ニコニコしてれば、大抵のことは何とかなる。人生イージーモード。
……とか言えたら、俺も本気で楽だったんだけど。上がる口元は、もう自分の意思とは関係ない。笑顔が貼り付いて剥がせない。
「ちょっと、匠は何で帰ろうとしてんの?」
放課後は1人で帰ろうとしたら、クラスメイトのみみちゃんに呼び戻されてしまった。教室内はまばらに人が残っている。
「えー、だってほら、今日2人でカラオケじゃねえの?」
俺は早く帰りたかったのに、しくった。
最近発売された小説が気になって仕方ない。この前、みみちゃんから似合わないと言われて、何となく人前では本を読めなくなった。本屋に寄って帰る予定は崩れそうだ。
「ちがーう、匠がいないと困るの!」
みみちゃんに腕を引かれて、俺は近くの席に腰を下ろす。
「カラオケやめて買い物なら一緒に来る?」と上目遣いの目線が刺さる。ゆっちを一瞥すれば、頼むとジェスチャーで訴えかけられていた。
「……うん、そうだね。俺は買い物のがいいな」
ほんとはどっちでもいい。
「ほんと? じゃあ、あたしもそうする。テキトーに気になったとこ入ろ」
「そうしよ。みみちゃんの見たいとこあったら付き合うよ」
口元を緩めるみみちゃんに笑いかける。近くのゆっちが「オレも欲しいものあるわ」と言うので「それも俺が選んでやるよ」と、冗談めかして言った。ゆっちはたぶん、みみちゃんとカラオケが良かっただろうに。
俺はみみちゃんに優しい瞳を向けるゆっちに気づかないふりをして顔をそらした。と、目が合った人がいる。
「ちょうどよかった。おい、じーん、仁。こら、帰るなって」
ちょっと待て、と思いっきり俺をスルーしようとした仁を捕まえに行く。大きなため息が聞こえても、俺には聞こえなかったことにする。そのまま教室の端まで引っ張って、小声で頼み込んだ。
「途中で切上げたいから、一緒に来て」
「ヤダ。そろそろ、用がなくても断れよ。いい加減、自分だけで何とかしろ」
冷めた目で仁から見下されて、俺は苦笑する。
「わかってるから、今日は頼むよ」
仁は俺の目を見て「それもう入学してから100回くらい聞いた」と、呆れたように言った。わざとらしく刺してくる仁の言葉にも、めげない。
「100回はねえだろ」
「数の話じゃねーんだよ。そんなこと言うなら帰るからな」
「ごめん、仁様。付き合って」
渋々の仁を強引に巻き込んで、みんなの元に戻る。俺が座っていた場所は、ゆっちが座っていた。
それを見て、背中にじわりと汗が滲む。1人になりたいくせに孤独は嫌いだ。俺がいない間に他の人で補われたら、俺の居場所なんてあっという間になくなってしまう。
中学のときは、女子と仲良くなっただけでその女子がいじめの対象になってしまった。責任を感じて一緒にいたら、その子から好きになられてしまって、さらに申し訳なさが募った。挙句、友達から反感を買って孤立した。
その後、隣のクラスの仁と仲良くなれて、どうにか卒業まで通えた。
高校に入学してせっかく手に入れたこのポジションを、自分から手放すようなことはしたくなかった。中学のときよりは、これでも楽で居心地のいい場所だ。
「お待たせ。どこ行くか決まった?」
俺が明るく声をかければ、みみちゃんからは勢いのあるうなずきが返ってきた。とにかく、今日は早く帰るを目標にしよう。あわよくば本屋に行きたい。
仁の言うとおり、嘘ついてでも断れるようになんねーと。この先が思いやられる。
「そこ俺の席なんだけど。ちょっと忘れ物したからどいてもらっていい?」
振り向けば、冬木が困ったように眉を寄せて立っていた。俺が一歩後ろに下がると、そこを冬木が歩いていく。
「すぐ退く」と、ゆっちが慌てて席を立った。
「邪魔してごめん。課題プリント入れっぱなしにしたみたいで……ありがとう」
机の中からプリントを取り出して、そのまま静かに教室を後にする冬木。俺は尊敬の眼差しを向けずにはいられなかった。
冬木って1人でも平気そう。友達といることもあるけど、よく1人でいるのを見かける。
みみちゃんたちと遊んでいるときに、冬木が1人でゲーセンにいるのも見たことがある。周りのことを一ミリも気にせず白熱している様子で、楽しそうだった。俺は絶対に真似できない。
ああなれたらって憧れることもある。でも、今のところ俺には無理だ。俺が冬木みたいなことをするのはキャラじゃないだろう。
あの教室に入ったときに浴びる嫌な視線は、もう二度と味わいたくない。
こうやっているのも楽しくないわけじゃない。ただ、ずっとは疲れるというだけ。今日は特に疲れを感じる。
みみちゃん、最近何となく俺と距離が近い気がする。下心らしきものは感じないものの、踏み込むと良くないかもしれない。俺は女の子とは仲の良い友達くらいが嬉しい。
「……って、仁は!?」
冬木が去っていくのをぼんやり見ているうちに仁の姿が消えていた。慌ててスマホを確認すると《見たい配信早めに始まったから帰る》と来ている。
うわっ、マジかよ。そっと了解のスタンプを送る。それは間違いなく優先すべきことだ、諦めるしかない。
「仁はスマホとにらめっこしながら帰っちゃった。ゆっちも行くよー」
みみちゃんがリュックを背負って、シースルーの前髪を整える。
「みゆ、ちょっとノート委員長に渡すから先行っといて」
「あ、そしたら俺もゆっちと後から――」
みみちゃんがにっと微笑んで俺の腕をつかむ。ふわふわの毛先が揺れた。
こういうのが、ちょっとだるい。そう思ってしまうのも嫌だ。
「匠はもうノート渡したから、すぐ行けるでしょ?」
「……うん、そうだね。行ける」
ついていく以外、俺に選択肢がなかった。
:
ショッピングモールには他の学校の生徒などもいて、ざわついていた。
「やっぱ、赤のがかわいかったよね?」
到着してから、もうずっとこの調子だ。俺は「そうかも」と適当に笑っておいた。
みみちゃんが同じ服の色違いを並べて「どっちのがいい?」と訊いてくるのに悩んで答えては、移動する。俺はもはや、どっちがいいのかわからない。曖昧にしか答えられない。正直どっちでも似合うように見える。
対して、ゆっちは的確にみみちゃんが求めていそうなことを答えていくからすげーやつだなと思う。さすがだ。みみちゃんは俺よりもゆっちに訊いたほうが間違いない。
「なあ……本屋に、」
寄ってもいいかと俺が訊ねる前に先へ進む2人。今日はみみちゃんに付き合うと決めたものの、すでに俺はちょっとだけ休憩したくなっていた。
ゆっちも、みみちゃんと2人のがいいだろう。ちょっとの間なら、ゆっちは俺が気を遣ったと捉えてくれるかもしれない。
ずるい考えのもと俺は足を止めて、こそこそと本屋に入る。2人を見失ったことにして、あとで合流しよう。
「――白石くん?」
話題の小説コーナーをうろうろしていると、声をかけられた。一瞬、ビビって肩が跳ねた。鼓動もどっと加速する。
もう見つかったのかと思った。あの2人が俺を白石くんなんて呼ぶわけないし、声も違う。念のため顔を上げて確認する。
ホッと息を吐いてから、冬木に近づいて肩を叩いた。
「冬木さあ、びっくりさせんなよ。マジで」
「え、そんなビビらせた?」
冬木の表情は薄かった。どんな顔なんだ、それは。
「いや、ごめん。ちょっと八つ当たりだな」
こんな場所で冬木から声をかけられるとは思ってもなかったせいもあるにしろ、それも含めて俺の問題だ。冬木は何も悪くない。
「大丈夫?」と冬木に心配されてしまった。
「全然、大丈夫」
よくわかってなさそうな冬木の顔をまじまじと見つめる。こんなふうに面と向かって、きちんと話すって意外とこれまでなかったかもしれない。
前髪の隙間から黒目がちな瞳がのぞいている。俺はゆっくり上下する冬木の長いまつ毛を見ていた。
地味で目立たない印象だったけど、よく見ると全然そんなことない。
「白石くんは1人なの?」
「いや、他に2人いたけどはぐれた。そっちは?」
訊ねれば、当然のように冬木はうなずいた。だろうな。逆に放課後はあんまり人といるところが想像できない。
「俺は1人。本買いに来た」
「かっこいいなあ」
「……本買うだけなのに?」
戸惑いを隠せない様子で眉を下げる冬木に、俺はふっと笑ってしまった。きっと、冬木にはわかんねえ悩みだろう。
「そうやって1人で色んなことできるのかっこいいなあって。俺はそうなりてえなと思っても、いざなると何したらいいかわかんねえわ」
って、何ボヤいてんだろ。言葉にしてから恥ずかしくなって、じわじわと首の後ろから熱を帯びてくる。冬木もきょとんとしている。
冬木からすれば、だから何だという話だ。言われてもどう答えたらいいかわからないに決まってる。
本屋のBGMがやけに大きく感じた。沈黙が流れて、俺はヘラヘラと笑みを作る。
「あー、どの本買うつもりなの?」
話題を変えようと思いついたことをそのまま投げかけた。冬木からは何も返って来ない。
うわ、もしかして引かれた?
「あ、買う本はこれから悩む予定なんだけど」
ハッとしたように教えてくれた冬木は「その前に」と、顎先に手を当てる。
「さっきのどう反応していいかちょっと迷った。白石くんは人といるのが好きだと思ってたから意外で」
「……そっか、そりゃ反応に困るよな。人といるのも嫌いじゃねえけど、好きってわけでもねえな」
冬木がうらやましいよ、とつい本音が漏れた。他にクラスメイトがいない場だからかもしれない。
「何で俺がうらやましいになるの?」
俺は平積みされた文庫本に目を落とす。表紙の文字を目でなぞりながら、口を開いた。
「1人の楽しみ方を知ってそうだから。好きでそうやって過ごしてるだろ?」
あれ、俺の勝手な思い込みだったらどうしよう。友達といるのも見かけたことあったわけだから、違う可能性もあるか。
「楽しみ方知ってるかは知らないけど、好きだよ」
「……な、やっぱそうだよな。そういうのが、かっこいいよ」
外してなくて良かった。密かに胸を撫で下ろす。
「よくわかんないけど、1人になりたいの? それなら、俺はもう行くよ」
またね、と去ろうとする冬木の腕をつかんだ。気を遣わせたかったわけでもない。
冷房のせいか、冬木の腕は冷たかった。
つかまれた部分に視線を落とした冬木が顔を上げる。
「どっちなのか全然わかんない。ほんとはやなの?」
訊ねられて、俺は苦笑する。確かにどっちなんだろ。1人になりたくて本屋に逃げたのに、冬木と話してたら何だか落ち着いた。
「冬木とは話したいのかも」
「かもって……そこはせめて言い切ってよ」
クスクスと笑う冬木。俺は首の後ろに手を当てる。思いの外、熱がそこにあった。
「ここにいて、俺の相手してよ」
「いいよ。一緒に本選ぼうか?」
あまりにあっさりと了承されて、かえって恐縮してしまった。
俺からすれば冬木は憧れの対象だけど、冬木からすれば俺はそんなに話したこともないクラスメイトだ。いきなり相手をしろと言われても、困るだろうに。
「いいの?」
「俺がいいと思ったから、いいよ。そもそも、白石くんが言ったんだよ」
「言っといて何だけど……迷惑じゃねえの?」
「迷惑だよ」
腕をつかんだままの俺の手を、冬木が空いている方の手であやすように優しくポンポン叩いた。
「って言ったほうがいいの?」と、顔を近づけた冬木が俺の顔を覗き込む。
「いや、そういうわけでもねえけど……断りにくいことしたかなって思ったから」
「ほんとに気にしないで。それより、どんな本が好きか教えてくれたほうが嬉しい」
わかった、と俺はうなずく。すげえいいやつじゃん。
俺が最近気になっている本を話題に挙げると、冬木は既に持っているらしく貸してもらえることになった。
「あと、その系統が好きなら、これも好きなんじゃないかな」
棚から取って渡してくれた本のタイトルに目を落とす。著者の名前は見たことがあったが、読んだことのない本だった。
「おー、サンキュ。買ってくるわ」
「どんな内容なのかとか見なくていいの?」
「うん、いい。冬木の選んでくれたやつ読みたいし」
即決してレジへ持って行き、会計を済ませた。店の外で待ってくれていた冬木の元へ戻る。
「ありがとう。これ、帰ったらすぐ読んでみる」
「他のも読みたかったら、うちにその人の本まだあるから持ってくるよ」
「えっ、いいの? 俺も冬木持ってなさそうなの貸したいけど、持ってそうだしな」
どうしたもんか、と顎に手を当てて考える。
「別にいいよ。本くらい、いつでも貸すし」
「ダメだろ。今は浮かばねえけど、お礼考えといて」
あー! と、みみちゃんの声が響いて、俺はそちらを見なくても誰がいるかわかった。
「冬木、今日はほんとにありがとな。あいつら来るとうるさいから俺が行くわ。また明日学校で!」
呆気にとられる冬木に手を振って、背を向ける。と、「そういえば」ともう一度冬木へ振り返った。
「今度、俺にも1人の楽しみ方教えてよ」
「え?」
「あ、いや……とにかくありがとう!」
さすがにこれはキモいなと思い直して、なかったことにした。ちょっと調子に乗ったわ。せっかく本をおすすめしてくれたのに、引かれたかもしれない。
「ごめんごめん、2人のこと見失ったから本屋にいた」
ふくれっ面のみみちゃんたちと合流した。ゆっちはショッパーを提げている。みみちゃんのほしいものは買えたらしい。
「もーっ、匠は何してたの? 電話もLINEもしたんだよ」
「マンガ買ってた」
小説とは言えなくて、濃い色で袋の中身が見えないのをいいことに嘘をついた。
「ふぅん。誰かといた?」
ちらりと一瞥した先に冬木はいなかった。俺は何となく首を横に振る。
さっきまでの出来事が自分にとって良い時間だった。けど、みみちゃんそのままが冬木に絡みに行くと厄介だから今日は言わないでおこう。
「みゆがそこのカフェ入ろうって。匠も行くだろ?」
「もちろん。ゆっち持ってるそれ何?」
先を歩くみみちゃんに続きながら、俺は小さく訊ねた。
「お揃いで買わされたTシャツ」
「何それ。うけるから今度着てきてよ」
ぜってーやだ、とゆっちが苦笑してショッパーの中を見せてくれる。なるほど、これから夏本番の時期にどこで見つけたのか謹賀新年と書かれたTシャツだった。
「みみちゃんの謎センス、さすがだな」
「匠のも買うって言ったみゆ止めたオレに感謝しろよ」
「助かる。せっかくだから年越しに着れば?」
「冬に着るにはさみーだろ」
確かに。みみちゃんが「早くしてよね」と言うのに俺とゆっちは、はいはいとうなずく。
早く帰りたかった気持ちも、いつの間にか落ち着いていた。冬木のおかげだ。
俺に付き合わせてしまったけど、せめて冬木にとっても無駄な時間ではないことを願った。
……とか言えたら、俺も本気で楽だったんだけど。上がる口元は、もう自分の意思とは関係ない。笑顔が貼り付いて剥がせない。
「ちょっと、匠は何で帰ろうとしてんの?」
放課後は1人で帰ろうとしたら、クラスメイトのみみちゃんに呼び戻されてしまった。教室内はまばらに人が残っている。
「えー、だってほら、今日2人でカラオケじゃねえの?」
俺は早く帰りたかったのに、しくった。
最近発売された小説が気になって仕方ない。この前、みみちゃんから似合わないと言われて、何となく人前では本を読めなくなった。本屋に寄って帰る予定は崩れそうだ。
「ちがーう、匠がいないと困るの!」
みみちゃんに腕を引かれて、俺は近くの席に腰を下ろす。
「カラオケやめて買い物なら一緒に来る?」と上目遣いの目線が刺さる。ゆっちを一瞥すれば、頼むとジェスチャーで訴えかけられていた。
「……うん、そうだね。俺は買い物のがいいな」
ほんとはどっちでもいい。
「ほんと? じゃあ、あたしもそうする。テキトーに気になったとこ入ろ」
「そうしよ。みみちゃんの見たいとこあったら付き合うよ」
口元を緩めるみみちゃんに笑いかける。近くのゆっちが「オレも欲しいものあるわ」と言うので「それも俺が選んでやるよ」と、冗談めかして言った。ゆっちはたぶん、みみちゃんとカラオケが良かっただろうに。
俺はみみちゃんに優しい瞳を向けるゆっちに気づかないふりをして顔をそらした。と、目が合った人がいる。
「ちょうどよかった。おい、じーん、仁。こら、帰るなって」
ちょっと待て、と思いっきり俺をスルーしようとした仁を捕まえに行く。大きなため息が聞こえても、俺には聞こえなかったことにする。そのまま教室の端まで引っ張って、小声で頼み込んだ。
「途中で切上げたいから、一緒に来て」
「ヤダ。そろそろ、用がなくても断れよ。いい加減、自分だけで何とかしろ」
冷めた目で仁から見下されて、俺は苦笑する。
「わかってるから、今日は頼むよ」
仁は俺の目を見て「それもう入学してから100回くらい聞いた」と、呆れたように言った。わざとらしく刺してくる仁の言葉にも、めげない。
「100回はねえだろ」
「数の話じゃねーんだよ。そんなこと言うなら帰るからな」
「ごめん、仁様。付き合って」
渋々の仁を強引に巻き込んで、みんなの元に戻る。俺が座っていた場所は、ゆっちが座っていた。
それを見て、背中にじわりと汗が滲む。1人になりたいくせに孤独は嫌いだ。俺がいない間に他の人で補われたら、俺の居場所なんてあっという間になくなってしまう。
中学のときは、女子と仲良くなっただけでその女子がいじめの対象になってしまった。責任を感じて一緒にいたら、その子から好きになられてしまって、さらに申し訳なさが募った。挙句、友達から反感を買って孤立した。
その後、隣のクラスの仁と仲良くなれて、どうにか卒業まで通えた。
高校に入学してせっかく手に入れたこのポジションを、自分から手放すようなことはしたくなかった。中学のときよりは、これでも楽で居心地のいい場所だ。
「お待たせ。どこ行くか決まった?」
俺が明るく声をかければ、みみちゃんからは勢いのあるうなずきが返ってきた。とにかく、今日は早く帰るを目標にしよう。あわよくば本屋に行きたい。
仁の言うとおり、嘘ついてでも断れるようになんねーと。この先が思いやられる。
「そこ俺の席なんだけど。ちょっと忘れ物したからどいてもらっていい?」
振り向けば、冬木が困ったように眉を寄せて立っていた。俺が一歩後ろに下がると、そこを冬木が歩いていく。
「すぐ退く」と、ゆっちが慌てて席を立った。
「邪魔してごめん。課題プリント入れっぱなしにしたみたいで……ありがとう」
机の中からプリントを取り出して、そのまま静かに教室を後にする冬木。俺は尊敬の眼差しを向けずにはいられなかった。
冬木って1人でも平気そう。友達といることもあるけど、よく1人でいるのを見かける。
みみちゃんたちと遊んでいるときに、冬木が1人でゲーセンにいるのも見たことがある。周りのことを一ミリも気にせず白熱している様子で、楽しそうだった。俺は絶対に真似できない。
ああなれたらって憧れることもある。でも、今のところ俺には無理だ。俺が冬木みたいなことをするのはキャラじゃないだろう。
あの教室に入ったときに浴びる嫌な視線は、もう二度と味わいたくない。
こうやっているのも楽しくないわけじゃない。ただ、ずっとは疲れるというだけ。今日は特に疲れを感じる。
みみちゃん、最近何となく俺と距離が近い気がする。下心らしきものは感じないものの、踏み込むと良くないかもしれない。俺は女の子とは仲の良い友達くらいが嬉しい。
「……って、仁は!?」
冬木が去っていくのをぼんやり見ているうちに仁の姿が消えていた。慌ててスマホを確認すると《見たい配信早めに始まったから帰る》と来ている。
うわっ、マジかよ。そっと了解のスタンプを送る。それは間違いなく優先すべきことだ、諦めるしかない。
「仁はスマホとにらめっこしながら帰っちゃった。ゆっちも行くよー」
みみちゃんがリュックを背負って、シースルーの前髪を整える。
「みゆ、ちょっとノート委員長に渡すから先行っといて」
「あ、そしたら俺もゆっちと後から――」
みみちゃんがにっと微笑んで俺の腕をつかむ。ふわふわの毛先が揺れた。
こういうのが、ちょっとだるい。そう思ってしまうのも嫌だ。
「匠はもうノート渡したから、すぐ行けるでしょ?」
「……うん、そうだね。行ける」
ついていく以外、俺に選択肢がなかった。
:
ショッピングモールには他の学校の生徒などもいて、ざわついていた。
「やっぱ、赤のがかわいかったよね?」
到着してから、もうずっとこの調子だ。俺は「そうかも」と適当に笑っておいた。
みみちゃんが同じ服の色違いを並べて「どっちのがいい?」と訊いてくるのに悩んで答えては、移動する。俺はもはや、どっちがいいのかわからない。曖昧にしか答えられない。正直どっちでも似合うように見える。
対して、ゆっちは的確にみみちゃんが求めていそうなことを答えていくからすげーやつだなと思う。さすがだ。みみちゃんは俺よりもゆっちに訊いたほうが間違いない。
「なあ……本屋に、」
寄ってもいいかと俺が訊ねる前に先へ進む2人。今日はみみちゃんに付き合うと決めたものの、すでに俺はちょっとだけ休憩したくなっていた。
ゆっちも、みみちゃんと2人のがいいだろう。ちょっとの間なら、ゆっちは俺が気を遣ったと捉えてくれるかもしれない。
ずるい考えのもと俺は足を止めて、こそこそと本屋に入る。2人を見失ったことにして、あとで合流しよう。
「――白石くん?」
話題の小説コーナーをうろうろしていると、声をかけられた。一瞬、ビビって肩が跳ねた。鼓動もどっと加速する。
もう見つかったのかと思った。あの2人が俺を白石くんなんて呼ぶわけないし、声も違う。念のため顔を上げて確認する。
ホッと息を吐いてから、冬木に近づいて肩を叩いた。
「冬木さあ、びっくりさせんなよ。マジで」
「え、そんなビビらせた?」
冬木の表情は薄かった。どんな顔なんだ、それは。
「いや、ごめん。ちょっと八つ当たりだな」
こんな場所で冬木から声をかけられるとは思ってもなかったせいもあるにしろ、それも含めて俺の問題だ。冬木は何も悪くない。
「大丈夫?」と冬木に心配されてしまった。
「全然、大丈夫」
よくわかってなさそうな冬木の顔をまじまじと見つめる。こんなふうに面と向かって、きちんと話すって意外とこれまでなかったかもしれない。
前髪の隙間から黒目がちな瞳がのぞいている。俺はゆっくり上下する冬木の長いまつ毛を見ていた。
地味で目立たない印象だったけど、よく見ると全然そんなことない。
「白石くんは1人なの?」
「いや、他に2人いたけどはぐれた。そっちは?」
訊ねれば、当然のように冬木はうなずいた。だろうな。逆に放課後はあんまり人といるところが想像できない。
「俺は1人。本買いに来た」
「かっこいいなあ」
「……本買うだけなのに?」
戸惑いを隠せない様子で眉を下げる冬木に、俺はふっと笑ってしまった。きっと、冬木にはわかんねえ悩みだろう。
「そうやって1人で色んなことできるのかっこいいなあって。俺はそうなりてえなと思っても、いざなると何したらいいかわかんねえわ」
って、何ボヤいてんだろ。言葉にしてから恥ずかしくなって、じわじわと首の後ろから熱を帯びてくる。冬木もきょとんとしている。
冬木からすれば、だから何だという話だ。言われてもどう答えたらいいかわからないに決まってる。
本屋のBGMがやけに大きく感じた。沈黙が流れて、俺はヘラヘラと笑みを作る。
「あー、どの本買うつもりなの?」
話題を変えようと思いついたことをそのまま投げかけた。冬木からは何も返って来ない。
うわ、もしかして引かれた?
「あ、買う本はこれから悩む予定なんだけど」
ハッとしたように教えてくれた冬木は「その前に」と、顎先に手を当てる。
「さっきのどう反応していいかちょっと迷った。白石くんは人といるのが好きだと思ってたから意外で」
「……そっか、そりゃ反応に困るよな。人といるのも嫌いじゃねえけど、好きってわけでもねえな」
冬木がうらやましいよ、とつい本音が漏れた。他にクラスメイトがいない場だからかもしれない。
「何で俺がうらやましいになるの?」
俺は平積みされた文庫本に目を落とす。表紙の文字を目でなぞりながら、口を開いた。
「1人の楽しみ方を知ってそうだから。好きでそうやって過ごしてるだろ?」
あれ、俺の勝手な思い込みだったらどうしよう。友達といるのも見かけたことあったわけだから、違う可能性もあるか。
「楽しみ方知ってるかは知らないけど、好きだよ」
「……な、やっぱそうだよな。そういうのが、かっこいいよ」
外してなくて良かった。密かに胸を撫で下ろす。
「よくわかんないけど、1人になりたいの? それなら、俺はもう行くよ」
またね、と去ろうとする冬木の腕をつかんだ。気を遣わせたかったわけでもない。
冷房のせいか、冬木の腕は冷たかった。
つかまれた部分に視線を落とした冬木が顔を上げる。
「どっちなのか全然わかんない。ほんとはやなの?」
訊ねられて、俺は苦笑する。確かにどっちなんだろ。1人になりたくて本屋に逃げたのに、冬木と話してたら何だか落ち着いた。
「冬木とは話したいのかも」
「かもって……そこはせめて言い切ってよ」
クスクスと笑う冬木。俺は首の後ろに手を当てる。思いの外、熱がそこにあった。
「ここにいて、俺の相手してよ」
「いいよ。一緒に本選ぼうか?」
あまりにあっさりと了承されて、かえって恐縮してしまった。
俺からすれば冬木は憧れの対象だけど、冬木からすれば俺はそんなに話したこともないクラスメイトだ。いきなり相手をしろと言われても、困るだろうに。
「いいの?」
「俺がいいと思ったから、いいよ。そもそも、白石くんが言ったんだよ」
「言っといて何だけど……迷惑じゃねえの?」
「迷惑だよ」
腕をつかんだままの俺の手を、冬木が空いている方の手であやすように優しくポンポン叩いた。
「って言ったほうがいいの?」と、顔を近づけた冬木が俺の顔を覗き込む。
「いや、そういうわけでもねえけど……断りにくいことしたかなって思ったから」
「ほんとに気にしないで。それより、どんな本が好きか教えてくれたほうが嬉しい」
わかった、と俺はうなずく。すげえいいやつじゃん。
俺が最近気になっている本を話題に挙げると、冬木は既に持っているらしく貸してもらえることになった。
「あと、その系統が好きなら、これも好きなんじゃないかな」
棚から取って渡してくれた本のタイトルに目を落とす。著者の名前は見たことがあったが、読んだことのない本だった。
「おー、サンキュ。買ってくるわ」
「どんな内容なのかとか見なくていいの?」
「うん、いい。冬木の選んでくれたやつ読みたいし」
即決してレジへ持って行き、会計を済ませた。店の外で待ってくれていた冬木の元へ戻る。
「ありがとう。これ、帰ったらすぐ読んでみる」
「他のも読みたかったら、うちにその人の本まだあるから持ってくるよ」
「えっ、いいの? 俺も冬木持ってなさそうなの貸したいけど、持ってそうだしな」
どうしたもんか、と顎に手を当てて考える。
「別にいいよ。本くらい、いつでも貸すし」
「ダメだろ。今は浮かばねえけど、お礼考えといて」
あー! と、みみちゃんの声が響いて、俺はそちらを見なくても誰がいるかわかった。
「冬木、今日はほんとにありがとな。あいつら来るとうるさいから俺が行くわ。また明日学校で!」
呆気にとられる冬木に手を振って、背を向ける。と、「そういえば」ともう一度冬木へ振り返った。
「今度、俺にも1人の楽しみ方教えてよ」
「え?」
「あ、いや……とにかくありがとう!」
さすがにこれはキモいなと思い直して、なかったことにした。ちょっと調子に乗ったわ。せっかく本をおすすめしてくれたのに、引かれたかもしれない。
「ごめんごめん、2人のこと見失ったから本屋にいた」
ふくれっ面のみみちゃんたちと合流した。ゆっちはショッパーを提げている。みみちゃんのほしいものは買えたらしい。
「もーっ、匠は何してたの? 電話もLINEもしたんだよ」
「マンガ買ってた」
小説とは言えなくて、濃い色で袋の中身が見えないのをいいことに嘘をついた。
「ふぅん。誰かといた?」
ちらりと一瞥した先に冬木はいなかった。俺は何となく首を横に振る。
さっきまでの出来事が自分にとって良い時間だった。けど、みみちゃんそのままが冬木に絡みに行くと厄介だから今日は言わないでおこう。
「みゆがそこのカフェ入ろうって。匠も行くだろ?」
「もちろん。ゆっち持ってるそれ何?」
先を歩くみみちゃんに続きながら、俺は小さく訊ねた。
「お揃いで買わされたTシャツ」
「何それ。うけるから今度着てきてよ」
ぜってーやだ、とゆっちが苦笑してショッパーの中を見せてくれる。なるほど、これから夏本番の時期にどこで見つけたのか謹賀新年と書かれたTシャツだった。
「みみちゃんの謎センス、さすがだな」
「匠のも買うって言ったみゆ止めたオレに感謝しろよ」
「助かる。せっかくだから年越しに着れば?」
「冬に着るにはさみーだろ」
確かに。みみちゃんが「早くしてよね」と言うのに俺とゆっちは、はいはいとうなずく。
早く帰りたかった気持ちも、いつの間にか落ち着いていた。冬木のおかげだ。
俺に付き合わせてしまったけど、せめて冬木にとっても無駄な時間ではないことを願った。



