瀬々市、宵ノ三番地



「辞めろって言われても、いますよ、ここに」

愛はまだ、誰かが一緒に居たら危ないと思っているのだろうか。それでも、そんな顔で言われたら、その言葉の裏側に隠した思いがあるような気がしてならない。ここにいても良いなら、何度だって多々羅(たたら)は言う。多々羅は愛の側に居たいだけなのだ。

「俺は、あなたの助手ですからね」

怖いなら、不安なら、落ち込みそうな背中を何度だって支える。そう、決めたのだ。過去に戻りそうな手を引いて、壁を取り払って、日向の道へ連れていく。そうしたら、自分もきっと前へ進める。

ぱち、と愛は目を瞬いていたが、やがてほっとした様子で「そうだったな」と呟くので、多々羅はその姿に、思わず幼い頃の愛を重ねてしまった。途端に昔の気持ちまでが甦り、多々羅は焦って言葉を探した。呼び戻してはいけない気持ちまで、甦りそうになったからだ。

「ま、まだ、心配ですからね!方向音痴だし、切符の買い方も分からないし、一人で生活出来ないでしょ」

怒るかもしれないと思ったが、危うい気持ちから目を逸らすには、その気持ちと真逆の事を思い浮かべるしかない。だが、愛はそれでも機嫌良さそうにしているので、多々羅は複雑な気持ちが渦巻いたままになってしまった。それでも、ほっとしたような表情を浮かべる愛を見れば、多々羅もなんだか気が抜けてしまう。

ここに居ることを、許してくれた。それが、こんなにもほっとさせられる。帰る場所を貰えたような気がして、こんなにも胸が温もりに満ちていく。


「まぁ、正一(しょういち)さんが連れてきたから、仕方なくだけどな」
「またまたー。俺が居ないと困るくせに」
「別に困らないし。切符の買い方くらい分かってるし!」

強がる愛も、方向音痴は否定しないようだ。多々羅が「はいはい」と笑って愛の隣に並べば、愛は「心がこもってない」と、不貞腐れながらも歩き出す。自然と歩く足並みも揃って、強がりの言い合いも、気づけば笑い声になる。


こんな風に過ごしていても、きっとまた迷い悩む時が来るのだろうと、多々羅は愛の隣でぼんやりと思う。
それでも、その度にこうやって会話を重ねていければ。今から恐れる事は何もないのかもしれない。多々羅は思い、機嫌の良さそうな愛の横顔に目を止める。隠された濁った翡翠の瞳、やはり多々羅はその瞳が見たいと思ってしまう。

愛に関わる事だって、分からない事はまだ沢山ある。それらがどんな物か分からないけど、その時は、やっぱり共に受け止められる距離にいたい。
傷ついたら繕って、結び直して、そうして積み重ねて、ゆっくりと。すぐには無理でも、いつか、愛が愛自身の事を認めてくれたら。

その日がくる事を、多々羅は願うばかりだ。



眩しい夏の日差しに多々羅は目を細め、愛の少し前を歩き振り返る。

「今日は飲みましょうか!」

そういえば、愛と酒を飲んだのは、多々羅の先輩である(さとし)を交えての、あの一回だけだ。飲めない訳ではないだろうが、飲みたいと言われないので酒を買う事もなかった。多々羅も飲まなきゃ飲まないでいられるので、特に酒に誘う事もなかったが。
こんなお誘いをするのも、今日は少し浮かれているせいかもしれない。
だが、愛は少し不満そうに唇を尖らせた。

「酒かー。辛いものなら付き合える。最近食べてないしな」

どうやら、酒は飲めるが進んで飲みたいタイプではなかったようだ。そうか、愛は辛いものが好きなのかと、多々羅は苦笑った。多々羅はあまり辛いものは得意ではない、甘いものは好きだが。

「俺、辛い系はあまり…」

しかし、愛が好きなら、これからは辛い料理もご飯のメニューに組み込んでいこう。多々羅が内心で愛の情報を更新していると、愛が「ウマが合わないな」と、どこか寂しそうに呟いた。そんな愛に、多々羅は「まぁそこが良いんじゃないですか!」と、笑った。

「好みがバラバラでも、分かり合えたら楽しみも二倍じゃないですか。俺も、久しぶりにチャレンジしてみようかな…この辺、辛いもの食べれる店あるかな」

もしかしたら、食べられるものもあるかもしれない。そんな思いで多々羅が言えば、愛はきょとんとして、それから困ったように笑った。

「なんだそれ。多々羅君は、昔から変な奴だよな」
「一言余計ですよ」

楽しそうな二人のやり取りが始まれば、ヤヤも多々羅の肩で楽しそうに笑った。
多々羅は、愛の少し前で顔を上げる。明日もここで、多々羅も多々羅で居られる明日の為に。


宵ノ三番地、二人の帰る場所へ。
探しもの屋の日々は、これからも。