革新政党と御用新聞の癒着

 さっきの独白は説明不足だったようだ。俺に専任通信員の解任を直接言い渡したのは県議団だ。県庁に呼ばれ叱責された。県議は二人いるが、一方の県議は黙っていた。もう一方は副委員長でありながら実質的に県委員会で独裁者として君臨している。県常任委員会は彼の傀儡だ。副委員長には随分と罵倒された。あとで知ったことだが、副委員長自身も女性をめぐるトラブルメーカーで中央から呼び出しを食らっていた。最も差別に敏感でなければならない政党でありながら、彼は女性県議をゴリラと呼んだりしていた。私は県委員長からも叱られた。口調は穏やかだったが、目には鋭い光が宿っていた。彼は中央に栄転した。が、それは表向きの話だ。女性問題で地元の閉鎖的視線に耐えられず逃げたようだ。稗原から袖師まで通い、毎晩遅くまでパソコンに向かって仕事をしている姿を見ていたので私はがっかりした。浦和高校から東大へ行った秀才が聞いてあきれる。前東部地区委員長も女性問題が発覚して任を解かれ、今は県委員会にいるらしい。彼とは同年代だったので親しかったが、県議を乗せて速度超過の危険運転を犯した。免停を食らったことを武勇伝のように話していた。そんな男を国政選挙の比例候補として承認した中央も理解に苦しむ。専従として残ることもできたが私は退職した。件の女性記者とは転職してから取材現場で会った。彼女は出雲総局に配属されていた。市役所の記者室や現場で何度か会ったが、ようやく声をかけたれたのは何かの竣工式だった気がする。「政経部はやめたんですか?」との私の問いに普通に応じてくれた。私は党を退職してからずっと考えていた。彼女は私がそっと渡した携帯番号について誰かにうっかり話してしまったのだと。それが御用新聞内で広まり、嫌われ政党の職員だった私は切られる羽目になった。彼女と会話をしたのはそれきりだが、私は積年の重圧から解放され心晴れやかになった。だが、御用新聞への恨みは晴れたわけではない。県議を通じて私に伝達するのは卑怯だ。副委員長によると、御用新聞の言い分は以下のとおり。
「貴党の記者がいる限り、当社としては女性記者を現場に出すわけにはいかない」(了)