十二月に入ったばかりの頃だった。
本を見たまま、
智輝が言い切るように口を開いた。
「……先、帰ってええで。俺、これ途中やし。遅なるで」
俺は何も言わず、椅子に座ったままスマホを取り出した。
画面を眺める。
少しして、ページをめくる音が止まった。
視線が一瞬揺れて、また本に戻る。
でも、すぐに動きが止まる。
(……集中、切れてるやろ)
智輝は一度だけ俺を見て、すぐ目を逸らした。
「……帰らんの?」
声は小さい。
けど、もう一回
「帰ってええで」とは言わない。
(ほんまは一緒におりたい顔しとる)
俺は答えず、画面を眺め続けた。
待つのは苦じゃない。
時間はいくらでも潰せる。
数分後、智輝が本を閉じた。
「……もうええんか?」
聞くと、
少し間があってから、頷く。
「うん。続きは明日にする。目、疲れたし」
どう見ても、理由を後から付け足した言い方やった。
俺は立ち上がりながら言う。
「ほな、帰ろ。寒いし」
智輝も立ち上がる。
「ついでに、カフェ寄らん?
今日、イチゴのケーキあったで」
その瞬間、
智輝の目が、はっきり分かるくらい輝いた。
「……行く」
即答。
(……可愛い)
内心でそう思いながら、
何でもない顔で歩き出した。
学内のカフェテリアは、夕方で少し空いていた。
窓際の席に座ると、
智輝はメニューを見る前からショーケースの方を気にしている。
「……ある?」
「あるで。さっき言うたやろ」
そう答えると、
分かってるはずやのに、もう一回そっちを見る。
ケーキとお茶を受け取って席に戻ると、
智輝はすぐにフォークを取った。
一口目は、慎重。
二口目は、少し大きい。
無言。
でも、肩の力が抜けてる。
(……切り替え早すぎやろ)
「美味い?」
聞くと、一拍置いてから、頷く。
「……うん」
それだけ。
感想は増えない。
けど、
フォークの動きは止まらない。
目の前のケーキに集中しすぎて、
さっきまでの本のことも、帰るかどうかの迷いも、全部消えてる。
一瞬、
待たせたかもとか、気を遣わせたかもとか考える。
でも結局、
今一緒におる時間を楽しむほうを、ちゃんと選んでる。
しかも理由が、イチゴのケーキ。
智輝がフォークを置いて、息を吐いた。
「……満足?」
聞くと、
今度は少し考えてから言う。
「……うん。ちょうどええ」
その「ちょうど」が
ケーキなのか、時間なのか、俺なのかは分からん。
でも、
それで十分やった。
俺はカップを口に運びながら、
何も言わずにその横顔を眺めていた。
智輝が、またフォークを口に運んだとき。
「……クリーム、ついてるで」
言うと、
智輝は一瞬きょとんとしてから、反射的に口元を拭く。
でも、場所がずれてる。
「そこちゃう」
そう言うと、今度は逆側。
まだ違う。
(……なんで当たらんねん)
「動くな」
そう言って、
俺は指を伸ばした。
口元に、ほんの一瞬。
クリームを拭うだけ。
それだけやのに、
智輝の動きが止まった。
目を見開いて、数秒、固まる。
「……今の、いる?」
遅れて出てきた抗議は、
声が少し低い。
「いるやろ」
即答すると、
智輝は視線を逸らした。
耳が、赤い。
(……はい、可愛い)
俺は何も言わず、
自分のカップに口をつけた。
智輝はしばらく黙ったまま、
残りのケーキを食べきる。
「……次から言わんでええ」
小さく言う。
「ほな、またつけたらどうすんねん」
そう返すと、
智輝は一瞬考えてから言った。
「……そのとき考える」
答えになってへん。
(……ほんま、可愛い)
内心だけでそう思う。
智輝は最後の一口を食べ終えて、
フォークをきちんと皿の端に揃えた。
ナプキンで口元を拭いて、小さく息を吐く。
「……ごちそうさま」
誰に言うでもない声。
智輝はカップを手に取って、
砂糖の袋を一つ、指でつまむ。
一瞬迷って戻す。
でも、また少しして、もう一回手を伸ばす。
(……迷うんかい)
結局、入れたのは半分だけ。
帰るか、という空気になっても、
二人ともすぐには立たなかった。
同じタイミングで、
カップを置いて、
同じタイミングで椅子を引く。
(……息、合いすぎやろ)
カフェテリアを出ると、
夕方の空気が一段冷たかった。
智輝は立ち止まって、コートに袖を通す。
ボタンを留める手つきが、
いつもより少しだけ遅い。
「寒いな」
俺が言うと、
智輝は小さく頷いた。
「……思ったよりな」
俺は自分のコートを着る前に、
智輝の襟元を見る。
ずれてへん。
風が入るほどでもない。
それでも、
目を逸らすのが少し遅れた。
自分のコートを着終えて、歩き出す。
数歩進んだところで、
智輝が何も言わずに手を伸ばしてきた。
指先が、そっと触れる。
俺はそのまま指を絡めた。
強くもなく、
引っ張るでもなく。
当たり前みたいに並んで歩く。
智輝は何も言わない。
視線も前を向いたまま。
でも、手だけは離さない。
それ以上の理由は、
要らんらしい。
駅へ向かう道を、
二人は無言で歩いた。
繋いだ手の温度が、
ゆっくり馴染んでいく。
俺はその横顔を盗み見て、
何も言わずに歩き続けた。
本を見たまま、
智輝が言い切るように口を開いた。
「……先、帰ってええで。俺、これ途中やし。遅なるで」
俺は何も言わず、椅子に座ったままスマホを取り出した。
画面を眺める。
少しして、ページをめくる音が止まった。
視線が一瞬揺れて、また本に戻る。
でも、すぐに動きが止まる。
(……集中、切れてるやろ)
智輝は一度だけ俺を見て、すぐ目を逸らした。
「……帰らんの?」
声は小さい。
けど、もう一回
「帰ってええで」とは言わない。
(ほんまは一緒におりたい顔しとる)
俺は答えず、画面を眺め続けた。
待つのは苦じゃない。
時間はいくらでも潰せる。
数分後、智輝が本を閉じた。
「……もうええんか?」
聞くと、
少し間があってから、頷く。
「うん。続きは明日にする。目、疲れたし」
どう見ても、理由を後から付け足した言い方やった。
俺は立ち上がりながら言う。
「ほな、帰ろ。寒いし」
智輝も立ち上がる。
「ついでに、カフェ寄らん?
今日、イチゴのケーキあったで」
その瞬間、
智輝の目が、はっきり分かるくらい輝いた。
「……行く」
即答。
(……可愛い)
内心でそう思いながら、
何でもない顔で歩き出した。
学内のカフェテリアは、夕方で少し空いていた。
窓際の席に座ると、
智輝はメニューを見る前からショーケースの方を気にしている。
「……ある?」
「あるで。さっき言うたやろ」
そう答えると、
分かってるはずやのに、もう一回そっちを見る。
ケーキとお茶を受け取って席に戻ると、
智輝はすぐにフォークを取った。
一口目は、慎重。
二口目は、少し大きい。
無言。
でも、肩の力が抜けてる。
(……切り替え早すぎやろ)
「美味い?」
聞くと、一拍置いてから、頷く。
「……うん」
それだけ。
感想は増えない。
けど、
フォークの動きは止まらない。
目の前のケーキに集中しすぎて、
さっきまでの本のことも、帰るかどうかの迷いも、全部消えてる。
一瞬、
待たせたかもとか、気を遣わせたかもとか考える。
でも結局、
今一緒におる時間を楽しむほうを、ちゃんと選んでる。
しかも理由が、イチゴのケーキ。
智輝がフォークを置いて、息を吐いた。
「……満足?」
聞くと、
今度は少し考えてから言う。
「……うん。ちょうどええ」
その「ちょうど」が
ケーキなのか、時間なのか、俺なのかは分からん。
でも、
それで十分やった。
俺はカップを口に運びながら、
何も言わずにその横顔を眺めていた。
智輝が、またフォークを口に運んだとき。
「……クリーム、ついてるで」
言うと、
智輝は一瞬きょとんとしてから、反射的に口元を拭く。
でも、場所がずれてる。
「そこちゃう」
そう言うと、今度は逆側。
まだ違う。
(……なんで当たらんねん)
「動くな」
そう言って、
俺は指を伸ばした。
口元に、ほんの一瞬。
クリームを拭うだけ。
それだけやのに、
智輝の動きが止まった。
目を見開いて、数秒、固まる。
「……今の、いる?」
遅れて出てきた抗議は、
声が少し低い。
「いるやろ」
即答すると、
智輝は視線を逸らした。
耳が、赤い。
(……はい、可愛い)
俺は何も言わず、
自分のカップに口をつけた。
智輝はしばらく黙ったまま、
残りのケーキを食べきる。
「……次から言わんでええ」
小さく言う。
「ほな、またつけたらどうすんねん」
そう返すと、
智輝は一瞬考えてから言った。
「……そのとき考える」
答えになってへん。
(……ほんま、可愛い)
内心だけでそう思う。
智輝は最後の一口を食べ終えて、
フォークをきちんと皿の端に揃えた。
ナプキンで口元を拭いて、小さく息を吐く。
「……ごちそうさま」
誰に言うでもない声。
智輝はカップを手に取って、
砂糖の袋を一つ、指でつまむ。
一瞬迷って戻す。
でも、また少しして、もう一回手を伸ばす。
(……迷うんかい)
結局、入れたのは半分だけ。
帰るか、という空気になっても、
二人ともすぐには立たなかった。
同じタイミングで、
カップを置いて、
同じタイミングで椅子を引く。
(……息、合いすぎやろ)
カフェテリアを出ると、
夕方の空気が一段冷たかった。
智輝は立ち止まって、コートに袖を通す。
ボタンを留める手つきが、
いつもより少しだけ遅い。
「寒いな」
俺が言うと、
智輝は小さく頷いた。
「……思ったよりな」
俺は自分のコートを着る前に、
智輝の襟元を見る。
ずれてへん。
風が入るほどでもない。
それでも、
目を逸らすのが少し遅れた。
自分のコートを着終えて、歩き出す。
数歩進んだところで、
智輝が何も言わずに手を伸ばしてきた。
指先が、そっと触れる。
俺はそのまま指を絡めた。
強くもなく、
引っ張るでもなく。
当たり前みたいに並んで歩く。
智輝は何も言わない。
視線も前を向いたまま。
でも、手だけは離さない。
それ以上の理由は、
要らんらしい。
駅へ向かう道を、
二人は無言で歩いた。
繋いだ手の温度が、
ゆっくり馴染んでいく。
俺はその横顔を盗み見て、
何も言わずに歩き続けた。
