水族館であいましょう

 20⬛︎⬛︎/6/18.
 天気:雨/風速:10m/s
 場所:キョートフ.エリア4.診療所

 :佐野涼太
――

 あれから定期的に診療所に通うことになり、早いものでもう梅雨の時期に突入した。
 屋根に雨粒が弾け飛ぶ音が、絶えず室内に降り注いでいる。

 そんな診療所の一室。
 佐野は目の前の楠見をじっと見下ろしていた。

 楠見の手には、佐野が城戸に話した内容を記録したカセットテープが握られている。耳につけたイヤホンのコードが、ちいさな長方形の機械に繋がっている。
 机の上にはカルテが散らばっており、何をしていたのかは一目瞭然だった。

「なにしてんだ……お前 」

「……調べてた 」

「俺のことをか 」

「うん、そう 」

 テープの再生を止め、イヤホンを外した楠見の肩を容赦なく掴む。

 嫌な記憶が蓋を開け、濁流のように溢れ出してくる。酷く痛む頭を、歯を食いしばって誤魔化した。

「なんの為にだ?なあ?お前はまた……!」

「裏切ってない 」

 裏切る相手もいない、と楠見は淡々と続ける。
 ぽちゃん、とどこかで水が跳ねる音がした。
 時間が止まったような感覚に突き落とされ、佐野は一瞬、呼吸すらも忘れた。心臓も動きを止めたような、そんな錯覚をする。

「お前……覚えてるのか?」

「……多分 」

 細い指先がスツールを指し、佐野は大人しく腰を下ろした。
 楠見は多分、と言った。自分の記憶に自信がないのか、それとも佐野を――原田左之助のことを警戒しているのか……。どっちにしろ、佐野は目の前の少年と話をすべきだと判断した。

「で、覚えてるんだな?楠小十郎のこと 」

「……断言、できない 」

「それは曖昧だからか?非現実的だからか?」

「都合、よすぎる、から 」

 散らばっていたカルテの一枚をペラリと佐野にも見えるようにテーブルに広げる。それは先日、佐野が城戸に答えたカウンセリングという名の情報提供の記述だった。
 次にスマートフォンを手繰り寄せ、楠見はカルテの隣に置く。画面には、歴史人物のエピソードを紹介するサイトが映し出されていた。

「あとは……話の内容、全部ネット、載ってるから 」

「……?そりゃあ載ってんだろ 」

 なにが不自然なのかと問いただすと、楠見はふるふると首を振る。

「それ以外、話してない 」

「は?」

「思い出話、全部ネットで知れるものだけ、なんて変 」

 静まり返った部屋に、雨音が響く。
 背筋に冷たい汗が流れ、佐野は指先でカルテとスマートフォンを掴み、内容を見比べる。
 比べる度に心臓が速くなり、まさかと他の記録も見比べた。
 
 楠見の言う通りだった。
 サイトに書かれてあることと同じ内容のみ語られ、それ以外は一言も話していない。どの日も同じ。
 つまり佐野は、何度も何度も同じ話を繰り返し話していたのだ。
 加えて、今までの話も一切していない。関連して出てくる話は、どれもこれも古書店で働き始めた四月からのことだけで、この街に来る前のことも、幼少期の話も、話していない。

 そもそも、四月以前の記憶が酷く曖昧で、これといったエピソードがなにもないのだ。
 高校を卒業し、大学に通うためにこの街に来て、卒業して、たまたま親しくなった古書店の店主に雇ってもらって……と大まかなことはわかるのに、細々としたこと、日々のなんて事ないエピソードがまるですっぽり抜け落ちたように思い出せない。
 まるで最初からなにもなかったようで……
 
 途端に襲ってきた吐き気を堪えるように、口元に手を当てる。気持ち悪い。身体中の血が一気に引いていく。寒気がして、首筋をゾワゾワと嫌な感覚が駆け抜けた。

「……こんな、こと」
 
「ね?覚えてる、なんて言えない 」

「そう、だな……」

 深く深く息を吐き、務めて冷静であろうとするが、なかなか上手くいかない。指先が震え、落とさないようにスマートフォンをテーブルに置き直した。

「……佐野さん 」

「……どうした 」

 真面目な、どこか真剣な、慎重に言葉を選んでいるように、楠見は佐野を見つめる。
 一度小さく深呼吸をして、重大な決断を下すように、丁寧に口を開いた。

「水族館、行こ 」

「…………は?」