水族館であいましょう


 天気:雨/風速:11m/s
 場所:キョートフ.エリア4.佐野涼太、自宅

 :佐野涼太
――

 あれから一週間以上経ったが、楠見とどう顔を合わせればいいかがわからないまま、もだもだと日々を過ごしていた。
 年も明け、三が日も終わり、とうとう診療所に行く日が明日に迫っていた。どうしたものかと本格的に頭を悩ませていたが、解決策なんてひとつも思いつくことは出来ないままだ。
 
 未だ整理のつかない頭を抱えて仕事から帰り、そのまま倒れ込むようにベッドに寝転んだ。柔らかいシーツと、暖かい毛布の肌触りに、どんどん瞼が落ちていく。

 それは最初、耳鳴りのような、夢の中で鳴っている音のような、酷く曖昧なものに感じた。
 が、何度も何度も繰り返されていくうちに、それがチャイムが鳴っている音だと気が付き、佐野は目を開けた。

 荷物を頼んだ覚えはないし、時計を見ると深夜を差していた。
 こんな非常識な時間に、いったい誰が……。

 
 恐る恐るドアスコープを覗き込むと、そこに立っていたのは藤原だった。雨の中、不安げな顔で立っている彼女(彼?)に首を傾げながらドアを開ける。

「近藤さん……?こんな時間にどうかしたんですか?」

「左之助、悠生は来ていないか?」

 開口一番にそう聞かれ、胸にざわりと嫌な予感が走った。死損ねの直感とも言うべきか、首の裏にザワザワとしたものが集まってくる。

「……悠生になにかあったんですね 」

「…………二日前から、診療所に帰ってきていないんだ 」

 
 △▼


 藤原の車に乗りこみ、佐野はスマホの地図アプリを開く。楠見の行きそうな場所を片っ端から伝え、背もたれに体重を預けた。

「なんで工事現場とかばっかりに集中してるんだあの子は……!」

「人と関わるのが苦手だって言ってました。だから多分、人気のないところを好むんじゃねぇかと 」

「道も狭いとこばっかりだ……!!あーもう!!」

 バンっとハンドルを叩き、藤原は軽く舌打ちを飛ばす。捜索願いも出したらしいが、一向に見つかったという連絡はない。

「近藤さん。ここ最近の悠生のこと、なにかわかります?」

「……楽しそうだったよ。左之助と探索して、謎解きしてる時のあの子は楽しそうだった。
 でも、数日前からかな。また悩んでるような顔をするようになったんだ。
 左之助と喧嘩したのかと聞いても、そんなことない、大丈夫の一点張りでな…… 」

「喧嘩はしてねーけど……あー…… 」

 少し悩んでから、佐野はあの日管理室で起こったことをポツポツと話した。
 雨が少し強くなる。当然ながら、深夜の道路に車も人影もない。

「……俺の知らないうちに仲良くなり過ぎじゃないか?」

「いや、ちが……あれは事故…… 」

「いやいや、左之助よく考えてくれ。事故でキスはしない 」

「ヴッ…… 」

 鋭い正論に気まずくなり、誤魔化すように窓の外へ目を向けた。冷たいコンクリートに反射するように、信号機や夜中も作業を続けるロボット達のライトがぽとぽとと灯っている。
 こんな寒い日に、一体どこにいるんだろう。

「風邪とか引いてねーといいんですけどね 」
 
 窓の外を見ながら落ち着かなさそうにスマホを握りしめる佐野に、藤原はそうだなと頷く。沈黙が車内に満ちて、少し息苦しく感じる。

 それから、楠見が行きそうな場所をしらみ潰しに回った。が、どこを探しても見つからない。現場ロボットに聞いても、少なくともロボット達に感知されてはいないと答えられた。
 ロボットに礼を言って車に戻る間、佐野の心はひとつの違和感にザワついていた。
 
 あまりに人がいなさすぎる。

 静かすぎる。真夜中だとしても、人の気配がまるでない。建物の中からも、走っている電車の中からも、まるでなにも感じない。
 それは、街全体から生命というものが、ことごとく消え失せたような錯覚さえするほどだった。
 
 楠見とキスをした事で気が完全に動転し、その事ばかり考えていたが、佐野の目の前にはそれどころでは無い選択肢が与えられている。その事を今、やっと思い出し、実感が湧いてくる。
 
 この世界は実験場だ。ドクターを名乗る誰か達が作り上げた、なんらかの目的を達成させるための、偽物の世界だ。
 そしてそれを知っているのは、佐野一人ではない。

「……もしかしたら、悠生は水族館……エリア6の施設に向かったのかもしれませんね 」

「その可能性は高い。だから左之助に声をかけたんだ。今回の被験は二人だからな。俺は入れないんだ 」

 思いもよらない言葉に、佐野は思わず固まる。
 今この人はなんと言った?

「……まさか近藤さんも 」

「…………あぁ、そうだ。俺もあの施設に行った。もちろん最下層まで探索したさ 」

「ひとりで、ですか?」

「まさか。歳と総司がいたからな、俺には 」

「副長と沖田もいるんすか?!」

 思わず大きな声が出たが、考えてみれば当然だ。近藤勇と言えば、土方歳三と沖田総司。藤原のそばにいても、なにもおかしくなどない。
 むしろそれは、必然のような気がした。

「近藤さんは、この世界で生きることを決めたんですね 」

「あぁ。この世界が偽物だろうと、本物だろうと、俺が誰で、何者であろうと、二人が大切なことだけは嘘偽りない真実だ。それを否定することはしないさ 」

「……その大切だと思っていることすら、まがい物でも、ですか?」

 佐野の言葉に、藤原は力強く頷いた。
 まるで迷いがないかのようで、少し羨ましい。

「たしかに俺は記憶を植え付けられているんだろう。だが、ドクターとやらの目的は、俺たちを操ることではなく、俺たちがなにを選ぶかを観察することだ。
 なら、この気持ちが全て偽物だなんてありえない 」

 そう言い切るとほぼ同時に、水族館の前に車は静かに停車する。白い世界の中で、青白い光が佐野を誘いむように輝いていた。

「だから、怖がらなくていい。左之助が感じている気持ちは、偽物なんかじゃないさ 」

「……ありがとうございます 」

「…………どんなに辛くとも、今は必ず二人で帰ってきてくれ。俺はここで待っているから 」

 そう藤原に背中を押され、佐野は今度は一人ぼっちで水族館に足を踏み入れたのだった。