ひとりも、ふたりも

 勉強会はある程度話せて、自由に休憩しやすい教室でやることになった。じゃんけんで俺だけが負けて、みみちゃんとゆっちはコンビニへお菓子を買いに、想は自動販売機へ飲み物を買いに行った。

「仁も勉強会する?」

 放課後、残っていた後ろの席の仁にも声をかけてみた。

「カップル2組に挟まれんのはしんどいな」と、机に身を乗り出して伸びをする仁。

「まだどっちもカップルじゃねえよ」
「……まだどっちも、ね」

 俺が墓穴を掘ったことに気づいたものの、訂正すればニヤつかれるのはわかっているので口をつぐむ。

「無言もオレは肯定と取った」
「勝手に肯定すんなよ」
「じゃあ否定しろよ。オレは別にどっちでもいいから」

 否定することもできなくて、俺は奥歯を噛みしめる。少なくとも俺と想は違うのはわかりきってるのに。

 仁は呆れたように笑った。

 抱える感情があわよくば何かの勘違いだと思えたらいいって、まだ往生際の悪いことを考えている。

「仁から見てもわかるくらい、俺ってわかりやすい?」

 みみちゃんと仁だけが例外だと信じたい。

「何つーか、わかるとわかる……くらい」
「何だそれ。こんがらがる」

 眉を寄せると、仁から額に「だから、わかるとわかるんだよ」とデコピンをお見舞された。

「いでっ」と声が漏れる。額を片手で押さえた。

「まあ、そこはいいだろ。それより今日、途中で抜け出すなんていいじゃん。2人で何すんの?」
「何もねえよ、勉強する」
「へぇ。オレは匠たちも応援してっから、そっちも頑張れよ。オレは配信見ながら帰るから」

 じゃあな、と肩をポンポン叩いて仁は帰って行った。

 みみちゃんも仁も、簡単に応援すると言ってるわけじゃないとわかっている。だからこそ、重たいなあ、と長く息を吐いた。ただのワガママだ。

 告白、まではいけなくても友達からあと一歩踏み込みたい。想からもらった大事な人の響きを思い出して、まぶたを閉じる。

 大事な人でいたい。友達よりも、ずっと。

 自分の感情を辿れば、もう答えはすぐそこにあった。

「ただいまー! こんだけお菓子あったら、やる気出るでしょー」

 みみちゃんの明るい声がして、俺はまぶたをそっと開ける。ゆっちから「匠寝てた?」と訊ねられて、首を横に振った。

 よし、俺もひとまず今を乗り切るか。

「眠かったけどぎり意識あった。何買ったの?」
「みゆがどんどんカゴ入れてくからわかんねーわ。冷蔵品は匠も食べるの手伝って」

 袋から買ったものを並べていくゆっち。お菓子を置いておくためだけに机が必要そうだ。

 机を勉強しやすいように向かい合わせに動かしているうちに想も戻ってきて、勉強を開始した。

「コンビニにはなさそうな飲み物、適当に買ってきた」

 紙パックの同じ種類のジュース。これまたじゃんけんで1人負けた俺は一番に選ばせてもらった。

 わからないところをみんなで想から教わったり、勉強法の共有をしたりと勉強を進めていく。テスト前は校庭からの音もなく、集中できる環境だった。

「想、この問2わかんねえ。教えて」
「ここのポイントは――」

 一時間ほどで、俺が「そろそろ俺は帰るわ」と席を立つ。想を見ると、合図しなくても続けて立ち上がっていた。

「俺も帰ろうかな。またわかんないとこあれば、問題送ってきて」

 てきぱきとリュックへ勉強道具をしまっていく想。ゆっちが戸惑っているうちに押し切ってしまおうと思った。

 みみちゃんが「ありがとね」とシャーペンを持っている手でピースを振った。じゃ、と俺もピースをして笑みを返す。

「そんじゃ、また来週」

 ポカンとしたままのゆっちと、企み顔のみみちゃんに見送られて教室を後にする。

「湿度やばすぎ」

 げんなりとした声が出た。外に出るなり、汗がじわりと滲んでくる。曇り空のせいでかえって蒸し暑い。

 かといって、ゆっくり歩いていては駅まで遠いからだろう。自然と想の歩くスピードが上がった。俺も合わせて早くなる。

「駅までもうちよっと近いといいよね。雨降っても安心だし」
「――って、雨降ってきたな!?」

 ぽた、と頬に雨粒が当たったかと思えば、あっという間に大粒の雨が落ちてくる。

「とりあえず、そのへんの屋根あるとこまで走ろう」

 背負っていたリュックを前に持ってきた想が先に走り出した。そうだな、とうなずいて俺も走る。

 今朝は晴れてたから傘を持って来なかった。

 あっという間に雨水を吸ったシャツがずっしりまとわりつく。近くのバス停の屋根の下で雨を避ける。

 シャツを脱ぎたい気持ちを堪えつつ、ポタポタ垂れてくる水滴を、かろうじて持っていたハンカチで押さえた。

「雨やべえな。想はハンカチある?」
「あ、ハンカチある。けど、傘出してる」

 リュックを開けて中を探る想を見て、俺は手元のハンカチをさっと額に当てた。想は「ありがとう」と言いながら、傘を引っ張りだす。その間に俺は想の髪から水滴を飛ばそうと髪をわしゃわしゃと払った。

「ちょっと、匠。くすぐったいよ」

 リュックを閉じた想の手が俺の腕をつかむ。想の手が熱を持っていた。

 心臓ごとつかまれたような気になって、俺は静かに息を吐いた。と、するりと手の中のハンカチを取られて「ちゃんと拭いときなよ」と笑われた。

「や、想のがポタポタしてんのにリュック開けたらダメだろ」
「雨吹き込んで来てるし一緒かなーって」
「一緒ではねえだろ。傘持ってきてんのはさすがだけど」

 折りたたみ傘を広げて、想はニコッと唇の端を上げる。

「入っていいよ」
「お邪魔します。俺が傘持つよ」

 傘の柄の部分をつかもうとするとさっと上に避けられた。

「俺のが身長高いんだから、俺が持ってたほうが楽」

「そんな変わんねえだろ」と答えた。俺が持っても大差ない。もう一度取ろうとすると「濡れるからじっとして」と注意されてしまい、大人しく駅へ向かって歩き始める。

「そんな端寄ると意味ないよ」

 せめて想が濡れないように気を遣っていたら、肩を寄せられた。

 どっと心臓が暴れだす。傘に雨が当たる音が耳元で聞こえる。

 こんなの、どうしようもねえだろ。

 目が合った想が「暑いけど頑張って」と微笑む。どうしたって、好きだ。

 傘の内側の距離に逃げ場のない好きが降っていた。

 想の家について、部屋に上がる前にシャワーを浴びるかと訊かれて流石に断った。

「そのシャツは着替えたほうがいいよ。たぶん匠サイズそんなに変わんないから着られると思うんだよね」
「ありがとう、助かる」

 今麦茶取ってくる、と部屋を出た想。俺は想が戻る前に急いで借りたTシャツとズボンに着替える。柔軟剤の甘い香りがして、ぐらついた。

 顔に出てねえよな。想には気づかれたくない。憧れに近づけたからって、ちゃんと友達でいたい。

 脱いだシャツとズボンを持ったまま、想の部屋のどこにいていいかわからず、端に立っていた。貸してもらったズボンは七分丈で足元がスースーする。

 室内はずっと冷房がついていたのか、ちょっと肌寒いくらいだった。タオルは肩にかけたまま、ぼんやり想の部屋を見回す。

 きちんと整頓された綺麗な部屋で机に広げたままの参考書。大きめの本棚にはたくさんの小説がぎっしり並んでいる。作家ごとに分けてあるのが想らしいなあと思った。

 戻ってきた想が「何でそんなとこにいるの」とふっと笑った。俺もよくわからん。座ろうにもどこがいいかわからず、部屋をじっと見てるのもやばいかと考えがあちこち飛んで落ち着けなかった。

「座っててよかったのに。あ、濡れた服貸して。乾燥機しばらく入れとけばいいよ」
「ありがとう、助かる」

 おぼんに載せた麦茶を丸テーブルに置いて、想は持ってきた自分のタオルを俺の頭に載せた。俺の肩にも想から借りたタオルがかかっているのに。

「ちゃんと拭かないと風邪ひくよ」

 そのまま両手で撫でるように水気を拭ってくれる。ボっと火がついたように顔が熱くなった。

「匠、顔赤い。そんな照れることしてないでしょ。俺まで照れる」
「してんだろ! 想はかっこよくてずるいんだよ、覚えとけ」
「何か褒められてるのに怒られてる?」

 顔をのぞき込まれて、俺はわざとらしく口元を下げる。想がずっと俺の顔を見つめるのに堪えきれず吹き出してしまった。

「いいから、ありがとう。想も自分拭けよ」
「じゃあ、戻ってきたら俺もやってよ」
「何でだよ、自分でやれよ」
「やなの?」

 うぐ、と言葉に詰まって自分の口元を押さえる。想が俺をからかってるのはわかるけど、俺の気も知らないで無邪気なのが憎らしい。

 いいよ、と絞り出した声に想の唇が満足げに弧を描いて、部屋を出て行った。

 からかわれてるのに満たされていくなんて、どうかしてる。

「あ、また立ってる。座りなよ。麦茶飲まないと暑いでしょ」
「想の部屋涼しいよ」

 ありがとうと麦茶をもらう。キンキンに冷えた麦茶が喉を通って上がりかけた熱を冷ましてくれた。

「じゃあ、とりあえず勉強しよっか」

 想が腰を下ろして、俺もテーブルを挟んで向かい側に座る。勉強道具を広げてから、想は思い出したように「やってくれるって言ってたよね」と俺の横まで床を滑って来た。

 ん、と頭を突き出して肩にかかったタオルの端を持ち上げる想。からかって終わりじゃなかったのか。

 タオルの端を受け取って、想の髪を撫でる。もうほとんど乾いているようだった。

「もう乾いてんじゃねえの? つか、乾かしたいなら想の向き逆だろ。何で顔こっちなんだよ」
「匠の顔見えるから。ここほくろあるんだなーとか」

 上目遣いでほら、と想の指先が頬を撫でる。胸のあたりがざわついてうるさくなった。

 少しだけ強めにタオルで髪を持ち上げると、想の耳がはっきり見えた。

「想は耳にほくろあるんだな」
「そうそう。ここね」

 想が指差すあたりを親指でなぞると、ふふっと笑われた。

「見つけたから終わり。勉強するんだろ」
「うん。匠は古文教えてよ」
「もちろん、任せとけ」

 息を吐いて、俺はノートに目を落とす。勉強に集中しよう。

 始めてしまえばものすごく捗った。休憩がてらスマホを確認すると、みみちゃんから連絡が来ている。

 ゆっちが一緒に歩いていたのは姉だと判明したらしい。テスト終わりに2人で遊びに行く約束もできたみたいで、前進が見られた。

 俺としてはそのまま付き合ってもいいくらいの仲に思えるけど、2人のペースがあるんだろう。やったね、と送るときに口元が綻んだ。
 
「え……あ、ちょっ、想それはまだ」

 気づけば想が目の前で何やらにやりとしていた。

「これはもうダメじゃない?」
「まだこれから、待っ、おい……っ」

 想の手を止めても、そのまま押し進める想。

「あの先生だったら、絶対これバツだよ。答えが出せてない」
「想が丸つける前に解答書けばセーフだろ」
「アウトだよ。もう採点してる最中だからね」

 俺の休憩中、勝手に丸付けを始めてしまい、途中で諦めかけている計算式にバツを書かれた。

 疲れたところで切り上げて、帰る頃には雨もすっかり上がっていた。藍色の空の下は昼間よりはマシな程度で、蒸し暑さは残っている。

 想の距離感、俺にはちょっとしんどいな。俺だけが焦がれて、どこにも行き着けねえのに。

 涼しい電車に揺られながら、今日の熱がまだ手のひらに残っているような気がして握りしめた。

 :

 テスト期間中は長く勉強時間が取れる。飲み物を買いに行った想を待ちがてら、俺は1人で図書室へ向かうことにした。

 今日はその途中から、なぜかゆっちがついてきた。

「みみちゃんと勉強は?」
「先にコンビニ行っててもらってる。この後合流する」

 へぇ、とうなずく。話したいのは、みみちゃんに言えない、みみちゃんのことなんだろう。

 図書室で話すのはうるさそうなので、図書室近くの廊下にあるベンチに腰を下ろす。ゆっちに「座れば?」と促すと、のろのろと隣に座った。

 今日を振り返って、思いつくことを見つけて「あ、」と声になった。

「みみちゃんが髪切ったの気づいてなくて怒られたの気にしてんの? あの感じがいつものみみちゃんじゃん」
「そうだけど、匠は気づいただろ。この前、2人で駅前のカラオケ行ったのも見かけて気になってたし」

 不服そうなゆっちをみみちゃんに見せたかった。みみちゃんが飛び跳ねて喜びそうな顔だ。

 さすがに1センチ髪を切ったのなんて、毎日見ててもわかんねえだろ。俺だってそこまではわからなかった。

 天井を仰ぎながら「偶然だわ」と答える。

「いつもと違うねって言ったら、髪切ったんだってみみちゃんから言われただけ。俺もそんなのわかってなかったよ」

 寝癖っぽい跳ね方をしているみみちゃん髪を見て、それを教えるのにさりげなく言ったことがまさかこうなるとは。

 もしかしなくても、めんどい流れだ。

「匠はみゆが好きなの?」

 ゆっちから訊ねられて、俺は盛大なため息を飲み込んだ。みみちゃんは俺のこともすぐ気づいたというのに、ゆっちと来たら……とは言えない。

 俺だって、ついこの前まで2人を勝手に決めつけていたのだから、似たようなものだ。

「俺がみみちゃんを、好きだって言ったらどうすんの?」
「……困る。匠は大事な友達だし、勝ち目ねーし」
「そこは頑張るって言えよ」

 やれやれ、と俺は苦笑する。

 視界の端に想らしき人が見えた気がしたが、頭を動かしても誰も見当たらなかった。隣のゆっちの方を向いて口を開く。

「言っとくけど、俺がみみちゃんを好きになることはねえわ。それを疑うなら、あとはもうゆっちが思うことだから好きにしろよ」

 話は終わりだ。ゆっちの肩を叩いて「俺は図書室行くから」と言った。

「ごめん、邪魔して」
「いいよ。その代わり、付き合ったらゆっちから謝礼もらうわ」
「……いくら?」

 ベンチから立ち上がって、そうだなあと顎に手を当てる。

「駅前のパン屋で俺にサンドイッチ買ってきて。カツサンドがいい。いっぱい入ってるやつ」
「わかった、任せろ」

 ホッとしたような笑みを浮かべるゆっちに笑顔を返して、手を振った。

 うまくいきそうなのは何よりだけど、俺を挟んで両想いになるのはやめてほしい。さっさとうまくいけ。

 図書室へ入ると、想のリュックが目についた。珍しく置きっぱなしになっている。1人のときは貴重品を持ち歩く必要があるため、リュックごと持つのに。俺がいると思って席を離れちゃったのかな。

 想を探しながら歩いて、窓の外をぼんやり眺める想を見つけた。

「先に来ようと思ってたのに想より俺のが遅かったか」

 声をかけると、想がゆっくり振り返る。

「あ、匠。さっき話してるの見かけた。もう終わったの?」

 振り向いた想が目を伏せて微笑む。

「うん。終わったから大丈夫だよ」
「……そっか」

 どこか表情が暗い気がして「何かあった?」と訊ねた。テストで思うようにいかなかったのかな。

「ごめん、今日は1人で勉強してもいい?」
「え、それは……うん」

 何かあったという俺の質問に答えてくれなかった。様子がおかしいのはわかる。教えてくれない原因が俺ってことくらいしか思いつかない。

「想、俺が何かした?」
「……匠の気持ちを知って――気づかないふりが、できなかった」
「え?」

 何で、と声にならなかった。違うとも言えない。

 想と目が合わなくて、心臓が震えるように鳴っていた。指先が冷えて、ぎゅっと手のひらを握りしめる。

「すぐ戻るから、今日だけごめん。これは俺が悪いから、怒ってもいいよ」

 想の声が上擦って聞こえた。横を通り過ぎていく想を引き止められない。返す言葉が見つからなかった。

 俺の気持ちを知って気づかないふりができなかった――俺が想を好きだってバレた?

 何で、どこで。振り返らなくても、俺の行動すべてから滲み出てたかもしれないと思うほど、想を好きになっていた。

 隠しとおすつもりでいたのに、友達だから大丈夫だろうって油断していた。本人にもバレバレで何も隠せてねえじゃん。

 息を吸い込んで飲み込む。数秒前の想を思い出して、目を閉じるとまぶたの下に涙が迫ってくる。

 大事だって言ってくれたのに。困らせてしまった。

 しばらくその場から動けそうになくて、しゃがみこむ。戻れば想が勉強してるんだろうか。俺も勉強しなきゃと思うけど、今日はもう図書室から出たかった。想だって、きっと俺がいたら集中できない。

 ポケットからスマホを取り出して、仁に助けを求める。想のいる場所を通らないと出られない。俺1人では図書室を出られる気がしなかった。

 もう仁は学校にいないかな。

 思いの外早く既読がついて、数秒で《すぐ行く》と返ってきた。どこにいるの、と送っても既読になるのに返事がない。もう向かってくれてるのかもしれない。

 本を読んで待っている気分にもなれず、背表紙だけを眺めること数分で息が上がった仁が来てくれた。

「何かあったんだよな?」
「……あった。けど、大したことねえのにごめん、わざわざ」
「そんなんいいよ」

 デコピンをされて「痛い」と弱々しい声が出た。同時に涙が滲む。ぎょっとした仁が「とりあえずここは出よう」と俺の背中を優しく押した。

 詳しいことは何も伝えていないのに、想を見ることがないようにそばを通るときに隠してくれた。

 図書室を出ても止まらず、そのまま校舎も後にする。外に出ると温度差で生ぬるく感じられた。

「ごめん仁。勉強してたよな」
「近くのカフェにいたからすぐ来れてよかった。あー、ほら泣くな。ティッシュやるから」

 言いつつポケットをあちこち探った仁が「リュックねーわ」と苦笑する。ティッシュを持ってるつもりだったんだろう。

「涙は自分で拭けよ」
「うん、ごめん」
「おーおー、久々だなこれ。ハグしとく?」

 冗談めかしてケラケラ笑ってくれる仁に安心して、ポタポタと目からこぼれ落ちてコンクリートに染みを作っていく。

「こんだけオレに甘えといて一番は冬木なの、ちょっと憎たらしいな。冬木ぶん殴っとくか」
「え?」
「冗談。渉待たせてるから早く行こ。お前もそれ止めねーと危ねーだろ」

 額から流れる汗を拭う仁のほうがよっぽど心配だ。俺のために走らせてしまった。

「ハンカチ使う?」と訊ねながらリュックから出すと「お前が使うんだよ」と呆れたように言われた。外の熱気で頬が渇きかけて、突っ張っている。ハンカチを目に押し当てて、残りの水分を吸い込ませた。

 カフェに行くと、俺の顔を見るなり霧島が「修羅場ったの?」と目を瞬かせた。

「オレも知らない。とりあえず連れてきた。霧島が奢るから、匠も頼めよ」

 ほら、と仁がメニューを見せてくれる。空いている席に座って、俺は適当に選んだ。

「どうにも詰んでたから仁に来てもらった。修羅場ではねえよ」
「想が何かやらかした?」
「どっちかっつうと、たぶん俺。想のこと困らせて……今日は1人にしてくれって言われた」

 想は優しいから今日はと言ってくれたけど、そんなわけない。友達だと思っていた相手から好かれていると知って、すぐに戻れないことくらい俺だってわかっている。

 まだ2人で行こうと話していた場所も残っているし、想と一緒に行って1人カラオケもしてみたかった。他にもまだまだ色んなことをしてみたかった。俺がうまくやれなかったせいで、もう全部消えた。

 あ、またちょっとダメだ。上を向いてから息を吐いて自分を落ち着ける。

 泣いてたってしょうもねえし、勉強が最優先だ。傷ついてるからって時間は止まってくれない。

 アイスココアが運ばれてきて、俺は両方の頬をぺしぺし叩く。

「とりあえず、今はテスト勉強頑張る。2人の邪魔して悪いけど、俺も混ぜて」
「それは別にいいけど、話聞くとかしないでいいの?」

 からかい口調ではなく、真面目に心配してくれているとわかる霧島の声。俺は笑って「もう大丈夫になった」と答えた。

「うし、今日はもうカラオケ行くか」

 霧島がズコーッと音を立てて勢い良く飲み干す。

「え、オレ課題やらないとやばいけど」
「カラオケだってできるだろ。電気つけとくし。タクミくんはそれ頑張って飲んでー」

 え、勉強は。呆気に取られる俺を置いて準備をする2人。俺も慌ててアイスココアを一気に飲む。頭がちょっとキーンとした。

「勉強いいの?」と俺が訊ねれば、霧島は「おれ頭いいからいいよ」と嫌味っぽい答えが返ってきた。仁の「本当なのムカつく」という反応から、事実らしい。

「タクミくんがほんとに明日やばいなら帰るけど、どうする?」

 一応の最終確認はしてくれたので、俺は今日はもういいかと夜の自分に期待することにした。明日の科目的にたぶん何とかなる。

「行く」
「よっしゃ。おれと仁どっちが歌上手いか見てもらお」

 さすがに肩は組まれなかったものの、仁と霧島に挟まれて歩きづらいし暑苦しかった。

 カラオケでは2人とも歌がうまかったけど、仁はボーカル担当ではないし、霧島に訊いたら霧島もボーカル担当ではなかった。

 俺はだんだんと面白くなって、タンバリンを叩いたりマラカスを振ったりと盛り上げ役に徹する。

 俺のリクエストにどんどん応えてくれる2人の歌を聞いていたら、さっきまでの自分がほんの少し慰められたような気がした。