ひとりも、ふたりも

 それから、図書室に通う頻度が増えた。1人で行くこともあれば、想と行ったときは別々に過ごして、帰りは一緒に帰った。

「ええ、今日も匠ダメなの?」
「ごめん。今度は俺も行くから。つか、ゆっちとのがみみちゃん的にもいいんじゃねえの?」
「ゆっちも寂しがってるから言ってんの」

 ドス、と鳩尾にかわいい一発を食らって苦笑する。ここ最近の俺は完全に付き合いの悪い人間になっていた。

「みみちゃんはさ、付き合い悪いから俺をハブろうみたいな考えがねえのな」
「は? 当たり前でしょ。匠は匠なんだから」
「……いいやつだ」
「匠はあれだよね。変なとこ気にしぃ。うっとうしいから、さっさと冬木くんのとこに行け」

 教室から無理やり追い出されているのに、笑ってしまった。

「今度みみちゃんの好きなグミ買ってくから許して」
「物で釣ろうとするとこがうざいの! また今度遊んでくれたら許してあげる」

 みみちゃんが小悪魔みたいな微笑みを浮かべる後ろから「みゆ顔が怖いから」と、ゆっちが穏やかになだめる。

「うん、今度。俺から誘うね」

 俺はひとりにされたくないことを優先して、2人のいいところを全然わかってなかった。すぐになくなる居場所なんかじゃなかった。

 だからといって、2人にそれを謝るのも違う気がした。

 階段を駆け上がって、図書室の前でジャージを羽織る。図書室へ入ると、先に座っていた想が気づいて小さく手を振ってくれた。俺もそれに応えて、そのまま書棚へ向かう。

 そよそよと髪に当たる風が、いつもより優しかった。

 その後はいつもどおり読みたい本を読んで、たまに想とも話をして一緒の帰り道。

「匠におしゃれなカフェに付き合ってほしい」
「おしゃれな、かふぇ?」

 舌っ足らずになってしまった。想なら、1人でいくらでも行ってそうな場所だ。

 想の顔を覗き込むと、「気になるけど行けてなくて」とはにかんだ。

「そうなんだ? 想、おしゃれなカフェにいそうな人じゃん」
「前に行ってみようとしたんだけど、1人で並んでまでって気になれなくて諦めた」

 なるほど、人気店なのか。

 俺でいいなら、並んでおくのもいいかもしれない。あとから想が来るとわかっていれば、1人で並ぶこともできそうだ。

「霧島とは?」と、思いついた疑問はぶつけておいた。想の誘いを断るような人には見えないし、誘ったら来てくれるだろう。

「そこ、卵料理がメインのところなんだけど渉は卵が好きじゃないんだよね。それに匠から言われてたお礼にもちょうどいいかなーって。匠は卵、苦手じゃない?」
「俺は好きだよ。そのくらいならお安い御用だし、いつ行く?」
「土曜日は? ついでによかったら映画観ようよ」
「観る!」

 駅に着くまでに話がある程度まとまった。同じ時間で別々にチケットを買って、1人の時間を過ごした後にカフェまで一緒に行こうとなった。

 :

 昨日の夜はうっかり想と話している途中で寝落ちしたような気がする。朝起きたら通話は切れていたし、想から追加で連絡はなかったからおやすみと言って切った可能性もある。全然記憶にねえけど、明日チケット買おうと約束したのは覚えている。

 教室であくびを噛み殺して、1限目の教科書を準備する。

「寝るの早かったと思うけど、まだ眠いの?」

 想に顔を覗き込まれて、とっさに体を引くとガタンと椅子が音を立てた。クスクス笑う想を見ながら、俺は目を擦る。

「やっぱ俺、寝落ちしてた?」
「うん。何の返事もしなくなったなと思ったらイビキ聞こえてきた」
「うわ、まじかよ。最悪じゃねえか」

 片手で顔を覆った。寝落ちしてただけでもげんなりするのに、よりによって想との通話でイビキとか。

「ごめん、嘘だよ。スースーかわいい寝息だった」
「え、かわ……かわ?」

 言われた言葉を素直に飲み込めなかった。今、かわいいって言ったよな?

「夜、映画のチケットとったらどこの席にしたかせーので言い合おうよ」

 さらっと何事もありませんみたいな顔をしている想に俺の頭がついていけてない。想からすると寝落ちはドジっ子かわいいくらいの認識なんだろうか。俺がドジっ子に当てはまるかはさておき。

 優しいけど、かわいいはちょっとずれてんな。涼しい顔して意外なところがあるなあと口元が緩んだ。

「俺がまた寝落ちするかもよ」
「そのときは俺が責任持って匠の分のチケットも取るよ」
「頼もしいな。任せて寝るわ」

 俺がわざとらしくそう言うと「諦めて寝ようとしないでよ」と苦笑された。

 眠気を抱えたままの午前をどうにか乗り越えて昼休み。もたもたする仁を廊下で待っていると「タクミくん?」と絡まれた。

「あー……霧島? あれ、想もう行ったと思ったけど」

 さっき教室から出ていく想を見かけた。てっきり霧島と昼飯だとばかり。

「うん、入れ違ったっぽい。ってか、おれのこと知ってる感じなんだ?」
「まあ、名前と仁と同じ軽音ってことくらい」
「おれ、ベース担当。よろしく!」

 霧島が目を細めて笑った。

 全然こちらがよろしくしてないうちに、手が差し出される。指先に添えるくらいの触れ方をすると、がっしり握られた。

 そのまま大きく上下に動かされて、俺の肩まで揺れた。

「よろしく?」
「文化祭でライブする予定だから、想と来てよ」
「や、文化祭ってまだ結構先だろ」
「まあ、細かいことは気にしないで」

 それじゃ、と片手を挙げて去っていく霧島が可笑しくてふっと笑ってしまった。何なんだ、あいつ。

「お待たせ、匠。もう席取ってあるってゆっちから来てた」
「お、マジか。急がねえと。ゆっちが作った唐揚げ、みみちゃんに全部持ってかれる」

 教室から出てきた仁とラウンジへ向かった。

「匠も仁も遅いから先食べてるよーっ」
「みゆが唐揚げもう3つ目。早く」

 もぐもぐ唐揚げを頬張るみみちゃんと、手招きするゆっち。仁と顔を見合わせて、慌てて席についた。

 普段の昼は仁とだったり、みみちゃんとゆっちとだったり。久しぶりに4人で食べる昼休みも楽しかった。

 :

 その日の夜、ベッド脇に腰をおろしてスマホ画面をタップする。映画の座席を選択する画面を開いて、こっちの準備はできていると想に連絡を入れた。

 想から《俺も今からチケット買うよ》と返事が来て、よし、と気合を入れて再度画面を座席に戻す。1人で映画観るなんて初めてだし、せっかくだからど真ん中を取ろうと思ったらもうすでに埋まってしまっていた。

 あんまり混んでなさそうだし、1つ空けて隣のやや左よりの真ん中を選択して購入へと進んだ。決済音が部屋に響いて、口の端が上がった。

 映画のチケットはもう何度も買ったことがあるけど、俺が1枚だけを選んでいる現実に胸が弾んだ。想から電話がかかってきて、秒で耳に当てる。

「もしもし、想も買えた?」
『買えたよ。じゃあ、せーので言っとこうか』

 電話の向こうの想の声が明るく聞こえた。

「いいよ。あ、ちょっと待ってイヤホンつける」
『うん、ゆっくりでいいよ』

 優しい声が耳に響いて、俺はありがとうと返した。イヤホンをつけて、スマホ画面を見える状態にする。

 みみちゃんからの通知やクラスのグループに来ている通知は放置して、座席画面のスクショを撮った。それから、スタンプで自分の席に印をつける。

 これで準備オッケーだ。席番号を言われても俺はわかんねえから、これを送って想にもスタンプで教えてもらおう。

「終わった。いつでもいいよ」
『了解。せーの』
「E9」『F4にしたよ』

 同時に言っても想の声は聞き取れた。案の定、俺には想がどのあたりかいまいちよくわからない。

「想のどこ? 画面送るからどこか教えて」
『匠は真ん中にするだろうと思ったから、俺は端のほうにしてみた』

 想が少しだけ遠ざかったのがわかった。どうやらそのまま画像を加工してるらしい。

『このまま人来なければ楽そうな席だよ』

 送られてきた画像を見ると、雑な丸で席を囲んだものが返ってきた。スタンプか綺麗な丸を描きそうなイメージを抱いていたから、ちょっと意外だ。急いでくれたのかな。

 想の席は俺が振り返れば見えそうな位置だった。映画の間はそんなことしないけど、見終わった後の合流も早そうだ。

「いいね。映画終わった後、想はパンフとか買う? それなら、俺が先にカフェ並んどくよ」

 お礼ついでに、と付け加える。途端に『俺は匠と行きたいんだよ』と不機嫌そうな想。

「だから行くじゃん。その前に並ぶなら、俺が代わるよって話。これも1人時間的な?」
『それとこれとは話が違うよ。俺は匠をこき使いたいわけじゃない。俺と一緒に並ぶのが嫌なの?』

 うわ、ずるいこと言う。拗ねたような言い方をする想に思わず笑ってしまった。

 かわいいな。そんな大したことでもねえだろ。けど、こういうのもみみちゃんから言われた物で釣ろうとしてるのと一緒なのかな。それなら、素直に言うのがいいかもしれない。

「想と並ぶのは嫌じゃねえよ。むしろ楽しみ」
『じゃあ決まり。一緒に並ぼう』

 明らかに声音が変わった。はいはいとうなずくと『眠いなら寝てもいいよ』と言われた。

「想が寝とけよ。俺はもう寝落ちしない」
『繋いだままにする?』
「カップルかよ。繋いだままにしたら、たぶん寝返りの音がうるせえよ俺」

 想が本気でも俺は別に困らないけど。想はうるさくて嫌になるだろう。

 ケラケラ笑いながら、ベッドに寝転んだ。

『あー、確かに昨日寝返りっぽいの音はした』
「えっ、それでちゃんと切った?」
『ううん、面白くてちょっと聞いてた』

 あはは、と想が笑う。ちょっとがどのくらいの時間か訊ねる気になれなかった。たぶん俺が思うちょっとじゃねえだろ、これ。

 俺はべちんと額に手の甲を当てた。

「おい、想。そこは切れよ。今日は絶対切るからな!」
『わかってるよ。匠はもう横になった?』
「なった。あと寝るだけ。想は?」

 リモコンで電気を消して、スマホも充電する。こういうことをして切らないでいるから、寝落ちするのかもしれない。

『俺は勉強してる』
「えらすぎて怖えよ。頑張って」
『うん、がんばる。ありがとう、おやすみ』

 俺もおやすみと返して、電話を切った。ゆっちからも明日のお誘いの通知が来ていた。確認して《ありがとう》と返事をする。

 今日のお昼に撮った写真だった。ゆっちの唐揚げがうますぎて、最後の1つは取り合いだった。

 クラスのグループに来ていた通知には、開いたタイミングで誰かが返事をしたので俺は何もせず画面を消す。

 暗闇の中、ぼんやりと天井を見つめる。

 早く土曜日来ねえかな。

 ざわつく胸を落ち着かせるように息を吐いて、俺は寝返りを打った。

 あっという間に映画の日。行きはあえて待ち合わせをしなかった。

 人生初の1人映画。今やっている映画のキャラクターたちの大きなポスターを見上げたり今度やる映画のチラシを眺めたりした。

 普段行っている映画館の系列とは違って、何もかもが新鮮だ。せっかくなら、と飲み物とポップコーンを買うために並んでみる。

 列の進みが遅く、前後で話し声が聞こえる中、1人を持て余して俺はそわそわしてしまった。スマホでメニューを見ていようと画面をつけると、想から《もうついてる?》と来ていた。

 俺はすぐに《ついてポップコーン買うのに並んでる》と返す。へへ、とにやけそうになった顔を慌てて戻した。

 想もついてたりするのかな。人の隙間から辺りを見ても、人が多くてわからない。少しずつ前へ進んでいると《匠見つけた》とだけ送られてきた。

 えっ、やっぱ想もいんの!?

 顔を上げたところは、ちょうど列が折り返す場所。想がスマホを持った手を振っているのが視界に入った。もう片方の手にはトレイを持っていて、大きめサイズの飲み物と、フライドポテトが載っている。

 グレーのセットアップの想は、制服姿よりも少し幼く見えた。前を開けた襟元につい視線がいってしまう。

 俺も小さく手を振る。映画観るお供にフライドポテトは買ったことなかったな。

 先に行くねと口パクで言っているのがわかって、こくこくうなずく。スマホには《1人映画楽しもうね》と来ていて、俺は返事を打つ手が止まった。

 想は普段からやっていることの1つで、今日は俺がいるってだけなんだろう。俺のこれは1人って言っていいのかな。想がいると思うから、浮かれている。

 想がいなかったら、ここに来ようとはならなかった。

 列を進みながら返事を打っていく。

 《俺のはずるだけど》
 《ずる?》
 《想がいての1人だし》
 《1人は1人だよ。そもそも誰も匠のことずるいなんて思わないから、楽しめたら勝ちだよ。勝ち負けでもないけど》

 応援しているらしい絵文字がついてきた。俺が思ったまま送ってしまったものの、想にお墨付きをもらいたいだけのやつに見えてきた。

 ずるいなんて、俺が勝手に思ってるだけか。想とじゃなくたってまた来ればいいし、想の言うとおり楽しめたら勝ちだってことにしよう。

 《ありがとう。楽しむ!》と返事をすると、秒で親指を立てたスタンプが返ってきた。反応早っ。

 しばらく並んで、ようやく俺の番が来た。メニューの中から探して、フライドポテトセットを買った。

 上の階へ上がると、もう中へ入れる時間だった。人の流れに沿って俺も前へ進んでいく。

 先に座っている想を見つけて、手を振ろうとしたら無心でポテトを食べていてやめた。席について自分の周りを整えてから、もう一度ちらりと振り返ってみる。

 どこを見ているかわからない想が、ひたすらもぐもぐポテトを口に運ぶ。俺も同じようにポテトを食べ始めた。

 答えは映画が始まるときに理解した。始まって数分までに俺のポテトも空になり、スクリーンだけを見つめる。

 内容にのめり込んで、上映時間もあっという間に感じられた。

「匠、どうだった? 俺はすごい面白かった」

 終わってからもまだ席に座ったままの俺を想が迎えに来てくれた。俺は鼻を啜って、片手で顔を隠しながらうなずく。

 予想外のことが起きたので、今はまだ場内を暗くしていてほしい。想に見られたくない。

「初恋の人が亡くなってるってわかるの、切なかったよね」

 屈んだ想が俺の顔をのぞき込む。目元を指先でなぞって「擦りすぎたらだめだよ」と優しく言った。

 泣いたことが想にはバレバレで、俺は目をそらす。

「どうしてるかって訊かなくても、あの状況で何となく察したけど、心に残る大事な人が死んだってわかったときの顔……あんなん泣くだろ」
「そうだね」

 想がよしよしとあやすみたいに頭を撫でる。それがまた俺の涙腺に来て、引っ込んでいた涙が出てきそうだった。

「想は泣かなかったのかよ」
「俺はどっちかというとアクションシーンで楽しかったかな」
「わかる。あれすげえかっこよかったよな!」

 思わず顔を上げてしまうと、想が優しく微笑んで「かっこよかった」とうなずいた。ぶわっと一気に頭の先まで熱が上がってきて、うまく言葉を見つけられなかった。

「は、早く想が気になってるカフェ行こ!」
「そんな焦んなくてもいいよ」
「急ぐべきだろ」

 頬に手を当てると当然熱かった。泣いたせいだろう。

 俺のせいで映画館を出るのが遅くなったからか、いつもどおりなのか、想の行きたがってたカフェは何組も並んでいた。

 名前を書いてから、外のベンチに2人で腰を下ろす。

 天気が良いのは助かるが、日差しがじりじりと肌を焼く。日陰でもじわりと汗が背中に滲んできた。開けられたドアから漏れる冷気のおかげで何とか待っていられる。

 並んでいる俺ら以外がカップルで、こんな状況だと1人で並んでまではいいかってなりそうだ。想はそんなことは気にしなさそうだけど、俺なら帰る。

 ここは2人で来れてよかった。隣の想を横目にメニューを広げる。

 想はすぐに「俺はこれかこのセットにしようかな」と決めていた。対して、俺は想が選んだのもいいなと目移り状態でなかなか決められない。

「なあ、想。こっちとこっちのセットも良くねえ? でも、これも美味そう」
「下に追加アレンジあるから、追加したら?」
「うわー。ほんとだ! そんなんもあるのか」
「この2つ追加で匠が思うセットになるんじゃない?」

 俺がまた悩みだす前に、想が助け舟を出してくれた。

「あ、ごめん。自分で決めたいよね」
「うん? 想が言ってくれてすげえ助かった。俺だけだと一生決まんねえとこだったわ」

 俺はメニューを閉じて、隣のカゴに戻す。

「普段一緒にいる女の子たちと来たときはどうしてるの?」
「みみちゃん? さっさと決めるタイプ。仁もそうだし、ゆっちもわりと決めるかな。俺も適当なら早いよ」

 でも、と続ける。

「せっかく初めて来たし、悩みたかった。付き合ってくれてありがとう」
「俺急かすようなことしちゃったけど」
「全然、助かるよ師匠」
「えぇ、何その呼び方」

 想の眉毛がピクッと動いて苦笑した。

「1人の楽しみ方を教えてくれるじゃん」
「でも師匠呼びはなんかやだな。距離を感じるし」
「そうか? 想は何がいいの?」
「んー、俺は近いほうがいいな」

 近いって難しい。師匠より近い、関係性を表す言葉って何だ?

 うーん、とあれこれ考えた結果、出てきたのは「普通に友達とか?」だった。

「……友達かぁ、いいね」

 いいねと言っているのに、どう見ても拗ねた顔をしている。

「えっ、友達も不満なの? あれだよ、すげえ特別だよ」
「取ってつけたような特別」

 お、うけた。肩を震わせる想に「取ってつけてねえよ」と押した。

「じゃあ、特別な友達ってことで」
「逆に想にとって俺は何なの?」

 少しずつ、待っている人が減っている。横にずれながら、想の横顔を見つめる。パタパタと手で顔を扇ぐ俺と違って、想は涼しげだ。

「匠は、」

 店員が店の外に出てきて、そろそろかと身構えたもののまだ自分たちではなかった。繰り返し呼ばれても周囲の反応がなく、店員さんが持っているリストの名前を確認して顔を上げる。

「シライシ様」と呼ばれてしまった。想の答えが聞きたかったのに。

 立ち上がって、店員さんのもとへ向かう。席へ案内されている途中、背中から「匠は大事な人だよ」とぼそっと想の声がした。

 振り返ろうとすると、想の指先が頬に触れて「ちゃんと前見て歩いて」と言われてしまった。おかげで想の顔も見えない。

 席に座って注文を終えた頃にはひょうひょうとした想の表情で、さっきどんな顔をしていたかわからなかった。

 見たかったなあ。頬杖をついてにやついていると、わざとらしく店内をぐるりと見回す想と目が合わなかった。

 俺も同じように店内を見ると、広々とした奥行きがあり、白を基調とした中に植物の緑が映えていた。コーヒーの香りと、甘いはちみつのような香りも鼻を掠める。

 冷風が想の髪をさらって、さらさらと揺れた。

「想さ、他に行きたいとこねえの?」
「え?」

 まださっきのことを言われると思っていたのか、俺を見ていなかった想とようやく目が合った。今度はきょとんとしている。

 俺はふっと口元が緩む。

「俺が想に1人を教えてもらうから、想は1人じゃちょっとなって思ってる場所に俺を誘ってよ」

 霧島誘って行けば俺がいなくてもいいかもしれないけど、今日みたいに俺がいればってことだってあると思うから。

「一緒にガチャガチャやってよ」

 すぐに思いついたらしい想の表情がパっと変わった。

「ガチャガチャは1人でやるもんだろ。回すだけじゃねえの」
「ほしいものあるから、匠にも同じガチャガチャやってほしいんだよ」
「確率上げようってことか、まあいいよ」
「そうそう。匠は1人カフェとかどう? ここみたいな感じじゃなくて、飲み物買って飲むくらいの」

 いいね、とうなずく。放課後1人で寄ってみてもいい。想のいない完全な1人も増やしてみよう。

 俺は運ばれてきたりんごソーダのストローに口をつけた。

 1人でできそうなこと、2人いると楽しそうなこと。想と話していると、つい2人で楽しめそうなことを多く探したくなった。

 俺が1人の楽しみ方を教えてほしいと言ったから、想は色々案を出してくれているのに。そこに想もいたらいいと思ってしまった。1人じゃなくなるから、意味がない。

 1人も楽しみたいけど、想とももっといたい。欲張ってる自覚はある。

「1人ってすげえあるんだなあ」と呟くと「1人で帰るのだってそうだよ」と笑った。

「それもそうか。俺、普段あんま1人で帰ることねえな」
「すごい。俺は大体1人で帰るけど、最近は匠と帰るの増えたかな」

 2人も楽しいよね、と想が付け加える。少しでも想の楽しみになれて、想の時間を邪魔してねえならよかった。

「1人にならなきゃって気負うのも違うからね。匠なら他に誘う人いるだろうけど、誰かいてほしいときに俺呼んでくれたらすぐ行くよ」
「やっぱ想はししょ――特別だわ」
「え、何で? 師匠って言いかけたな」

 違う違うと否定しても、信じてなさそうに想は目を細めた。すごいなあって意味を込めた師匠なんだけど、本人は嫌そうだから仕方ない。

「うまっ。これ追加して正解だった!」

 注文してた料理が運ばれてきて、想の気をそらすように早速食べ始める。想が「切り替え早いな」と言いながら、自分も口をつけた。

「おいしい。これ食べてみたかったんだ」
「食べれてよかったな」
「匠のおかげだね、ありがとう」

 かわいい笑顔の口元にパンの欠片がついている。思わず頬が緩む。想って結構こういうとこあるんだよなあ。

「想、つけてる」
「つけてはないよ。とれた?」
「微妙にまだある。これ」

 向かい側から手を伸ばして、想の口元を親指で拭う。指先を拭いてから、自分の行動に数秒フリーズしてしまった。

 ハッとして顔を上げれば、想が吹き出した。

「とってくれると思わなかった」

 胸のざわつきが痛みに変わったような気がして、俺はフォークを握る手に力を込める。

「全然とれなさそうだったから」
「確かに、どこかわかってなかったかも」

 ありがとうと言った想は何も気にする様子がなく、俺だけが意識してしまったようだった。友達ならこのくらいのことは普通なのかもしれない。

 なんて、他の誰にもやんねえけど。無意識に想にはやってしまった。楽しくて浮かれてるかも。

 想は嫌がっても、俺の師匠なわけだし。気をつけよう。

 帰り道、ガラス越しにガチャガチャがたくさん置いてあるのが見えて寄り道をした。

「匠が先にやってみて」
「えー、俺が先にやんのかよ」
「うん。ほら、これ」

 想が屈んだ先にあるガチャガチャは、色んな種類の猫のストラップらしかった。どれがほしいか訊ねても首を横に振るだけで教えてくれない。

 出したの見てがっかりされたら怖えんだけど。

 視線だけはしっかり注がれているのを感じつつ、想の隣にしゃがみ込む。よくわかんねえけど、想がほしいやつ出ますように!

 勢いに任せてガチャガチャを回す。想が横で「がんばれ」と応援してくれた。

「これ何だろ……まんぷくネコだって」

 自分の手のひら上のものと写真を見比べて言った。

「……さすが匠。一発だね」
「え、これなの? マジ? あげるよ、やったじゃん」

 はい、と差し出して想の手のひらに載せる。お腹が膨れた全体的に丸っこい猫のストラップを指先でつまんで、きらきらした瞳で「かわいい」と想が眺めた。

 自分の持っているカバンにストラップをつける想。

 調子に乗ってる自覚はあるけど、これは乗っても許されたい。俺の運、よくやった!

「俺もやってみる」
「もうほしいの出たのに?」
「俺の分、匠にあげるよ」

 よし、と気合を入れて、想はガチャガチャを回す。俺はどれが出てもいい。

「……あ、まんぷくネコだ」
「おい想。自分で回しても当たってたやつじゃねえか」
「え、そんなことないよ。匠が当ててくれたから安心して俺も回せたんだから。これは匠にあげる」

 大事にしてね、と差し出されたそれを受け取ってうなずく。俺もひとまず、持っているカバンにつけることにした。

 まだ回したガチャガチャを見ている想に、俺はあれと首を傾げる。そういや、何がほしいか言わなかったよな。

「想、ほしいの他にあったんじゃねえの?」
「ないよ。この種類なら何でもかわいいと思ってたから」

 でも、と想がまんぷくネコの腹を指先で撫でる。

「匠が引いてくれたものが当たりかなって」
「何だそれ。それならいいけど」

 帰りの電車の中でも、ストラップが目につく度に想の喜ぶ顔が浮かんで口元がにやけそうだった。