The guard part2 FBI連邦捜査官シリーズ

「俺はトラヴィスだ。さっき名乗っただろう? 俺が何をしようとしているのかはすぐにわかる。俺が言いたいのは、ガキでもわかることだ。とても簡単なんだ、アビゲイル。つまり」

 無線マイクへ向かって、深呼吸をした。

「今すぐ美味いコーヒーを飲ませろ! さもないと、このまぬけ野郎を先にぶっ殺すぞ!」
『オスカー!!』

 アビゲイルは甲高い悲鳴をあげた。

『!オスカーに何をしようとしているの!! ああオスカー!! あんたオスカーを殺そうとしているのね!!』
「――いいか、よく聞け」

 いきなりの急展開にポカーンとなる周囲など目に入らないように、トラヴィスは声を押し殺して凄んだ。

「お前の大切なまぬけ野郎を殺して欲しくなかったら、今すぐ俺に美味いコーヒーを飲ませろ。いいか、俺は本気だ」
『オスカーに手を出さないで! 彼を傷つけたら絶対許さないわ!』

 アビゲイルは自分が何をしようとしていたのかも忘れたかのように、必死に叫んでいる。

「俺は善良なアメリカ市民なんだ。このまぬけ野郎を傷つけることはしたくない。俺はただ美味いコーヒーが飲みたいだけだ」
『――私に何をしろって言うの?』

 トラヴィスは真面目に答えた。

「今からコーヒーショップへ向かう。その進路を邪魔するな」
『ついていくわ!』
「ついてくるなら、このジェット機からまぬけ野郎にスカイダイビングをさせる。パラシュートなしでな」

 アビゲイルの声がまた震えた。

『……ひどいわ……何てひどい男なの!……』

 少し前にミサイルを発射して殺すと宣言した女性と同一人物とは到底思えないような憤りようだった。その変わりように、トラヴィスは腹を下したような気分になる。だが自分へ視線を向けるトーマスが、もっと喋るようにと強く頷くので、気持ちを持ち直して続けた。

「アビゲイル、お前は優しい女だ。このまぬけ野郎を愛しているなら、俺の言うとおりにしろ。俺は善良なアメリカ市民だ。約束は必ず守る」
『……オスカーの声を聞かせて!』

 まるで悲劇のヒロインのような嘆願に、トラヴィスは胸焼けを起こしたようなしかめづらをして、無言で無線マイクをオスカーへ突き出した。オスカーはプロの役者が演じるように、やんわりと安心させつつ切実な響きを滲ませて囁いた。

「私は大丈夫だ。彼の言うとおりにしてくれ、アビー。お願いだ」
『……』

 スピーカーは沈黙した。だが、すぐに切ない泣き声が洩れてきた。

『……わかったわ。あなたのためよ』

 ぐすぐすと鼻をすすり上げる気配がする。

『私、あなたのためならなんでするわ……必ずあなたを救うわ……だから、安心してちょうだい、オスカー……』
「ありがとう、アビー」

 トラヴィスはもうやっていられないというように、ぞんざいに無線マイクを引っ張った。

「わかったな? わかったら俺の言うとおりにしろ。あとで、まぬけ野郎に電話をさせる。安心しろ」
『……絶対よ! もし約束を破ったら、あんたのケツにミサイルを撃ち込んでやる!』
「ああ、そうしろ。いつでも二十四時間オッケーだ!」

 面倒そうに言い返して、無線マイクのスイッチを切ろうとした。

『……トラヴィスね』

 スピーカーから、まるで闇の底に閉じ込められた魔物が手招きするかのような薄暗い声が洩れてきた。

『トラヴィス……お前の名前は絶対に忘れないわ……あとで地獄を見せてやる……』

 通信はそこで切れた。

 誰も何も言わなかった。アラームだけがコクピットに甲高い音をまき散らすこと数秒ののち、クローバー機長が淡々と業務連絡をした。

「イーグルが離脱しました」

 アラーム音も止まった。

 静けさを取り戻したコクピット内で、初めにふっと息をついたのは、トラヴィスだった。

「感動的なエンディングだった」

 無線マイクを戻しながら、皮肉たっぷりにオスカーを睨んだ。

「本当に素晴らしかった、トラヴィス。君の機転は見事だった」

 まぬけ野郎と連呼されたオスカーだが、気にする素振りもなく褒め称えた。しかしトラヴィスはその言葉にもむかついた。

「彼女がめちゃくちゃなんです。ついでにあなたもね」
「同感だ」

 けなされてもニューヨーク市長は輝くような笑顔で同意した。

「スーパージェットコースターに乗っている女性だったな。あの感情の変わりようはカメレオン並みだ。久しぶりに凄いものを見せてもらったぜ」

 まるでホラー映画のプレビューのようなことを言うヒースも、鳥肌物のように慨嘆(がいたん)している。

「だいたい、市長を殺そうとしたのに、お前の阿呆な殺害予告に泣いて助命嘆願するって、どういう精神構造をもったら出来るんだ? これこそ本部の養成コースで取り上げて欲しいケースだな」
「全くだ。クアンティコにいる連中に、戦闘機で追いかけてくる女のプロファイリングをお願いしないとな」

 文句がとまらないトラヴィスに、トーマスが優しくいたわった。

「でもよくやったね、トラヴィス。彼女のような地雷原に、先に手榴弾を投げて爆発させたのは大成功だったよ。僕たち全員命拾いした。彼女の呪いには、あとで教会へ行って、悪魔祓いをしてもらうことにしよう」
「……そうだな」 

 何かが妙に引っかかる言い方だったが、一応ありがたい顔をした。トーマスはそんなトラヴィスをニコニコしながら眺めた後で、おもむろにオスカーへ切り出した。

「それでは、これからアビゲイル・リーズの逮捕状を請求します。彼女の犯罪は明白なので、ペンタゴンも文句は言ってこないでしょう。フロリダに到着次第、本部へも報告します」
「ちょっと待ってくれ、アンダーソン捜査官」

 オスカーはその言葉にすぐに反応した。両手を手前に上げて押し止める仕草をする。

「彼女の犯罪とは、何だ」
「あなたへの脅迫罪です」
「私は脅迫されていない」
「あなたを殺害しようとしました」
「それもなかった」

 オスカーは訝う周囲の空気に向かってはっきりと言い切った。

「彼女が送った手紙は、私へのラブレターだった。彼女がイーグルを操って私を追ってきたのは、私へ告白するためだった。愛の告白をね」
「……」

 ヒースもトラヴィスもフィオナまでもが、文字通り目が点になる。いきなり何をとち狂ったことをと、心配そうな不満そうな呆れたような視線がオスカーに集中した。

「私は正常だ。いいかね、彼女は何も罪を犯してはいない。だから、事件自体はないんだ」
「……オスカー、その言い分は犯罪行為です」

 フィオナが怒ったように詰め寄る。雇い主が何をしようとしているのかわかったのだ。

「犯罪のもみ消しは許されない行為です。ニューヨーク市長としても、許されません」
「犯罪のもみ消しはしていない。なぜなら、犯罪自体がなかったからだ」
「彼女はスペリオルを追いかけてロックオンし、ミサイルを発射しようとしたんですよ!」
「それは私を案じてのことだ。彼女は軍人だ。合衆国民の安全を守るのが務めだ。彼女はスペリオルを守ろうとしたんだ。そうだろう? アンダーソン捜査官」

 オスカーは同意を求めるように話をもっていった。その二つのブルーアイズは、相手の心を取り込むかのように、何とも抗えない魅力的な輝きを放っている。

 しかしトーマスは平然とそのきらめきをはねのけた。記者たちからは胸踊らされる最高のブルーアイズと呼ばれるその魔法も、スマイルキラーには全く効かなかったようだった。

「仰っている意味がわかりませんが」
「彼女は何をしていない。つまりそういうことだ」
「我々はニューヨーク市警から要請を受けて、捜査に来ました。その市警は市長からの通報を受けたのです」
「私の勘違いだった」

 その強引な言い方に、トーマスは事務的な口調で応じた。

「犯人隠匿は犯罪行為です、市長」
「隠匿ではない。君たちがもっとよく分かる言葉で言おう」

 オスカーはうっすらと笑みを浮かべていた。