期末考査が終わり、教室には、配られた答案用紙を見つめる生徒たちの溜め息が、あちこちで響いていた。
「見て見てっ、あたし今回英語89点!」
「っしゃ~~! 赤点逃れたぁ~~!!」
隣の席から嬉しそうな声があがる中、俺はおそるおそる自分の答案をめくった。
「……セーフ!!!! 赤点じゃなかった!!! 生きた!! 俺、生きた!! しかも目標の40点以上!!!」
思わず立ち上がってガッツポーズをする。教科ごとに一喜一憂してるクラスメイトたちと同じように見えて、自分の中ではまさに奇跡級の達成感だった。
机に突っ伏していた翠が、俺の声に反応して顔を上げる。
「……どうだったの」
「赤点じゃなかった! ほらっ、見て! ギリギリだけど、ちゃんと40点超えた!!」
そう言って答案を見せると、翠はピクリとも笑わず、しばらくじっと白く濁った目で俺を見つめた。
笑うでも呆れるでもなく、ただ数秒、見つめる視線がなんとなく怖くて、背筋がしゃんとする。
「……前回よりは良い、か……」
「え?」
「……53点って……」
「でも、赤点は回避したし……!」
必死にアピールするけれど、翠の表情は変わらなくて。翠は無言で答案をしまい、静かに椅子を引いて立ち上がった。慌ててその後を追う。
「お、怒らないの? 怒ってくれた方が俺、救われるんだけど……!」
「……あれだけ教えたのに、53点。教えた側として、泣きたくなる」
「でも、俺、ちゃんと40点以上取ったよ!! だから……その……」
ちらりと横顔を窺うと、翠の足が止まった。
「お祭り、一緒に行こうね?」
「……っ、やったぁあぁあ!! 夏休みぃぃぃ~~~~!!」
思わずその場でぴょんと跳ねる。翠はそんな俺を見て、やっと少しだけ笑った。
「……ん~~まあ、よくがんばりました」
ぽん、と頭に手が置かれる。その手のぬくもりが嬉しくて、頑張って良かったと思えた。
そして、長い戦いを終えた俺たちは、いよいよ夏休みに突入するーー。
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夏休みに入って、二週間と少し。容赦ない日差しに、手つかずの宿題。退屈すぎて、正直、干からびそうだった。
でも今日は、夏祭り!! 久しぶりに翠に会える!! それだけで、世界がちょっと違って見える気がした。
「……写真撮りたいな」
俺はまだ、文化祭の展示に使う、決定的な一枚が撮れていなかった。最近は、レンズを覗いている時間より、翠を見てる時間の方が長かった気がする。
「……しっかりしなきゃ」
階段を降りて、リビングへ入った瞬間ーー思わぬ人物の姿に、ぎょっとした。
「……成瀬リト?!」
「父親をフルネームで呼ぶな」
一ヶ月ぶりに出張から戻ってきた父が、なぜか藍色の浴衣を手に持ち、満面の笑みで仁王立ちしていた。やばい! これは絶対ろくなことにならないやつ!!
「な、なに?!」
「久しぶりだなぁ、我が息子~~!! 大好きだぞぉ、愛してるぞぉ~~!!」
「ばっ!! や、やめろっ、きもいっ!! ちょ、あっ、うざいっ!! 離れろってば!!」
いきなり抱きつき、頬にキスまでかましてくる父を、全力で押し返す。17歳男子として、本気で無理……!!
「ちょっ、ん、もぉっ!! やめろって!! ほんっと、無理っ!!」
かあっと顔が熱くなり、耳の裏までじんじんする。ジタバタと父の腕を振り払う。
「なんだ? 思春期か? 玲央?」
「ちげーし!! てか、もう終わったしっ!! それとこれとは別だし!!」
ほんとやめてほしい! ご近所に見られたら終わる! 死ぬ! 転校するしかない!! 頭を抱えていると、目の前に、ぷらんと藍色の浴衣が差し出された。
父親から感じる、『着せたい圧』が強すぎて、一歩後ずさる。
「玲央、お土産だ。着ろ。サイズもピッタリだぞ!」
「い、要らない!」
「なんでぇ? 今日は祭りだろ? ほら、帯は俺が締めたる!」
「い、いいってば!!」
逃げようとしても、がっちりホールドされて、無理やり袖を通される。帯まできっちり締められた時には、もう諦めの境地だった。
「男子が浴衣ってだけで、女子の視線はぜっったい集まる! モテるぞぉ~~玲央!」
「そ、そーいう目的じゃないしっ!!」
「……まさか、デートか玲央……?!」
「ち、ちがっ……! ちがうっ!!」
思考が追いつかない。口が勝手に動いて、否定するだけで精一杯で。それでも、頬の熱はじわじわと広がっていく。
「なら余計に着とけ! 浴衣はなぁ、男の勝負服なんだよ!」
「なにそれ……意味わかんない……!!」
気づけば、もう待ち合わせの時間が迫っていた。慌ただしく玄関へ向かう。下駄を履こうとした瞬間、ぐいっと後ろから抱き寄せられた。
「……なあ、デートなんだろ? 玲央~~?」
一瞬、息が詰まった。振り返るより早く、顔が真っ赤に染まり、バッと背ける。首の後ろまで熱くて、自分でも赤くなっているのが分かった。
「ち、ちがうわ!!! ばかっ!!」
「……お前、ほんと、かわいいなぁ」
父は笑いをこらえるように口元を押さえながら、満足そうに扇子をぱたぱたとあおいだ。
「う、うるさいっ!! 見んなっ!! もうっ、行く!!」
下駄の音を派手に響かせながら、俺は全力で玄関を飛び出した。
(……あれは、絶対デートだな)
そんなことを嬉しそうに思いながら、扇子をあおぐ父の後ろ姿に、夏の夜風が静かに通り抜けた。
