屋上のベンチに、夕暮れが差し込んでいた。玲央は柵にもたれ、足を小さく揺らしていて。制服の裾が風にふわりと舞って、その横顔が、なんだかいつもより頼りなく見えた。
「……カメラ、持ってきた?」
「……ううん。今日は、持ってない」
小さく返された声は、どこか掠れ、風に揺れる髪が目にかかる。その様子が、やけに放っておけなくて、そっと、指先で前髪を払うと、玲央がはっとして目を見開いた。
「……撮ってよ、玲央」
「……え?」
ベンチから立ち上がり、玲央の正面に向き直る。そっとその頬に触れると、玲央の視線がすっと逸れた。
「僕のこと。今、ここで。撮ってよ」
玲央の睫毛が微かに震えた。その反応が、少しだけ胸に痛い。
「……まだ……自分の撮りたいものの『正解』がわからなくて……撮れない……」
苦しそうな声だった。でも、それでも言わないといけないと思った。
「正解なんか、いらないよ。玲央が好きだって思った景色が、玲央の『写真』でしょ?」
沈んでいた瞳が、ゆっくりとこちらを向き、目が合う。玲央の瞳に、自分の顔が映っている気がして、思わず息をのむ。
「僕が、撮ってほしい。だって、これは、玲央にしか、撮れないから」
言葉にすると、玲央の目が、じわりと潤んだ。震える手がポケットに入り、スマホを取り出す。躊躇いがちに構えたそのレンズは、多分、玲央が『いま』を映す唯一の手段だった。
「……今は、これしかないけど」
玲央が手を止める。その動きを見て、微笑んだ。
「構えて。ゆっくりでいい。僕のこと、好きなように撮って」
そう言って、少しだけ身体の角度を変える。玲央のために、いつもより笑ってみせた。
ーーカシャッ
一度、そしてもう一度。
その音が重なるたび、玲央の表情が少しずつ柔らかくなる。三度目のシャッターが切られたとき、玲央がスマホから顔を上げた。
「……撮れた」
その声は震えていたけれど、顔にはあの夏の夜のような、やわらかくて優しい笑みが浮かんでいた。
「……ありがとう、翠」
「……どういたしまして」
玲央の『好き』が、ようやく、かたちになった。それは、ほんの数枚の写真。でもきっと、その一枚一枚が、玲央にとっての最初の光だった。
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ーー放課後
窓際の夕日が、教室をじんわりと染めていた。黒板の前で、文化祭の出し物案を読み上げる。
「えっと、お化け屋敷、喫茶店、占いの館……あとは脱出ゲーム、って感じかな?」
わいわいと盛り上がる声が飛び交い、教室の空気は、久しぶりに軽かった。
でも、その中心にいるのは、やっぱり真鍋で。ああして笑っているけれど、また何か言い出すんじゃないかと、どこか胸がざわついた。
「いや、お化け屋敷って男子の戦力的に無理じゃね? 真鍋とか笑うだけで終わるし」
「おい! 俺の『うらめしや~~』はガチだからな? 心霊系YouTuberにスカウトされるかもだし」
「どんなスカウトだよ!!」
くだらない笑い声が続くなかで、玲央は自分の席で、小さく笑っていた。
あの一件のあと、少しずつだけどカメラにも触れるようになって、最近は屋上にも、笑顔を持ってきてくれるようになった。
……でも。
完全には戻っていないのが、分かる。鞄の奥に眠ったままの一眼レフ。愛機に触れられない手は、まだ、少しだけ震えている。そんな玲央の隣に腰を下ろして、声をかけた。
「……大丈夫?」
玲央は、ほんの少しだけ頷いた。
「うん、今は。……ありがと」
その声に、ほっとしながらも、どこか胸の奥がくすぐったくて。そのときだった。真鍋がいつもの『悪ノリ』をしながら、パチンと手を叩いた。
「はいはーい、ここでスペシャル提案です!! 男子が女装して、女子が男装する、『逆転喫茶』! どうよ、これ! 絶対話題になるって!」
「ええええ~~~~っ!?」
「真鍋それ、玲央に女装させたいだけでしょ!!」
「わかる~~!! ぜっっったい似合うもん!」
玲央はぽかんと口を開けたまま固まっていて。驚きとも戸惑いともつかない表情で、視線を揺らしていた。
「ちょっ……えっ……俺……?」
「だってさ、玲央ってさ、可愛い顔してんじゃん? 絶対制服のスカート似合うって! てか、写真部としてもネタになるしさ、文化祭に向けて『逆転撮影会』とかやったら客くるって!」
場の空気はさらに盛り上がり、あちこちから笑い声が上がる。けれどその騒がしさが、どこか耳障りに思えた。
まるで、玲央の気持ちなんて最初から存在していないみたいで、僕は笑えなかった。
玲央の『可愛い』を面白がるみたいに、勝手に盛り上がっていく空気の中心で、玲央が困ったように目を泳がせているのに、誰も気づいていない。
その様子を見ているだけで、じわじわと胸の奥がざらついていく。
(……本気でやらせるつもりなんだ)
「じゃあ、多数決とりまーす! やりたい人ー!」
勢いのまま、手が上がっていく。玲央は困った顔で俯いて、小さな声で答えた。
「……やります」
一瞬、ざわつきが止まった。
「え、マジ? 玲央やるの?!」
「だって……クラスで決まったことだし。……翠は……やらないの?」
僕の目を見て、玲央がそう訊ねる。決定権は、委員長である僕にあるのに、そんな言葉を投げかける玲央がずるいと思った。
「……僕も、やるよ」
玲央がうっすらと笑う。その笑顔に、僕の胸は、どうしようもなく締め付けられた。
みんなが、玲央の『可愛い』を笑う。女装させたがって、写真のネタにして、盛り上がって。
そして、今度は『作品』じゃなくて、『玲央そのもの』が、文化祭の『展示物』になろうとしている。
それが、どうしようもなく嫌だった。
……だけど、それでも。
玲央が笑うなら、僕はその隣に立つーー。
