心が反応してしまって、心臓を握りつぶしてしまいたい気分だった。
何を話していいかわからなくて、久しぶりと出そうになった次の言葉を飲み込む。昨日と今日だけで随分時間が流れてしまったように感じられただけで、久しぶりと言うほどの時間は経ってない。
「俺はこれ買うんで」
目についた本を手に取る。またね、と付け足したのが掠れてしまった。想まで届いたかどうかわからなかったが、どうでもよかった。俺はもう、まともに想の顔を見れない。拒絶の顔かもしれないと思うと、喉の奥が震えた。
好きじゃないと何回言い聞かせれば、現実になるんだろう。
「匠、ごめん」
聞こえても、俺は振り返らなかった。謝るべきは俺のほうで想は何も悪くない。レジの列に並んでも、想は追いかけて来ていないらしかった。
ホッと胸をなで下ろして、本の裏を確認する。普段なら手に取らなさそうなジャンルだった。あらすじからして、想が好きそうだ。戻すわけにもいかないので、そのまま流れで買ってしまった。
本屋の外で想が待っているのが視界の端に入って、財布をなるべくゆっくりリュックにしまう。
想と話して何になるんだ、という考えが浮かんでしまった。俺が邪魔していた想の1人の時間を取り戻したと思ってくれたらいい。最低でも何でもいい。今は距離を置いて、時間が解決してくれるのを待つだけ。
想にとってもそのほうがいいだろうに。俺が避ければ終わるなら、そうしよう。
気づかないふりをして、足早に歩いていく。想らしき足音が聞こえても止まらないまま、エスカレーターをどんどん下りて行った。
一番近い出口からショッピングモールを後にして、駅とは逆側に向かうことにした。遠回りして隣の駅まで歩こう。さすがにここまですれば、俺が避けていることは伝わっただろうし、想も追いかけてくることはないだろう。
「匠、待って!」
嘘だろマジかよ。一応振り返って確認しようと首を捻ると、人のいない道を一目散に走ってくる想。外はオレンジの日差しが照り付けている。日陰とはいえ、ここも暑い。俺はもう走るのはごめんだった。
俺の前にたどり着いた想は身をかがめて、げほげほと咳き込む。背中を擦ろうと伸ばした自分の手にハッとして、引っ込めた。
「何してんだよ。俺のことはもういいよ」
低い声になってしまって、ぐしゃぐしゃと頭を掻いた。想が優しいのもわかるけど、その優しさがのしかかって痛い。流れてくる汗を手の甲で拭って息を吐く。
「俺のこと、やになった?」
「その訊き方はずるいだろ。てか、嫌になったのは想じゃねえの? 俺が想のこと好きだってわかって、困ってたじゃん」
汗で想の前髪が張り付いている。想が喉から絞り出すような声で「えっ」と言った。リュックがずり落ちて、想の目が左右を行ったり来たりする。
どういう反応? 想は困ってる自覚がなかったのか。戸惑って一旦1人になりたがった?
何にしても、同じことだろう。
「俺は想のこと困らせたいわけじゃねえから。もう帰ろう」
想をその場に置いていきたい気持ちが8割を占めていたが、残りの2割の心配ががっと急上昇して追い越してしまった。ひとまず駅の待合室まで連れて行って、置いて行けばいいだろう。
「待って。匠、俺のこと好きなの?」
想が俺の腕をつかんで、その熱に慄く。
「――は? 何を今さら、」
意味わかんねえよ、と続く言葉がうまく出てこなかった。じゃあ、あれは何のことだよ。迷いなく触れてくる想が俺に対して嫌悪感を持っていない証明のように思えて、余計によくわからない。
俺が想を好きだとは思ってなかったのに、何で避けられたのか。
じわりと視界が滲んで、空を仰ぐ。
「ごめん、俺が勝手に勘違いしてた。匠、今からうち来れる?」
ここじゃ何だし、ちゃんと話したい。下唇を噛んで、無言でうなずく。口を開いてもろくなことが言えそうになかった。
:
電車ではお互いに何も話さなかった。頭の中で想の反応を思い返しては、どういうことなのか考える。結論は出せず、早く着くことを願うのみだった。
想の家に入って、ひやりとした空気に息を吐く。まだ肌は熱を持っているようだった。
リビングのソファーに腰を下ろして、出された麦茶を一気に飲み干す。テーブルにグラスを置いても沈黙が続いて「さっきの何?」と俺から訊ねた。
「やー……その、俺がちょっと誤解をしてて」
目線を床に落としたまま、隣に座る想が言葉を濁す。
家に呼んだくらいだから、想から話したいと思ったのに。
「何の誤解?」
「この前、匠が友達と話してるの聞いてみみちゃん? さんのことが好きなんだなーと思ったんだよ」
一気に言ってしまえとばかりに早口の想に、俺は瞬きしかできなかった。頬を赤く染めた想が「早とちりした」と口元を手の甲で隠す。
俺の心臓が期待で高鳴っているのがわかった。
「匠の好きな人に気づかないふりして、友達でいるのは無理だって思って――でも、やっぱりちゃんと匠を応援できるようになりたくて、一旦1人になって落ち着きたかったんだよ」
「何だよそれ。俺がみみちゃんを好きとか言った記憶ねえよ」
「え、でも“みみちゃんを好き”って感じのこと言ってるの聞いたよ」
そんな話したっけな、とゆっちとの会話の流れを思い出す。すぐに閃いて、俺は「あれか!」と頭を抱えた。みみちゃんを好きだって言ったらどうするか、みたいなことを言った覚えがある。
あれはあくまで、ゆっちの気持ちを確認するためのものだった。よりにもよって、あれを聞かれていたのか。
「俺は、想が俺の気持ちに気づいて困ってるんだとばっかり思ってたわ」
ただの誤解だとわかって、ほどけたように涙が頬を滑り落ちていく。友達でもいられなくなったんだと思った。
「困るわけないのに。俺は匠のことが好きだよ」
想の親指が涙を優しく拭ってくれた。くすぐったくて目を細めれば、そのまま頬を撫でられる。また新たな涙がこぼれてしまった。
「俺……想のこと、好きでいてもいい?」
自信のなさがそのまま口から出て、吸い込んだ息が震えた。
「好きでいてよ。好かれてたいよ、匠に」
腕を引かれて、想の肩に近づいたところで力を込める。顔が濡れたままだから、想のシャツについてしまう。
それに気づいてか、想は「細かいこと気にしなくていいから」と俺の後頭部を優しく押した。想の肩に寄りかかって、その温もりに胸がいっぱいになった。
「すげえ好きだよ」
「うん、匠から好かれてんじゃないかなーって自惚れてたくらいだからね」
「……やっぱ俺ってわかりやすいの?」
すん、と鼻を啜る。耳元で想がクスクス笑った。
「すぐ赤くなっててかわいかったよ。もっと近づいたらどうなるんだろうって思ってた。意外と反応薄いね?」
耳たぶをむにむにと触られて、ぶわわっと顔の体温が上昇したのがわかった。想の柔軟剤の香りがいつもより近くにあった。心臓も遅れて暴れだす。
これはあれだ、事実を受け入れられるまで時間がかかっただけだ。
「ま、まあ、このくらいはな。ハグくらいはするだろ」
別に動揺じゃねえし、と心の中で言い訳を並べていると想が一層強く俺を抱きしめた。おずおずと俺も想の背中に腕を回す。
「じゃあ、いつしても大丈夫そうだね」
「それは全然大丈夫じゃねえから事前にお知らせして。今もちょっと爆発しそう」
「それは困るな。やめておこうか?」
からかい口調の想に俺は唇を尖らせる。
「やめんなよ。もうちょっとこのままがいい」
想の腕の中におさまったまま、額を想の肩にぐりぐり押し付ける。
「じゃあ、匠は俺に顔見せて」
「わかった」
体を起こそうとすると、離さないというように想から押さえられてうまく想のほうを見れない。押さえてくる手をポンポン叩いても「このままでも俺の顔見えるでしょ?」と言われた。
いや見えねえだろ。
首を動かして想の顔を見ようとしても、近すぎてよくわからない。ふっと息を吐いて、ようやく起き上がらせてもらえた。
えー、と言葉とは裏腹に満足げな想が俺をのぞき込む。
「もうちょっと夢じゃないことわからせてよ」
「意外とベタベタ触りたがんのな」
「匠がやならやめるよ」
ソファーについた俺の手を取って、想が手の甲に唇を落とす。ビクッと俺の肩が反応してしまい、それを見た想の唇が弧を描く。
これ以上をされても断らねえけど、心の準備をする準備が足りなさすぎる。
「……嫌ではないから、やめといて」
背もたれに寄りかかって、両手で顔を覆う。涼しい部屋なのに、思った以上に自分の顔が熱かった。
現実のほうがありえなくて、頭がふわふわする。
想が俺の手を剥がそうとするので一瞬力を込めたものの、細い指がからかうように撫でてきて結局負けた。
「かわいい顔」
「距離感がバグってんだよなあ」
お互い好きだってわかる前から想は距離が近かった。
「匠にだけだよ。すぐ赤くなって面白い」
「や、そこ面白がんなよ!?」
からかうように笑う想の耳も少し赤くなっているのに気づいて、手を伸ばす。と、つかまれた。
「好きだよ」
「……それは、俺もだけど」
2人分の熱が、心地よかった。



