ーー翌朝
スマホのアラームが鳴る前に、目はとうに覚めていた。というか、全く眠れなかった。
(……無理、だった……!!!)
隣にいる翠のせいで、一晩中、ドキドキしっぱなしで、何度寝返りを打っても、腰に回された腕の感触だけは、体温ごと焼き付いたまま離れてはくれなかった。
『キスしていい?』って聞きながら、『だめ』って断っても、キスしてくるとか、反則すぎる!!!
(……もう、レッドカードを通り越している!!)
重力を引きずるみたいに体を起こして、隣を見る。翠は、布団中で信じられないほど安らかな寝顔で寝ていた。こっちは寝不足なのに、めちゃくちゃ爽やかな顔して寝てやがる!!
……なんか、むかつく!!!!
思わず、翠の掛け布団をバッと剥ぎ取って、腰の上に跨る。ひやっとする肌に、こちらの体温が伝わるのがわかった。
「お~~はようございまぁああぁす!!! 委員長ぉおぉお!!!」
翠の瞼がうっすら持ち上がり、寝ぼけまなこのまま、迷惑そうに目を細めた。
「……うるさ……」
「あ、起きた? おはよ!」
「……おはよ……って、ちょ、玲央っ、なに乗ってーー!」
「うん? 翠の顔、見たくて。てか、翠、なんか当たーー」
言った瞬間、翠の顔が真っ赤に染まった。思わず、どうして赤面? と首を傾げて、翠の腹に手を添えながら顔を覗き込む。
そのとき、翠の肩が、びくん、と震えた。
「今すぐ……降りろっ!!!」
「ぎゃあぁあああ!!!」
両脇腹を容赦なく掴まれて、どさっと布団に押し倒された。寝起きのはずなのに、冴えた目が俺を見つめる。顎を掴まれ、至近距離で黒く笑うその顔は、なにかを企んでいる顔そのものだった。
「……玲央。修学旅行終わったら、期末テストだね」
「……へ?」
「僕が教えてるのに、40点とか……絶対、許さないから」
「はあぁぁぁあああ?!?!」
「……僕の上に乗ったこと、いっぱい後悔して」
それだけで?!?! なにその執念深い仕返し!! 怖すぎるんだけど!! 混乱しているうちに、翠はさっと立ち上がり、制服に着替え始めた。
その後ろ姿に、なんとなく目を逸らして、俺も黙って着替える。期末テストは地獄だけど、デートの約束ができたのは、正直、ちょっと嬉しかった。
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今日は修学旅行最終日。旅館をチェックアウトしてから、午前中にもう一か所だけ観光する予定だ。
バスに荷物を預けて、手には最小限の荷物だけを持ち、まだ眠たい目をこすりながら、俺たちは最後の観光地に向かった。
到着と同時に、クラスメイトたちのテンションは一気に最高潮で。写真を撮り合ったり、アイスを買ったり、自由行動のエリアはどこもかしこも賑やかだった。
気づけば俺と翠は、自然に、ふたりで歩いていた。いや、『自然』なんて簡単な言葉では済ませられない。昨晩のことが脳裏を過ぎるたび、歩幅ひとつにもドキドキしてしまう。
いつも通りの会話すら、心拍数が上がる。俺だけ、空気が熱い。そんな中、ふいに翠がクラスメイトたちから少しだけ距離をとって、俺の手にそっと指先を絡めてきた。
「あ……」
「……やだ?」
「ううん。や、じゃない」
小さく手を握り返すと、翠がわずかに目を細めて、口角を上げた。それだけなのに、心臓が跳ねる。繋いだ手の温度が、まるで体の奥まで入り込んできたみたいだった。
しばらく歩いて、土産物屋に立ち寄る。翠がふと、店先のキーホルダーに手を伸ばした。
「これ、玲央に似合いそう」
「えっ、俺に?」
「うん。……この色、前に玲央が撮ってた空と似てるから」
差し出されたのは、和風モチーフの、小さなカメラのストラップで。言われて見れば、確かに、あの日の写真とそっくりな青だった。
翠は、それ以上何も言わず、少し照れたように、視線を逸らした。その顔が、ズルいくらい可愛くて、思わず笑ってしまう。
「じゃあ……翠も、これにしようよ」
隣の棚にあった、同じシリーズの色違いを手に取って、渡すと、翠がきょとんとした顔でそれを受け取った。
「お揃いだね」
「えっ……」
翠がちょっとだけ笑って、無言でレジへ向かう。翠に言われて、あとから気づき、じわじわと恥ずかしくなった。
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最後の観光を終えて、バスに戻る。土産袋を手にしたクラスメイトたちはまだ余韻に浸っていて。けれど、どこか『旅の終わり』を感じさせる静けさが漂っていた。
玲央と並んで、バスの座席に腰を下ろす。隣で小さくあくびをして、ぐったりと背もたれに体を預ける玲央の姿に、自然と目が引き寄せられた。
(……昨日、全然眠れてないって言ってたっけ)
緩く着崩された制服の襟元。無造作に落ちた前髪のすき間から覗く大きな瞳。ふわふわの髪が、少し乱れている。その髪に、昨夜、自分の指が触れたことを思い出して、思わず息を呑む。
(……だめだ。思い出すだけで、頭おかしくなりそう)
木陰で、そっと唇を重ねたこと。浴衣の隙間から覗いた鎖骨のあたたかさ。布団の中で確かめた、玲央の細くて柔らかい腰の感触。
潤んだ眼差しに、震える吐息。息を詰めるように目を逸らしながら、それでも逃げない、玲央の顔。
(……あんなふうに、触れられるなんて思ってなかった)
たった一晩なのに、もうあの距離が恋しくて。思い出すたび、胸の奥がざわつく。ふと隣を見ると、玲央がこてんと肩に頭を預けてきた。その重みに、また、心臓が跳ねる。
「………っ」
柔らかな髪が頬にかすかに触れて、吐息が、首筋の近くに落ちてくる。ダメだって。わかっているのに、たったそれだけの接触で、背中にじんわり熱が広がっていく。
(……これは、反則だよ。玲央……)
玲央の体温が、ゆっくりと僕に移ってくる。肩越しに感じる重みも、さっきまでよりずっと近い。
思わず、視線を落とした。シャツの隙間から、かすかに見える鎖骨にうっかり目を奪われて、慌てて顔を逸らす。
(……見えた。ていうか、違うのも……)
耳まで熱くなって、息が詰まる。玲央のそういうところ、無自覚すぎてずるい。その無防備さに、いつだって僕の理性は簡単に軋む。
玲央のこんな顔、きっと、僕しか知らない。教室で見せる玲央とは、まるで別人みたいに甘えた横顔で。寝息の音すら、少しくすぐったくて、耳に心地良かった。
バスは空港へと向かい、窓の外には、少しずつ見慣れた景色が戻ってきている。でも、この肩に感じる重みだけは、まだ夢の中みたいだった。
(……この時間が、もう少しだけ長く続いたらいいのに)
そう願ってしまう僕は、きっとズルくて。でもそのズルさすら、玲央にだけは許されたいと思ってしまう自分がいたーー。
