天気:晴れ/風速:8m/s
場所:キョートフ.エリア4.路地
:佐野涼太
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仕事を終わらせ、すっかり日も落ちた偽物の街を、白い息を吐きながら歩く。
さっきまで降っていた雪は、もうすっかり止んでいた。
賑やかな人の営みの音は、やっぱり偽物とは思えない。この世界で生きていても、虚しさを感じることは今の所なさそうだと、頭の片隅で考えてしまう。
骨身に染みる寒さに、思わずマフラーに顔を埋め、少し猫背気味に歩く。
帰路につきながらも、頭によぎるのは楠見のこと。
あの日、泣き疲れた顔をしながらも、どこかスッキリとした様子だった。が、あれからなんの連絡もない。
なにかを決意してしまったような顔に、一抹の不安がよぎるも、それでも楠見を診療所へ帰した。
帰してよかったのか。
一緒にいた方が良かったのではないか。
胸の中に燻る、もやもやとした形容しがたい違和感に、寒さとは違う意味で眉が寄る。
アパートの前に来た時、自分の部屋のドアの前で座り込む人影があった。
警戒しながら階段をあがり、そっと廊下を覗き込むと、見覚えのあるコートが見えて、はぁと安堵の息を吐く。
佐野の気配に気がついたのか、人影がパッと顔を上げ、愛らしく笑う。
「おかえり、涼太さん 」
「……ただいま、悠生 」
学ランの上からコートを羽織り、白いマフラーを巻いた姿は、なんだか新鮮だった。
雪でしっとりとした髪に、寒さのせいか赤くなった鼻先と、血の気の悪い唇が目に入り、急いで部屋の鍵を開ける。
「はやく入れ。風邪ひくだろ 」
「ううん、入りません 」
小さく首を振る楠見に、佐野は顔を顰める。
「デートのお誘いに来たので 」
「……今からか?」
「はい、今から 」
どこか優しく笑う楠見に、佐野の不信感と嫌な予感が募っていく。胸に燻っていた違和感が、酷くなっていく。
「どこ行く気だよ 」
階段に向かっていた小さな背中が立ち止まった。ぱっと振り返った柔らかい頬が、優しく綻ぶ。
街の灯りが反射して、青白い水面のように見えた。
「水族館、行こ 」
△▼
楠見に連れられるまま辿り着いたのはいつもの廃墟ではなく、エリア4にある、小さな水族館だった。
閉館まじかの館内に人の姿はない。
元々三階建ての雑多ビルだったものを改修してできたのだと、パンフレットには書かれていた。
会話もないまま、アクアリウムのような水槽達を眺めて歩いた。
「行き止まりでいいって、思っていました 」
佐野の顔を見ずに、楠見はなんて事ないように呟いた。今日の天気を話すような、明日の予定を確認するような、そんな気軽な声で、一言。
表情が見えないせいで、どんな顔をしているかはわからない。偽りの記憶の中の縁側に座っていた時のように、原田左之助にしていたように、佐野に背を向けていた。
青白い光が楠見を照らし、ゆらゆらと揺れる輪郭が綺麗で、寂しげで、悲しそうに見えて、手を繋いでやりたいのに、そこへ踏み込むのを躊躇ってしまう。それ程までに傷つきやすく、脆く感じて、結局佐野は黙り込んでしまう。
「二週間 」
「え?」
「先はないと確信するまでの時間です。浪士組は近いうちに潰れると…… 」
ふわふわと漂う海月を見つめる楠見の横顔は優しげで、ついうっかり見惚れてしまう。
「師匠が言っていたんです。考え方が一つだけで、盲目的で盲信的で、他の意見や考えを受け入れ、ある程度許容出来ないものは、自滅するって。だから、この組織はもしかしたらって、思ってたんですよね。
ただ行く宛てがなくて、帰る場所もなくて。それに、故郷がなくなった時、僕は師匠達と一緒には逝かせては貰えなかった。それが、凄く苦しくて……だから、原田先生達がいるなら、行き止まりでもいいかなって 」
悲観的でもない、苦しそうでもない。ただぼんやりと、微睡むような横顔を見ていると、今この瞬間が夢かなにかなのではと錯覚しそうになる。
「でも、桂さんと出会って、もしかしたら、この人なら……行き止まりから助けてくれるかもしれないって、原田先生達が死ななくてもいいかもしれないって、思ったんですよね……それで、僕は…… 」
その先は言葉にならず、どこか苦しそうに微笑む幼い目が、微かにこちらを見上げているだけだった。
「浪士組……新選組は、リーダーがあの人たちだったのが、問題だったのかも知れません 」
「……そうだな。俺達は、向いていなかった 」
組織を動かす力を、持ち合わせていなかった。
自分達に、あの人……近藤勇には、きっとなにかが欠けていた。それは一つだけだったかもしれない。いくつかあったのかもしれない。
もうそれは定かではないし、正しいとは言えないこの記憶を頼りにすることはできない。
それでも……――
「それでも、俺はあの人達と生きたことを、後悔なんかしてねぇ 」
「それでいいと思いますよ 」
ふわりと振り返った楠見の表情は、驚くほど穏やかで――
『原田先生 』
あの日の縁側にいたあいつと同じ顔で。あどけなく優しい目で佐野を見つめている。
青い水面の光が、消えそうな輪郭を照らす。
「僕も、後悔していません。先生……桂さんに情報を渡したことを、悔いたことはありません 」
「それでいいだろ、べつに 」
下手くそな顔で、楠見は笑う。
泣くのを我慢して、堪えて、誤魔化して、それが少し上手くいかなかったような顔で。
「でも、だから、今度は……今度こそは、最後まであなたについて行きたいです 」
そう言って、上着のポケットから錠剤が二つ入った瓶を取り出した。
佐野と楠見の二人分。この世界で生きる生き物を消滅させる薬の粒。
「僕はどっちでも後悔しません。どちらでも構わないんです 」
星空の中のような水槽を背に、楠見は佐野を見上げる。
「今も昔も、原田先生のことも、涼太さんのことも、大好きです 」
透き通った黒曜石に真っ直ぐ見つめられ、佐野はようやくあぁ、と息を吐いた。
どうして自分が罪悪感を抱いたのか。どうして原田左之助が自己嫌悪を抱いたのか。
それをたった今、理解した。
本当は、なにか理由があると気がついていた。
人を斬り殺す才能があるが故に、他者を傷つけることを避けようと思考を凝らしていた楠小十郎が嘘をつき、人を騙し、裏切り、捨てるだなんて、簡単なことではないと。
並々ならぬ覚悟や、そこに至るまで……至ってしまうまでの経緯があると知りながら、あの日、命令に従い、話を聞き出すこともせず、抵抗させてやることもせず、一方的に斬り殺したこと。
それを、ずっとずっと悔いていた。
少しでも話を聞いていればと、あの幼い剣士の姿を思い出す度に悔やんでいた。
「……お前は、いつも人の目を真っ直ぐ見るな 」
「そう、ですか?」
楠は目を逸らすなんてことはしなかった。逸らしてしまったのは原田の方。
だから、佐野は楠見の目を真っ直ぐ見つめ返す。
「ふたつにひとつです。この世界で生きるか、拒絶して消滅するか 」
もう間違いたくない。
「選んでください 」
もうあの日のように、悔やんでばかりはごめんだった。
「あなたがね 」
――…………
「悠生……いや、小十郎 」
「はい 」
「最期まで、ついてきてくれ 」
「もちろんです。最期まで、一緒です 」
背中を押すように微笑んだ楠見に、佐野は瓶を握りしめ……――

