被写体は、きみひとり



 人混みの向こうで、さっきまでのことなんてなかったみたいに、穏やかな表情で、玲央があの子と一緒に笑っていた。


 ……それが、余計に、胸に刺さった。


(僕は、ほんとバカだ……)


 一度、この場から遠ざかったはずなのに、足が縫いつけられているみたいに、また戻ってきてしまった。でも、影から玲央を目で追いながら、ただ、見ていることしかできなかった。


 こんなふうに見つめてしまう僕に、玲央のことを『ストーカー』だ、なんて言う資格はない。


 真鍋に抱き寄せられる玲央を見た瞬間から、言葉にできない感情が胸に渦巻いている。苦しくて、苦しくて……もう、隠してなんかいられない。


(逃げてばかりじゃ、変わらない)


 つむぎちゃんと母親が去っていくのを確認してから、大きく息を吸った。強く握った拳をぶら下げたまま、ゆっくりと歩き出す。


「……玲央」


 声をかけると、玲央が驚いたように振り返った。汗ばんだ前髪の隙間から、大きな瞳がこちらを覗く。ぱちぱちと瞬きながら、まるで夢でも見ているみたいに僕を見た。


「……翠? よかった、迷子の子……無事にーー」
「それ、後で聞く」


 玲央の言葉を遮って、僕は真っ直ぐにその目を見据えた。一歩、また一歩と近づいていくと、玲央が無意識のうちに後ずさる。けれど、視線は外さなかった。


「さっきは……ごめん。急に、困らせるようなこと言って」
「えっ、いや、あの、俺の方こそ、言い方がーー」
「でもね」


 玲央の声をやわらかく押し留めて、微かに笑った。


「僕さ、もう気づいてるんだ。自分の気持ちに」
「……気持ち?」
「玲央のこと、好きだよ。たぶん、前からずっと。……ずっとずっと、好きだった」
「………っ!」


 玲央の瞳が見開かれ、頬があっという間に赤く染まる。耳まで真っ赤になって、目を泳がせても、僕から逃げ出す気配はなかった。ちゃんと、受け止めようとしてくれている。


「友達として、じゃない。僕は、玲央と恋人になりたい」
「……っ……なに急に……ずるいよ、そんなの……っ」


 玲央が小さな声で呟いて、僕の制服の裾をぎゅっと掴んだ。その力に、迷いが滲んでいるけれどーーそれでも、手は離れなかった。


「……そんな顔で、そんなこと言われたら……俺、もう……無理だよ」
「無理って、何が?」
「友達、やめるしかないじゃん……!」


 ぽつりと零したその言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。けれど、それ以上に嬉しくて、口元が綻んだ。


「じゃあ、やめよっか。友達」
「……え?」
「僕と付き合ってよ、玲央」
「ぁああぁっ、え、あっ、う~~~っ」


 玲央が顔を真っ赤にしてしゃがみ込み、膝に顔を埋めた。その様子に思わず笑いながら、僕もしゃがみ込んで、そっと髪に手を伸ばす。


「付き合ってくれるの? くれないの?」
「~~~っ、……お、お願いします……」


 玲央が顔を上げ、こくんと小さく頷き、はにかむような笑顔を溢した。さっきまで見ていた景色や、どんな風景よりも、その笑顔は綺麗だった。


「……やっと、笑ってくれた」
「へ?」


 照れ隠しなのか、口元を覆う玲央の手を、優しく取って自分の手と繋ぐ。指を絡めたまま、そっと玲央の耳元に唇を寄せた。


「これからはさ。友達じゃできないこと、いっぱいしようね?」


 甘い声で囁くと、玲央の肩がびくんと跳ねた。


「なっ、なななっ、なに、なにを?! えっ、ちょ、翠って、そんな感じなの?!」
「玲央が僕のこと、知らなかっただけじゃないの?」
「えっ……?!」


 玲央が顔を赤く染めて固まる。その姿が愛おしくてたまらなくて。繋いだ手をぎゅっと握りしめたまま、今度はゆっくりと顔を近づけると、玲央が一瞬で目を閉じた。


「……可愛い」


 そっと、唇を重ねる。触れるだけの、やさしいキス。それなのに、胸の奥が、身体の内側が、熱を帯びて、それ以上が欲しくなる。


 唇を離すと、玲央は赤面したまま、僕の制服の裾を強く握りしめていた。


「~~~~っ……」
「……もっとしたいんだけど」
「だ、だめ!! もうだめ!!」


 真っ赤になって叫ぶ玲央が可愛くて、笑みが溢れる。指をもう一度しっかりと絡めると、玲央は何も言わずに、でもきちんと握り返してくれた。


「写真、撮ったんでしょ? 僕にも見せて」
「えっ?! う、うん!! あのね、まずね、貝殻を集めてね~~」


 白い砂浜に並んで座り、玲央のカメラの画面を覗き込む。


 玲央の楽しげな声と、寄せては返す波の音、そして、あたたかな陽射し。その全てが、今この瞬間にしかないもののようで、胸がふわりと満たされる。


 きっと、これが僕たちの『始まり』で。


 触れた手のぬくもりも、ふと重なった笑い声も、音のないシャッターが、そっと胸の奥を切り取っていく。


 ーーいつのまにか、僕たちにとって、忘れられない一枚になっていた。