「あー疲れた。ねぇ七海、このあとデートしない?駅前に新しくできたカフェのケーキ食べたいんだよね」
「あれだけ怒らせた相手をよくそのテンションで誘えますね。尊敬します」
「ありがとう?」
去年の3月。春一番が吹きそうだと、テレビのニュースでやっていた日のことだった。
出版社の会議室で新連載の打ち合わせをして、見通しが甘い、考えがぬるいと七海にこっぴどく怒られたあと、俺たちは殺風景なエレベーターホールにいた。
編集部から、背が高くて爽やかな好青年が出てきた。
初めて見る顔だったから、実写化の若手俳優でも挨拶に来ているのかと思って横目でチラ見したら、バチっと目があってしまった。
途端、そのイケメンは満面の笑みを浮かべて小走りで近付いてきた。
「み、見ちゃってすいませんでした!」
「僕、七海の同期で営業部の新原と申します」
「え?」
近くで見ても、ありえないほど顔が整っている。
ここ星月社は大手出版社のくせに、この時代に顔採用をしているに違いない。七海は涼しげな目元にクールな顔が魅力的だけど、彼は笑顔が可愛い系だ。
「夏目先生の大ファンなんです、握手してもらってもいいですか?」
「あぁ、はぁ」
明るい声と勢いにつられて思わず手を差し出すと、大きな両手に包まれて、ぶんぶんと縦に振られた。
背後に大型犬のふさふさとしたしっぽが見えた。
「ちょっと新原、」
「僕、この会社入るまであんまり漫画に詳しくなくて。七海に勧められて最初に読んだBL漫画が、夏目先生の作品でした。キュンキュンするのに笑いどころもあって、新卒で慣れない激務に死にそうになってた俺の心の癒しでした。短期連載の『真夜中のアクアリウム』の最終回も、本当によかったです!めちゃくちゃ泣きました。目が腫れちゃって、次の日の朝、職場で心配されたんですよ」
「ど、どうも」
新原くんは止まらない。こんな絵に描いたような好青年が熱烈な俺の読者だなんて、ちょっと恥ずかしい。
「あとあと、巻末コメントもいつも素敵だなって思って見てます。夏目先生の手にかかれば、どんな嫌な出来事も、面白おかしくネタになっちゃうじゃないですか。僕、そういう先生の考え方、すごく好きです」
目を細めて照れくさそうに笑う顔は、本当に天使かと思った。
彼が笑うたびに、日の当たらないエレベーターホールに、やさしい木漏れ日が差し込んで、春のやわらかな風が吹き抜けていった。
「新原」
「ごめんごめん、つい」
新原くんは照れくさそうに頬をかいた。
「いつも、夏目先生と仕事できる七海がうらやましいなって思ってたんですよ」
「あ、ありがとう」
嬉しいのに、新原くんが眩しくて、どこを見たら良いかわからず俯いてしまう。上擦った声で返事するので精一杯だった。
「もういい?俺たちこのあと用事あるから」
七海に腕を掴まれて強く引き寄せられると同時に、ポンとエレベーターが到着した音がした。
上の空のまま、手を引かれてエレベーターに押し込まれた。
文字盤の前でぼーっと立っていたら、「邪魔」と後ろから手を伸ばした七海が一階を押し、閉めるボタンを連打した。
「呼び止めてしまい申し訳ありません。それでは夏目先生、次回作も楽しみにしてます!」
ぶんぶんと大きく手を振る新原くんの姿が名残惜しくて、エレベーターのドアに無意識に一歩近づく。
視界の端で、七海が不機嫌そうに腕を組んだのが見えた。
「新原くんって、」
「俺の同期なんで、夏目さんの5個下ですね。営業部のエースだなんて持て囃されてますけど、どうなんだか。いけすかない野郎ですよ」
「彼女いるのかな」
「はぁ?」
素っ頓狂な七海の声と同時に、ポン、と一階に到着した音がした。
「ちょっと待ってください。夏目さん、まさか」
「好き、に、なっちゃったかも」
「……最悪だ」
顔を赤くして俯く俺と、青い顔の七海を閉じ込めたまま、エレベーターは何事もなかったかのように再び上昇していった。
「あれだけ怒らせた相手をよくそのテンションで誘えますね。尊敬します」
「ありがとう?」
去年の3月。春一番が吹きそうだと、テレビのニュースでやっていた日のことだった。
出版社の会議室で新連載の打ち合わせをして、見通しが甘い、考えがぬるいと七海にこっぴどく怒られたあと、俺たちは殺風景なエレベーターホールにいた。
編集部から、背が高くて爽やかな好青年が出てきた。
初めて見る顔だったから、実写化の若手俳優でも挨拶に来ているのかと思って横目でチラ見したら、バチっと目があってしまった。
途端、そのイケメンは満面の笑みを浮かべて小走りで近付いてきた。
「み、見ちゃってすいませんでした!」
「僕、七海の同期で営業部の新原と申します」
「え?」
近くで見ても、ありえないほど顔が整っている。
ここ星月社は大手出版社のくせに、この時代に顔採用をしているに違いない。七海は涼しげな目元にクールな顔が魅力的だけど、彼は笑顔が可愛い系だ。
「夏目先生の大ファンなんです、握手してもらってもいいですか?」
「あぁ、はぁ」
明るい声と勢いにつられて思わず手を差し出すと、大きな両手に包まれて、ぶんぶんと縦に振られた。
背後に大型犬のふさふさとしたしっぽが見えた。
「ちょっと新原、」
「僕、この会社入るまであんまり漫画に詳しくなくて。七海に勧められて最初に読んだBL漫画が、夏目先生の作品でした。キュンキュンするのに笑いどころもあって、新卒で慣れない激務に死にそうになってた俺の心の癒しでした。短期連載の『真夜中のアクアリウム』の最終回も、本当によかったです!めちゃくちゃ泣きました。目が腫れちゃって、次の日の朝、職場で心配されたんですよ」
「ど、どうも」
新原くんは止まらない。こんな絵に描いたような好青年が熱烈な俺の読者だなんて、ちょっと恥ずかしい。
「あとあと、巻末コメントもいつも素敵だなって思って見てます。夏目先生の手にかかれば、どんな嫌な出来事も、面白おかしくネタになっちゃうじゃないですか。僕、そういう先生の考え方、すごく好きです」
目を細めて照れくさそうに笑う顔は、本当に天使かと思った。
彼が笑うたびに、日の当たらないエレベーターホールに、やさしい木漏れ日が差し込んで、春のやわらかな風が吹き抜けていった。
「新原」
「ごめんごめん、つい」
新原くんは照れくさそうに頬をかいた。
「いつも、夏目先生と仕事できる七海がうらやましいなって思ってたんですよ」
「あ、ありがとう」
嬉しいのに、新原くんが眩しくて、どこを見たら良いかわからず俯いてしまう。上擦った声で返事するので精一杯だった。
「もういい?俺たちこのあと用事あるから」
七海に腕を掴まれて強く引き寄せられると同時に、ポンとエレベーターが到着した音がした。
上の空のまま、手を引かれてエレベーターに押し込まれた。
文字盤の前でぼーっと立っていたら、「邪魔」と後ろから手を伸ばした七海が一階を押し、閉めるボタンを連打した。
「呼び止めてしまい申し訳ありません。それでは夏目先生、次回作も楽しみにしてます!」
ぶんぶんと大きく手を振る新原くんの姿が名残惜しくて、エレベーターのドアに無意識に一歩近づく。
視界の端で、七海が不機嫌そうに腕を組んだのが見えた。
「新原くんって、」
「俺の同期なんで、夏目さんの5個下ですね。営業部のエースだなんて持て囃されてますけど、どうなんだか。いけすかない野郎ですよ」
「彼女いるのかな」
「はぁ?」
素っ頓狂な七海の声と同時に、ポン、と一階に到着した音がした。
「ちょっと待ってください。夏目さん、まさか」
「好き、に、なっちゃったかも」
「……最悪だ」
顔を赤くして俯く俺と、青い顔の七海を閉じ込めたまま、エレベーターは何事もなかったかのように再び上昇していった。
