S.S:Silent Society

後期試験が終わり、大学は長い春休みに入った。
 予想していたとおり、部室の明け渡しを学生支援部から言い渡された。
 東雲は藤宮を誘って休みになってすぐに片付けにきたのだ。
 
 棚の一番上が空いたのを見て、東雲は手を止めた。
 ここに置いてあった本は、もう全部、元の場所に戻してある。
 部室だが、大学の蔵書置き場も兼ねていた。
 私物はもともと多くない。
 東雲が持って帰るのは、自分で買った本とノート、それから紅茶のセットだけだ。

 「……これで全部やな」

 カバンを肩にかけて、軽く持ち上げる。
 大きめの一つで、事足りた。

 「帰るだけやけど、最後にお茶して帰らん?」
 東雲は持ち上げたカバンを下して言った。
 「ええな」
 藤宮も部屋を一度だけ見回してから頷いた。

 電気ケトルに水を入れて、スイッチを押す。
 湯が沸くまでの間、二人とも何も言わない。
 紅茶を淹れて、向かい合って座る。
 紙コップの向こうで、湯気がゆらいだ。

 「来期はどうする?」
 正式に入部届を出している藤宮にとっても、他人事ではない。
 「サークルも、終いやな」
 東雲は、部室が無くなるのと同時に廃部を決めていた。

 藤宮は一拍おいて聞く。

 「……ええんか?」
 「うん」

 迷いのない返事だった。

 「そういえば」
 藤宮が続ける。
 「このSSって、前にちらっと、東条さんが作ったって聞いたけど
  詳しくは聞いてへんな」

 東雲は、カップに視線を落としたまま言った。

 「そうやな。言うてないな。ほな、最後の日に最初の話するんも、ええかもな」

 淡々と話しだした。

 東条が、弁護士になり、やがては政治家になると決めていて、
 人を見る訓練と、人脈作りを兼ねて立ち上げたこと。
 勧誘も宣伝もせず、
 たまたま迷い込んできた相談者一人から始まったこと。
 悪事は手伝わない。
 人を傷つける目的も論外。
 それだけを条件に、あとは成り行きまかせだったこと。

 「俺が入ったときは、四回生が二人だけでな、その先輩らも、もう卒業して今は、俺と悠誠の二人や」

 評価も結論もない。事実を並べるだけの口調。

 「これは前に話したかもしれんけど」
 東雲は少しだけ考える。
 「入学が決まって、すぐの頃やな。智輝に向いてるって言われて、勧められてん」

 「それがな。未だに分からんねん。
  向いてたんかな。勉強にはなったと思うけど。
  俺が一人になったときは、そんなに人もこんかった。
  先輩らは、自ら動いて人を連れてきてたから」

 そこで、言葉が止まる。
 藤宮は、その沈黙のあいだに、気づいてしまった。

(……ああ、そういうことか)

 智輝は、人との関わり方が客観的すぎる。
 距離を測って、踏み込みすぎない。
 けれど、もしかしたら。
 主観で関われる誰かに出会えるかもしれないと、
 そんな可能性を、
 無意識に探して続けていたのだとしたら。

(東条さんも、そこまで見てたんやろな)

 答えは与えず、考えさせるために勧めた。
 そして――
 東雲は、もう出会ってしまっている。

(それが、俺やって気づいたら……)

 藤宮は思わず視線を逸らした。
 耳の奥が、熱くなる。

 「……どうしたん」
 「なんでもない」

 誤魔化すように答える。
 東雲は気にせず、続けた。

 「啓介も、去年おった先輩らもな、サークル続けるために、
  無理せんでええって言うてくれてたから、サークルは終いにする。でもな、」

 東雲は息を吐き出し、続けた。

 「もし誰かが、話したいんやったら、それを俺に話してくれるなら、
  聞きたいって、思ってる」

 藤宮を見る。

 「そのときは、悠誠。隣におってくれるやろ?」
 「もちろんや」

 即答だった。

 カップを片付けて、電気を消す。
 鍵を閉めて、大学に返す。
 外に出ると、空気はまだ冷たい。春休みでも、本当の春はまだ先だ。

 二人、並んで歩く。
 奇跡なんて言葉は、使いたくない。
 大げさすぎる。でも。
 智輝に出会えたことに。
 名前も形もない何かに、
 感謝してもいいかも知れないと思った。

 藤宮は、そっと手を伸ばす。
 指を絡める。
 東雲は、もう恥ずかしがらない。
 それが当たり前みたいに、指を返した。

 地下鉄の駅まで、二人で歩いた。