メゾン・ド・モナコ




「まさか君達から引き止めて貰えるとはね」
「当たり前ですよ、あなたが居るから助かってるあやかしが大勢いるんですから」
「マリン達は春風さんが居るから、安心して人の世で過ごせてるんだよ?」
「それに、なずなさんも」

そのミオの言葉に、春風はもう一度、なずなへと目を向けた。

「…うん、分かってる。どうせ、僕には還る場所なんかもうないからね」

はは、と軽やかに笑って言った春風の言葉に、今度はナオとミオがきょとんとして、それから脱力して、盛大に溜め息を吐いた。

「驚かさないで下さいよ…」
「そうだよ!意地の悪い事して!」
「はは、ごめんごめん」

それから、皆に挨拶してくるという二人の背中を見送りがてら、春風は人とあやかしが仲良く笑う姿に目を留めて、メゾン・ド・モナコを見上げた。そして空に向かって目を閉じる。


本当は、少なからず心にあった。いつかは天に還らないといけない、でも、ヤヱと出会い、更にはヤヱとの約束を理由に、この世に留まり続けた。
きっと、天にも見放されているだろう。それでも腐っても神だ、いつかこの生涯を神として終わらせなければならない時がくる。

だけど、まだ自分を必要としてくれるあやかしが、人の子がいるなら。社は失ったけど、このアパートに彼女達が自分の居場所をくれるなら。

まだ、ここに居ても良いのだろうか。


「春風さん!」

なずなの呼ぶ声に目を開けると、先程までの涙はどこへやら、なずなは笑顔で春風を手招きながら、こちらへ駆けてきた。なずなの後方に目を向ければ、何やってるんだとか、さっさと手伝えとか、皆も思い思いの言葉を発している。

「何やってるんですか!まだイベントは終わってませんよ!」

そんな気合い十分の声に、春風は肩から力を抜いて笑った。

「君ねぇ、神様にまだ労働させる気?」
「そうやってまたサボる気でしょ。ほら、行きますよ!」

そう上機嫌に笑って手を引くなずなが、記憶の中のヤヱと重なって、胸がじんわりと熱を持つようだった。ふわっと桜が舞ったような気がして、春風は足を止めて桜の木を振り返ったが、そこに花が咲いている筈もない。

「…春風さん?」

そう見上げるなずなの瞳は、ヤヱではない、なずなのもので。春風はその心配そうな眼差しから顔を伏せ、帽子を被り直した。

「…やれやれ、君達は僕がいないと何にも出来ないんだから」
「はは、そうですよ。春風さんがいないと始まらないんですから」

困ったようになずなは笑い、その言葉から気持ちが伝わってくるようだと、春風は思った。
顔を上げれば、迎え入れてくれる皆の姿がある。

きっとこれが、約束を失っても、自分がこのアパートに居た意味なんだと。きっとこれが、幸せというのだと。春風は、そっと涙を呑み込んで、いつものように笑顔を浮かべた。

「はいはい、では何の仕事をしようかな」
「まずは皿洗いを手伝って下さい」
「君ねぇ…草むしりの次は皿洗いかい?」

まったく、と困り顔を装った春風の脇を、一匹の白猫が横切っていく。誰の目にも留まらず駆け抜けると、白猫の通った後には、賑やかなアパートの庭を優しい風が吹き抜けていった。


メゾン・ド ・モナコ、ここで暮らす彼らの未来を優しく導くように、その風は、爽やかな夏の空に吸い込まれていった。