残された俺は、その場に立ち尽くしていた。本当は、ただ一緒に迷子のママを探したかっただけなのに、胸の奥で渦巻くのは、やるせなさと、言葉にできない感情だった。
小さな手を握りしめて、辺りを見回す。
「……ママ、どこかなぁ~~?」
商店街の端まで来て見渡すけれど、それらしい人の姿は見つからない。観光客でごった返す中、大人も子どもも入り混じって、誰が誰の親なのかも分からない。
焦りながらも人波を掻き分けていると、不意に背後から肩をぽんと叩かれた。
「……誰? その子」
振り返ると、そこには真鍋がいた。苦手な相手だけど、それでもこの状況で『知っている誰か』に出会えたことに、思わず安堵してしまう。
「えっと……迷子、かな」
「へえ、大変だね」
けれど、彼が一緒に探そうという気配はなくて。それが少し残念で、目を伏せる。真鍋は俺の顔を覗き込むようにして、勝手に歩幅を合わせてきた。
「なんか揉めたっぽいじゃん? 翠と」
「……別に。揉めたっていうか……すれ違っただけ」
「ふ~~ん?」
曖昧な笑みを浮かべながら、ポケットに手を突っ込んで、真鍋が気怠そうな口調で続けた。
「お前さ、そうやって、すぐ言葉飲み込むよな。疲れないの?」
その言葉に、胸がちくりと痛む。でも、すぐに反論できなかった。
「……そんなこと……ない」
小さな声で否定した、その瞬間だった。不意に真鍋の腕が伸びてきて、ぐっと俺を抱き寄せた。強引な動きに抵抗する間もなく、真鍋の体温が近づく。
「じゃあ、俺がお前のこと、一番分かってやるよ」
「っ、な……!」
「ほら、こうしてると、疲れも飛ぶだろ?」
低く囁かれる声が、耳元でいやらしく響き、心臓がバクバクと暴れ出す。咄嗟に体を捩るが、思うように逃れられない。
「や、やめろって……!」
震える声で訴えても、真鍋はどこか愉快そうに笑った。
「ん? やめてほしいなら、ちゃんと拒否しろよ。昨夜もそうだったけど、『拒否しない=OK』って、そう解釈されても仕方ないよなぁ?」
顔が近い。息がかかる距離で、嫌悪と恐怖が綯い交ぜになって、全身へ冷たい汗が滲む。真鍋の腕を振りほどこうとした、その時だった。
視線を感じ、はっとして顔を上げると、人混みの向こうの翠と目が合った。翠は、信じられない、というように目を見開いて、口元が微かに開いた。
「……翠っ、違、これは……!」
言い訳が喉まで出かける。でも、うまく言葉に出来ず、衝動のまま、真鍋を片手で突き飛ばした。けれど、もう遅くて。翠は何も言わずに、静かに背を向け、その場を離れていった。
追いかけたい。けど、つむぎちゃんの手を離すことはできない。人混みに消えていく翠の背中を、ただ見送ることしかできなかった。
「ふぇええん……!!」
「えっ?!」
状況を察したのか、つむぎちゃんが泣き出して、慌ててしゃがみ込む。ポケットからハンカチを取り出して、涙を拭っても、嗚咽は止まらなかった。後ろから、乾いた舌打ちが響く。
「……ガキはうるせぇから嫌いだ」
その言葉が背中に突き刺さる。真鍋の態度も、さっきの行動も、全部、最低だった。唇を噛みしめながら、拳をぎゅっと握りしめる。
つむぎちゃんの震える肩を優しく撫でながら、心を静めるように呼吸を整えた。
「うっ……うっ……ふぇえええん……」
それでもつむぎちゃんは、泣き止まなくて。視線を落とすと、首から下げたカメラが揺れていた。
俺には、これしかない。
ふと空を仰ぐと、朝、曇っていた空はすっかり晴れていた。このまま歩けば、すぐそこに砂浜がある。そっと、つむぎちゃんに視線を合わせて、笑いかけた。
「見て? これ、カメラ。写真が撮れるんだよ」
「……しゃしん……? アイドルになれるの?」
「ふふ。そんなふうにも撮れるよ。なってみる? アイドル」
「なるっ!」
ぱぁあっと笑顔の花が咲く。小さな手が、俺の手をぎゅっと握り返した。
二人で歩き出すと、目の前にはきらめく海が広がっていて。太陽は高く昇り、雲ひとつない空はどこまでも澄み渡っていた。砂浜は白く、波が光を反射して、眩しいほどだった。
つむぎちゃんは両手いっぱいに貝殻を集めながら、何度もこちらを振り返り、笑ってくれた。その笑顔を逃さず、シャッターを切る。
「いっぱい拾ったね! すごいなぁ!」
「あのね! ママにみせるの!」
「きっと、喜ぶよ!」
カメラを構えて声をかけると、つむぎちゃんは、嬉しそうに笑って、アイドルみたいにくるりと回った。
「ーーつむぎ!!」
背後から、切迫した声が響いた。振り返ると、花柄のワンピースを揺らしながら、一人の女性がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。息を切らし、顔には明らかな動揺が浮かんでいる。
「ママ……!」
つむぎちゃんが小さく呟き、ぱたぱたと駆け出すと、その腕の中に飛び込むようにして、ぎゅっと抱きついた。
「……よかった、無事で……!」
女性は娘を強く抱きしめたまま、こちらに顔を向け、涙を滲ませながら、深々と頭を下げた。
「……ありがとうございます、本当に……!」
その姿を見て、自然とシャッターを押していた。胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「いえ……なんだか、連れ回してしまって……」
「そんな! 見ててくださって、ありがとうございました……」
「ママ!! みて! かいがらひろったの! しゃしんもとったよ!」
「ほんとだ、すごいねぇ……!」
つむぎちゃんがカメラを覗き込み、きらきらした目で母親に話しかける。俺は母親のスマホにデータを送りながら、ようやくひと息ついた。
「また、会えたら……写真、撮らせてね」
「うんっ! おにいちゃん、ありがと~~!!」
手を繋いだ親子が何度も頭を下げて、商店街の方へ歩いていった。静かになった海辺の潮風がそっと頬を撫でていく。
さっきまで泣いていた子が、今は笑っている。それだけで、少し、胸の痛みも和らいだ気がした。
