まだ恋じゃない!?

やっぱり俺は七海の言う通り、会えない時間で恋を育てられるような男ではなかった。
新原くんと会えなくなって半年、もう彼へときめいた時のことを忘れてしまってきていた。
ゆえに、キスシーンでつまずいているのである。

「絶対に、落とさせない」

電話を切った七海は、長い足を折りたたんで正座スタイルで絶望している俺の隣にしゃがみこんだ。
完成した部分の原稿をパラパラとめくって「この流れからのキスね」と呟いた。

「夏目さん、俺を新原だと思って」

「へ?」

なんのことか理解する前に、固くて冷たいフローリングに押し倒された。
頭には七海の手が添えられていたから、ぜんぜん痛くはなかったけど。
見上げると、なんとも言えない表情の七海の顔があった。

「な、なに?」

「現実と創作がリンクしてる夏目さんのために、俺が新原を再現してあげます。実際にキスでもしたら、インスピレーションが湧くかもしれないし。だから、目、閉じてください」

初めて間近で下から見る七海は、とても綺麗だった。
まつ毛、こんなに長かったんだ。

じゃ、なくて。

「ちょっと待って、」

「はやく目閉じてくださいよ、俺のままじゃ気まずいでしょ」

七海はこつんとおでこを合わせると、呆れたように言った。

「でも、閉じたって、七海は七海じゃん」

そう口を尖らせると、七海は一瞬だけ困ったように眉毛をへにゃっと曲げた。

でも、すぐにいつものスンッとした顔に戻した七海は「そこは想像力を働かせてくださいよ。あんた漫画家でしょ」と詰めてきた。

「ぐっ」

ぐるぐる考えているあいだ、七海はじっと俺の顔を見つめていた。

「夏目さん、かわいいですね」

「なんっ!?」

七海の突然のデレを至近距離で浴びて、俺はこんな状況だと言うのにトキメキで死ぬかと思った。
黙り込んだ俺のくちびるを、七海は機嫌が良さそうに指でつついて、くすりと笑った。

「どうです、少しは描けそうですか?」

新原くんだったら、もっと優しくて、甘くって、最高のシチュエーションを用意してくれるはず。
こんなの、新原くんだと思えるわけがない。

でも、どうしてだろう。なんだかご機嫌な七海を、この距離でずっと独り占めしていたいと思ってしまった。

「あ、そうそう」

七海は俺に覆い被さったまま、また感情の読めない顔で言った。

「キスでもラストシーンの構想が浮かばないということであれば、俺はこの先の再現も構いませんから」

「はぁ!?」

仕事のためとはいえ、普通はここまでできない。
やっぱりいま目の前にいるのは、七海だと思った。

「どうしますか?」

返事のない俺を覗き込んだ七海の目は本気だった。
俺が止めなきゃ、このまま本気でやるつもりだ!

「ごめん、描ける、描けるからどいて!」

「ラストシーンは思いつきましたか」

「うん、七海のおかげでバッチリ、アイデア降りまくり!」

「それはよかった」

七海は小さく笑うと、さっさと俺の上から体を起こした。

「あと3時間半もあれば間に合いますね」

背伸びしながら時計を見上げた七海の綺麗な顎のラインが、さっきの景色と重なって、つい見惚れてしまった。

「夏目さん、なにしてるんですか。急いでください」

「うん、いまいく」

無事にラストシーンまで描き切った原稿は、七海がバイクをかっ飛ばして印刷所まで持ち込んでくれた。

まぁ、我ながら、いいシーンが描けたと思う。