被写体は、きみひとり



 ーーそして、校外学習当日


 青く澄みきった空に、少しひんやりした朝の空気は、まさに、絶好の撮影日和だった。


 集合場所には、もうほとんどの生徒が集まっていて。でも、それ以上に俺のテンションは朝から天井知らずだった!!


 河川敷まで歩いて、その後は班で自由行動!! お昼に弁当を食べて、そのまま帰るという、ゆる~~いスケジュール!! これはもう、写真が撮り放題である!!


 首にカメラ、肩にレンズ入りのポーチ。気合い充分で、俺は仲間の輪の中へと足を踏み入れた。


 *


「おはよ~~っす!!」
「玲央はよー! って、なに撮影?!」
「やばっ!」
「うちらのこと撮ってよ、玲央!」
「もちろん!」


 目の前で繰り広げられる、にぎやかで明るい光景。カメラを構えながら、無邪気に笑う女子たちの声に応える玲央は、いつも以上にキラキラしていた。


 その姿を、少し離れた場所から黙って見つめる。玲央の、テンションが高くて、無防備で、一生懸命で……撮っている時の真剣な顔が、どうしようもなく可愛くて。


 好きだった。


(……僕以外も、撮るんだ)


 当たり前のことなのに、胸の奥にちくりとした痛みが走る。写真部の玲央は、誰にでもシャッターを向ける。特別なんかじゃない。分かってる、けど。


 どうしようもなく、もやもやした。


「今日はウォーキング楽しみ?!」
「楽しみじゃないでーす!」
「いい笑顔、可愛いよ!」
「も~~玲央、うまいんだから!」
「あはは」


 その笑顔を、自分だけに向けて欲しいなんて、ずるい願いだって分かってる。でも、玲央の笑顔を独り占めしたくて、気づけば、僕は玲央の方へと歩いていた。


「……おはよう、玲央」


 肩にそっと手を置くと、玲央が目をまるくして振り返った。


「えっ?! おはよう、翠!!」


 制服じゃなくて、白いTシャツとベージュのハーフパンツ。その姿が、いつもよりずっと、可愛く見えた。


「玲央、撮ったやつ送ってねー!」
「はーい!」


 女子たちに手を振る玲央に、また胸が引っかかる。目を伏せた瞬間、シャッター音が鳴った。


「今、撮らないで」
「なんで? 良いと思った翠は、全部残したい」
「…………」
「なんか怒ってる?」


 言葉が出なかった。というよりも、出したくなかった。ーー今、話したら、声が震えてしまいそうだったから。


「クラス委員だから、先生のところ行ってくるね」


 玲央の返事を聞かず、踵を返した。


 *


「……翠の、変なの」


 ぽつりと独り言が溢れる。翠が『おはよう』って言ってくれたの、多分、初めてだった。なのに、今日の翠は、いつもより表情がなくて。


 気づかないうちに何かしたんじゃないか、と不安になる。


 翠と会話がないまま、軽快なリズムでウォーキングが始まった。河川敷は、まだ残っていた桜が風に吹かれて、花びらをはらはらと舞わせていた。


「うわー、すげぇ! 写真映え、えぐない?!」
「成瀬! 俺も撮って~~!」
「篠原~~! 歩くの早ぇよ!!」


 仲間の声が飛び交う中、俺は少し離れた場所でカメラを構えていた。春の光。風の揺らぎ。翠の後ろ姿。そのすべてが、美しかった。


(逆光で輪郭がふわっとしてて……いい……!)


 脳内で考えた構図を思い描きながら、夢中でファインダーを覗き込む。


「校外学習最高だぁあぁああ!!」


 叫びながらシャッターを切っていた、ちょうどそのときだった。


「うわっ!」


 つま先が段差に引っかかり、バランスを崩した身体が前のめりに倒れ、地面へ膝を打ちつけた。


「……っいったぁ……」


 カメラだけは咄嗟に守ったものの、足にじわじわと鈍い痛みが広がる。


「玲央?! 大丈夫?!」
「ちょっと痛いけど、血は出てない……たぶん」
「歩ける?」
「……うん、多分」


 そう言ったけれど、実際は無理だった。立ち上がろうとした瞬間、足に鋭い痛みが走る。


「……っつ、やっぱ無理かも……」
「篠原~~! 成瀬、怪我したー!!」
「あ……」


 声が飛ぶと、翠が駆けてきて、俺の前にしゃがみ込んだ。ケンカをしてる訳でもないのに、なんだか、気まずくて、目線を逸らす。


「見せて。……擦りむいてる。血は出てないけど……」


 ハンカチでそっと土を払ってくれる指先が、妙に優しくて。なのに、朝のことが引っかかって、顔が見れなかった。


「先生、呼んでこようか」
「や、ちょっと待って! 大袈裟にしたくないし……」
「……じゃあ」


 翠は黙って、俺に背を向けた。そして、膝をついたまま背中を差し出した。


「……乗って。歩けないなら、僕が連れていく」
「えっ、ちょ、待っ、恥ずかっ……」
「じゃあ置いてく」
「乗ります乗ります!! 今、乗りますぅぅぅぅ!!!」


 カメラを抱えて慌てて背中にしがみつく。翠の背中は思ったよりも広くて、温かくて。これは、カメラのシャッター音じゃ、残せないものだと思った。


「それに僕、クラス委員だから」


 そっか。クラス委員だから、か。その言葉に、胸が少しだけ、痛くなった。


「……ありがとう、クラス委員さん」
「委員だからやってるわけじゃないよ。……玲央だから」


 翠の声が静かに響く。『玲央だから』その一言に頬が熱くなる。距離の近さと背中越しに伝わる翠の体温が、余計に鼓動を早くした。


「……あっ、う、えっと……お、重くない?!」
「思ったより軽かった」
「な、なにそれ!!」
「ねえ、玲央」
「うん?」


 ぴたりと翠の足が止まり、顔だけが横を向いた。しばらく黙って見つめ合う。


「玲央、顔真っ赤」
「なっ……! 暑いからだよ、ばぁか!!」
「ふふっ。……そうだ。玲央が言ってた『怒ってるの?』ってやつ。怒ってないからね?」
「えっ?」


 翠はまた前を向いて、歩き出し、空を見上げた。


「僕ね、今、すごくドキドキしてるんだ」
「……え?」
「玲央の全身が、背中から伝わってくるから」


 顔は見えない。でも、その背中越しに、翠の笑顔が見えたような気がしたーー。