「来年、ニューヨーク選出のモランティーノ上院議員が政界を引退する。これはまだ極秘情報だが、我々は自由の女神に誓い合った仲だから、まっさきに教えてくれた。私はニューヨーク市長を辞任し、上院議員へ立候補する。私は共和党だが、ジョゼからすでに応援の約束を取りつけた。彼は民主党だが、身内から立候補する予定の男が気に入らないらしい。私もあの口先だけの男は大嫌いだ。その大嫌いな男をノックアウトさせるという目標を掲げて、ジョゼと頑張るつもりだ。もちろん、負ける予定はない」
全員、黙って聞いていた。オスカーが演説のようによどみなく語った内容は、新聞やテレビやネットなどの通信媒体が知ったら、涎を垂らしてトップニュースするのは間違いないトップシークレット級のものだった。ニューヨーク選出のジョゼフ・モランティーノ上院議員は、民主党出身の政治家である。御年七十歳はとっくに越えているが、議会の歳出予算委員会の古株であり、民主党内でも重鎮と呼ばれる一人だった。その重鎮政治家が政界を引退するだけでも十分なインパクトであるが、さらに共和党の立候補者を応援するとなると、これはもう立派なスキャンダルであった。報道各社は過熱なスクープ合戦になるであろうし、何より身内の民主党ニューヨーク支部が混乱に見舞われるだろう。それは誰よりも政界という荒波を泳いできた上院議員がわかっているだろうし、世界の三大市長の一つと称されるニューヨーク市長も十分承知しているはずである――そういった諸々な事情が、捜査官たちの頭の中を十分に駆け巡るのを待ってから、オスカーは再び口を開いた。
「私は選挙に勝ち、上院議員になる」
その声は、驚くほどに自信たっぷりだった。
「上院議員になったら、私は君たちの良い友人になろう」
最初にトーマスを、次にヒースを、そしてトラヴィスを見回し、最後は捜査官たちのリーダーに戻る。
「私は――君たちの良い友人になれると思う」
その言葉の持つ意味をわからせようとするかのように、ゆっくりと噛むように言った。
トーマスは理知的な唇を静かに結んだまま、オリーブ色の瞳だけを市長へ向けていた。それはまるで古代のフェニキア商人が品物の値踏みをするかのように、非常に鋭くシビアであった。
コクピット内にも少し前とは微妙に違う沈黙が落ちる。フィオナはオスカーが極秘情報を教えてしまったことにショックを受けているようで、青ざめたまま無意識に拳を握っていた。
やがて、トーマスは穏やかに口を開いた。
「――被害者であるミュラー市長が、勘違いだったと仰るのであれば、それまでです」
その口調はまるで商談が成立した営業マンのものだった。
「捜査はこれで終了します」
交渉完了と言うように、手を差し出す。オスカーも満足そうにその手を握り返して、がっちりと握手しあった。
「なぜ彼女を庇うんですか?」
交渉が成立したのを見届けて、ヒースは興味津々で尋ねる。
「本当は彼女のことが好きなんですか?」
「パイロットである彼女を尊敬している。女性が軍に入隊し、戦闘機のパイロットになるまでには、とてつもない試練があったはずだ。彼女はエキセントリックな女性だが、試練に打ち勝った」
「女性は、キッチンに立つのも試練です。毎日試練の連続です」
フィオナは憤懣やるかたない口調でオスカーへ喰ってかかる。
「どのような仕事であれ、私たちはみな努力しています。一人だけが特別ではありません」
「勿論わかっている、フィオナ。君がいなければ、私はとうにミネソタへ帰って、スペリオル湖で釣竿を垂らしていただろう。それも悪くはない人生だが」
オスカーはフィオナの怒りを和らげるように、心を込めて言った。だが長年の秘書は冷たいブリザードで返した。
「あなたは神にかけて自重すべきです。それと、私をあなたのジェットコースターのような人生に巻き込むのを止めて下さい。辞表はいつでも持ち歩いております」
「フィオナ、君に怒りは似合わない」
「あいにく怒りは私の重要なパーソナリティです。契約書にないことで、文句を言われる筋合いはありません」
二人の言い合いを眺めながら、ヒースはこっそりトラヴィスの耳元で囁いた。
「ところで、戦闘機でストーカーした彼女は、本当にパイロットの適性検査を受けて合格したんだろうな?」
「したんだろう? その時の試験官どもは居眠りしてたんだぜ、きっと」
トラヴィスも同じ疑問が頭に浮かんでいたようで、辛口で皮肉る。
「お前の時と一緒ってわけだな?」
ヒースは口笛を吹く真似をする。トラヴィスはやかましいと言いたげに睨みつけた。
「まあ、どっちにしろ、俺たちには関係ないな。この先何が起ころうとな」
「そうだ、この先何かあっても、責任はパイロットに任命したペンタゴンにある。俺たちは知らない。何せ、善良なFBI捜査官だからな」
二人は同じ台詞を繰り返すと、何故か強く頷きあった。
フィオナを一生懸命なだめていたオスカーが、ふいに何かを思い出したようにトラヴィスへ振り向いた。
「そういえば、アビーに電話をしなくてならなかったな」
トラヴィスも思い出した。
「ああ、俺のケツにミサイルを撃ち込むとか言ってましたね。彼女なら、本当にやりそうだ」
「安心したまえ、ちゃんと電話する。君のお尻は私が守ろう」
オスカーは愉快そうに流し目をおくる。
「……」
トラヴィスは無言で首のうなじを手で掻いた。何やら無性にむず痒くなってきた。
「さて、事件は無事に解決した。FBIの諸君には、せっかくだからこのままフロリダまで飛行を楽しんでもらおう」
「そうします」
トーマスは二人を促すと、コクピットのドアを開けた。
「おい、もう用済みなら、さっさとワシントンへ帰ろうぜ」
トーマスの後を追うトラヴィスは、わざとオスカーへ聞こえるように声を張り上げた。
「いいけど、ここは空の上だよ、トラヴィス。どうやって帰るの? ちなみに僕たちはスーパーマンじゃないよ」
「スカイダイビングしようぜ。パラシュートくらいあるだろう。自由に空を飛べるチャンスだ」
「お前一人でそのチャンスに挑戦しろ」
ヒースが後ろからトラヴィスを突っついて、ドアを閉める。
「せっかく市長が楽しめって言ってくれたんだ。フロリダまでゆっくりしようぜ。俺は最近休暇もろくに取れてないんだぞ。そのうちに、国外逃亡するからな。行き先はスペイン、イタリア、ブラジル。その辺を探してくれ」
「君好みの美女がたくさんいる国ばかりだね」
トーマスは呆れ笑いをしながら、不吉なオーラを漂わせるトラヴィスに言った。
「スーパーマンになる前に、まずやらなきゃならないことがあるよ、トラヴィス」
「何だ」
「これ」
と、リビングルームのドアを開ける。戦闘機との接触を避けるために機体が傾いた結果、高級ホテルの一室のような佇まいを見せていた機内は、まるでハリケ―ンが暴れていった跡のような惨状になってしまったが、それは無論事件が解決しても変わってはいない。
「……クリーナーでも持ってくればいいのか?」
トラヴィスは足元にコロコロと転がってきたペットボトルを蹴っ飛ばしてやろうかと思った。
トーマスは首を横に振りながら、ドアの向こうをまっすぐに指す。
「君の行く先はキッチンだ、トラヴィス。そこでコーヒーを淹れてくるんだ」
「ああ、俺もお前のコーヒーが飲みたいぜ。早く淹れてきてくれ」
ヒースは元気に腕まくりをして、無残にひっくり返っているマホガニーのテーブルを両手で持ち上げると、適当な場所に置き直した。トーマスも横倒しになっている革張りのソファーに近づき、ごろんと転がして座れるようにする。
「お前らはミネラルウォーターがお似合いだ」
トラヴィスはズボンのポッケに両手を入れて、心底面白くなさそうに吐き出した。だが、結局はくそったれめと罵りながらダイニングキッチンへと向かう。
「あ、トラヴィス!」
「何だ!」
「僕は砂糖を二つ入れてね!」
「俺は一つだ!」
「やかましい!」
捜査は、トラヴィスの悪態で終わった。
全員、黙って聞いていた。オスカーが演説のようによどみなく語った内容は、新聞やテレビやネットなどの通信媒体が知ったら、涎を垂らしてトップニュースするのは間違いないトップシークレット級のものだった。ニューヨーク選出のジョゼフ・モランティーノ上院議員は、民主党出身の政治家である。御年七十歳はとっくに越えているが、議会の歳出予算委員会の古株であり、民主党内でも重鎮と呼ばれる一人だった。その重鎮政治家が政界を引退するだけでも十分なインパクトであるが、さらに共和党の立候補者を応援するとなると、これはもう立派なスキャンダルであった。報道各社は過熱なスクープ合戦になるであろうし、何より身内の民主党ニューヨーク支部が混乱に見舞われるだろう。それは誰よりも政界という荒波を泳いできた上院議員がわかっているだろうし、世界の三大市長の一つと称されるニューヨーク市長も十分承知しているはずである――そういった諸々な事情が、捜査官たちの頭の中を十分に駆け巡るのを待ってから、オスカーは再び口を開いた。
「私は選挙に勝ち、上院議員になる」
その声は、驚くほどに自信たっぷりだった。
「上院議員になったら、私は君たちの良い友人になろう」
最初にトーマスを、次にヒースを、そしてトラヴィスを見回し、最後は捜査官たちのリーダーに戻る。
「私は――君たちの良い友人になれると思う」
その言葉の持つ意味をわからせようとするかのように、ゆっくりと噛むように言った。
トーマスは理知的な唇を静かに結んだまま、オリーブ色の瞳だけを市長へ向けていた。それはまるで古代のフェニキア商人が品物の値踏みをするかのように、非常に鋭くシビアであった。
コクピット内にも少し前とは微妙に違う沈黙が落ちる。フィオナはオスカーが極秘情報を教えてしまったことにショックを受けているようで、青ざめたまま無意識に拳を握っていた。
やがて、トーマスは穏やかに口を開いた。
「――被害者であるミュラー市長が、勘違いだったと仰るのであれば、それまでです」
その口調はまるで商談が成立した営業マンのものだった。
「捜査はこれで終了します」
交渉完了と言うように、手を差し出す。オスカーも満足そうにその手を握り返して、がっちりと握手しあった。
「なぜ彼女を庇うんですか?」
交渉が成立したのを見届けて、ヒースは興味津々で尋ねる。
「本当は彼女のことが好きなんですか?」
「パイロットである彼女を尊敬している。女性が軍に入隊し、戦闘機のパイロットになるまでには、とてつもない試練があったはずだ。彼女はエキセントリックな女性だが、試練に打ち勝った」
「女性は、キッチンに立つのも試練です。毎日試練の連続です」
フィオナは憤懣やるかたない口調でオスカーへ喰ってかかる。
「どのような仕事であれ、私たちはみな努力しています。一人だけが特別ではありません」
「勿論わかっている、フィオナ。君がいなければ、私はとうにミネソタへ帰って、スペリオル湖で釣竿を垂らしていただろう。それも悪くはない人生だが」
オスカーはフィオナの怒りを和らげるように、心を込めて言った。だが長年の秘書は冷たいブリザードで返した。
「あなたは神にかけて自重すべきです。それと、私をあなたのジェットコースターのような人生に巻き込むのを止めて下さい。辞表はいつでも持ち歩いております」
「フィオナ、君に怒りは似合わない」
「あいにく怒りは私の重要なパーソナリティです。契約書にないことで、文句を言われる筋合いはありません」
二人の言い合いを眺めながら、ヒースはこっそりトラヴィスの耳元で囁いた。
「ところで、戦闘機でストーカーした彼女は、本当にパイロットの適性検査を受けて合格したんだろうな?」
「したんだろう? その時の試験官どもは居眠りしてたんだぜ、きっと」
トラヴィスも同じ疑問が頭に浮かんでいたようで、辛口で皮肉る。
「お前の時と一緒ってわけだな?」
ヒースは口笛を吹く真似をする。トラヴィスはやかましいと言いたげに睨みつけた。
「まあ、どっちにしろ、俺たちには関係ないな。この先何が起ころうとな」
「そうだ、この先何かあっても、責任はパイロットに任命したペンタゴンにある。俺たちは知らない。何せ、善良なFBI捜査官だからな」
二人は同じ台詞を繰り返すと、何故か強く頷きあった。
フィオナを一生懸命なだめていたオスカーが、ふいに何かを思い出したようにトラヴィスへ振り向いた。
「そういえば、アビーに電話をしなくてならなかったな」
トラヴィスも思い出した。
「ああ、俺のケツにミサイルを撃ち込むとか言ってましたね。彼女なら、本当にやりそうだ」
「安心したまえ、ちゃんと電話する。君のお尻は私が守ろう」
オスカーは愉快そうに流し目をおくる。
「……」
トラヴィスは無言で首のうなじを手で掻いた。何やら無性にむず痒くなってきた。
「さて、事件は無事に解決した。FBIの諸君には、せっかくだからこのままフロリダまで飛行を楽しんでもらおう」
「そうします」
トーマスは二人を促すと、コクピットのドアを開けた。
「おい、もう用済みなら、さっさとワシントンへ帰ろうぜ」
トーマスの後を追うトラヴィスは、わざとオスカーへ聞こえるように声を張り上げた。
「いいけど、ここは空の上だよ、トラヴィス。どうやって帰るの? ちなみに僕たちはスーパーマンじゃないよ」
「スカイダイビングしようぜ。パラシュートくらいあるだろう。自由に空を飛べるチャンスだ」
「お前一人でそのチャンスに挑戦しろ」
ヒースが後ろからトラヴィスを突っついて、ドアを閉める。
「せっかく市長が楽しめって言ってくれたんだ。フロリダまでゆっくりしようぜ。俺は最近休暇もろくに取れてないんだぞ。そのうちに、国外逃亡するからな。行き先はスペイン、イタリア、ブラジル。その辺を探してくれ」
「君好みの美女がたくさんいる国ばかりだね」
トーマスは呆れ笑いをしながら、不吉なオーラを漂わせるトラヴィスに言った。
「スーパーマンになる前に、まずやらなきゃならないことがあるよ、トラヴィス」
「何だ」
「これ」
と、リビングルームのドアを開ける。戦闘機との接触を避けるために機体が傾いた結果、高級ホテルの一室のような佇まいを見せていた機内は、まるでハリケ―ンが暴れていった跡のような惨状になってしまったが、それは無論事件が解決しても変わってはいない。
「……クリーナーでも持ってくればいいのか?」
トラヴィスは足元にコロコロと転がってきたペットボトルを蹴っ飛ばしてやろうかと思った。
トーマスは首を横に振りながら、ドアの向こうをまっすぐに指す。
「君の行く先はキッチンだ、トラヴィス。そこでコーヒーを淹れてくるんだ」
「ああ、俺もお前のコーヒーが飲みたいぜ。早く淹れてきてくれ」
ヒースは元気に腕まくりをして、無残にひっくり返っているマホガニーのテーブルを両手で持ち上げると、適当な場所に置き直した。トーマスも横倒しになっている革張りのソファーに近づき、ごろんと転がして座れるようにする。
「お前らはミネラルウォーターがお似合いだ」
トラヴィスはズボンのポッケに両手を入れて、心底面白くなさそうに吐き出した。だが、結局はくそったれめと罵りながらダイニングキッチンへと向かう。
「あ、トラヴィス!」
「何だ!」
「僕は砂糖を二つ入れてね!」
「俺は一つだ!」
「やかましい!」
捜査は、トラヴィスの悪態で終わった。



