「俺の人生、終わった」
深夜12時。
ボツにした原稿が散らばる、狭くてボロい風呂なしアパート。
実家から持ち込んだちゃぶ台の上の、真っ白な原稿。
29歳、年齢イコール彼氏なし、貯金なし。
夏目爽は、正座をしたまま途方に暮れていた。
「はい、朝4時までには必ず……申し訳ありません……」
玄関からは、担当編集の七海碧が、印刷所に電話越しに頭を下げている声が聞こえる。いつもならときめく仕事モードの声も、いまは申し訳なさしか感じない。
「ちょっと夏目さん、手、止めないでくださいよ」
相手の保留中、普段の涼しげな目元からは想像できない形相で七海はリビングに戻ってきた。
苛立ったようにネクタイを片手で乱暴に解いた姿にキュンとしたのも束の間、それを放り投げた七海に「徹夜すれば間に合います。死ぬ気で描いてください」とむぎゅっと両頬を摘まれる。
「わかってますよね?いまが、夏目さんが売れる最後のチャンスなんですよ。あれだけ宣伝してもらった巻頭カラー落とすなんて、絶対にありえませんよね。この『木漏れ日の夢を見た』で売れっ子になって、アニメ化して実写化して、夢、叶えるんですよね!」
「らっへ(だって)……」
俺だって、できるならそうしたい。
ずっと鳴かず飛ばずの冴えない漫画家だった俺を、3年前、新入社員としてBL漫画雑誌編集部に配属された七海が見つけ出してくれた。
七海と二人、這いつくばりながら努力を続けて、ようやく掴んだ連載と巻頭カラーだった。
売れっ子になりたいのもそうだけど、本当は、俺の1番の読者でいてくれる七海を喜ばせたい。がっかりさせたくない。
苦しいほどそう思うのに、俺のペンはどうしても思うように動いてくれなかった。
感傷に浸っていると、頬を掴む手が強くなった。
「なに自分が一番悲しいみたいな顔してるんですか。この一か月、原稿に集中したいだとかなんとか言って、退勤後で疲労困憊の俺に料理やら洗濯やら身の回りのこと全部やらせて、ぬくぬくと引きこもってたのは誰ですか」
「ぐ」
「原稿のためって言えば俺がなんでもするから良い気になって、深夜にあずきバーだけのパシリに使ってきたこともありましたよね!」
「ぐぅ、ご、ごへんなふぁい」
なんとか七海の手から逃れてべしょりと項垂れると、頭上から盛大な舌打ちがプレゼントされた。
「まったく……あ、はい、申し訳ありません、よろしくお願いします」
一瞬で落ち着いた声に切り替わった七海は、また玄関のほうに歩いて行った。
真っ白な原稿には、今回の見せ場であるキスシーンを描く予定だった。それを想像できなくなった原因は、半年前に遡る。
俺は目を閉じてため息をついた。
深夜12時。
ボツにした原稿が散らばる、狭くてボロい風呂なしアパート。
実家から持ち込んだちゃぶ台の上の、真っ白な原稿。
29歳、年齢イコール彼氏なし、貯金なし。
夏目爽は、正座をしたまま途方に暮れていた。
「はい、朝4時までには必ず……申し訳ありません……」
玄関からは、担当編集の七海碧が、印刷所に電話越しに頭を下げている声が聞こえる。いつもならときめく仕事モードの声も、いまは申し訳なさしか感じない。
「ちょっと夏目さん、手、止めないでくださいよ」
相手の保留中、普段の涼しげな目元からは想像できない形相で七海はリビングに戻ってきた。
苛立ったようにネクタイを片手で乱暴に解いた姿にキュンとしたのも束の間、それを放り投げた七海に「徹夜すれば間に合います。死ぬ気で描いてください」とむぎゅっと両頬を摘まれる。
「わかってますよね?いまが、夏目さんが売れる最後のチャンスなんですよ。あれだけ宣伝してもらった巻頭カラー落とすなんて、絶対にありえませんよね。この『木漏れ日の夢を見た』で売れっ子になって、アニメ化して実写化して、夢、叶えるんですよね!」
「らっへ(だって)……」
俺だって、できるならそうしたい。
ずっと鳴かず飛ばずの冴えない漫画家だった俺を、3年前、新入社員としてBL漫画雑誌編集部に配属された七海が見つけ出してくれた。
七海と二人、這いつくばりながら努力を続けて、ようやく掴んだ連載と巻頭カラーだった。
売れっ子になりたいのもそうだけど、本当は、俺の1番の読者でいてくれる七海を喜ばせたい。がっかりさせたくない。
苦しいほどそう思うのに、俺のペンはどうしても思うように動いてくれなかった。
感傷に浸っていると、頬を掴む手が強くなった。
「なに自分が一番悲しいみたいな顔してるんですか。この一か月、原稿に集中したいだとかなんとか言って、退勤後で疲労困憊の俺に料理やら洗濯やら身の回りのこと全部やらせて、ぬくぬくと引きこもってたのは誰ですか」
「ぐ」
「原稿のためって言えば俺がなんでもするから良い気になって、深夜にあずきバーだけのパシリに使ってきたこともありましたよね!」
「ぐぅ、ご、ごへんなふぁい」
なんとか七海の手から逃れてべしょりと項垂れると、頭上から盛大な舌打ちがプレゼントされた。
「まったく……あ、はい、申し訳ありません、よろしくお願いします」
一瞬で落ち着いた声に切り替わった七海は、また玄関のほうに歩いて行った。
真っ白な原稿には、今回の見せ場であるキスシーンを描く予定だった。それを想像できなくなった原因は、半年前に遡る。
俺は目を閉じてため息をついた。
