コスプレ男のコと、氷の王子様


「断る」

「まだなにも言ってねーよ!」

 戸部が俺のにべもない台詞にずっこけながら突っ込んだ。

「お前の『話がある』は基本的に聞かない。
 どう考えたって面倒事に決まってる」

「いや、せめて話くらいは聞いてくれよ。
 クラスのやつらにお前の説得を頼まれたんだ」

「『説得』か。
 やっぱり俺が渋る話なんだな」

 うっと胸を押さえて戸部が情けない顔になりながら言い募った。

「頼むよ、永瀬、話だけでも聞いてくれ」

「俺が了承する前提の話の進め方だな」

「お前って、本当に可愛げがないよな」

「お前に可愛いなんて思われたくもないから、問題ない」

 ううー、とさらに唸って戸部が頭を抱える。

 俺はこれ見よがしに溜め息をついてみせる。

 戸部は悪いやつではない。

 俺なんかと話してくれる奇特な人間でもある。

 まあ、いじめるのもこれくらいにしてやるか──。

「なんだよ、なんの話だ」

 促すと、戸部が光明を見たような表情で顔をあげた。

「聞いてくれるのか、永瀬」

「まずは聞くだけだ。
 いいか、あくまで聞くだけだぞ」

「おお、構わないよ!
 でな、話ってのは……」

 戸部が水を得た魚のごとく喋り出した。

「文化祭のことなんだ」

「文化祭?」

「ああ。
 10月にあるだろ。
 その出し物でさ、うちのクラスは殿崎を前面に出した企画を考えてるんだ」

「ああ……、また殿崎か」

 俺は腕を組んで教室の天井を見上げる。

 放課後の教室には俺たち以外誰もいない。

「まあ、そう言わず、続きを聞いてくれ。
 殿崎を使えば他校のやつらも集客できる。
 そこで、殿崎との写真撮影とかサイン会とか、殿崎のグッズを景品にしたビンゴとかどうかって提案が出てな。 
 それだけでも充分だとは思うんだが、永瀬にも協力してもらえば、もっと集客が期待できるんじゃないかって」

「……協力って、例えば?」

 戸部が社長相手にプレゼンでもするかのように、緊張を顔に貼り付けている。

 俺相手にこれでは、社会人になったとき大丈夫なんだろうか。

「殿崎と永瀬のツーショットの写真を展示して、永瀬プロデュースのコラボドリンクとか、グッズの販売とかしたいなって」

「……つまり、俺は客寄せパンダか」

「お前のコスプレ、すげえ話題じゃん?
 『氷の王子様』直々に接客すれば、他校の女子が殺到するのは間違いないって、みんなが言っててさ。
 あ、俺じゃないぞ、みんなが、だ」

「別に誰だって構わねえよ。
 ほら、話は聞いたぞ、俺は帰るからな。
 お前も部活行け」

 ネクタイを緩めつつ、かばんを手にして立ち上がる。

「待った、待ってくれ、永瀬。
 なあ、頼むよ、検討してみてくれ。
 俺、みんなから期待されてるんだよ、殿崎からも」

「知らん。
 最後まで聞くまでもなかったな。
 新しい企画考えろよ、じゃあな」

 俺が手を振ろうとすると、戸部が腕に絡みついてきた。

「おい……って、なにしてんだよ!」

 そのまま馬鹿力で俺を組み伏せる。

 部活で鍛えているだけあって、抑え込まれたらギブアップするまで蛇のように執拗な攻撃を止めることはない。

「お前、いい加減にしろよっ」

 俺は痛みを堪えながら逃れようともがく。

 普段からたいして運動もせず、力もない俺は力では戸部に敵わない。

「頼む!
 協力すると言ってくれ!
 お前にこんな真似したくない!」

「じゃあ今すぐやめろ!
 くそっ、お前、覚えておけよ!
 これじゃ『協力』じゃなくて『強要』だろうが!」

「なんでもいいからイエスと言ってくれ!」

「どんな理屈だよ!
 お前、ぜってえ許さねえ!」

「俺だって、友達にこんなことしたくないんだよ、信じてくれ!」

 しばらく揉み合っていたが、筋肉馬鹿の攻撃に力尽き、俺は抵抗するのをやめた。

 呼吸を乱しながら戸部が俺を解放する。

 俺は立ち上がる力すら奪われていた。

 ぜいぜいと荒くなった息を整えながら戸部を睨みつける。

「……お前、本当に、覚えて、ろよ……。
 お前の所業、忘れないからな。
 末代まで、恨んでやる」

「わかってくれ、永瀬。
 俺だってこんなこと、したくないんだよ。
 でも、お前が頑固だから、強硬手段に出るしかなくて……」

「誰が、頑固だ……ふざけやがって……。
 お前、夜道には、気をつけろよ」

「俺のことは好きなだけ恨んでくれていいから。
 承諾して、くれたんだよな?」

「ああ、お前の命と引き換えにな」

 俺は教室の床に大の字に転がると、残されたわずかな力で床に拳を叩きつけた。



 数日後、俺はピンクのドレスに金髪のウィッグを被って傾国のお姫様になっていた。

「おおーっ、可愛い、可愛い、可愛いぞ、永瀬!」

「クールな美少女、似合うと思ってたんだよなあ、殿崎とはまた違った良さがある!
 これはアクスタ売れるぞ!」

「美形はなにやっても様になるんだなあ」

「ここまでのポテンシャル、なんで今まで隠してたんだ、もったいないな、まったく」

 クラスメイトの気色悪い台詞を意識的に頭から追い出し、なるべく表情に出さないように奥歯を噛みしめて耐える。

 隣に並ぶ黒髪の清楚なメイド服を着た殿崎が嬉しそうに密着してくる。

「ほら、もっとくっつかないと、ひづくん。
 お姫様とメイドは、誰にも切れない強固な絆で結ばれてるって設定なんだから」

「知らねーよ、そんなの」

 小声で小競り合いしながらも、色んなアングルから写真を撮られていく。

 表情を緩める瞬間がまったくない。

 もう何パターン撮っただろう。

 教室の外には、見物人が日に日に増えていく。

 文化祭の準備に忙しいだろうに、ご苦労なことだ。

「これで女子も男子も集客できるぞ!」

 クラスメイトの士気は上がる一方だ。

 お姫様から王子様まで、俺は七色の変化を遂げていく。

 完全に無の境地だった。

 事務作業のようにつぎつぎ着替え、写真を撮影すると、着せ替え人形の苦労が身に染みて理解できた。

 自分の意に沿わぬ衣装を着せられメイクをされるのは、人形といえどさぞストレスを溜め込んで疲れるに違いない。

 俺は疲れた。

 心底疲れた。

 撮影を終えると、写真部のやつが、教室の壁に貼る写真を選定する。

 その間に、俺と殿崎は出来上がったアクリルスタンドなんかのグッズにサインを書き、数種類のジュースを混ぜたオリジナルドリンクの開発に取りかかる。

 当日は俺と殿崎がコスプレして客を迎え、撮影会をしたり接客をしたりする予定だ。

「これは稼げるぞ、打ち上げは贅沢に行こう!」

 クラスメイトの目が¥のマークに見えてくる。

 文化祭まで、俺は連日極限まで気力も体力も搾り取られて帰宅し、なんとか夕食とシャワーを終えるとベッドに倒れ込み、貪るように睡眠を取った。


 俺の高校の文化祭は、人気があり毎年近隣住民や近くの学校の生徒がやってくる地域の一大イベントだった。

 10月某日、3日間にわたる文化祭が華々しく開幕した。

 初日から、うちのクラスは大盛況を記録した。

 氷の王子様になった俺のもとには女子生徒が殺到し、俺は空腹を感じる余裕すらないほどに接客に明け暮れた。

 なんの価値があるんだか不明な俺と殿崎のサイン入りのグッズ目当てに、ビンゴ大会は大盛り上がり、ドリンクも飛ぶように売れ、展示されているパネルを撮影していく客で人波が途絶えることはなかった。

「氷の王子様、配信観てます!
 応援してます!」

 中学生くらいの女の子が、顔を赤らめながら俺にサインを求めてくる。

──応援、か。

 俺という存在が、顔も知らない誰かの生活に入り込んでいるなんて、なんだか壮大な話すぎて想像もつかない。

「氷の王子様、大好きです!
 明日もきます!」

 俺よりも年上だろう女性に興奮気味に声をかけられ、なんとか愛想笑いを返す。

 他人に好かれる自分。

 無償の愛を向ける対象に、俺は今なっている。

 正直、俺なんかのグッズに貴重な金を払う神経がわからない。

 なんだか不思議だ、現実感がない。

 俺のことを、好きだなんて。

 応援、してるだなんて。

 こんなにも、誰かから求められるなんて。

 ずっとひとりでいいと思って生きてきた。

 友達だって恋人だって必要ないと、そう割り切ってきた。

 自分が誰かに好かれることを望みはしなかった。

 同じくらい、誰のことも好きにならないつもりだった。

 でも、今、俺が見てきた世界が、変わろうとしている。

 革命が起きようとしている。


「氷弦!」

 俺の思考が果てなき宇宙に飛ばされたそのとき、聞き慣れた声に呼ばれ、はっと振り向いた。

「母さん……」

 隣には殿崎父もいる。

「綺麗ねえ、氷弦。
 よく似合ってるわよ」

 宇宙から地球に引き戻されて、俺は急に恥ずかしくなって顔を逸らしてしまった。

「……なんだよ、きたのか」

「そりゃくるわよ、息子の晴れ姿、この目に焼き付けないと!」

「……子どもじゃないんだから、親がくるとか恥ずかしいだろ」

「氷弦、青春は短いのよ。
 氷弦をそばで見守れるのも、あとちょっとしかないんだから。
 すぐ大きくなっちゃって、家を出て行ったりしたら、どうせ氷弦のことだから、実家にも寄りつかなくなるだろうし……」

「まあ、その寂しさを埋めるために僕がいるんだけどね」

「あら、やだ、誠さんったら!」

 母親は大げさに照れて、殿崎父の背中をばんばんと叩く。

 親のいちゃいちゃほど見ていられないものはない。

「そういうのはよそでやってくれよ」

 辟易しながら言うと、「きてくれたんだ!」と殿崎がやってきた。

「翔太くんも可愛いわねえ〜。
 ね、ね、ふたり並んで。
 自慢の息子ふたりをご近所に見せびらかさないと!」

 母親がスマホを構える。

 殿崎に腰を引き寄せられ、やけに密着しながらレンズに収まる。

「はい、チーズ!」

 仏頂面の俺と、満面の笑みでピースサインする殿崎がスマホに刻まれた。

 満足したのか、文化祭を思いっ切り楽しむべく、はしゃぎながら親が立ち去っていく。

 ぴったりと寄り添うふたりの後ろ姿を眺めていると、なんだか微笑ましくて再婚してよかったな、と感傷に浸った。


 そんなわけで、文化祭1日目は大盛況につき忙しく立ち回っているうちに嵐のように過ぎ去っていった。

 2日目は殿崎が少女探偵、俺が助手のおしとやかなロングの黒髪の少女のコスプレをして客を迎えた。

 今日のコスプレは、ふたりとも女装ということもあって、男性客の集客を意識していた。

 今日も今日とて客足は途絶えず、文化祭は大盛り上がりだ。

 講堂では軽音部のライブがあり、模擬店も競争するように並び、客に声をかけて回っている。
 
 お化け屋敷だとかコンセプトカフェだとか他のクラスも王道の出し物でしのぎを削っていた。

 昼過ぎ、人波が途切れたのを見計らって、休憩を取ろうと教室を離れ、階段を下りていた俺の視界に、階段をのぼってくる殿崎が映った。

──なんか、やけにふらふらしているな。

 不規則に揺れながら階段を上がってくる殿崎を横目に、すれ違ったそのときだった。

「うわあっ」

 その声にとっさに振り向くと、階段につまずいた殿崎が落下してくるところだった。

「危ない!」

 俺は慌てて殿崎を受け止め、自分も落ちないように足を踏ん張る。

──デジャヴだ。

 いつかとまったく同じ光景だった。

 殿崎の身体を抱えて慎重に階段をあがり、廊下に座らせようとしたが、力を失った殿崎が俺にもたれかかるので抱きしめるようにして支えた。

 抱き留めた殿崎は、苦しそうに呼吸していた。

 顔色が悪い。

「おい、殿崎、大丈夫か」

 声をかけるが反応はない。

「殿崎、殿崎?」

 俺の声に気づいて人が集まってきた。

「どうした?」

「階段から落ちてきて……」

 とある有名探偵を彷彿とさせるステレオタイプな少女探偵のコスプレをしている男子生徒を女装した男子生徒が抱きしめている図というのも、なかなかシュールなものがある。

 しかし、今はそんなことを言ったり考えている場合ではない。

「おい、誰か先生呼んでこいよ」

 誰かが叫んでいる。

 俺の腕の中の殿崎が、うっすらと薄目を開けた。

「殿崎、大丈夫か?」

 すると、殿崎が弱々しい笑みを浮かべ消え入りそうな声で「ひづくん」と呟いた。

「なんだ?」

 俺は殿崎の口元に耳を寄せる。

「ごめんね、ひづくん……。
 僕、もう、駄目みたいだ……。
 もう、眠くて仕方がないんだ。
 ひづくんの腕の中で生涯を終えられるのなら、悪くないよね……。
 ひづくん、大好きだよ、愛してる」

「は?
 お前、なにを言って……」

「聞いて、ひづくん……。
 僕、悪い子じゃなかったから、きっと天国に行けるよね……?
 先に行って、ひづくんがくるまで待ってるから……。
 僕がいなくて寂しいだろうけど、頑張って生きるんだよ。
 ひづくん、幸せになってね。
 また、ね……」

 そう言うと、殿崎は瞳を閉じた。

「お、おい、待て、死ぬな!
 殿崎!殿崎!」

 俺は我を忘れて殿崎の名前を叫び続けた。

──死ぬのか?

 殿崎が?あの殿崎が?

 青ざめたままの殿崎の頬をそっと撫でる。

 柔らかい感触と温もりがあることに一安心するが、逆に俺の身体は震え、手も足も冷え切っている。

 ぎゅ、と殿崎の身体を抱きしめる。

──なんでだ、殿崎に持病でもあったのか?

 わけがわからず俺の額と殿崎を支える手のひらに汗が滲む。


「意識がないのか?」

 駆けつけてきた男性教師が殿崎の顔を覗き込み、脈拍を確認する。

 そこへ別の教師がやってきて、即座に話し合いをすると、「救急車を呼びます」と強張った顔で教師が言い、スマホを耳に当てつつ小走りで職員室のほうへ駆けていく。

 俺と殿崎を中心に人垣ができ、なにごとかと野次馬が群がっているようだが、今の俺に他人の好奇の目に構う余裕はなかった。

 なんでこんな展開になったのかはさっぱりわからないが、とにかく今は、殿崎に無事であってほしいとだけ願う。

「救急車は、救急車はまだですか?」

 俺は焦れて背後を振り返る。

 深刻な表情の教師とクラスメイトが顔を見合わせる。

 殿崎も心配だが、あまりに狼狽(ろうばい)している俺の様子にも困惑しているようである。

 冷静さを失っているという自覚も、このときの俺にはなかった。

 ただ、殿崎に助かってほしいと、その一心だった。

 救急車が到着するまでの時間がスローモーションのようでとにかく長い。

 体感で半日は経っているのではないだろうか。

 動かない殿崎を抱え、焦燥と苛立ちと不安が綯い交ぜになり生きた心地がしなかった。

 やがて遠くからサイレンが聞こえ、はっと顔をあげた。

 近づくサイレンの音がどんどん大きくなり、校門の手前で停まった。

 突然の救急車の登場に、模擬店に並んでいた客や学校関係者や生徒が驚いて、ざわめきが校舎内にまで聞こえてくる。

「こっちです!」

 誘導する教師とともに、救急隊員が3人走ってきた。

「ちょっと見せてください」

 救急隊員は、てきぱきと殿崎の身体の数値を確認すると、ストレッチャーに乗せ運びはじめた。

 俺は海を割る神話のように、左右に割れてストレッチャーを遠巻きに眺めている人波を縫って救急車まで辿り着いた。

 殿崎とともに救急車に乗り込もうとすると、隊員に制止される。

 俺は隊員にしか聞こえない小声で「家族です」と訴えた。

 隊員は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにうなずいて早く乗るよう促した。

 腰をかがめて、人生初めての救急車に乗り込むと、耳が痛くなるほどのサイレンの音がひび割れて聞こえはじめた。

 救急車の揺れに身を委ねながら、瞳を閉じたままの殿崎の隣に座ってチューブや医療機器に占領された狭い車内でひたすら殿崎の手を握っていた。

 人波のつぎは車を左右に割って救急車が道路を爆走する。

 20分ほど走り、救急車は総合病院に到着した。

 隊員がストレッチャーを下ろすと待ち構えていた救急医に容体を説明しつつ、病院内に殿崎を運び込む。

「ここでお待ちください」

 隊員から殿崎を託されたスタッフは俺に待合室で待つよう指示を飛ばすと慌ただしく走り去っていった。

 俺は呆然と殿崎を見送った。

 つぎに母親に連絡するためにスマホを引っ張り出そうとして、俺は愕然とする。

 ぎこちなく視線を下ろしていき、自分の姿を確認して絶望的な気分に顔を覆った。

 あまりに動転していたからすっかり失念していたが、俺は今、コスプレ姿だった。

 これでは救急隊員も驚くというものだ。

 ウィッグを剥ぎ取り、顔を隠すようにうつむきながら待合室のベンチに腰を下ろす。

 通りすぎる病院のスタッフと、マスクをつけて重い咳をしている患者が俺を見てぎょっとし、すぐに見てはいけないものを見たような顔になって目を逸らし、俺からできるだけ距離をとって歩き去っていく。

 脳内はまだまだ混乱状態だが、だんだん羞恥心が湧いてきた。

 ポケットがないコスチュームにスマホは入れられていない。

 学校に置いたままだ。

 俺は手持ち無沙汰になって、ひたすら掛け時計の秒針を追うことしかできなかった。

──どうか無事であってほしい。

 素直に、愚直に、そう願う自分がいた。

 脳裏には、殿崎の笑顔が浮かんでは消えていく。

 同時に殿崎に抱いた怒りも蘇ってきた。

──そういえば俺、たった数ヶ月前まで殿崎のこと嫌いだったな。

 戸部の初恋の相手だったし、殿崎に落ちないとまで言い切ったのが、もう遥か昔のことのようだ。

 でも、今、殿崎を好きかどうかと()かれれば、俺は首を縦には振らないだろう。

 誰のことも虜にできると思っている殿崎の思考が気に入らないし、俺を簡単に落とそうとしたのもしゃくだ。

 ただ、殿崎は俺が持っていないものを持っていて、俺はそれをお裾分けしてもらった。

 コスプレという初めての体験。

 それによって起こった心境の変化。

 自分を、変えてくれた人。

──良くも悪くも、な。

 だから、今はただ願う。

 殿崎、目を覚ましてくれ、と。

 
「氷弦!」
 
 病院の診療時間が終わったころ、母親が血相を変えて俺のところまで転がるようにやってきた。

 病院のスタッフに俺が連絡先を教え、母親に報せたのだ。

「大丈夫なの、翔太くんは!?」

 石像のように待合室で座り続けていた俺は緩慢に首を左右に振った。

「まだ目を覚まさない」

「そう……」

 母親は落胆した様子で溜め息をついた。

「誠さんは、仕事でこられないみたい」

「母さんだって、今日は夜勤だろ。
 俺がここにいるから」

「頼んだわよ、氷弦。
 これ、着替えね」

 母親が紙袋を差し出す。

 母親に連絡する際、着替えを持ってきてほしいと伝えてもらった。

 病院のスタッフは、コスプレ姿で病院にこなくてはならなくなった俺を不憫(ふびん)に思ったのかすぐに快諾してくれ、なんとか着替えを用意してもらうことができた。

 母親は1時間ほど病院に留まって殿崎が目を覚ますのを待っていたが、俺にあとを頼むといって病院を出ていった。

 トイレで着替え、コスチュームを紙袋に突っ込むと、あとはやることがなく、俺はひたすら殿崎が目覚めるのを待つしかなかった。

 灯りの落とされた待合室でベンチに横になり、仮眠を取る。

「殿崎さん」

 そう呼ばれ俺は目を覚ました。

 目の前には、困惑した表情の白衣をまとった中年男性が立っていた。

「……あの、さまざまな検査をしたのですが……」

 男性医師は非常に言いにくそうにそう切り出した。



「……あれ」

 ベッドの横に置かれた丸椅子に座っていると、そんな声とともに殿崎が俺の目の前で目を覚ました。

 目をしょぼしょぼさせ、ごしごしと両手でこすったあと、クリアになった視界で、俺に視線を移す。

「ひづくん……?
 僕……?」

 殿崎は不思議そうに俺を眺める。

「……やっと起きたか」

 俺は冷たい声を投げつけた。

「……僕、生きてる?」

 俺は大げさに溜め息をついてみせた。

「僕、死ななかったんだ」

 そう言いながら殿崎が上体を起こす。

 生存確認でもしているのか両手を開いたり閉じたりしながら室内を見回し、「ここ、病院?」と俺に訊いてきた。

 それには答えず、俺は無感情に「お前さ」と突き放した口調で言うと腕を組んでさらに足も組んだ。

 俺から放たれる軽い殺気を敏感に察した殿崎が「ど、どうしたの、ひづくん」とやや気圧(けお)されたように怯えた表情になる。

「寝てないだろ、最近」

「……え?
 ……どうだろ……。
 でも、そうかも……。
 コスチューム仕上げるのに徹夜続きで、授業中しか寝てないかも……?」

 授業中に寝るなよ、と至って常識的な突っ込みは入れない。

「え、もしかして、僕って、悪い病気じゃないの?」

 俺は呆れを存分に込めた溜め息を盛大に吐き出す。

「病院も、色々検査したみたいだけど、結果は……」

「結果は……?」

「『よく寝ていらっしゃいます』だとさ」

「……え」

 「え」はこっちの台詞だ。

 お前が倒れてから今まで、俺がどれだけ心配したか、生きた心地すらしないほど絶望していたか、あまつさえ、泣きそうにだってなったんだぞ。

 大勢の前で殿崎の名前を叫び続けて、青い顔して救急車に乗って、殿崎の手を祈るように握って、殿崎が死ぬかもしれない恐怖を味わった。

 なにか悪い病気なんじゃないか、今すぐにでも呼吸が止まってしまうんじゃないか、そう考えるだけで身体中の血液が凍ってしまいそうなほどの恐怖に包まれた。

 緊張で神経が極限まで張り詰めて、いつ切れてしまってもおかしくない精神状態だった。

 叫び出したいほどの不安にひとりで耐えていたというのに、こいつは……。

 そんな俺を尻目に、すやすやと健やかな寝息を立てて眠っていたのだ。

「思わせぶりな台詞吐きやがって……。
 どれだけ俺を振り回せば気が済むんだ、お前は」

 俺の言葉に怒りが滲む。

 殿崎は両手を突き上げて伸びをしながら、えへへ、と笑った。

「ごめんね、ひづくん。
 あのときは、本当に頭がくらくらして、歩けないくらいふらふらして、ああ、もう駄目だ、僕は死ぬんだって、思っちゃったからさ。
 最期にひづくんへの思いを伝えなきゃって、必死で」

「ただの寝不足で半分船漕いでただけだったのか」

「そうみたいだね、あー、よく寝た。
 なんか頭がすっきりする。
 ひづくんが出てくる夢を見てた気がするなあ。
 あっ、これ病院着?
 コスチュームはどうなったの?」

──一番最初に気にするのがそれかよ。

 俺は足元の紙袋を指した。

「そこに入ってる」

「えっ、こんな乱暴に突っ込んだらしわになっちゃうよ。
 もっと繊細に扱ってくれないと……」

「アホか!
 周りの人間にあれだけ迷惑をかけておいてどの口が言ってる!
 お前のせいで文化祭がぶち壊しだ!
 ちょっとは反省しろ!」

「う、ご、ごめん……。
 でも、ほら、僕、凝り性でしょ、一度こうしようって決めたらなかなか妥協できないんだよね」

「知るか!
 とにかく、これからは寝ずに製作をするな!
 周りが迷惑だ!」

「ごめんって……そんなに怒らなくたっていいのに……」

 殿崎は不満げに頬を膨らませてみせる。

 今はそのあざとい表情に、(いら)ついて堪らない。

 これ以上会話を続けると腹の底に溜まった激情が噴火しそうなので、俺は口をつぐむ。

 ここは病院だ。

 理性を保て。

 自分に言い聞かせていると、あっけらかんと殿崎が言った。

「ひづくん、今、何時?」

 あくびを噛み殺しながら殿崎が呑気に訊いてくる。

 まだ眠いらしい。

 病室には時計がない。

 さっき廊下で確認したときは夜の9時くらいだったから、今は9時半くらいだろうか。

 そう答えてやると、殿崎は「そっか。じゃあ、これから学校行かない?」となにやら期待を込めた眼差しで提案してくる。

「はあ?
 学校?
 なんでだ」

「だって、制服も荷物もスマホも、置きっ放しでしょ。
 取りに行かないと、明日登校できないし、スマホがないと、僕死んじゃうし」

「一晩くらいスマホなんかなくてもいいだろ」

「ひづくん、本気!?
 現代の高校生だよね?
 スマホがなくて平気とか、信じられないんだけど!
 エゴサとかしないの?」

「するわけないだろ。
 俺は芸能人じゃない。
 ただの一般人がするわけないだろうが」

「ええー、ひづくんは超有名なレイヤーなんだよ、自覚ないのはまずいよ。
 僕もひづくんも、検索すれば名前が出てくるくらい界隈では有名なんだよ」

「知るか。
 俺はあくまでただの一般人だ」

「文化祭であれだけ集客したのに?
 あんなにファンがいたのに?
 モテモテだったのに?
 でれでれ女の子に鼻の下伸ばしてたのに?」

「でれでれしてねーし、鼻の下なんか伸ばしてねーよ!」 
 
「ふうん?
 自覚ないの?
 SNSだって、大盛況なのに……」

 そこまで言って、殿崎がはっと口を押さえる。

 その途端、俺の脳裏に、想像を絶するおぞましい考えがスパークしたように突如浮かんだ。

「SNS、だと……?
 お前、まさかとは思うが……」

「ちっ、違う、悪気はないんだ。
 ただ、ひづくんのことをたくさんの人に知ってほしくて、アカウントを作っただけなんだ!」

「お前、俺になりすましてSNSやってんのか!」

 殿崎が頭を守るようにしてきゅっと身体を縮める。

「怒らないで!
 ほんの出来心で、悪魔がささやいてきたっていうか、魔が差したっていうか、ひづくんの格好よさに気づいてほしかったというか……。
 とにかく、ごめん!
 でも、スマホは取りに戻らないと。
 ひづくんのアカウントについたコメント読んで、今日撮ったひづくんの写真も更新しなきゃいけないし……」

「それがスマホ取りに行く理由か!
 お前、いい加減にしろよ、すぐにアカウントを削除しろ!」

「ええー、フォロワーも順調に増えて、注目度上がってるのに、もったいないよ」

「お前、どんな投稿してやがる」

「うーん?
 普通だよ。
 ひづくんのコスプレ写真とかオフショットとか投稿すると、すごく反響があるんだよね。
 ファンですってコメントがついたら『つぎは君のためにコスプレするから』とか甘い言葉をささやいてるくらいで……。
 そうすると女の子のファン増えるんだよねえ」

「ロマンス詐欺か!
 他人の好意を踏みにじりやがって!
 それにオフショットってなんだ、盗撮じゃねえか!」

「怖いよ、ひづくん。
 そんなにいつもかりかりしてて疲れない?」

「お前が疲れさせるんだろうがあ!」

 俺がとうとう叫ぶと、途端に病室のドアが叩かれた。

 同時にスライドドアが開き、看護師が姿を見せる。

「とっくに就寝時間は過ぎているんですよ、静かにしてください!」

 ベテラン看護師からの雷に俺が首を縮こまらせると、殿崎が目を覚ましたことに気づいて「あら、起きたんですね」と部屋に入ってくる。

「お騒がせしました」

 殿崎が俺には見せないよそ行きの態度で頭を下げる。

 看護師は殿崎の身体の状態を素早く把握すると、「もう帰っていただいて結構です」と俺同様冷たく言った。

 貴重なベッドをただの睡眠のために使われるのは、さぞ迷惑だっただろう。

「お世話になりました」

 ふたり揃ってぷりぷりと怒っている看護師に頭を下げる。 

「お大事に、では」

 忙しいのだろう、看護師はさっさと部屋を出ていく。

 殿崎がおもむろに病院着を脱ぎはじめる。

「ほら」

 俺は母親が置いていってくれた殿崎の服を差し出す。

「あ、僕の服!
 誰が?」

「母さんだよ。
 お前、あとで母さんたちにも謝れよ。
 母さんだって忙しいのにわざわざ服届けてくれたんだぞ」

 母親には、一応殿崎の検査結果──つまり『よく寝ているだけ』と伝えてある。

 母親は呆れるどころか、病気の類ではなくてよかったと、心底安堵している様子だった。

 我が母親ながら、さすがに人が良すぎないかとこっちが呆気にとられてしまった。

「ひづくん、じゃ、行こうか」

 普段着に着替えた殿崎が荷物を持って俺を急かす。

 てっきりこのまま家に帰るのかと思いきや、殿崎がいたずらを企む子どもみたいな悪い顔をして振り向いた。

「文化祭仕様の、夜の学校に」

 俺はあまりの疲れから頭痛を感じはじめていた。


 
 数十分後、俺と殿崎は灯りの落とされた見慣れた校舎の前にいた。

 校門は閉ざされているのでふたりで不格好な体勢になりながらよじ登って侵入する。

 ひとけが途絶えた夜の学校と病院ほど不気味はものはない。

 校舎は闇の中に沈んでいた。

 俺は隣の殿崎を横目でちらりとうかがう。

 道中、夜の学校に忍び込むことにはしゃいでいた殿崎の顔が、校舎を見た途端に強張るのが手に取るようにわかったからだ。

「おい、平気か」

「え、な、なにが?
 僕が怖がっているとでも?」

──思う。

 殿崎の表情はわかりやすく怯えたものに変化していた。

「こ、怖くなんかないもん。
 僕、いくつだと思ってるの?」

「別にいくつだろうと怖いもんは怖いだろ」

「ははっ、もしかしてひづくん、夜の学校が怖いんだ?
 子どもみたい、あははっ!」

 引きつる殿崎の顔を月明かりが照らし出す。

 わかりやすく怖がっている。

「時間がないから行くぞ」

 俺が先に立って歩き出そうとすると、「怖くなんかないんだから!」と強がった殿崎がでしゃばって俺の前に滑り込む。

 まるで本当に子どもみたいだ。

 昇降口は施錠されていたので、俺たちは守衛室へと回った。

 学校の警備は夜間も守衛に任されている。

 守衛室のドアを叩くと、おじさん、というよりはおじいちゃんといった年かさの男性が面倒くさそうに顔を出した。

 なにかあったとき、本当にこのおじいちゃんが対応できるのか、申し訳ないが心配になった。

 とにかく、制服姿の守衛は俺たちが忘れ物を取りにきたと伝えると、裏口の鍵を開けてくれた。

「手短に頼むよ」

 本当に迷惑そうだ。

 俺はすみませんと守衛に頭を下げ、すぐ戻ってくると伝えた。

 殿崎のあとをついて校舎内に入り、階段をのぼって教室を目指す。

 ふたりの足音だけが響く廊下。

 暗闇が支配する教室。

 光源は非常灯だけだ。

 かたかたと、普段なら賑わっているせいで聞こえないのだろう風が窓を揺らす音がする。

 ひゅううう、と校舎に入り込む隙間風が女性の甲高い悲鳴のようで、殿崎は「ひゃあ!」と飛び上がった。

「ひ、ひづくん!
 幽霊が、幽霊が出た!」

 殿崎が俺の腕にしがみついてぶるぶると震える。

「アホ。
 風の音だ」

「違う、確かに聞こえたんだ、女の人の悲鳴だよ!」

「いいから、早く行くぞ」

 殿崎の手を振り払って俺は廊下をずんずんと進んでいく。

「待って、置いてかないで!
 ひとりにしないで!」

 半泣きの殿崎には目もくれず、俺は自分の教室を目指す。

「ね、ねえ、なんか、うめき声みたいなの、聞こえない?」

「聞こえねーよ」

「あ!
 今、人影が通ったよね!?」

「通ってない」

「うひゃあ!
 今、後ろから肩を叩かれた!」

「誰もいねーよ」

「ひづくん、手を繋ごうよ」

「断る」

「なんでえ!
 ひづくん冷たすぎ!
 僕、病み上がりなんだよ?」

 殿崎が暗闇の中、かんしゃくを起こした子どものように地団駄を踏む。

「お前は気持ちよく寝てただけだろうが!」

 せっかく起きるまで待ってやったというのに、まったく恩を感じていない殿崎に、だんだんイライラしてきて俺の歩幅は自然と大きくなる。

「待って、ひづくん!
 待ってったら!」

 殿崎が俺の背中に抱きつく。

「やめろ、気色悪い。
 そんなことしてると……あっ!」

「え、な、なに?」

 振り向いた俺が、殿崎の背後を指さし驚いた声をあげると、殿崎が振り返りつつ「なになに?」と暗闇に目を凝らした。

「誰かいる!」

 俺が叫ぶと殿崎が女子顔負けの高音で断末魔の叫びをあげた。

「助けてえー!」

 殿崎が俺なんかそっちのけで走り出した。

「あっ、おい……」

 殿崎は教室へと一目散に駆けるとドアを開いて飛び込み、音を立ててドアを閉めた。

「おい、開けろって」

 俺はドアを何度も叩く。

「あっちいけ、幽霊!」

 恐慌状態に陥った殿崎には、俺の声など届かない。

──やりすぎたか。

 ちょっと意地悪しただけのつもりだったが、意趣返しどころか余計に面倒なことになってしまった。 

 内側からがっしり押さえられてドアが開かない。

「ゆ、幽霊あっちいけ!
 悪霊退散!」

「俺だっての!
 いいから開けろって!」

「ひづくんのふりをした悪霊なんかに騙されるか!
 ひづくんは、もっと神聖で霊験あらたかな存在なんだぞ!
 悪霊なんかに真似できないんだからな!」

「……」

 もう返す言葉もない。

 なんか馬鹿馬鹿しくなってきた。

 なおも幽霊を撃退しようとしている殿崎を一旦放置し、ドアへと身体を預ける。

 5分ほど経ったころ、「ひづくん……いる?」と、ようやく魂が現世に戻ってきた様子の殿崎の声がした。

「……ずっといる」

 すると、がらりとドアが開けられる。

「へへっ、なんか恥ずかしいところ見られちゃったな。
 僕ね、ひづくんを驚かせようと思って、騙されたふりをしていただけなんだよ」

 最初に「恥ずかしいところ」って取り繕えない本心を言ってるだろうが。

 今日1日の疲れがどっと出て、俺はおざなりに手を振った。

「ほら、早く荷物取ってこいよ」

「はーい!」

 返事はいいのだが、殿崎はがっしりと俺の腕を掴んだままだ。

「ひづくんがいれば怖くなんかないね!」

 俺の身体に伝わるほど殿崎はぶるぶる振動している。

 まあ、確かに人の気配がない学校っていうのは抜け殻みたいに空虚だな。

 昼間、うるさい男どもが騒いでいるのと同じ教室とは思えない。

「あった、あった、誰にもかばん盗られてないね!
 スマホもちゃんとある!
 さあ、ひづくん、帰ろう!」

 マッサージ機にでも乗っているのかと思うほど殿崎の声が震えて上ずっている。

 こいつ、なんで夜の学校に行こうだなんて提案してきたんだ?

「さ、さあ、帰ろう、ひづくん!」

 すると、教室のドアへと歩き出した殿崎の前を、不意に人影がよぎった。

「うわあああああ!」

 絶叫すると、殿崎が腰を抜かして座り込む。

 目をやると、人影のほうも殿崎のあまりの驚きようにびっくりしていた。

「すみません、時間がかかっているので、なにかあったのかと」

 申し訳なさそうに頭を掻いているのは懐中電灯を手にした先ほどの守衛のおじいちゃんだった。

「あ、すみません、忘れ物はありましたのですぐ帰ります」

 殿崎の腕を引っ張って立たせようとしたのだが、すっかり腰を抜かした殿崎は立てずにいたので、俺は殿崎を抱えあげ、自分と殿崎のかばんを肩にかけると守衛に頭を下げ教室を出た。

 愛想がないのが俺の特徴だったのに、なんか殿崎といると社会性が培われる気がする。

 殿崎をお姫様抱っこしながら慎重に階段を下り、裏口を目指す。

「ひづくん、僕、重くない?」

「女子か。
 重いに決まってんだろ」

「そんな!
 素直に言われたら傷つくよ!
 そこは「大丈夫、軽いよ」っていうところでしょ」

「だから女子か。
 つかお前自分で歩けよ」

「無理。
 足がくがくして歩けないもん」

 殿崎がぎゅうっと俺の首に手を回して抱きついてくる。

「密着するな。
 暑苦しい」

「もう秋だよ。
 夜は冷えるから、ちょうどいいでしょ」

「うざい」

「僕と密着できるなんて、なかなかできないことなんだよ。
 羨ましいがる人、いっぱいいるんだから」

「自分で言うな。
 それよりお前、帰ったら俺のアカウント削除しろよ」

「えー、せっかく地道にフォロワー増やしてきたのに、もったいないよ」

「うるさい、いいから消せ。
 消さないと今日は寝かせないぞ」

「えっ、それって、一夜をともに過ごす的な?
 やだ、ひづくん、めっちゃ積極的じゃん!
 僕の魅力に気づいちゃった?
 でも、家にはお父さんたちいるから、隠れてやらないとね」

「話を妙な方向へ持っていくな!」 

 夜の街は静まり返っていて、時折車が走っていく以外は、ほとんど生活音がしない。

 人とすれ違うこともなく、殿崎を抱えている俺は密かにほっとする。

 こんなところ、知り合いに見られたら終わりだ。

「ひづくん、なんか世界にふたりきりしかいないみたいだね」

 ふわっと殿崎の香りが鼻をつく。

 病院の消毒の匂いと、シャンプーの匂い。

 ふと、俺の胸が殿崎の匂いに満たされ、強く鼓動が打った。

 近くには、殿崎の顔がある。

 無言のまま殿崎の顔を見下ろす──と、殿崎はぐっすり眠っていた。

「寝て……る」

 病院であれだけ寝ていたのに、よくもまだ寝られるものだ。

 歩行者用信号が赤になる。

 立ち止まった俺は、殿崎の首すじに鼻を近づけた。

 甘い匂いがする。

 香水というよりは、ミルクのような──そこまで考えて、俺ははっと顔を離す。

──なにやってるんだ、俺は。

 匂いを嗅ぐなんて、変態のすることじゃないか!

 俺は背徳感に浸され、顔を背けた隙に殿崎を取り落としそうになり慌てて抱え直す。

 すやすやと寝息を立てている殿崎を見下ろして俺は複雑に表情をゆがめた。


 殿崎をお姫様抱っこして帰ると、母親と殿崎父が目を丸くした。

 帰りが遅い俺たちを心配して遅い時間まで待ってくれていたらしい。

 殿崎をベッドに寝かせ、かばんを机の上に放り投げる。

 そのまま部屋を出て、母親が用意してくれた簡単な夕食を済ませると、シャワーを浴びてすぐにベッドに入った。

 シャワーを浴びたというのに、殿崎の匂いがいつまでも残っているような気がした。


 文化祭3日目は、殿崎の体調も絶好調で、客足も絶好調だった。

 俺の新しいコスチューム、『冷酷な魔王様』のコスプレは、めでたいことに初披露だ。

 撮影会も、しばらくこれでいくらしい。

 殿崎は魔法少女の戦闘服のコスプレだ。

 午後になって、俺と殿崎は自由時間を与えられた。

 コスプレ姿の俺たちは行く先々で注目を集めたが、感覚が麻痺したのかあまり人目は気にならない。

 講堂ではダンス部によるパフォーマンスが行われていて、鑑賞後は殿崎に腕を引かれ、模擬店を回って食べ歩きに付き合わされた。

 そんなふうに、少しだけ文化祭を満喫して、無事今年の文化祭は幕を下ろした。

 同時に、コスプレイヤー『ひづくん』のアカウントも終わりを迎えたのだった。



 ライブ配信を重ね、俺もすっかりコスプレに慣れた冬のはじまり。

「冬休み、スキー旅行に行かないか?」

 昼休み、俺と殿崎、他数人の男子が昼食を摂っていると、戸部がそんなことを言い出した。

「なんだよ、いきなり」

 すっかり昼食を一緒に摂るようになった6人グループに、俺はすっかり馴染み、俺の保護者を(かた)る戸部も、役得というべきか殿崎と距離を縮めることに成功している。

 他の3人は殿崎のコスプレに魅せられた信奉者だ。

 俺が不審な顔つきで言うと、戸部が頬を掻きつつ説明する。

「親戚がさ、スキー場経営してるんだよね。
 遊びにこいって、もう何年も声かけられててさ。
 人数的にもちょうどいいし、どうかなって」

「スキー旅行!
 僕行きたい!」

 殿崎が諸手を挙げて賛成する。

「翔太、スキーやったことあるのか?」

 戸部の問いに殿崎が「ないよ」とけろりと答える。

 最近になって、戸部は殿崎を『翔太』と呼ぶことに成功していた。

「でも、雪景色大好きなんだ。
 雪合戦とかやりたいな。
 ひづくんのスキーウェア姿も見たいし」

 どうやら邪な魂胆らしい。

「スキーウェアはコスプレじゃねえぞ」

 俺は釘を刺すつもりで警告する。

「ねえ、ひづくんは行ったことある、スキー」

 殿崎が身を乗り出す。

「ねえよ。
 母子家庭にそんな余裕あるか、舐めんな」

「じゃあ、初心者同士、手を取り合って、必要以上に密着しながら滑ろうよ」

 俺が呆れてなにも言い返せずにいると、戸部が苦笑した。

「翔太は、本当に永瀬永瀬、ばっかりだな」

「だって僕、ひづくんのこと大好きなんだもん」

 なんてことのないような口調で殿崎が言い切った瞬間、クラスが沈黙に支配された。

 俺は怖気(おぞけ)がして顔を上げられない。

 ぐさぐさと突き刺さるような殺気が俺に襲いかかる。

 ひとり、またひとりと、クラスメイトが席を立つ。

 そして、ゆらりと俺たちのほうへ歩いてくると、噛みつかんばかりの勢いで男たちが俺たちを取り囲んだ。

「ずるいぞ、俺も連れてけ!」

「『大好き』だと!?
 王子、いくらお前が相手でも抜け駆けは許さんぞ!」

 『王子』は俺のあだ名としてすっかり定着している。

「まあまあ、落ち着いて。
 僕はみんな平等に『大好き』なんだよ。
 僕のことを好きっていってくれる人は、みんな『大好き』なんだよ」

 殿崎の誰も傷つけない絶妙なフォローのおかげでなんとかクラスメイトが落ち着きを取り戻す。

 結局、放課後までかけてまとまった結論は、クラスの大半の生徒がスキー旅行に参加することだった。

 その年の暮れ、俺たちは男ばかり20人で戸部の親戚が経営するスキー場へと向かった。

 さながら、アイドルと行くファンクラブ会員特典の旅行の様相だ。

 俺も殿崎も慣れない雪の上を板で滑ることに苦労した。

 殿崎は早々にスキーに見切りをつけ、雪だるまを作ったり雪合戦に興じはじめた。

 慣れないスキー板に苦戦していると、だんだんと雪が強く降りはじめた。

 気温も急降下している。

「ねえ、ひづくん、もう1回滑らない?」

 午後になって、他のやつらが軽快に滑る様子を見た影響で急にやる気に火が点いたのか、殿崎が板を抱えてやってきた。

 殿崎は負けず嫌いなのだ。

 俺は曇天の空を見上げた。

「でも、雪、強くなってきたぞ、吹雪にでもなったら危ないんじゃないか」

「だから、最後のチャンスなんだよ、行こ」
 
 殿崎がもこもこのスキーウェアの腕を伸ばして俺のウェアを掴む。

「……しょうがねえなあ、あと1回だけだぞ」

 渋々、俺は殿崎とリフトへと向かった。

 そうして、俺たちは、まんまと吹雪に巻き込まれ、遭難した。

 そして時は冒頭に戻る。

 初心者用のゲレンデにも関わらず、ルートを逸れてしまい、さまよった挙げ句、殿崎にそそのかされて川に張る氷の上に乗り、見事に川に落ち、凍える身体でさらにさまよい、視界が真っ白になるなか、なんとか山小屋を見つけて入り込んだ。

 濡れたウェアを脱ぎ、俺と殿崎は冷え切った身体を寄せ合い一晩を過ごしたのだった。

 そして、山岳救助隊によって助け出され、事なきを得た。

 親を含め、たくさんの大人から「無茶をするんじゃない」と散々説教を食らった。


 この一晩の体験は、俺に多大なる変化をもたらした。

 とにかく、殿崎のことを見ていられない。

 恥ずかしくて堪らないからだ。

 ふたりきりで一晩過ごしたあの出来事は、俺の殿崎に対する心境をがらりと変えた。

 生きるか死ぬかの瀬戸際を一緒に過ごした殿崎を見ると、ドキドキしてしまい、殿崎の薄っぺらい身体を思い出しては赤面してしまう。

 共有したあの時間のことが頭から離れずに俺につきまとう。

──まずい、これじゃ、戸部のことはいえない。

 完全に恋する乙女じゃないか。

 殿崎になんて落ちない、そう宣言したのはどこの馬鹿だ。

 対する殿崎は、俺の動揺に気づくわけでもなく、いつも通りコスプレをして、裁縫をして、撮影会をして、配信をしている。

 好きだ好きだと、毎日のように聞かされうんざりしていた俺のリアクションが変わったことにも気づいていない様子だった。

──なんで俺ばっかりが、こんなにドキドキしなきゃいけないんだ?

 殿崎がささやく『好き』が、特別な響きを持ちはじめたことは、本人には決して悟られてはいけない。

 戸部に宣誓したこともあるし、なにより俺が殿崎を特別視していることが本人にバレたら、どんなことになるか、わかったものではない。

「ほーら、やっぱり僕のこと好きになった」

 なんて胸を反らして高笑いされたら、羞恥と悔しさから張り倒してしまうかもしれない。

 だから、今日も俺は、いつも通り殿崎を面倒くさがり、本心を隠して冷たい態度を取るのだ。 

 殿崎からの『好き』を聞くために。 



 年明け一発目に、殿崎が爆弾を落としてきた。

「ひづくん、今月、いよいよコスプレイベントがあるんだ」

 夕食の席で、殿崎がそんなことを言い出した。

「あら、そんなのあるのね。
 氷弦も参加するの?」

 母親が呑気に聞いてくる。

「うん、このイベントのために色々と仕上げ段階に入ってるんだ」

「おい、俺はまだ参加するとは言ってないぞ」

 そんな俺の言葉に反撃してきたのは意外にも母親だった。

「あら、参加しなさいよ。
 せっかく翔太くんが氷弦のために衣装作ってくれてるんだから」

 白米をこんもり盛った茶碗を俺の前に置きながら、母親がこともなげに言ってのけた。

「……」

 いつの間にか、殿崎の趣味にどっぷりハマっている母親は、もう俺の味方をしてくれない。

「ひづくんの代名詞、『氷の王子様』と新しいコスチューム、のどっちで行くか、まだ迷ってるんだよね」

「あ、配信で着てたやつね?
 アニメだとどんな感じなの?」

 興味津々で母親が身を乗り出すので、殿崎もその気になってスマホに『冷酷な魔王様』のアニメキャラクターを表示する。

「まあ、イケメン!
 こんな魔王様いたら会ってみたいわ。
 氷弦にぴったり!
 この目つきの悪いところもそっくりね!」

 褒めてるんだか、けなしてるんだか。

 盛り上がっているふたりを尻目に、我関せずと俺はみそ汁をすする。

「本当、翔太くんは器用ねえ。
 今度裁縫でも習おうかしら」

「もちろん、いいよ。
 あ、イベントで売る写真集ももうすぐできるんだ。
 紀子さんに一番に見てもらおうかな」

「本当?
 楽しみ〜」

 きゃっきゃとはしゃぐ母親を見るようになったのは、殿崎親子と同居してからだ。

 母親が幸せそうに笑うのを見るのは悪くない。

 俺が可愛げのない子どもだったばかりに、母親に寂しい思いをさせてしまっていたのではないかとようやく気づいた。

 母親には、殿崎に向けるような明るい笑顔がよく似合う。

 俺にはないものを、殿崎が補完して母親を笑わせてくれている。

──悪くない、かもな。

 俺は白米をかきこみながら、母親と殿崎のやりとりを大人しく聞いていた。


「なあ、なんでお前、そんなにコスプレに必死なの?」

 イベントが間近に迫り、準備に追われる殿崎に、俺は聞いた。

 リビングのソファで写真集の最終チェックをしていた殿崎の対面に座り、風呂上がりの濡れた髪をがしがしと拭きながら聞くと、顔を上げた殿崎の表情に思わずぎょっとする。

 殿崎は、今まで見たことのないような微笑を浮かべていた。

「やっぱり覚えてないかあ」

 写真集を傍らに置き、俺と殿崎しかいないリビングで、そう寂しそうに、ぽつりと呟いた。

「な、なんだよ?」

 俺は面食らって目を泳がせる。

「ひづくんさ、子どものころ入院してたでしょ?」

「え?
 ああ、そうだけど……」

 こいつにそんな話したか?

「小児病棟で、4人部屋だったよね」

「ああ、なんで知って……」

「ひづくんと同じ病室に、僕、いたんだ」

「……え?」

 俺は幼いころの記憶を賢明にひっくり返す。

──同じ、病室に?

「元気なとき、一緒に遊ぼうって誘っても、全然乗ってくれない無愛想な子がいてさ。
 ほら、僕、負けず嫌いでしょ。
 どうにかしてその子を笑わせてやろうって思ったわけ」

「……それが、俺?」

 殿崎がうなずく。

「で、僕は色々考えて、試したわけだよ。
 でも、全然笑ってくれない。
 そこで思いついたんだ。
 ひづくんがいつも食い入るように観てたアニメの美少女キャラクターの格好をしたら、笑ってくれるんじゃないかって」

「……」

「父さんに頼んでアニメのコスプレグッズを買ってもらって、人生で初めて女装した。
 そうしたら……」

「『すごい、似てる!』」

 殿崎の言葉を遮って俺が言うと、「うん、そう言ってくれたんだ」と殿崎が嬉しそうに笑ってみせた。

──どうして忘れていたんだろう。

 思い出してみれば、記憶がどんどん掘り起こされていく。

 鮮明になっていく。

 あのとき、病室で寝起きを共にしていたのは、殿崎だったのだ。

 俺を笑わせようと必死になっていた、『初恋』の相手、『しょうちゃん』──。

 お気に入りのアニメキャラのコスプレが、異常に似合ってた線の細い病弱な男の子。

 俺の初恋の相手は、殿崎翔太だった。

 殿崎の飽くなきコスプレへの情熱を生んだのは、俺だったのだ。

「退院して、離れ離れになって、でも、コスプレを続けていれば、ひづくんがもしかしたら僕に気づいてくれるんじゃないかと思って、コスプレをはじめた。
 また、ひづくんに『しょうちゃん』って呼ばれたいなって。
 そうしたら、今度はコスプレそのものにハマっちゃってさ。
 今では単なる趣味の範囲を超えちゃった」

 だからね、と殿崎が続ける。

「ひづくんには感謝してるんだよ。
 僕のアイデンティティを与えてくれた、ひづくんに。
 高校で再会できたときは、嬉しかったなあ。
 ひづくん、まったく気づいてくれなかったけど。
 でも、ひづくんは、僕に夢も与えてくれたすごい人なんだよ」

「夢?」

「うん。
 医者になるって夢。
 僕もひづくんも、小さいころ病気に苦しめられたでしょ?
 僕は、そんな境遇の子どもを救いたいんだ。
 ひとりでも多くの子どもを笑顔にしたい。
 だから、僕はコスプレも全力でやるし、勉強も手を抜かない。
 将来は、コスプレしながら診察する小児科医、なんてね」

 おどけてみせながら殿崎が将来を語る。

「そうか、俺が……」

 男なのに、女の子のキャラクターになりきって決め台詞を放った子どもを見て、俺は入院して以来、初めて笑った。

 その子の優しさと気遣いが嬉しくて笑ったんだ。

 そして、そんな子どもに、恋をしたんだ。

 顔も名前も、すっかり忘れてしまっていたけれど、殿崎はあのころからまったく変わっていない。

 コスプレをするのが、自分ではなく俺のため、という理由も昔からブレていない。

「思い出してくれた?」

「……ああ、思い出したよ」

「よかった!
 じゃあ、僕を好きな気持ちも思い出してくれた?」

「なに?」

「え、だって、昔から、ひづくん、僕のこと好きだったでしょ?」

「はあ?
 俺がいつそんなこと言ったよ?」

「えー、やっぱり思い出してないじゃん。
 『翔太、好きだよ』って言ってくれたじゃん!」

「嘘つけ!
 俺がお前にそんなこと言うわけあるか!」

 すると殿崎は、へらへら笑いながら「あ、やっぱり騙されないか」と悪びれもせずに舌を出した。

 危ない、危うくこいつの手中に落ちるところだった。

「とにかく!
 僕がコスプレするのはそういう理由。
 でも、本当はみんなにちやほやされて、いい気分になるためでもあるんだよね」

 その快感は、俺にもよく理解できる。

 自分ではないなにかに変身して、称賛してもらう。

 そう、確かに快感なのだが──。

「虚しくならないか?」

 殿崎がはっとしたように俺を見る。

「……たまには、ね。
 外見ばかり褒められて、じゃあ、僕の内面を知ったら、同じように褒めてくれるのかなって、ときどき思うよ」

「だよな」

「僕の心を理解できるなんて、ひづくんもレイヤーとして成長してるね!」

「誰が成長だ!
 お前と一緒にするな!」

 殿崎がけらけらと笑う。

「だからさ、ひづくん。
 僕と一緒にイベントに出てよ。
 例え求められるのが外見だけだったもしても、僕は構わないんだ。
 褒められて、嬉しくない人なんていないでしょ?」

「……まあな」

「じゃあ、この話はこれで終わり!
 部屋に戻って作業再開しないと!」

「は?
 こんな時間からまだやるのか」

「やることはまだまだあるんだよ!
 ひづくん、覚悟して。
 僕の渾身の衣装で、ひづくんを一番人気のレイヤーにしてあげるから!」  

「お前、また倒れるなよ。
 お前をお姫様抱っこするのはもうこりごりだ」

 釘を刺すことも忘れなかった。



 時間は、あっという間に過ぎ、迎えた1月某日。

「帰る」

 俺は踵を返して歩きはじめた。

「ちょーっと、待って待って、ひづくん!
 ここまできて、なに怖気(おじけ)づいてるの!」

 殿崎が慌てた様子で立ち去ろうとする俺の腕を掴む。

「こんな規模のイベントなんて、聞いてない」

「いやいや、言ったでしょ、日本最大級のイベントだって!」

「それにしたって、なんでこんなに人間がたくさんいるんだよ!
 こんななかで俺にコスプレしろっていうのか!」

「恥ずかしいのは最初だけだって!
 すぐに気持ちよくなるから!」

「妙な言い回しで説得しようとするな!」

「ひづく〜ん!」

 殿崎が俺の腕にすがりついて泣きべそをかいている。

「俺は見世物じゃない!」

 日本最大級のコスプレイベントは、スポーツや音楽イベントが行われているアリーナを最大限活用した果てしない規模のイベントだった。

 入場するために数万人が集結し、開場を今か今かと待っている。

 コスプレイヤーたちも気合いが入りまくって、戦闘態勢だ。

 俺が帰るとごね出したのには理由がある。

 殿崎が、俺のコスプレ写真をまとめた写真集を極秘に製作していたことが発覚したからだ。

「お前、肖像権って知ってるか」

「だから、ごめんって。
 悪気はなかったんだよ。
 でも、ひづくんのこと、たくさんの人に知ってもらいたくて」

「お前……何度同じこと言われればわかるんだよ」

「もう作っちゃったし、僕のSNSで今日写真集販売するって宣伝しちゃったから、やめるわけにはいかないんだよね、わかって、ひづくん」

 殿崎が涙目で俺を見上げる。

 その瞳に、もう俺は逆らえる気がしなかった。

「……勝手にしろ」

 その途端、涙はどこへやら、「ありがとう、ひづくん!」と殿崎がぴょんぴょん跳ねる。

 またしても俺に訪れる無の境地。

 殿崎は自分のブースに自分と俺の写真集を並べ、イベントのために作ったとっておきのコスチュームに着替える。

 それは、昔、病室で殿崎が俺に披露して見せたあのアニメの美少女キャラのコスプレだった。

 入院して塞ぎ込んでいた俺を笑わせた、あのコスプレだ。

「どう?
 ひづくん、似合う?
 覚えてる?
 このコスチューム。
 今度は買ってもらったやつじゃなくて、ひづくんとの思い出を織り込んだ僕渾身の手作り特別仕様のコスチュームなんだ。
 懐かしいでしょ?」

 俺はしばし殿崎に見惚れ、同時にかつて抱いた恋心を心の一番奥から引っ張り出されたような心地になった。

 屈託のない笑顔でポーズを決めてみせる殿崎は、確かに俺が初めて恋した『しょうちゃん』だった。

「ひづくん、もしかして僕に見惚れてる?」

 殿崎が顔を覗き込んできたので、俺は殿崎の顔を押し返す。

「ちょっと!
 メイクが落ちちゃう!」

 完璧にアニメのキャラに変身した殿崎を真っ直ぐ見ていると、俺の中の許容量をあっという間に超えた感情が溢れ出しそうになる。

──可愛い。

 本当は、殿崎を人目もはばからずに抱きしめたかった。

 腕の中にすっぽり収まる殿崎の感触を堪能したかった。

 それが、俺だけに許された特権である気もした。

──だけど。

 殿崎に気持ちを伝えることなんか俺にはできない。

 恥ずかしいし悔しいという、余計なプライドが本心を洗いざらいぶちまけてしまいたい衝動を抑えつける。

「さ、ひづくんも着替えて」

 鏡を取り出してメイクを確認しながらの殿崎に促され、俺は仕方なくコスチュームに着替える。

 すっかり俺の十八番となった『氷の王子様』の出番だ。

 広い会場には、目を疑うほど完成度の高いコスプレイヤーが山ほどいた。

 みんな、それぞれコスプレを楽しんでいて、なんだかそれが遠い世界にいる人種のような気がして、俺は彼らが放つ眩しさに目を細める。

 好きなもの、打ち込めるものがあるというのは幸せなことだ。

 俺には、形にしたいほどの情熱はない。

 将来なにになりたいかなんて、一番訊かれたくない質問だ。

 医者を目指すという夢に着実に向かっている殿崎に比べ、俺には高校を卒業したあとのビジョンがまるで見えない。

 どんな職業に就きたいか、なにに真剣に取り組みたいか、そんなこと、訊かれたって答えられない。

 よくある「なにをやりたいかわからない」という年頃の高校生が抱えがちな悩みだ。

「ひづくん、目、開けちゃ駄目だよ」

 着替えのあとは殿崎によるメイクだ。

 慣れたもので、ものの数分でメイクは終わった。

「さあ、ひづくん。
 ここからが本番だよ」 

 俺は諦めたように首を縦に振った。


 さすが最大級のコスプレイベントといったところか。

 参加するレイヤーの数も半端じゃなければ、レイヤー目当てで訪れる客の数も桁違いだ。

 とにかく人が多くて、またその熱気に当てられてしまった俺は、すでに疲労が極限まで溜まっていた。

「いたいた、氷の王子様!
 写真撮ってくださーい!」

 数ヶ月前の俺からは考えられないほどの社交性を発揮した俺は、群がってくる女性相手に、別れ際、にこっと微笑むというスキルを手にしていた。

 無表情の王子様とのギャップに、女性客は身悶えして嬉しそうに去っていく。

 まことに不本意だが、写真集の売り上げも上々だった。

「ひづくんに会うために、朝イチで新幹線に乗ってきたんです!」

「……俺に会うため?」

「そうです!
 ひづくんは、私の生きる糧なんです!
 ひづくんがいなかったら、今ごろ私、どうなってたか……」

 20代半ばほどの眼鏡の女性は、俺を見上げて涙を流している。

 あまりにも重い話に、どう返していいかわからない。

「ありがとうございます、ひづくん!
 ずっとずっと、応援してますから!
 大好きです!」

 女性は俺と写真を撮ると、写真集まで買って、ハンカチで涙を拭いながら手を振りつつ離れていく。

──俺が、生きる糧?

 俺なんかに会うために、下準備をして、金を貯めて、早起きして、遠くからきてくれたのか。

 俺という存在が、彼女の人生に影響をもたらしている。

 到底信じられる話ではない。

 だって、俺はアイドルでも俳優でもモデルでもない、ただの一般人で、その辺にいる平凡な高校生だ。

 それが、見知らぬ誰かの命を救っているなどと言われても、現実感が持てないのは当然であろう。

「ね、コスプレも悪くないでしょ、ひづくん」

 俺と女性のやり取りを見ていた殿崎が自慢げに脇腹を小突いてくる。

 自分の手柄みたいな顔をするな。

 俺は会場内を見渡した。

 煌びやかに着飾ったレイヤーにカメラを向けるファン。

 それは、被写体と撮影者という間柄よりも同じものに情熱を注ぎ込む同士のように見えた。

 コスプレを通して、人と人が繋がっている。

 今なら、はっきりわかる。

 俺は、その繋がりに憧れているのだと。

 本当はずっと自分を変えたかった。

 誰かと繋がることに憧れ、また拒絶されることが怖くて、本当の自分を出せなかったし、傷つくくらいなら他人と関わらないほうがいいと思っていた。

 だから、友達がいなくて寂しいと思ったこともないし、寂しいという感情がそもそも俺には欠如していた。

 他人から好意を向けられること、他人が1日の中で、たった数分でも、会ったことすらない俺のことを考えているんだという不思議。

──コスプレって、すごいな。

 盛り上がる会場を俯瞰するように眺めて、俺は感傷的になっていた。

 しかし、そのとき──。

「あっ、いたいた、王子と翔ちゃん!」

 聞き慣れた声にまさかと振り向く。

 人波をかき分けて、戸部含むクラスメイトが近づいてくるところだった。

 俺は反射的に他人のふりをする。

「なんだよ、永瀬。
 無視すんなよ」

「……なにしにきた?」

 戸部が俺の肩をばんばん叩くので、必然、俺の声音は尖ったものになる。

「なにって、応援にきたんだよ。
 あと、翔太を見るため」

 戸部は自前のカメラをすでにスタンバイしている。

「おお、写真集も売れてるじゃん。
 翔太、早速だけど、写真撮ってもらっていいか?」

「いいよ!
 戸部くんはひづくんの大親友だもんね!
 サービスするよ!」

 待て、いつ俺が戸部と大親友になった。

 こいつは殿崎のためなら俺の個人情報をほいほい受け渡すようなやつだぞ。

 俺が仏頂面で戸部を見ていると、クラスメイトがぽつりと呟いた。

「王子、本当変わったよな。
 最初は無口で無愛想で取っつきにくかったけど、今じゃ学校で知らないやつはいないほど有名人になって……。
 王子がコスプレして人前に立つなんて、誰も想像してなかったよな」

 うんうん、とクラスメイトが大きくうなずく。
 
 それは、俺が一番驚いている。

 殿崎のことを毛嫌いしていた俺が、その殿崎と一緒にコスプレして、見ず知らずの他人から求められ、好意を寄せられ、誰かの人生を彩っている。
 
 春先の俺に伝えたって、信じてくれないだろう、変化。

 持て余す殿崎への恋心。

 コスプレを、楽しいとすら思うようになったこと。

 変わったところを挙げればきりがない。

──俺は、変わった。

「本当だよなあ、あの永瀬がこんなに愛想よくなるなんてさ。
 中学のときには考えられなかったことだよ」
 
 殿崎と写真を撮ってほくほく顔の戸部が鼻の下を伸ばしながら会話に参加してくる。

 そのでれでれ顔で俺のことを語らないでほしい。

「でもさ」

 戸部が表情を引き締め、真っ直ぐ俺を見据える。

「永瀬が変わったの、翔太のおかげだよな。
 永瀬、お前いい加減認めたら?」

「認める?
 なにをだ?」

 俺は眉間に深くしわを刻む。

「翔太は永瀬のこと、大好きじゃん?」

「殿崎の『大好き』はみんなに向けてるって言ってなかったか」

 戸部が、やれやれとばかりに首を振る。

「いい加減気づけよ。
 お前、翔太が好きなんだよ」

「……え」

「『え』じゃねーよ。
 『え』はこっちの台詞だ」

「でも、だって、お前、殿崎のこと好きだって言ってたじゃないか」

「ああ、今でも翔太のことは好きだ。
 でもな、好きだからこそ、残酷な事実に気づいたりもするんだよ」

 俺はわかりやすく狼狽する。

「俺は、お前に殿崎に落ちないって誓っただろ?」

 戸部が重い溜め息をつく。

「その誓いに縛られるのやめろ。
 それから、俺に気を遣って殿崎のことを好きだって認めることができないなら、俺の言ったことは全部忘れろ。
 お前は、もっと自分の気持ちに正直になったほうがいい」

「でも、お前の気持ちは?」

「失恋なら慣れてる。
 幼稚園のころから俺は、好きな相手には好かれないんだ。
 そういう星のもとに生まれてるんだよ。
 お前がその気じゃないなら別だけど、うっとりと殿崎に見惚れてるお前を見る限り、勝ち目はなさそうだ」

「う、うっとりと、見惚れてる……?」

 端からみても、俺が殿崎に恋心を抱いていることはバレているのか。

 俺は脱力して肩を落とす。

「でも、どうしていいか、わからないんだ」

「わからない?」

 俺と戸部は小声で話しはじめる。

「殿崎を意識していることは認める。
 たぶん、俺は殿崎が好きだ。
 だけど、そのあと、どうすればいいのかがわからない」

 はあーっと戸部が盛大に溜め息をついてみせる。

「お前、そのビジュアル、本当無駄だよな。
 いくらでも活用できる顔面してるのに、恋愛に奥手とか、本当、もったいない」

「活用ってなんだ!」

 まったく、失礼なやつだな。

「どうせお前のことだから、強がって殿崎に本心見せられないんだろ。
 くだらん自意識捨てろ。
 身体ごとぶつかっていけ」

 ばんっと戸部に背中を叩かれる。

「いってえ!」

 馬鹿力を出されると、容赦がないので本当に痛い。

「どうしたの?」

 クラスメイトにもみくちゃにされていた殿崎が不思議そうにこちらを見ながら近づいてくる。

「な、なんでもねえよ」

 俺がぶっきらぼうに言うそばで戸部が苦笑している。

「ひづくん、さぼってないで。
 お客さん待ってるんだから」

「わ、わかったよ」

 それからは『氷の王子様』を粛々とつとめ、つぎつぎとやってくる客に愛想を振りまき、写真集の完売を持ってイベントは終了する運びとなった。

「……つ、疲れた」

 俺は精も根も尽き果て、ぐったりと椅子にもたれ、しばらく動けずにいた。

「お疲れ様」

 殿崎からペットボトルを渡され、キャップをひねると、がぶ飲みした。

 冷たい飲み物で喉を潤し、ようやく人心地ついた。

 会場は客がはけ、片づけがはじまっている。

 あんなに人がたくさんやってきた会場とは思えないほど閑散としていた。

 熱気はすっかり冷め、冬の冷たい風がどこかから吹き抜けてくる。

 充足感と満足感、やってやったという達成感が疲労が溜まった身体を満たしていく。

 メイクを落とした殿崎は、まだまだ元気が有り余っているようで、片づけにいそしんでいる。

 さすがにイベントに慣れている。

 くたくたになった俺は、虚ろな目で忙しなく動き回る殿崎を眺めていた。

 そして、瞳を閉じた、そのとき。

 ふわりと、身体がなにかに包まれた。

 目を開けなくても、殿崎に抱きしめられているとわかった。

「……なんだよ」

 殿崎に身体を委ねながら無愛想に俺は言葉を投げつける。

 抵抗はしない。

 閑散としはじめた会場で、俺たちに関心を抱く人間はいなかった。

「ごめんね、ひづくん。
 少し、こうしてていい?
 僕、ひづくんへの大好きが溢れて、どうにかなっちゃいそうなんだ」 

 殿崎の声は湿っぽい。

 俺は回された殿崎の手を取り、耳元にささやいた。

「俺もだよ」

「……え?」

 殿崎の力が緩み、少しだけ俺から身体を離す。

「え、え、ひづくん、今、なんて……」

 俺は顔だけ振り返り、動揺している殿崎を見上げ、そのあまりの焦りように、つい笑ってしまった。

「だから、俺も同じだって言ったんだよ」

「お、同じって?
 どういうこと?」

 今まで、さんざん俺に好きだとか恥ずかしげもなくぬかしていたくせに、想いが成就した途端に引いている殿崎に、俺はさらに混乱させてやろうと攻撃を続けた。

「好きだって言ってんの、お前のこと」

「……ええ!?」

 過去イチの「ええ!?」だった。

 こいつ、本当に俺と恋人になりたかったのかよ。

 攻守が交代した途端に腰が引けやがって。

「ほ、本当……?
 ドッキリとかじゃないよね?」

「お前を騙して誰が得するんだよ」

「ひ、ひづくんが、僕のこと、好き……?」

「もう、しょうがねえなあ」

 俺は殿崎の顔を引き寄せると、その頬にキスをした。

「ひゃああ!」

 俺から身体を離し、殿崎がそその場でじたばたと飛び跳ねた。

「わいせつ、わいせつだよ、それ、ひづくん!
 ふ、不同意だから、犯罪になるんだからね!」

「……不同意なのか?」

 殿崎がぶんぶんと発電でもできそうな勢いで首をめちゃくちゃに振る。

 どっちなんだかわからない。

「同意!
 同意に決まってるじゃん!
 僕、ずっとひづくんのこと好きだったんだから!
 で、でも、ひづくんが僕を好きになってくれるわけないって思ってたから、信じられなくて」

「別に、信じないなら信じないでいいけど」

「信じる!
 信じるよ、なに言ってるの!」

 またも首をぶんぶんと振る。

 小さな頭がすぽっと胴体から離れ、ぽーんと飛んでいきそうで怖い。

 首を痛めないか他人事ながら心配になる。

 しばらく暴れていた殿崎が、がばっと後ろから俺に抱きついた。

「愛してるよ、ひづくん。
 僕はもう、ひづくんがいないと駄目なんだ。
 ひづくんがいないと、生きている価値がない」

「大げさだな、殿崎は」

 俺が笑い飛ばそうとすると、殿崎が鋭い声で言った。

「翔太」

「は?」

「翔太って、言って」

「……翔太」

「はあ〜!
 ひづく〜ん!
 もう離さない!
 誰にも渡さない!
 ひづくんは僕だけのもの!」

 殿崎は俺の正面に回り込むと、(とろ)けそうな笑顔で俺を見下ろし、顔を近づけてきた。

 なにが起こるか容易に想像がついたが、俺はそれを受け入れることにした。

 真っ赤な殿崎の顔が眼前に迫る。

 やがて、ふたりの影が重なり、俺たちは口づけた。

 そっと唇を離すと、また俺を抱きしめる。

「こんなに幸せなことがあっていいのかなあ?
 僕、運を使い果たしちゃいそうだ。
 今日、事故にでも遭わないといいけど」

「そういうのは宝くじにでも当たったやつが言うことだろ。
 恋愛が成就しても運は使わねえよ」

 俺は呆れ返りながら突っ込んだ。

「ねえ、ひづくん、もう1回キスしていい?」

「断る」

「えー?
 なんで?」

「安売りはしない」

「やろうよ、やろうよ、ねえねえ、ひづく〜ん!」

「うるさい、帰るぞ」

 俺は疲れた身体に鞭打って立ち上がった。

 そして、殿崎を振り返って不敵に笑いながら言ってやった。

「家に帰ったら、好きなだけやってやるよ」