メゾン・ド・モナコ



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もうすぐ開店の時間だが、紫乃(しの)の許可を得て、なずなとフウカは近くの公園のベンチに並んで腰掛けた。少しの間なら、春風(はるかぜ)が店に出てくれるそうだ。

「ごめんなさい」

開口一番に頭を下げたフウカに、なずなは、え、と固まり、それから慌てて首を振った。

「謝らないで下さい!フウカさんは助けてくれただけじゃないですか!…でも、突然いなくなっちゃったから驚きました。皆も心配してたんですよ?春風さんもずっとフウカさんを探し回って。昨夜はどこに行ってたんですか?」
「…公園で、その…野宿を」

野宿、という言葉に、なずなは文字通り目を丸くした。

「あ、危ないじゃないですか!あんな事があった後なのに!何かあったらどうするつもりだったんですか!?」

怒るなずなに、今度はフウカが目を丸くした。

「…すみません」

なずなは、自分の身を案じて怒っている。まさかそんな風に言われるとは思わなかったのか、フウカは驚きつつも顔を俯けた。
その様子を見て、なずなは肩から力が抜けたようだった。

「…何事もなくて、良かったです」

しかし、フウカはやはりどこか不思議そうな、困惑した様子だ。

「…どうしてそんなに心配してくれるんですか?このグローブを脱げば、僕は人の子なんてどうって事ありません、あのあやかしにだって僕は負けないかもしれないのに」
「…フウカさんは、そんな事出来ませんよ」
「あなたは僕を買い被りすぎです」
「真実です、フウカさんに誰かを傷つける事なんて出来ません、私にはそれが証明出来ます」
「…何を言ってるんです?」

さすがに怪訝な表情を浮かべたフウカに対し、なずなはフウカの手を取った。本当は得意顔くらい浮かべたかったが、やはりちょっとドキドキしてしまう。さっきだって手を握ったばかりなのに、この歳になって、異性の手を握るだけでドキドキするなんてと、なずなは自身の恋愛経験の無さにまた少しへこんだが、今はそんな事を考えている場合ではないと、必死に頭から恋の騒めきを追い払った。
そして、なずなはフウカのグローブに手をかける。それにはさすがにフウカは手を引こうとしたが、なずながそれを慌てて引き止めた。咄嗟に両手でフウカの手を掴み、「大丈夫です」とフウカを見上げた。

その真っ直ぐな視線に、フウカの瞳はたじろいだ。
手を払おうと思えば簡単に払える。だけど、フウカはそれをしなかった。もしかしたら、出来なかったのかもしれない。
まるで魔法みたいに、なずなの言葉がフウカの体を優しく包むみたいで。

大丈夫、その言葉を信じたくなった。

フウカのそんな思いは露とも知らず、なずなは、慎重にフウカの手からグローブを脱がしていく。フウカにしてみれば、腫れ物を扱うようなその仕草は、なんだか照れくさいような、こそばゆい感覚だった。自分では忌々しいこの手を、なずなが大事だと言ってくれている、それが、フウカの胸をじんわりと温めていくようだった。

ずっとグローブをはめていたからか、フウカの手は白く、手首を境に日焼けの後があった。

「…はは、なんだか、まだグローブしてるみたいですね」

そう言って、なずなは両手で大事そうにフウカの大きな手を握り、まるで願いを込めるように目を閉じた。

「ほら、何も起きません」
「…それは、」

フウカが力を使おうとしていないだけだ、だが、その言葉をなずなは遮った。なずなだって分かってる、でも、それよりも伝えたい事があった。

「私は傷つきません、例えこの手が、結果的に私に何かしたとしても、私はフウカさんに傷つけられたとは思いません」
「……え?」

フウカはきょとんと顔を上げた。なずなは、フウカの手を、やはり照れくさいのか耳を赤くしながら、大事そうに触れている。

「私は、フウカさんの優しさを知っています。力で人を説き伏せようとするなら、私はもうとっくにされてるんじゃないでしょうか。フウカさんも春風(はるかぜ)さんもマリリンさん達も、ちょっと特別な力があるだけです。あ、ハク君に友達が出来たんですよ?あの純太(じゅんた)君です」
「…あの子、大丈夫だったんですか?」
「はい、全然気にしてないっていうか、昨日の事は夢だったって思ってくれました。昨日だって、あの場所に居たのは、ハク君に会いに来てくれたからなんです」

なずなは嬉しそうに笑った。その表情から、フウカは目が逸らせなくなる。

「友達って気づけばなってるものです、私達もそうじゃありませんか?一緒に寝食を共にして、自分の事のように相手を心配して、ケンカもしますけど、皆思いやりがあります。もう大事な友達、仲間って感じだと思いませんか?私も、皆さんの仲間になりたいんです」

握る手が、その眼差しが、フウカの恐れをそっとほどいていくみたいだった。この温もりからは逃げられない、いや、逃げる必要はないと教えられるようで、フウカは瞳を揺らし目を伏せた。