急募 時給100,000円~
※謎を作るだけのかんたんなアルバイトです
僕はメインストリートの端にひっそりと設置された掲示板をぼんやりと眺めていた。
貼り出されていたのは、真新しい1枚のチラシ。周囲の寂れ方からすっかり浮いているA4の真新しいチラシには、そんな宣伝文句と電話番号らしき「080」から始まる数字しか書かれていない。
オンライン授業が中心になったキャンパスは、平日の日中にも関わらず人通りもまばらだ。一昔前には休講情報を見るために多くの学生が集ったであろう掲示板前も、今いるのは僕だけ。件のチラシ以外は一体いつからそのままなのか、黄ばんだ数枚のサークルメンバー募集のチラシが風になびいているだけだ。
このご時世による飲食店への打撃は大きく、僕が半年間アルバイトをしていた居酒屋もあっさりと閉店してしまった。仕送りと奨学金でなんとか生活はできるが、遊ぶ金がまったくないというのは大学生としていかがなものか。そう思った僕は、学内の掲示板に家庭教師の募集なんかが貼り出されることがあるという話を思い出し、たまたまキャンパスに顔を出したついでにこの掲示板を冷やかすことにしたのだ。
一応、うちの大学はそれなりに賢く、まあまあの歴史と伝統がある。そのためご近所さんや卒業生なんかが「ぜひうちの子の家庭教師はここの生徒にしてもらいたい」とわざわざ募集することがあるのだ。こうした募集は親御さんから直接行われるので、業者の中抜きがないぶん、かなり条件的に美味しいケースもあるらしい。
しかし、僕が見つけたのは「美味しい」なんてレベルの話ではない。
「誰のいたずらなんだか……」
常識的に考えればいたずら以外ありえない。10万円。日給としても高すぎる。潰れた居酒屋のバイトは時給1100円だった。
しかしだ。もしも、事実なら。いや事実でなくてもこれが誤植で「時給10,000~」でもめちゃくちゃ美味しい。
それにしても、「謎を作るだけのかんたんなアルバイトです」とはなんだろう。あれだろうか、いま流行っている謎解きイベントとか、ひらめきクイズとかのことだろうか。
昔からクイズ番組やゲームは好きだ。高校時代は推理小説も少し読んだし、暗号を作って遊んだこともある。あのくらいのものなら自分でも作れるだろう。
もう一度貼り出されていたチラシに目をやる。
急募 時給100,000円~
※謎を作るだけのかんたんなアルバイトです
何度見てもそう書かれている。
それしか書かれていない。
――わざわざ大学までやってきて何の収穫がないのも、微妙な話だ。電話だけ、してみよう。
9割の好奇心と1割の「もしかして」。ズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、書かれている番号に電話をタップしていく。
――つながるだろうか。つながったとして、何を話せばいいのか。
ためらったのは一瞬。というのも、コール音が1回終わるかどうかの爆速で相手が出たのだ。
「!? あ、あの、僕――」
「10分後、『桃園』で」
それだけ言われると、ブツっと電話が切られた。
――えっ、いったいどういうこと?
男の声だった。少し低めの、聞き取りやすい声。
桃園、というのは大学の正門から出て5分ほどのところにあるレトロな……と言えば聞こえはいいが、古臭い喫茶店だ。うちの学生でもオシャレな今風の子たちは近付かない。
暇な学生が動画サイトに投稿するドッキリ動画でも仕込んでるんじゃなかろうか。
僕は通話が切れてしまったスマホしをしばし見つめると、ポケットにしまう。ついでに掲示板に貼られた例のチラシもむしり取る。
こんなものに引っかかるのは僕だけでいいし、面白おかしい思いをするのも僕だけでいい。
***
桃園を見て、営業中だと思う人は少ないだろう。汚れた看板、オンボロの扉の前には古ぼけた食品サンプル。壁には蔦まで這っている。廃墟と言われても納得するが、これでも営業有なのだ。
先輩に連れられて何度か来たことがある。こんな店を愛用している、なかなか変わった人だ。「大学から近いのに、知ってる顔が誰も来ないのがいい」と言っていた。実際この店はいつ来ても空いているので、以来一人になりたいときにたまに使っている。
窓も決して大きくなく、入口の扉には窓もついていない。中の様子を窺い知ることはできない。
――入ってみるしかない。
意を決して、と言いたいが、結構軽い気持ちで僕は桃園の入り口を開いた。緊張するようなことはない、相手はドッキリを仕掛けた学生か、そうでなくとも変人だ。どうなろうと人生のマイナスになることはない。
店内は、相変わらずごちゃっとしていた。インテリアなのか店主の趣味なのかわからない布製の人形や、古い書籍や雑誌がカウンターに積まれている。しかし、意外なことにテーブル席はきれいに整頓され、掃除も行き届いているのだ。
「いらっしゃい」
入店から少し遅れて聞き慣れたマスターの声。席を案内されることはない。この店ではいつものことだ、適当に座る。
電話の主はもう来ているのかと周囲を見回してみる。ガラガラの店内には、奥の席に一人の男が座っているだけだった。
その姿を見るやいなや、僕は「こいつだ」と確信した。と同時に「こいつじゃありませんように」と神に願った。
その男は、こちらに背を向けて座っていた。ソファの背もたれで見えないが、細身の身体にシンプルなスーツか何かのジャケットを着ていた。
特徴的なのは髪型で、左半分がブルーハワイのように真っ青で、右半分がきれいに脱色しているのか真っ白だ。
カラフルな髪色が世間の流行だとはいえ、このあたりでは見かけない派手さだ。バンドマンか、浮かれた夏休みの学生か、謎のインフルエンサーか。
その半青半白頭がこちらを振り返る。
僕を認めるとすっくと立ち上がり、片手を上げた。
「やあ、君が電話をくれた子だね。ここに座ってくれ」
こいつだったわ。
男の向かいに座り、アイスコーヒーを注文する。
テーブルの上には男が飲んでいるらしい紅茶のポットが置かれていた。へえ、この店紅茶を頼むとポットで出てくるのか、そんな新たな発見。
派手な髪の男は、すべてが特徴的だった。青い髪は前髪がやけに長く、片目を隠している。肌の色が白くて、見えているもう片方の目はとにかく細い。狐の擬人化みたいな、なんとなく、平安時代の公家のような、のっぺりした印象だ。だからといって地味な顔では決してない。
服装はシンプルなスーツ……と見せかけて、ネクタイがやけに派手だ。赤のタータンチェック。やっぱりパンク系のバンドマンか何かだろうか。
男はただでさえ細い目を更に細めて、ニコニコと僕を見ていた。
気まずい。
僕からなにか言うべきなのだろうか。
いやいや、この場は一応「バイトの面接」、のはずだ。であれば向こうの質問なり何なりに答えればいいはずだ。僕の方から口を開く必要はない。
そんな事を考えていると「おまちどおさま」とマスターの間延びた声とともにアイスコーヒーが机に置かれた。
冷えたアイスコーヒーは、あっという間にグラスに結露を作る。
あれ?面接の場で飲み物って飲んでいいんだっけ、悪いんだっけ? どこかのマナーの記事で読んだ気がするが、肝心な部分は思い出せない。
「飲んでいいよ」
「え?」
「飲み物。せっかくの美味しいコーヒーだ、氷が解けて薄くなる前に飲むといい」
僕の考えを呼んだかのような言葉。戸惑いながらも、言われるままにアイスコーヒーに口をつける。程よい苦味に頭がスっと冴えていくようだ。
「面接や商談のときに飲み物を飲んではいけないというのは、まさに謎のマナーだね」
男はニコニコしている。
「はあ……そうですね」
「君……ええと、君、名前はなんて言うの?」
「理玖です。花宮理玖」
「リクくんね。私はキル。殺すのkillで、生きるのきる」
男――キルは笑顔の様相を崩さない。なんだろう、馴染みの店なのに異世界に迷い込んだ気分だ。
「単刀直入に聞くね。理玖くん。君、謎は作れる?」
謎を作るだけの簡単なアルバイト。そう、その正体を探りにここに来たんだった。いや、ただの好奇心かもしれない。
僕は迷うことなく、と言いたいが、実際はへらっと曖昧な表情を浮かべてしまう。
「未経験ですが、パズルやひらめきクイズ番組はよく見ています。高校生の頃は友人たちと暗号を出し合って遊んでいましたし……」
「違う違う。私はそんな矮小な話をしているんじゃないんだ」
と、キルは話し出した僕を遮る。
矮小?
「謎というのは不思議なことのことだよ。メアリー・セレストの謎、邪馬台国の謎、バミューダトライアングルの謎。世界には不思議なことが溢れているし、不思議があるから世界は楽しい。世界には謎がなければいけない。それに何より、人類の発展のためには、人類が自らの手で謎を解き明かすという過程が必要なのだよ。
暗号と言うならヴォイニッチ手稿くらいまで行きたいところだね」
これは……。
キルの言葉に、僕はなんだか嬉しくなってしまう。都市伝説に歴史、陰謀論。僕はどんどん面白い気分になってきた。なかなか現実で知り合うことの無いヤバい人が目の前にいる。いい趣味ではないが、こういう事態にワクワクしてしまうたちなのだ。
「人類が自らの手でって、まるでキルさんは人類では無いような言い方ですね」
飲みかけのアイスコーヒーをすする。好奇心が満たされていく。気持ちは先程よりだいぶ落ち着いている。
「ああ。私は神だからね」
来た、いただきました。
神を見た事がありますか? インターネットで見た。そんな古いネットミームが脳裏に浮かぶ。
「はは。神様には初めて会いました」
「思ってもいない言葉は要らないよ。作って欲しい謎について、まだピンと来ていないと思う。だから今から私が実例を見せてあげようと思う」
「実例、ですか」
キルはティーポットから紅茶を注ぐ。その所作がやけに優雅で、パンクロッカーのような見た目とちぐはぐなような、マッチしているような。
「うむ。そうだね、場所はこの喫茶店、桃園だ。この店はお世辞にも繁盛しているとは言えない。それは何故か、外観は古ぼけメニューは普通、入ってみればいい店だが特にこれといった特徴もない」
マスターがすぐそこにいるのもお構い無しのキルの物言いに、さすがの僕もヒヤヒヤし始める。
「この店は当たり前なんだ。この店には何の謎も不思議もない。ときに理玖くん、君は試験勉強が好きかい?」
キルの言葉は急カーブで曲がっていく。行き着く先が見えない。
「ええと、そうですね。まあ好きでは無いですね」
「多くの学生は試験もレポートも嫌いだろう。しかし。もしも、桃園で試験勉強をするとヤマが当たってどんなにギリギリの試験でも単位を落とさない、なんて話があったらどうだい?」
「僕は試験勉強はスケジュールを立ててやっていく方なので、そんな眉唾は信じませんが、万が一にかける学生は多いでしょうね」
キルはニヤリと笑う。
「そんな謎の店が大学の目と鼻の先にあれば、繁盛しそうだろう?」
「ええ、それはそうですね。しかし実際問題桃園はただの桃園です。そんな謎の店ではありません」
「しかしだ。私という神の手にかかればその謎を作れるのだ」
なんかわけのわからないことを言い出した。
僕はこういう頭のネジをぶっ飛ばした人が大好きだ。リアルではなかなかお目にかからない人材の登場に、胸の高まりが止まらない。
「やってみせよう。謎とはこうやって作るんだ」
そう言うと、キルは片手で前髪をかき上げる。晒された両目が見開かれる。カラコンだろうか、隠れていたほうの目の色が、おかしい。金色?それに、やけに瞳がぐるぐるしていて、ぐるぐるして、ぐるぐると、ぐるぐるが、ぐるぐるして、くるくる、ぐるくる、くるぐる、くる、くる。
「さあ、謎を作るよ」
パチンとキルが指を鳴らすと、僕の頭はぱぁっと一瞬で冴え渡った。
十分に睡眠を取った朝のような、サウナのあとに水風呂に浸かった瞬間のような、悩み続けていた数学の問題の解放がわかったときのような、そんなすっきりが僕の頭の中に突然やってきた。
何が起きたんだ?
キルに目をやると、何もなかったかのように紅茶をすすっている。なんだか腹立たしいことに、カップを持っている手の小指が立っている。
「今、何かしましたか……?」
キルが答える前に、桃園の入口のドアが開く。
「ラッキー! 空いてるじゃん。奥行こうぜ。奥」
若い男の声。
入口に顔を向けると、大学生らしい男2人組がズカズカと慣れた様子で入ってきた。
空いてるじゃん? いやいや、桃園はいつだって空いている。いつでも席があるからここを愛用しているんだ。
そんなことを考えると、間を空けず来客は続く。男子学生の1人客、カップルの色気は見えない男女2人組、また男子学生の2人組、そして4人組。あっという間に店は埋まり、カウンター席に僅かな空席を残すだけだ。
あれ、カウンターがやけに片付いている気がする。たしか、もっと雑然としていて、カウンターはあまり人が座る風じゃなかったような……。
客が増えたが、店内の騒々しさは思ったよりも増さない。周囲に視線をやると、どうやらみんなノートやノートパソコンを開き、何やら勉強をしているようだ。
マスター離れた様子で各席を周り、手際よく注文をこなしていく。
見慣れた店の、ありえない光景。
「今、何かしましたよね……?」
ぎこちなくキルに視線を戻す。ちょうど飲み終わった紅茶のカップを置くと、満面の笑みを浮かべてうなずく。
「ああ、したね」
「何をしたんですか……」
「想像のとおりだけど。自分で調べてご覧よ」
彼の視線は、テーブルの上に置かれた僕のスマートフォンに向けられる。
促されるままに、スマホを手に取る。インターネットブラウザを立ち上げると、手早く「桃園 喫茶店」と打ち込む。表示される検索結果。一番上は巨大検索サービスによる単なる店の情報だ。だがしかし、評価が高いし評価数が妙に多い気もする。しかし探している情報はそれではない。少しスクロールすると、怪しげなページタイトルが目につく。
【都市伝説?】絶対に単位が取れる喫茶店「桃園」に潜入してきた
X大生御用達!試験に絶対合格するレトロ喫茶「桃園」
喫茶店「桃園」 謎多き純喫茶のご紹介
そんなわけあるか。
いやいや、桃園はただの冴えない喫茶店だ。そんな変な都市伝説なんてない。この店に謎なんてない。なかった。なかった、はずだ。
出てきたページの1つを開いてみる。そこは個人のブログ記事で、書かれたのは2015年の6月になっていた。その記事には今よりも少し昔の、今よりも少しだけきれいな桃園の写真が掲載されていた。
頭は冴えている。
おかしいくらいに冴えている。
おかしいのは、僕以外だ。
「どうだい? 謎ができただろう?」
「謎ができたって、いったいなんですか、これは。何が起きた、いや何をしたんですか?」
「難しいことじゃないよ。さっき言ったように、ここで試験勉強をすると絶対に合格するという『謎』を、過去に遡って現実に与えたんだ。簡単にいえば、現実改変かな?」
「現実、改変……」
「この店がただの小汚い地味な店だったという事実は消えた。消えた事実を覚えているのは、君と私だけだ」
ドヤ顔のその男が、僕の理解を超えた向こうの世界の存在のように感じた。
過去を変えた? 現実を改変した?
そんなことができてたまるか。なにかの奇術かトリックに違いない。
大勢の客は役者を雇えばいい。カウンターが片付いているのはキルと話している間にマスターが整理した。ネットの記事だって、ブログの投稿時間なんていくらでもイジることができる。写真はフォトショップ。そうだ、ネットの中の記事なんて幻想だ。
そう考えている間にも、店のドアが開かれ「え〜、満員じゃん〜」なんて間延びた女の声がしたりする。
「なんで僕は元の、消えた事実を忘れていないんですか?」
「私がそういう設定にしたからね。人間は流れていた現実が変わったことに気づくことができない。
君は、前の日の自分と今日の自分がやけに不連続であると感じるときはないかい? 昨日の自分が別人のように感じることは。そんな時は現実がなにか変わっているんだ。実際に過去の君と今の君は不連続の存在なんだよ」
精神異常者か詐欺師か、それとも役者か、神様か。
キルの言葉は不穏なのに、やけに耳障りが良く、ああなるほど宗教にハマルノはこういう気持ちなんだろうな、なんてことをぼんやり思った。
「理玖くん。君に作って欲しいのはこういう謎だ。
解かれる必要がない謎。答えのない謎。物語のきっかけになる謎。世界を動かす謎。
ねえ君、もし月島雫が天沢聖司と家が近所だとかそういうどうでもいいきっかけで知り合ったとして、彼女は恋に落ちたと思うかい?」
「つきしま……?」
「耳をすませば、さ」
「ああ。すいません、僕ジブリは見ないので……」
キルが目に見えてしょんぼりとした。ジブリが好きなのか。
「いや、いい。これから見ればいいからね。ところで……」
何かを言いかけたキルの言葉を遮るように、店内に声が響く
「答えがない謎なんてないのよ! 見つけたわよ、キル!」
ドタバタと慌ただしく桃園の入口のドアが開き、甲高い声が店内に開いた。先程と違いほぼ満席の店内の視線が、一気に声の主に集まる。
「お待ち合わせですか? どうぞ」
中学生くらいだろうか? 少女らしい甲高い声だった。
学生のたまり場としての時代の流れを汲む桃園のマスターは、学生の扱いに慣れており、つまりは変な客の扱いもすっかり慣れたものなのだろう。その客に怯むことなく声をかける。そしてその客の女は、つかつかとこちらに歩いてきて、僕の隣に腰を下ろす。
「前言撤回をしておくよ。消えた事実を覚えているのは、君と私と、それから一部の名探偵だけだ」
*****
「また意味不明な謎を作ったのね、やめなさいって言ってるでしょう! で、この人は誰?」
追加で現れたヤバい女。いくら好奇心の鬼、面白そうなもので白米が食べられる僕でも、腹が膨れすぎて消化不良だ。
当たり前とばかりに少女はキルと向き合うように、つまりは僕の隣に座る。そしてレモンスカッシュを注文する。
成人しているとは全く思えない容姿の彼女は、どういうことかオレンジ色に染めた髪を高い位置でツインテールに結んでいる。親御さんは何を考えているのだろう? 服装は、制服……いや、制服っぽいコスプレ衣装みたいなやつだ。ミリタリー風のカーキ色のブレザーにセットらしいプリーツスカートは、不思議とその少女にしっくりと馴染んでいた。
地味な学生が多いことで有名な我が大学の学生のたまり場だ。暗い髪色に服装の客が多い中、僕たちのテーブルだけがやけにカラフルだ。完全に浮いている。
いくら僕でも、学校の友達に見られたくないと思ってしまう図だ。
「こちらは花宮理玖くん。アルバイトで私の助手をしてくれる。
理玖くん、こちらはユエちゃん。名探偵だ」
「名探偵」
言われたことをオウム返しに繰り返すマシーンと化した僕。視線を横に向けると、少女――ユエは「何よ」と唇を尖らせる。
「あなた、そこの大学の学生さん? キルとつるむなんて、偏差値は高いけど頭は悪いのね」
なんだこの子どもは。大人に向かってなんて言う口の聞き方だ。
「い、いえあの。僕はまだアルバイトをすると決まったわけではなくて。今面接中、という認識なんですが」
「なるほど、これは面接だったのか!」
わっはっは、と擬音が書けそうな豪快さで笑いだしたのは当のキル本人。
「私はもう、理玖くんと一緒に仕事をする気が満々なんだがね。あの募集に連絡をしてくるだけでも相当なものだし、そのうえ君は他の誰にも連絡をさせないようにチラシをはいできただろうチラシを剥いできただろう? そんな事ができる人間はなかなかいないよ」
「ど、どうしてそのことを……?」
「チラシ?」
華々しい登場の割に、いきなり話の蚊帳の外に置かれたユエがテーブルに体を乗り出してくる。僕はズボンのポケットに畳んでしまっていた例のチラシを取り出し、テーブルに置く。
――急募 時給100,000円~ ※謎を作るだけのかんたんなアルバイトです
書かれていた言葉が変わっているなんてことはなく、見覚えのある文字列がそのまま紙上に踊っていた。
「これが大学の掲示板に貼ってあって、僕はこの番号に連絡して、そしたらこうなっているという状況で……」
「なるほど、わかったわ」
さすが名探偵。適当すぎる説明でも事情をある程度察したようだ。
「理玖、あなたは気づいていなかったかもしれないけれど、このチラシもキルによる謎よ」
少女は言葉を続ける。
「答えがない謎なんて世界にない、あってはいけない。閉じない輪はいつか世界をすべて包み込み、、世界のすべてが謎になってしまう。私はこのバカが作り出しに答えのない謎に答えを作り出して、世界の均整を保っている。だから名探偵、と呼ばれている」
ユエはよどみなくそういった。世界の均衡は彼女が保っているそうだが、僕の均衡は彼女によってとどめを刺されそうだった。
「さすがにそれはわけがわからん」
「謎の答えを作ることは簡単よ。まずはこの桃園の謎から解明していきましょう」
僕の心の声は完全にスルーされ、ユエによる解答編が始まる。
先程届いたレモンスカッシュで喉を潤したユエは、滔々と語り始める。
「この古き良き喫茶店『桃園』には不思議な噂があるわ。それは、桃園で試験勉強をすると必ず合格する、ぜったいに単位が取得できるというもの。しかし、もちろん桃園で勉強したからと言って、実際100%単位が取れることはないわ」
ユエの語りは突然大人びたようで、ついつい聞き入ってしまう。
「ところで、桃園の近くにあるX大では、しかもそれは一般的に単位を取るのが厳しいと言われている、1年の選択科目のロシア語があるわ。あまり人気のある授業ではないから知名度はないけれど、単位取得率は50%とも30%とも言われているわ」
……突然知らない話になってきた。
「しかし、ある年ロシア語の後期の単位取得率が100%になった年があるの。その年は少ない授業を取っている仲間内が集まってここ桃園で勉強をしたというの。その話が広がって桃園の噂になっている。のだけれど」
「だけれど……?」
「その話にもトリックがあるのよ。ロシア語の担当の湯築音六子先生は桃園の常連で、しかもこの店によく忘れ物をするんだ。例の年には試験の情報が書かれたノートをこの店に忘れて……」
「ちょっと待って」
「しかも忘れ物をしたのにも合理的な理由があって、この店のカウンターは明かりの関係でものが見えづらく、しかも後期の試験機関である冬季限定でアルコール入りのアイリッシュコーヒーが看板メニューで……」
「いやいやいや!待って」
話を続けるユエを必死に止める。
「ユエちゃ……ユエさんの話、全然知らない話なんだけど! うちの学校の第二言語にロシア語はあった気がするけど、そんな教授は……いたかもしれないけど、今までの話に全然出てこなかったじゃないか!」
「そりゃそうよ。初めて言ったもの」
「なのに、さも当然とばかりに解決編ですみたいに語ってるの? なに日常の謎を解明していますみたいなノリで話してるの!?」
「日常の謎を解決しているからね」
ユエは残っているレモンスカッシュをずずず……と音を立ててストローで吸い上げる。
「あのね、答えから逆算して手がかりを作るのよ」
「……?」
「さあ、あそこを見て」
ユエが指さした先には、見覚えのないポスター。季節限定メニューの宣伝をしている。「冬季限定 アイリッシュコーヒー」……。そしてユエが立ち上がると、カウンターから一冊の本を持ってくる。アルファベットではない、見たことのない文字列。
タイミングと都合がよくお冷を継ぎに来たマスターが
「ああ、その本はそこの大学の先生が忘れていったんだよ。あの先生はよく忘れ物をするんだよ、本だとかノートだとか、財布だとか携帯電話だとか……」
と言い出す。
「本当はこういう風にするんだけど、今は例だからね」
******
――入ってみるしかない。
意を決して、と言いたいが、結構軽い気持ちで僕は桃園の入り口を開いた。緊張するようなことはない、相手はドッキリを仕掛けた学生か、そうでなくとも変人だ。どうなろうと人生のマイナスになることはない。
店内は、相変わらずごちゃっとしていた。カウンターの端には本が積まれている。本当にこの店のものだろうか?見たことのない言語で書かれている本が一番上に積まれている。そういえば、ロシア語の授業を取っているの友だちが持っていた教科書に似ている気がする。
「いらっしゃい」
入店から少し遅れて聞き慣れたマスターの声。席を案内されることはない。この店ではいつものことだ、適当に座る。
電話の主はもう来ているのかと周囲を見回してみる。珍しくガラガラの店内。壁にはいつの間にか冬季限定のアイリッシュコーヒーのポスターが貼られている。気がつけば冬だ。
奥の席に目をやると、一人の男が座っていた。
その姿を見るやいなや、僕は「こいつだ」と確信した。と同時に「こいつじゃありませんように」と神に願った。
******
「……こ、これはどういう」
「キルが謎を作るなら、私は答えを作るの。答えのために過去に手がかりをできるのよ」
さっきまでの記憶と、今作られた記憶が同時に頭の中にある。同じ時間の2つの記憶がある。
「どうして世の中の名探偵がうまく手がかりを見つけて謎を解けると思う? 手がかりは自分で作るのよ」
もうめちゃくちゃだ。
「さあ、もう一つの、謎のアルバイトも解明していきましょう。
考えれば当然のことよ。謎の高級アルバイトと言えば、頭の悪い若者を集めて危ないことをさせると相場が決まっているわ。それは暗鬼館での心理実験か、希望の船エスポワールでの限定ジャンケンか。今回あなたがキルに騙されてつれてこられた先は……」
ユエの言葉を聞いているうちに、次第に周囲の景色がぼやけていくような気がした。
いや、実際に周囲が変わっている。
桃園の、僕が知っていた店よりは少しだけきれいになった古き良き喫茶店の壁は、徐々にゴツゴツとした岩場の壁に変わっている。ここはどこだ、無人島? 無人島に集められた僕達はそれぞれに武器を与えられ殺し合いをはじめ――かと思えば、いつの間にか打ちっぱなしコンクリートの床に寝かされている。体を起こしてみると、周囲には数人の男女、聞こえてくる機械音声じみた声で謎のルールが提示され、僕達は――が、いつの間にか周囲は鬱蒼としたジャングルで謎の薬を投与され化け物となった元人間が襲いかかって来て、怪しい廃墟じみた学校の教室に、真新しい遊園地に、夜の病院、豪奢な館の応接間、そして、そして……。
「理玖くん!」
はっ。
現実に意識が戻される。
現実? 現実とはなんだ。
ぶるりと震える。なんだか肌寒い。花園の店内の暖かさはない。というか、座ってもいない。立っている。大学のメインストリートの端。ひっそりと設置された掲示板の前に、半白半青で頭のスーツ姿の怪しい男と並んで立っていた。
「やあ、おかえり理玖くん。一通り仕事内容は見てもらったと思うんだけど、どうかな? アルバイトは引き受けてくれるかい?」
立ち上がったキルは意外と背が高い。見上げる形になるのが腹立たしい。
というか、すべてが腹立たしい。
何なんだ。
謎とは何なのだ。
謎の解明とは、名探偵とは、何なのか。
僕が見てきた世界は何なのか。
真実とは何なのか。
「時給」
「ん?」
「時給は、本当ですか?」
「ああ」
キルは手首に巻いた腕時計を僕に見せる。
「君が電話を私にかけた時から仕事が始まったとして、電話をかけてきた時間が15時2分。そして今は14時58分だ。マイナス4分だね。実際の実働時間で換算した1時間があの値段だから、今は……」
「いや、いいです」
丁重にお断りをすると、僕は掲示板の前から足早に立ち去った。ちらりと視界の端に「名探偵の助手募集」という張り紙があった気がするが、僕はもう何も見ないことにした。
コンビニでタウンワークでももらって帰ろう。
僕は、謎を知ってしまった。
悔しいことに、それは忘れられるようなことではない。
「じゃあ、またね理玖くん」
そのキルの言葉は、僕の耳に心地よく届いた。
※謎を作るだけのかんたんなアルバイトです
僕はメインストリートの端にひっそりと設置された掲示板をぼんやりと眺めていた。
貼り出されていたのは、真新しい1枚のチラシ。周囲の寂れ方からすっかり浮いているA4の真新しいチラシには、そんな宣伝文句と電話番号らしき「080」から始まる数字しか書かれていない。
オンライン授業が中心になったキャンパスは、平日の日中にも関わらず人通りもまばらだ。一昔前には休講情報を見るために多くの学生が集ったであろう掲示板前も、今いるのは僕だけ。件のチラシ以外は一体いつからそのままなのか、黄ばんだ数枚のサークルメンバー募集のチラシが風になびいているだけだ。
このご時世による飲食店への打撃は大きく、僕が半年間アルバイトをしていた居酒屋もあっさりと閉店してしまった。仕送りと奨学金でなんとか生活はできるが、遊ぶ金がまったくないというのは大学生としていかがなものか。そう思った僕は、学内の掲示板に家庭教師の募集なんかが貼り出されることがあるという話を思い出し、たまたまキャンパスに顔を出したついでにこの掲示板を冷やかすことにしたのだ。
一応、うちの大学はそれなりに賢く、まあまあの歴史と伝統がある。そのためご近所さんや卒業生なんかが「ぜひうちの子の家庭教師はここの生徒にしてもらいたい」とわざわざ募集することがあるのだ。こうした募集は親御さんから直接行われるので、業者の中抜きがないぶん、かなり条件的に美味しいケースもあるらしい。
しかし、僕が見つけたのは「美味しい」なんてレベルの話ではない。
「誰のいたずらなんだか……」
常識的に考えればいたずら以外ありえない。10万円。日給としても高すぎる。潰れた居酒屋のバイトは時給1100円だった。
しかしだ。もしも、事実なら。いや事実でなくてもこれが誤植で「時給10,000~」でもめちゃくちゃ美味しい。
それにしても、「謎を作るだけのかんたんなアルバイトです」とはなんだろう。あれだろうか、いま流行っている謎解きイベントとか、ひらめきクイズとかのことだろうか。
昔からクイズ番組やゲームは好きだ。高校時代は推理小説も少し読んだし、暗号を作って遊んだこともある。あのくらいのものなら自分でも作れるだろう。
もう一度貼り出されていたチラシに目をやる。
急募 時給100,000円~
※謎を作るだけのかんたんなアルバイトです
何度見てもそう書かれている。
それしか書かれていない。
――わざわざ大学までやってきて何の収穫がないのも、微妙な話だ。電話だけ、してみよう。
9割の好奇心と1割の「もしかして」。ズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、書かれている番号に電話をタップしていく。
――つながるだろうか。つながったとして、何を話せばいいのか。
ためらったのは一瞬。というのも、コール音が1回終わるかどうかの爆速で相手が出たのだ。
「!? あ、あの、僕――」
「10分後、『桃園』で」
それだけ言われると、ブツっと電話が切られた。
――えっ、いったいどういうこと?
男の声だった。少し低めの、聞き取りやすい声。
桃園、というのは大学の正門から出て5分ほどのところにあるレトロな……と言えば聞こえはいいが、古臭い喫茶店だ。うちの学生でもオシャレな今風の子たちは近付かない。
暇な学生が動画サイトに投稿するドッキリ動画でも仕込んでるんじゃなかろうか。
僕は通話が切れてしまったスマホしをしばし見つめると、ポケットにしまう。ついでに掲示板に貼られた例のチラシもむしり取る。
こんなものに引っかかるのは僕だけでいいし、面白おかしい思いをするのも僕だけでいい。
***
桃園を見て、営業中だと思う人は少ないだろう。汚れた看板、オンボロの扉の前には古ぼけた食品サンプル。壁には蔦まで這っている。廃墟と言われても納得するが、これでも営業有なのだ。
先輩に連れられて何度か来たことがある。こんな店を愛用している、なかなか変わった人だ。「大学から近いのに、知ってる顔が誰も来ないのがいい」と言っていた。実際この店はいつ来ても空いているので、以来一人になりたいときにたまに使っている。
窓も決して大きくなく、入口の扉には窓もついていない。中の様子を窺い知ることはできない。
――入ってみるしかない。
意を決して、と言いたいが、結構軽い気持ちで僕は桃園の入り口を開いた。緊張するようなことはない、相手はドッキリを仕掛けた学生か、そうでなくとも変人だ。どうなろうと人生のマイナスになることはない。
店内は、相変わらずごちゃっとしていた。インテリアなのか店主の趣味なのかわからない布製の人形や、古い書籍や雑誌がカウンターに積まれている。しかし、意外なことにテーブル席はきれいに整頓され、掃除も行き届いているのだ。
「いらっしゃい」
入店から少し遅れて聞き慣れたマスターの声。席を案内されることはない。この店ではいつものことだ、適当に座る。
電話の主はもう来ているのかと周囲を見回してみる。ガラガラの店内には、奥の席に一人の男が座っているだけだった。
その姿を見るやいなや、僕は「こいつだ」と確信した。と同時に「こいつじゃありませんように」と神に願った。
その男は、こちらに背を向けて座っていた。ソファの背もたれで見えないが、細身の身体にシンプルなスーツか何かのジャケットを着ていた。
特徴的なのは髪型で、左半分がブルーハワイのように真っ青で、右半分がきれいに脱色しているのか真っ白だ。
カラフルな髪色が世間の流行だとはいえ、このあたりでは見かけない派手さだ。バンドマンか、浮かれた夏休みの学生か、謎のインフルエンサーか。
その半青半白頭がこちらを振り返る。
僕を認めるとすっくと立ち上がり、片手を上げた。
「やあ、君が電話をくれた子だね。ここに座ってくれ」
こいつだったわ。
男の向かいに座り、アイスコーヒーを注文する。
テーブルの上には男が飲んでいるらしい紅茶のポットが置かれていた。へえ、この店紅茶を頼むとポットで出てくるのか、そんな新たな発見。
派手な髪の男は、すべてが特徴的だった。青い髪は前髪がやけに長く、片目を隠している。肌の色が白くて、見えているもう片方の目はとにかく細い。狐の擬人化みたいな、なんとなく、平安時代の公家のような、のっぺりした印象だ。だからといって地味な顔では決してない。
服装はシンプルなスーツ……と見せかけて、ネクタイがやけに派手だ。赤のタータンチェック。やっぱりパンク系のバンドマンか何かだろうか。
男はただでさえ細い目を更に細めて、ニコニコと僕を見ていた。
気まずい。
僕からなにか言うべきなのだろうか。
いやいや、この場は一応「バイトの面接」、のはずだ。であれば向こうの質問なり何なりに答えればいいはずだ。僕の方から口を開く必要はない。
そんな事を考えていると「おまちどおさま」とマスターの間延びた声とともにアイスコーヒーが机に置かれた。
冷えたアイスコーヒーは、あっという間にグラスに結露を作る。
あれ?面接の場で飲み物って飲んでいいんだっけ、悪いんだっけ? どこかのマナーの記事で読んだ気がするが、肝心な部分は思い出せない。
「飲んでいいよ」
「え?」
「飲み物。せっかくの美味しいコーヒーだ、氷が解けて薄くなる前に飲むといい」
僕の考えを呼んだかのような言葉。戸惑いながらも、言われるままにアイスコーヒーに口をつける。程よい苦味に頭がスっと冴えていくようだ。
「面接や商談のときに飲み物を飲んではいけないというのは、まさに謎のマナーだね」
男はニコニコしている。
「はあ……そうですね」
「君……ええと、君、名前はなんて言うの?」
「理玖です。花宮理玖」
「リクくんね。私はキル。殺すのkillで、生きるのきる」
男――キルは笑顔の様相を崩さない。なんだろう、馴染みの店なのに異世界に迷い込んだ気分だ。
「単刀直入に聞くね。理玖くん。君、謎は作れる?」
謎を作るだけの簡単なアルバイト。そう、その正体を探りにここに来たんだった。いや、ただの好奇心かもしれない。
僕は迷うことなく、と言いたいが、実際はへらっと曖昧な表情を浮かべてしまう。
「未経験ですが、パズルやひらめきクイズ番組はよく見ています。高校生の頃は友人たちと暗号を出し合って遊んでいましたし……」
「違う違う。私はそんな矮小な話をしているんじゃないんだ」
と、キルは話し出した僕を遮る。
矮小?
「謎というのは不思議なことのことだよ。メアリー・セレストの謎、邪馬台国の謎、バミューダトライアングルの謎。世界には不思議なことが溢れているし、不思議があるから世界は楽しい。世界には謎がなければいけない。それに何より、人類の発展のためには、人類が自らの手で謎を解き明かすという過程が必要なのだよ。
暗号と言うならヴォイニッチ手稿くらいまで行きたいところだね」
これは……。
キルの言葉に、僕はなんだか嬉しくなってしまう。都市伝説に歴史、陰謀論。僕はどんどん面白い気分になってきた。なかなか現実で知り合うことの無いヤバい人が目の前にいる。いい趣味ではないが、こういう事態にワクワクしてしまうたちなのだ。
「人類が自らの手でって、まるでキルさんは人類では無いような言い方ですね」
飲みかけのアイスコーヒーをすする。好奇心が満たされていく。気持ちは先程よりだいぶ落ち着いている。
「ああ。私は神だからね」
来た、いただきました。
神を見た事がありますか? インターネットで見た。そんな古いネットミームが脳裏に浮かぶ。
「はは。神様には初めて会いました」
「思ってもいない言葉は要らないよ。作って欲しい謎について、まだピンと来ていないと思う。だから今から私が実例を見せてあげようと思う」
「実例、ですか」
キルはティーポットから紅茶を注ぐ。その所作がやけに優雅で、パンクロッカーのような見た目とちぐはぐなような、マッチしているような。
「うむ。そうだね、場所はこの喫茶店、桃園だ。この店はお世辞にも繁盛しているとは言えない。それは何故か、外観は古ぼけメニューは普通、入ってみればいい店だが特にこれといった特徴もない」
マスターがすぐそこにいるのもお構い無しのキルの物言いに、さすがの僕もヒヤヒヤし始める。
「この店は当たり前なんだ。この店には何の謎も不思議もない。ときに理玖くん、君は試験勉強が好きかい?」
キルの言葉は急カーブで曲がっていく。行き着く先が見えない。
「ええと、そうですね。まあ好きでは無いですね」
「多くの学生は試験もレポートも嫌いだろう。しかし。もしも、桃園で試験勉強をするとヤマが当たってどんなにギリギリの試験でも単位を落とさない、なんて話があったらどうだい?」
「僕は試験勉強はスケジュールを立ててやっていく方なので、そんな眉唾は信じませんが、万が一にかける学生は多いでしょうね」
キルはニヤリと笑う。
「そんな謎の店が大学の目と鼻の先にあれば、繁盛しそうだろう?」
「ええ、それはそうですね。しかし実際問題桃園はただの桃園です。そんな謎の店ではありません」
「しかしだ。私という神の手にかかればその謎を作れるのだ」
なんかわけのわからないことを言い出した。
僕はこういう頭のネジをぶっ飛ばした人が大好きだ。リアルではなかなかお目にかからない人材の登場に、胸の高まりが止まらない。
「やってみせよう。謎とはこうやって作るんだ」
そう言うと、キルは片手で前髪をかき上げる。晒された両目が見開かれる。カラコンだろうか、隠れていたほうの目の色が、おかしい。金色?それに、やけに瞳がぐるぐるしていて、ぐるぐるして、ぐるぐると、ぐるぐるが、ぐるぐるして、くるくる、ぐるくる、くるぐる、くる、くる。
「さあ、謎を作るよ」
パチンとキルが指を鳴らすと、僕の頭はぱぁっと一瞬で冴え渡った。
十分に睡眠を取った朝のような、サウナのあとに水風呂に浸かった瞬間のような、悩み続けていた数学の問題の解放がわかったときのような、そんなすっきりが僕の頭の中に突然やってきた。
何が起きたんだ?
キルに目をやると、何もなかったかのように紅茶をすすっている。なんだか腹立たしいことに、カップを持っている手の小指が立っている。
「今、何かしましたか……?」
キルが答える前に、桃園の入口のドアが開く。
「ラッキー! 空いてるじゃん。奥行こうぜ。奥」
若い男の声。
入口に顔を向けると、大学生らしい男2人組がズカズカと慣れた様子で入ってきた。
空いてるじゃん? いやいや、桃園はいつだって空いている。いつでも席があるからここを愛用しているんだ。
そんなことを考えると、間を空けず来客は続く。男子学生の1人客、カップルの色気は見えない男女2人組、また男子学生の2人組、そして4人組。あっという間に店は埋まり、カウンター席に僅かな空席を残すだけだ。
あれ、カウンターがやけに片付いている気がする。たしか、もっと雑然としていて、カウンターはあまり人が座る風じゃなかったような……。
客が増えたが、店内の騒々しさは思ったよりも増さない。周囲に視線をやると、どうやらみんなノートやノートパソコンを開き、何やら勉強をしているようだ。
マスター離れた様子で各席を周り、手際よく注文をこなしていく。
見慣れた店の、ありえない光景。
「今、何かしましたよね……?」
ぎこちなくキルに視線を戻す。ちょうど飲み終わった紅茶のカップを置くと、満面の笑みを浮かべてうなずく。
「ああ、したね」
「何をしたんですか……」
「想像のとおりだけど。自分で調べてご覧よ」
彼の視線は、テーブルの上に置かれた僕のスマートフォンに向けられる。
促されるままに、スマホを手に取る。インターネットブラウザを立ち上げると、手早く「桃園 喫茶店」と打ち込む。表示される検索結果。一番上は巨大検索サービスによる単なる店の情報だ。だがしかし、評価が高いし評価数が妙に多い気もする。しかし探している情報はそれではない。少しスクロールすると、怪しげなページタイトルが目につく。
【都市伝説?】絶対に単位が取れる喫茶店「桃園」に潜入してきた
X大生御用達!試験に絶対合格するレトロ喫茶「桃園」
喫茶店「桃園」 謎多き純喫茶のご紹介
そんなわけあるか。
いやいや、桃園はただの冴えない喫茶店だ。そんな変な都市伝説なんてない。この店に謎なんてない。なかった。なかった、はずだ。
出てきたページの1つを開いてみる。そこは個人のブログ記事で、書かれたのは2015年の6月になっていた。その記事には今よりも少し昔の、今よりも少しだけきれいな桃園の写真が掲載されていた。
頭は冴えている。
おかしいくらいに冴えている。
おかしいのは、僕以外だ。
「どうだい? 謎ができただろう?」
「謎ができたって、いったいなんですか、これは。何が起きた、いや何をしたんですか?」
「難しいことじゃないよ。さっき言ったように、ここで試験勉強をすると絶対に合格するという『謎』を、過去に遡って現実に与えたんだ。簡単にいえば、現実改変かな?」
「現実、改変……」
「この店がただの小汚い地味な店だったという事実は消えた。消えた事実を覚えているのは、君と私だけだ」
ドヤ顔のその男が、僕の理解を超えた向こうの世界の存在のように感じた。
過去を変えた? 現実を改変した?
そんなことができてたまるか。なにかの奇術かトリックに違いない。
大勢の客は役者を雇えばいい。カウンターが片付いているのはキルと話している間にマスターが整理した。ネットの記事だって、ブログの投稿時間なんていくらでもイジることができる。写真はフォトショップ。そうだ、ネットの中の記事なんて幻想だ。
そう考えている間にも、店のドアが開かれ「え〜、満員じゃん〜」なんて間延びた女の声がしたりする。
「なんで僕は元の、消えた事実を忘れていないんですか?」
「私がそういう設定にしたからね。人間は流れていた現実が変わったことに気づくことができない。
君は、前の日の自分と今日の自分がやけに不連続であると感じるときはないかい? 昨日の自分が別人のように感じることは。そんな時は現実がなにか変わっているんだ。実際に過去の君と今の君は不連続の存在なんだよ」
精神異常者か詐欺師か、それとも役者か、神様か。
キルの言葉は不穏なのに、やけに耳障りが良く、ああなるほど宗教にハマルノはこういう気持ちなんだろうな、なんてことをぼんやり思った。
「理玖くん。君に作って欲しいのはこういう謎だ。
解かれる必要がない謎。答えのない謎。物語のきっかけになる謎。世界を動かす謎。
ねえ君、もし月島雫が天沢聖司と家が近所だとかそういうどうでもいいきっかけで知り合ったとして、彼女は恋に落ちたと思うかい?」
「つきしま……?」
「耳をすませば、さ」
「ああ。すいません、僕ジブリは見ないので……」
キルが目に見えてしょんぼりとした。ジブリが好きなのか。
「いや、いい。これから見ればいいからね。ところで……」
何かを言いかけたキルの言葉を遮るように、店内に声が響く
「答えがない謎なんてないのよ! 見つけたわよ、キル!」
ドタバタと慌ただしく桃園の入口のドアが開き、甲高い声が店内に開いた。先程と違いほぼ満席の店内の視線が、一気に声の主に集まる。
「お待ち合わせですか? どうぞ」
中学生くらいだろうか? 少女らしい甲高い声だった。
学生のたまり場としての時代の流れを汲む桃園のマスターは、学生の扱いに慣れており、つまりは変な客の扱いもすっかり慣れたものなのだろう。その客に怯むことなく声をかける。そしてその客の女は、つかつかとこちらに歩いてきて、僕の隣に腰を下ろす。
「前言撤回をしておくよ。消えた事実を覚えているのは、君と私と、それから一部の名探偵だけだ」
*****
「また意味不明な謎を作ったのね、やめなさいって言ってるでしょう! で、この人は誰?」
追加で現れたヤバい女。いくら好奇心の鬼、面白そうなもので白米が食べられる僕でも、腹が膨れすぎて消化不良だ。
当たり前とばかりに少女はキルと向き合うように、つまりは僕の隣に座る。そしてレモンスカッシュを注文する。
成人しているとは全く思えない容姿の彼女は、どういうことかオレンジ色に染めた髪を高い位置でツインテールに結んでいる。親御さんは何を考えているのだろう? 服装は、制服……いや、制服っぽいコスプレ衣装みたいなやつだ。ミリタリー風のカーキ色のブレザーにセットらしいプリーツスカートは、不思議とその少女にしっくりと馴染んでいた。
地味な学生が多いことで有名な我が大学の学生のたまり場だ。暗い髪色に服装の客が多い中、僕たちのテーブルだけがやけにカラフルだ。完全に浮いている。
いくら僕でも、学校の友達に見られたくないと思ってしまう図だ。
「こちらは花宮理玖くん。アルバイトで私の助手をしてくれる。
理玖くん、こちらはユエちゃん。名探偵だ」
「名探偵」
言われたことをオウム返しに繰り返すマシーンと化した僕。視線を横に向けると、少女――ユエは「何よ」と唇を尖らせる。
「あなた、そこの大学の学生さん? キルとつるむなんて、偏差値は高いけど頭は悪いのね」
なんだこの子どもは。大人に向かってなんて言う口の聞き方だ。
「い、いえあの。僕はまだアルバイトをすると決まったわけではなくて。今面接中、という認識なんですが」
「なるほど、これは面接だったのか!」
わっはっは、と擬音が書けそうな豪快さで笑いだしたのは当のキル本人。
「私はもう、理玖くんと一緒に仕事をする気が満々なんだがね。あの募集に連絡をしてくるだけでも相当なものだし、そのうえ君は他の誰にも連絡をさせないようにチラシをはいできただろうチラシを剥いできただろう? そんな事ができる人間はなかなかいないよ」
「ど、どうしてそのことを……?」
「チラシ?」
華々しい登場の割に、いきなり話の蚊帳の外に置かれたユエがテーブルに体を乗り出してくる。僕はズボンのポケットに畳んでしまっていた例のチラシを取り出し、テーブルに置く。
――急募 時給100,000円~ ※謎を作るだけのかんたんなアルバイトです
書かれていた言葉が変わっているなんてことはなく、見覚えのある文字列がそのまま紙上に踊っていた。
「これが大学の掲示板に貼ってあって、僕はこの番号に連絡して、そしたらこうなっているという状況で……」
「なるほど、わかったわ」
さすが名探偵。適当すぎる説明でも事情をある程度察したようだ。
「理玖、あなたは気づいていなかったかもしれないけれど、このチラシもキルによる謎よ」
少女は言葉を続ける。
「答えがない謎なんて世界にない、あってはいけない。閉じない輪はいつか世界をすべて包み込み、、世界のすべてが謎になってしまう。私はこのバカが作り出しに答えのない謎に答えを作り出して、世界の均整を保っている。だから名探偵、と呼ばれている」
ユエはよどみなくそういった。世界の均衡は彼女が保っているそうだが、僕の均衡は彼女によってとどめを刺されそうだった。
「さすがにそれはわけがわからん」
「謎の答えを作ることは簡単よ。まずはこの桃園の謎から解明していきましょう」
僕の心の声は完全にスルーされ、ユエによる解答編が始まる。
先程届いたレモンスカッシュで喉を潤したユエは、滔々と語り始める。
「この古き良き喫茶店『桃園』には不思議な噂があるわ。それは、桃園で試験勉強をすると必ず合格する、ぜったいに単位が取得できるというもの。しかし、もちろん桃園で勉強したからと言って、実際100%単位が取れることはないわ」
ユエの語りは突然大人びたようで、ついつい聞き入ってしまう。
「ところで、桃園の近くにあるX大では、しかもそれは一般的に単位を取るのが厳しいと言われている、1年の選択科目のロシア語があるわ。あまり人気のある授業ではないから知名度はないけれど、単位取得率は50%とも30%とも言われているわ」
……突然知らない話になってきた。
「しかし、ある年ロシア語の後期の単位取得率が100%になった年があるの。その年は少ない授業を取っている仲間内が集まってここ桃園で勉強をしたというの。その話が広がって桃園の噂になっている。のだけれど」
「だけれど……?」
「その話にもトリックがあるのよ。ロシア語の担当の湯築音六子先生は桃園の常連で、しかもこの店によく忘れ物をするんだ。例の年には試験の情報が書かれたノートをこの店に忘れて……」
「ちょっと待って」
「しかも忘れ物をしたのにも合理的な理由があって、この店のカウンターは明かりの関係でものが見えづらく、しかも後期の試験機関である冬季限定でアルコール入りのアイリッシュコーヒーが看板メニューで……」
「いやいやいや!待って」
話を続けるユエを必死に止める。
「ユエちゃ……ユエさんの話、全然知らない話なんだけど! うちの学校の第二言語にロシア語はあった気がするけど、そんな教授は……いたかもしれないけど、今までの話に全然出てこなかったじゃないか!」
「そりゃそうよ。初めて言ったもの」
「なのに、さも当然とばかりに解決編ですみたいに語ってるの? なに日常の謎を解明していますみたいなノリで話してるの!?」
「日常の謎を解決しているからね」
ユエは残っているレモンスカッシュをずずず……と音を立ててストローで吸い上げる。
「あのね、答えから逆算して手がかりを作るのよ」
「……?」
「さあ、あそこを見て」
ユエが指さした先には、見覚えのないポスター。季節限定メニューの宣伝をしている。「冬季限定 アイリッシュコーヒー」……。そしてユエが立ち上がると、カウンターから一冊の本を持ってくる。アルファベットではない、見たことのない文字列。
タイミングと都合がよくお冷を継ぎに来たマスターが
「ああ、その本はそこの大学の先生が忘れていったんだよ。あの先生はよく忘れ物をするんだよ、本だとかノートだとか、財布だとか携帯電話だとか……」
と言い出す。
「本当はこういう風にするんだけど、今は例だからね」
******
――入ってみるしかない。
意を決して、と言いたいが、結構軽い気持ちで僕は桃園の入り口を開いた。緊張するようなことはない、相手はドッキリを仕掛けた学生か、そうでなくとも変人だ。どうなろうと人生のマイナスになることはない。
店内は、相変わらずごちゃっとしていた。カウンターの端には本が積まれている。本当にこの店のものだろうか?見たことのない言語で書かれている本が一番上に積まれている。そういえば、ロシア語の授業を取っているの友だちが持っていた教科書に似ている気がする。
「いらっしゃい」
入店から少し遅れて聞き慣れたマスターの声。席を案内されることはない。この店ではいつものことだ、適当に座る。
電話の主はもう来ているのかと周囲を見回してみる。珍しくガラガラの店内。壁にはいつの間にか冬季限定のアイリッシュコーヒーのポスターが貼られている。気がつけば冬だ。
奥の席に目をやると、一人の男が座っていた。
その姿を見るやいなや、僕は「こいつだ」と確信した。と同時に「こいつじゃありませんように」と神に願った。
******
「……こ、これはどういう」
「キルが謎を作るなら、私は答えを作るの。答えのために過去に手がかりをできるのよ」
さっきまでの記憶と、今作られた記憶が同時に頭の中にある。同じ時間の2つの記憶がある。
「どうして世の中の名探偵がうまく手がかりを見つけて謎を解けると思う? 手がかりは自分で作るのよ」
もうめちゃくちゃだ。
「さあ、もう一つの、謎のアルバイトも解明していきましょう。
考えれば当然のことよ。謎の高級アルバイトと言えば、頭の悪い若者を集めて危ないことをさせると相場が決まっているわ。それは暗鬼館での心理実験か、希望の船エスポワールでの限定ジャンケンか。今回あなたがキルに騙されてつれてこられた先は……」
ユエの言葉を聞いているうちに、次第に周囲の景色がぼやけていくような気がした。
いや、実際に周囲が変わっている。
桃園の、僕が知っていた店よりは少しだけきれいになった古き良き喫茶店の壁は、徐々にゴツゴツとした岩場の壁に変わっている。ここはどこだ、無人島? 無人島に集められた僕達はそれぞれに武器を与えられ殺し合いをはじめ――かと思えば、いつの間にか打ちっぱなしコンクリートの床に寝かされている。体を起こしてみると、周囲には数人の男女、聞こえてくる機械音声じみた声で謎のルールが提示され、僕達は――が、いつの間にか周囲は鬱蒼としたジャングルで謎の薬を投与され化け物となった元人間が襲いかかって来て、怪しい廃墟じみた学校の教室に、真新しい遊園地に、夜の病院、豪奢な館の応接間、そして、そして……。
「理玖くん!」
はっ。
現実に意識が戻される。
現実? 現実とはなんだ。
ぶるりと震える。なんだか肌寒い。花園の店内の暖かさはない。というか、座ってもいない。立っている。大学のメインストリートの端。ひっそりと設置された掲示板の前に、半白半青で頭のスーツ姿の怪しい男と並んで立っていた。
「やあ、おかえり理玖くん。一通り仕事内容は見てもらったと思うんだけど、どうかな? アルバイトは引き受けてくれるかい?」
立ち上がったキルは意外と背が高い。見上げる形になるのが腹立たしい。
というか、すべてが腹立たしい。
何なんだ。
謎とは何なのだ。
謎の解明とは、名探偵とは、何なのか。
僕が見てきた世界は何なのか。
真実とは何なのか。
「時給」
「ん?」
「時給は、本当ですか?」
「ああ」
キルは手首に巻いた腕時計を僕に見せる。
「君が電話を私にかけた時から仕事が始まったとして、電話をかけてきた時間が15時2分。そして今は14時58分だ。マイナス4分だね。実際の実働時間で換算した1時間があの値段だから、今は……」
「いや、いいです」
丁重にお断りをすると、僕は掲示板の前から足早に立ち去った。ちらりと視界の端に「名探偵の助手募集」という張り紙があった気がするが、僕はもう何も見ないことにした。
コンビニでタウンワークでももらって帰ろう。
僕は、謎を知ってしまった。
悔しいことに、それは忘れられるようなことではない。
「じゃあ、またね理玖くん」
そのキルの言葉は、僕の耳に心地よく届いた。



