「男にキスしたいとは思わないし、共にベッドで寝ようとも思わない。もちろん、私も偏見はないが、自分はストレートだ」
「彼はそう思っていないかもしれませんよ、オスカー。彼は明らかにあなたを嫌っています。あなたのアプローチに対して、ノーと言っています」
「私は彼と愉しく会話をしただけだ。それ以上のことはしていない」
そう訂正しながらも、目尻は珍しくゆるんでいる。
「トラヴィスは不思議な男だ。そこにいるだけで、私の冒険心を強く刺激する」
今まで座っていた目の前のソファーを見つめながら、J・F・ケネディ空港で初めて対面した時の光景を思い出した。髪はぼさぼさで、ワイシャツのボタンは適当、ネクタイもなかった。自分の記憶に残る男ではなかった。しかし、突然魅力的な姿になって自分の前に現れた。それはまるで、灰かぶりのシンデレラが魔法によって美しく着飾ったかのような強烈さだった。
「確かに、不思議な男性ですね。爆笑するあなたを久しぶりに見ました」
フィオナはどこまでも冷静だ。
「フィオナも気に入ったか? そばにいても毎日飽きない男だ、トラヴィスは」
「あいにく、そういう行為を人には求めておりません。それよりも、ご自分の冒険心をもう少しコントロールされた方がよろしいのではないかと思います」
何やら浮かれ模様の雇い主へ、シビアに忠告する。
だがオスカーは別段腹を立てず、広いソファーで寛ぐように手足を伸ばすと、グラスを取って残っているワインを美味しそうに飲み干した。ゴシップ誌には自分と寝たとまで書かれたフィオナ・アップルゲートは、実は大変にプロフェッショナルな女性である。美人で知的でエレガントなキャリアウーマンとその記事には紹介されていたが、自分が執筆ライターなら、加えて鉄の女であると書くだろう。仕事にもプライベートにも鉄のような固い意志を持っている。それがフィオナである。例え自分が心から求愛しても、絶対にイエスとは言わないだろう。非情なまでに、仕事とプライベートを切り離している。それなのに、ゴシップ誌にはベッドルームまで空間を共にしていると書かれ、日頃冷静沈着なフィオナが大そう激怒していたのを、オスカーはいまだに覚えている。
「自重して下さい、オスカー。あなたは命を狙われているんですよ」
肝心なことを思い出させるように、フィオナは秘書としての務めを果たす。
「だから彼らは一緒に来ているんです。あなたを面白おかしく愉快にさせるために、フロリダまで行くわけではないんです」
「わかっている。私は命を狙われている。そしてFBIは私の身辺警護として、あの三人を寄越したんだ。その待遇ぶりに応える気持ちはある」
グラスを置くと、そのブルーアイズは何もかも見抜いているかのように、優雅に微睡んだ。
「せっかく命を狙われているのなら、それを活用しないとな、フィオナ」
「無駄に活用なさらないように気をつけて下さい」
インターネット会社のCEO時代からの長いつき合いである秘書は、雇用主の厄介な性格をよく理解している。
「もちろんだ」
と、オスカーは口元に含み笑いを浮かべながら、空のワイングラスをテーブルに置いた。
その時だった。
突如、慌しい音が周辺に鳴り響いた。
フィオナはそれが警報音であるのがわかった。ジェット機に緊急事態が発生したことをすぐに認識し、俊敏に立ち上がる。
だがそれよりも早く、オスカーはプライベートルームを飛び出ると、コクピットへ向かった。
「何が起きたんだ!」
その激しい音は、リビングルームでも鳴り響いていた。
トーマスとヒースは瞬時に臨戦態勢に入る。上着で隠しているホルスターの銃を確認し、周辺を警戒しながら、透明な窓の外へも注意を払う。
一人くさっていたトラヴィスもまた、その鳴り止まない警報音にFBI捜査官の意識が甦って、むっくりと立ち上がった。
「飛行高度が落ちているのか?」
「……いや、違うな」
ヒースは一番大きな窓に近づいて、外の上空を食い入るように眺める。その隣でトーマスも一緒に窓に手のひらをくっつけて、何かを探すように見渡している。
「どうした?」
トラヴィスも近づいた。
「さっき、何かが見えたような気がしたんだ」
「俺もだ。飛んでいくシルエットが視界に入ったような気が……」
ヒースが言い終わらないうちに、水平に飛行していた機体が、突如何かを避けるように斜めに傾いた。その反動で、三人は一斉にジュータンの床に転がる。
「……おい!」
機体がバランスを崩し、マホガニーのテーブルや椅子も横倒しになって滑った。花籠やコーヒーカップや雑誌も斜めになった床を転がり落ちて、室内は一瞬にしてパニック映画のような様相になる。その中を這って窓の縁に掴まったヒースは、機体すれすれに飛んでゆく飛行物体に唖然となった。
「戦闘機だ!!」
トラヴィスも飛んできたペットボトルを避けながら、窓の縁に両手で掴まると、上空を睨んだ。晴れ渡った空で、遠く左前方で旋回するグレーの主翼がかすかに見える。
「……あれは、イーグルだね」
息をつきながら這ってきたトーマスに、トラヴィスは手を貸して、自分の隣へ引っ張った。
「あの形はそうだよ……僕の友人に空軍のパイロットがいて、自慢されたことがあるんだ」
イーグルとは、アメリカの主力軍用機であるF‐15型戦闘機の愛称である。意味は「鷲」だ。
「彼はそう思っていないかもしれませんよ、オスカー。彼は明らかにあなたを嫌っています。あなたのアプローチに対して、ノーと言っています」
「私は彼と愉しく会話をしただけだ。それ以上のことはしていない」
そう訂正しながらも、目尻は珍しくゆるんでいる。
「トラヴィスは不思議な男だ。そこにいるだけで、私の冒険心を強く刺激する」
今まで座っていた目の前のソファーを見つめながら、J・F・ケネディ空港で初めて対面した時の光景を思い出した。髪はぼさぼさで、ワイシャツのボタンは適当、ネクタイもなかった。自分の記憶に残る男ではなかった。しかし、突然魅力的な姿になって自分の前に現れた。それはまるで、灰かぶりのシンデレラが魔法によって美しく着飾ったかのような強烈さだった。
「確かに、不思議な男性ですね。爆笑するあなたを久しぶりに見ました」
フィオナはどこまでも冷静だ。
「フィオナも気に入ったか? そばにいても毎日飽きない男だ、トラヴィスは」
「あいにく、そういう行為を人には求めておりません。それよりも、ご自分の冒険心をもう少しコントロールされた方がよろしいのではないかと思います」
何やら浮かれ模様の雇い主へ、シビアに忠告する。
だがオスカーは別段腹を立てず、広いソファーで寛ぐように手足を伸ばすと、グラスを取って残っているワインを美味しそうに飲み干した。ゴシップ誌には自分と寝たとまで書かれたフィオナ・アップルゲートは、実は大変にプロフェッショナルな女性である。美人で知的でエレガントなキャリアウーマンとその記事には紹介されていたが、自分が執筆ライターなら、加えて鉄の女であると書くだろう。仕事にもプライベートにも鉄のような固い意志を持っている。それがフィオナである。例え自分が心から求愛しても、絶対にイエスとは言わないだろう。非情なまでに、仕事とプライベートを切り離している。それなのに、ゴシップ誌にはベッドルームまで空間を共にしていると書かれ、日頃冷静沈着なフィオナが大そう激怒していたのを、オスカーはいまだに覚えている。
「自重して下さい、オスカー。あなたは命を狙われているんですよ」
肝心なことを思い出させるように、フィオナは秘書としての務めを果たす。
「だから彼らは一緒に来ているんです。あなたを面白おかしく愉快にさせるために、フロリダまで行くわけではないんです」
「わかっている。私は命を狙われている。そしてFBIは私の身辺警護として、あの三人を寄越したんだ。その待遇ぶりに応える気持ちはある」
グラスを置くと、そのブルーアイズは何もかも見抜いているかのように、優雅に微睡んだ。
「せっかく命を狙われているのなら、それを活用しないとな、フィオナ」
「無駄に活用なさらないように気をつけて下さい」
インターネット会社のCEO時代からの長いつき合いである秘書は、雇用主の厄介な性格をよく理解している。
「もちろんだ」
と、オスカーは口元に含み笑いを浮かべながら、空のワイングラスをテーブルに置いた。
その時だった。
突如、慌しい音が周辺に鳴り響いた。
フィオナはそれが警報音であるのがわかった。ジェット機に緊急事態が発生したことをすぐに認識し、俊敏に立ち上がる。
だがそれよりも早く、オスカーはプライベートルームを飛び出ると、コクピットへ向かった。
「何が起きたんだ!」
その激しい音は、リビングルームでも鳴り響いていた。
トーマスとヒースは瞬時に臨戦態勢に入る。上着で隠しているホルスターの銃を確認し、周辺を警戒しながら、透明な窓の外へも注意を払う。
一人くさっていたトラヴィスもまた、その鳴り止まない警報音にFBI捜査官の意識が甦って、むっくりと立ち上がった。
「飛行高度が落ちているのか?」
「……いや、違うな」
ヒースは一番大きな窓に近づいて、外の上空を食い入るように眺める。その隣でトーマスも一緒に窓に手のひらをくっつけて、何かを探すように見渡している。
「どうした?」
トラヴィスも近づいた。
「さっき、何かが見えたような気がしたんだ」
「俺もだ。飛んでいくシルエットが視界に入ったような気が……」
ヒースが言い終わらないうちに、水平に飛行していた機体が、突如何かを避けるように斜めに傾いた。その反動で、三人は一斉にジュータンの床に転がる。
「……おい!」
機体がバランスを崩し、マホガニーのテーブルや椅子も横倒しになって滑った。花籠やコーヒーカップや雑誌も斜めになった床を転がり落ちて、室内は一瞬にしてパニック映画のような様相になる。その中を這って窓の縁に掴まったヒースは、機体すれすれに飛んでゆく飛行物体に唖然となった。
「戦闘機だ!!」
トラヴィスも飛んできたペットボトルを避けながら、窓の縁に両手で掴まると、上空を睨んだ。晴れ渡った空で、遠く左前方で旋回するグレーの主翼がかすかに見える。
「……あれは、イーグルだね」
息をつきながら這ってきたトーマスに、トラヴィスは手を貸して、自分の隣へ引っ張った。
「あの形はそうだよ……僕の友人に空軍のパイロットがいて、自慢されたことがあるんだ」
イーグルとは、アメリカの主力軍用機であるF‐15型戦闘機の愛称である。意味は「鷲」だ。



