クズどもの口跡

       一

 我が社の船が島根県G港を離れると同時に魚雷が命中して轟沈する夢を見た。正夢であったらどんなによかろうと溜め息を付きながら制服に袖を通し、自宅を出た。車のフロントガラスに少し積もった雪を手で払って、わずか五分で着く職場へと向かった。
 始業二〇分前にも関わらず、私を除くすべての労務員がすでに仕事をしていた。荷捌き台でせわしなく動く同僚らに挨拶したが、誰からも返事はなかった。
 私は誰もいない事務室に入った。タイムカードを切り、抗不安薬をポケット瓶のウィスキーで胃に流し込み、マスクを着けた。荷捌き台に上がり、再度、同僚らに挨拶した。数人から返事があったが、福田だけは「もっと大きな声で言えよ」と文句を垂れた。こいつは自分からは挨拶しないが、他の者に対してはそれを求める面倒なやつだ。いつか殺してやると憤怒の目で福田を見ていたら、「さっさと荷物をトラックに積めや!」と怒鳴られた。私はわざと大きな声で了とする旨を伝え、山のように積み上げられた新聞や雑誌をトラックに運び入れた。一月とはいえ、重い荷物を運んでいるうち、汗が流れてくる。抗不安薬と酒の浸透も早い気がした。少し休もうと荷台の壁にもたれかかっていたら、福田が寄ってきて「小野! おまえ仕事をなめてんのか! 行先のカード取って来いや!」とまた怒鳴った。気分が良くなりつつあった私は言葉も返さず、この貨物センターから少し離れた船乗り場の営業所へカードを取りに行った。
船は、松江市のG港を午前九時に出港し、隠岐島の三港を巡って午後六時に帰港する。「S港行き」「U港行き」「V港行き」。カードの行先を確認して手に取ると、のろのろと貨物センターに戻った。福田に何か言われるかと思ったが、やつは喫煙所で煙草を吸っていた。私はカードを三台あるトラックのフロントガラスにそれぞれ差し込むと、腹立ちまぎれに足でドアを蹴って閉めた。事務室に行こうとしたら、背後から「小野君、大丈夫かいね?」と声をかけられた。振り返ると、浜村さんが心配そうな面持ちで立っていた。浜村さんは「福田さんは気難しい人だけん、気にせんでいいけん」とだけ言って事務室に入って行った。
 私は喫煙所に福田がいないことを確認すると、またウィスキーで抗不安薬を飲んだ。そして、酒の臭いがばれないよう、煙草を立て続けに三本吸った。その間に船に載るであろう、大中小のトラックが目の前を通り過ぎて行った。
 しばらくすると、事務室から同僚たちが出てきた。時刻は八時になっていた。ヘルメットと防寒着を身に着け、トラックに分乗し、全員で乗り場のほうへ向かった。私は、へべれけ寸前になっていたので、運転を免れたことを内心喜んだ。
 港での仕事は三つ。船に載せる車両の誘導、自社トラックの船への積載、係留ロープを係留杭から外すことだった。私は三十七歳だが、同僚は全員、私より年長で勤続年数も長い。必然的に年齢、経験ともに若輩である私が三つの仕事を積極的に取り組むよう、半ば強制される。係留ロープを外す作業は一人では困難なため、浜村さんが一緒にやってくれた。福田はというと、船の甲板員や船長らと談笑しているだけだった。
 船が出港し、貨物センターへと歩を進めているうち、気分が悪くなってきた。私は非力だったため、筋肉を早く付けようとステロイドも服用していた。まだ、昼の便と夕方に帰港する船の係船作業が残っている。残りの九時間、とてもじゃないが仕事ができる状態ではなかった。
 私は体調がすぐれないことをセンター長に伝え、早退させてもらうことにした。車の運転は危険だったが、職場から近距離だったことが幸いし、何とか帰宅できた。部屋に入るとベッドに横になるなり、すぐに眠ってしまった。
 翌日は公休だったので、私はかかりつけの心療内科に行くことにした。現状をあらかた話すと、医者は「ステロイドはいますぐやめてください!」と声を荒げた。鬼のような形相だった。
「小野さん、そもそもあなたには双極性障害の薬をかなり出しているんですよ? ステロイドは絶対にやめてください! ボロボロになりますよ!」
 私は真剣に話を聞いて反省するふりをしながら、上の空だった。光輝く医者の禿げ頭に目線が行ったとたん、診断書をもらって休職することを思いついた。私は、手練手管で医者を納得させ、「鬱状態により一ケ月の療養加養を要する」との診断書を手に入れた。帰りしなに断酒会への参加を勧められたが、うまくはぐらかした。
 帰宅してすぐに隠岐島の本社へ診断書を郵送した。有頂天になっていた私は、福田のパワハラの度が過ぎているとの上申書も同封した。晴れて自由の身になった私は、自宅前の波止場で釣りバカたちをからかってやろうと家を飛び出した。そこは釣りバカのメッカだが、まったく釣れないことを地元の人から聞いていた。案の定、釣りバカどもがたくさん竿を垂らしていた。私は煙草に火を付け、一人の中年男に「釣れてますかいね?」と訊ねた。「まったく釣れんわ。ダメダメ」と理想的な答えが返ってきた。私はその足でコンビニに寄り、やや値が張るウィスキーと炭酸水、弁当を買って帰り、一人で宴会を催した。
 翌朝はひどい二日酔いだった。年齢を重ねるにつれ、アルコールの分解速度が遅くなっていることは自覚していたが、一口飲みだすと酔いつぶれるまで止まらない。水を大量に飲んで排尿し、二回入浴した。十二時間後にようやく酒が抜けた。夜もいい時分になっていたので、市街地の歓楽街に行くことにした。
 多少の貯蓄はあったので、キャバクラに入店した。Mという店だった。美人ではないが、愛嬌のある子が横に座った。渡された名刺には「ルナ」と書いてあった。酔いつぶれたので記憶が定かではないが、ルナが一月末に店を辞めるというので、シャンパンを三本空けた気がする。
その後、ルナに情が移ったのか、私は折を見てはMへ通うようになった。何度か通っているうち、ルナがまだ一度もナンバーワンになったことがないこと、三〇〇万円を売り上げれば、ナンバーワンになれるというようなことを聞いた。私は、方々の銀行から金を借りて三〇〇万円を工面した。ルナはナンバーワンになった。後日、ラインで『小野さんしか指名してくれた人がいなかったので、感謝しています』と通知が来た。自分のことのように嬉しかった。
 二月は仕事に復帰しようと考えていたので、医者から先月と同様の診断書が出されるに至っては随分参ってしまった。医者は後先考えない金の使いぶりから、私が躁状態になっているのではないかと指摘したが、まったく別のことで憤慨していた。
「小野さん、三〇〇万円も出しといて、なんでセックスしないんですか!」
「純粋に応援して、ナンバーワンにしてあげたかったので……」
 事実、私にはそんな発想はもとよりなかった。長年にわたる薬の副作用で性欲はなく、勃起不全にもなっていた。
「それから、深夜に酔っぱらって電話してくるのをやめてください! まったく記憶にないでしょうけど。『法然だ、法然だ』と意味のわからないことを連呼されて、非常に迷惑です!」
 医者の言う通り、まったく記憶にはなかったが、最近の酒量は以前にも増して度を越えていたので、深夜に架電してもおかしくはなかった。素直に謝罪した。
 帰宅後、酒を飲みながら、「法然だ」の意味を考えていた。大学の卒業論文で浄土真宗を扱ったが、浄土宗はほとんど勉強していない。さっぱりわからなかったので、ネットで検索した。検索結果を見て思わず笑ってしまった。「法然」ではなく「豊年」だったようだ。志賀直哉の『暗夜行路』前篇のラストシーンで、女の乳房を触りながら、主人公が「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶところがある。そういえば、学生の時分に同書を読んだが、この謎の一節だけ強烈なインパクトを放っていた。泥酔中に何らかの深層心理が働いたのだと合点して床に就いた。
 二月も半ばになったころ、ようやく本社の総務部長から上申書の件について連絡があった。総務部長は見舞いの言葉を述べてから、福田には指導をしたが、安全第一の仕事だから口調が強くなってしまうことは理解してほしいと話した。いつごろ復帰できそうかと訊かれたので、三月から復帰する予定だと答えた。ほどなく、センター長からも連絡があった。総務部長と同様のやりとりだった。これで少しは働きやすくなるだろうと安堵した私は、個人輸入禁止になる前に貯えていた、とっておきの抗不安薬「ボンバー」を一錠服用してみた。通常は心が落ち着くが、私の場合はハイテンションになる。三〇分ほど天井を仰いでいたら、じんわりと気分が良くなってきた。落ち着かなくなって自宅中をウロウロしていたら、意味もなく「豊年だ! 豊年だ!」と叫びたくなった。隣室の人に奇人だと思われたくないので、ぐっと衝動をこらえて、ベッドに仰向けになった。心中でその一節を叫んでいるうち、次第に瞼が閉じていった。
 三月になり、私は仕事に復帰した。医者も特段、何も言わなかった。復帰初日、福田の対応は変わっていた。出勤して「おはようございます」と言ったら、ぼそっと「おはよう」と返してきた。荷捌き台でも怒鳴ることはなかった。荷物をトラックに積み、乗り場へ出発した。この日は私が運転した。助手席には浜村さんが座った。
「小野君、久しぶり。ダックスおとなしくなったね」
「ダックス?」
「福田さんのことだよ。みんな裏ではダックスって呼んどるよ」
私は「なんスか? それ」と笑った。浜村さんも笑った。彼は私が休職中も逐一、ラインで励ましのメッセージを送ってきていた。私は礼を言おうとしたが、恥ずかしくなって言わなかった。
乗り場に着くと、浜村さんは「よっしゃ。頑張ろう、小野君!」と軽い足取りでトラックから降りた。私も所定の位置にトラックを停めると、座席から飛び降りた。調子に乗り過ぎたのか、勢いづいて転びかけた。
車両の誘導は福田に最も近い位置に陣取った。福田は相変わらず船の連中と話していたが、数分後にあさっての方向を指さした。私が困惑していると、福田の隣にいた船長が「S港行きの、うちのトラックよこせ!」と叫んだ。私はフロントガラスに「S港行き」とのカードが挟んであるトラックに乗り込み、発車させようとした。が、なかなかギアが入らない。もたついているうちに福田がドアを開け、「車も運転できねえのか。代われ!」と怒鳴った。私は「できます!」と譲らなかった。どうやら、クラッチをしっかり踏んでいなかったらしい。トラックは動き出した。そのまま船内を前進すると甲板員が手を左にぐるぐると回している。私はハンドルを左に切った。すると、今度は右にぐるぐる。ハンドルを右に切った。甲板員は私を睨め付けると「曲がっとる! 下がって、もう一回前進しろ!」と叫んだ。二回目もうまくいかなかった。三回目でようやく真っ直ぐ駐車できた。甲板員は車止めのチェーンを叩きつけて怒りをあらわにした。私は恐ろしさのあまり、サイドブレーキを引くのも忘れて、船外へと走って逃げた。
外に出ると福田が嫌味を言ってきたが、無視した。すべてどうでもよくなった。私は防寒着から「ボンバー」を取り出すと、五錠を噛み砕き、悔しさと怒りとともに飲み込んだ。すでに脳内は雑然とした興奮で満たされていた。私はその場にうずくまった。周囲に目をやると、先ほどの甲板員と福田がこっちを見て何か話していた。
そのうち、浜村さんが近づいてきて腰を下ろした。彼は優しい眼差しをしていた。ゆっくりと何か言ったように聞こえたが、冬の浦風にかき消された。

       二

 四月になった。私は会社を辞め、大学の後輩を頼って、大分県は別府市の街を歩いていた。目的地は場末のミニコミ会社。そこで後輩の前原と会う約束になっている。少し早めに到着したので、煙草を吸おうとしていたら、仕事を終えた前原が社屋から出てきた。
「久しぶりだな、前原。相変わらずの快男児だな」
「怪男児ですよ。私も三十五歳ですから」
カードキーで施錠すると、前原は先に歩き出した。ものの数分で彼の自宅に着いた。きれいなアパートだったが、社宅だという。ここに居候させてもらう身なので、「お世話になります」と言って靴を脱いだ。前原は嬉々として家中を案内してくれたが、本と雑誌が浴室、洗面台、トイレに散在していた。トイレに至っては、トイレットペーパーの芯が無数に散らかっていた。前原はいくつか障害を抱えていたが、生得的な脳機能上の問題なので、私は気にしなかった。夕食を作るから、居間で待っていてほしいというので、私は煙草の煙をプカプカさせて遊んでいた。
 しばらくすると、鼻歌まじりで何かを炒める音が聞こえてきた。キッチンに行って私は驚愕した。前原はキッチンドリンカー兼キッチンスモーカーだった。炒めているのは、肉のようだった。焼き上がりを待つ間に、酒を飲み、煙草を吸っていた。私は思わず「千手観音かよ!」とツッコミを入れた。前原は「千手観音の手は四十二本ですよ。私では到底及びません」と淡々と応じた。その後ろ姿からは、日頃からこのような調理をしていることが容易に想像できた。
 数分後、二つ皿を持って「お待たせしました」と居間に入ってきた。皿の上には焦げた豚肉が乗っていた。前原は合掌するなり「うん、うまい」と顔をほころばせた。私も合掌したのち、肉に食いついた。味は悪くなかったが、やや固かった。一応、「うまい」とだけ言っておいたが、前原は「私、料理上手なんですよ」と得意げだった。
 その後、酒と煙草をやりながら、前原は日本の軍事史について延々と話し続けた。私は居間に充満した紫煙で目が痛くなった。さすがに付き合っていられなくなって、トイレに行くふりをして睡眠導入剤を飲んだ。酒が入っていたので、話の続きを聞いているうち、眠ってしまった。
 翌朝、目を覚ますと前原の姿はなく、すでに出勤したようだった。私はネットで最寄りの心療内科を探し、紹介状を持って出かけた。診察はすんなり終わった。薬もこれまで通りのものが処方された。診療代を支払おうとすると、受付の女性が「小野さんは出戻りですか?」と訊いてきた。島根県出身だと答えると「すみません。こっちでは小野さんが多くて」と頭を下げた。
天気が良かったので、徒歩で海辺のほうへ向かった。大型商業施設の立体駐車場から別府湾が望めそうだった。エレベーターで屋上まで上がった。別府湾は水光眩しく、想像以上の美しさだった。四国の愛媛らしき陸地がうっすら見えた。手前に目線を移すと、巨大な船が視界に入った。不愉快になったので、前原の自宅に戻った。
何か食べようとキッチンに行くと、排水口が詰まって汚水にプカプカ浮いている食器が増えていた。昼食で前原が一時帰宅したのだろう。食欲を失った私は、抗不安薬を飲んで、居間に寝転がった。このままだと眠ってしまいそうだったので、「ボンバー」を追加した。しばらくすると、妙に冷静になった。抗不安薬と「ボンバー」の併用は相性がいい。興奮も不安もない。私はこの二錠の組み合わせを「賢者」と命名した。そうなると、もういちど試さずにはいられない。再び服用すると、私はシンクの掃除を始めた。排水口に詰まった腐臭物を取り除き、ベトベトになっている食器を洗った。水垢を落としているうちに、ジュッと音を立てて排水口に水が流れていった。私は何度も蛇口をひねっては勢いよく吸い込まれる水を見ていた。
そのうち、差し当たってやるべきことは借金問題の解決だと思い立った。スマホを手に取ると、最寄りに弁護士事務所がないかネットで検索した。運良く、徒歩圏内に立地している事務所があった。さっそく架電し、明日の午後一時に弁護士と面談することが決まった。次は「賢者」を作るための抗不安薬が不足していたから、再度ネット検索した。心療内科は処方を渋る可能性があったので、内科のクリニックに絞った。徒歩圏内に四ケ所あった。いずれも近場に薬局が所在していた。
午後三時からの診察で二ヶ所は行けそうだった。まず、A内科に向かった。冒頭、私は入院歴があることを医者に打ち明けた。閉鎖病棟では睡眠導入剤として服用していたと前置きし、そのうえで、生活習慣を改善したいと訴えた。実際には入眠時ではなく、不安時の頓服として渡されていたが、生活習慣の改善という内科領域のワードを強調すれば、医者は必ず処方箋を出すと踏んでいた。思惑通り、医者は十分な睡眠を確保し、過度の飲酒喫煙は控えるよう注意しただけで、診察を終えた。こうして抗不安薬を手にした私は、B内科でも同じ手口で処方箋をもらった。薬局で薬を受け取り帰宅すると、前原が夕食を作って待っていた。「どこか行ってたんですか?」と訊くので、「心療内科に行ったあと、散歩していた」と適当に流した。
 前原は文学の話を始めたので期待したが、Kという聞いたこともない作家についてずっと喋っていた。私は「読んだことないけど、面白そうだな」と、いい加減なことを言ってトイレに逃げた。眠剤を飲んで戻ると、K講義が再開された。私は前原が煙草に火を付ける間隙をついて、『暗夜行路』を読んだことがあるか問うた。前原は「そりゃ、ありますよ。前篇のラストは意味不明でしたが」と一口酒を飲んで鼻から煙を出した。私が島根の医者が「豊年」を「法然」と勘違いしていたことを話すと哄笑した。気管に酒が入ったのか、咳き込みだしたが、その後も笑っていた。私は明日も用事があると言って早めに寝かせてもらった。ゆっくり瞼が下りる間、前原が自室に一升瓶を二本持って入るのが見えた。
 翌日の午前はC内科とD内科に行った。例の口説き文句で抗不安薬は手に入った。
午後からは弁護士との面談だった。緊張するので「賢者」を飲んで出かけた。
 事務所の扉を開けると、事務員か弁護士の妻と思しき女性が対応した。陽射しの明るい一室に通されると、開口一番、「小野さんは、別府出身ですか?」と訊かれた。小野姓はそんなに多いのかと、こめかみを掻いていたら、法テラスに提出する書類やら素人ではわからない書類に住所や電話番号、借金総額などを書かされ、押印した。銀行通帳のコピーが欲しいというので、持参していない旨を話すと、時間がある時でかまわないとのことだった。書類を書き終えると、ラフな格好をした初老の男性が入室してきた。男性は「弁護士の佐藤です」と挨拶して名刺を差し出した。佐藤は着席すると、素早く書類に目を通し「借金の減額措置を希望されているようですが、自己破産されるほうがよいと思います」と真剣な顔で話した。私は減額処置で何とか返済する心積もりだったので、黙り込んでしまった。それを察したのか、佐藤は明るい語調で「借金で悩む生活は続きますよ? それよりも、すっきり自己破産して新生活を送られたらどうでしょう?」などと話した。聞いているうち、腹が決まった。
「それでは自己破産でお願いします」
「わかりました。おそらく、よくある破産事案として扱われます。三ケ月ほどで裁判所が免責決定を出すと思います」
 佐藤はすでに裁判所の免責決定を確信しているのか、その後は雑談になった。私は緊張が解けて「これからは、地に足を付けて真面目に生きていきます」と柄にもなく決意表明してしまった。佐藤は「いいですねえ。ただ、二度目はないですよ」と笑って玄関まで見送ってくれた。私は帰宅すると通帳を持って銀行に行き、法テラスに弁護士費用二〇万円を支払った。次いで、事務所に寄って通帳を手渡し、コピーを取らせて帰路に就いた。帰宅すると施錠してドアにもたれかかった。この家の玄関がやわらかな春光に射し照らされていることに初めて気づいた。
 前原のために何か料理を作ってやろうと、キッチンに向かった。心は穏やかだったが、抗不安薬を飲んだ。何か食材はないかと冷蔵庫を開けると、前原の部屋から大きな物音がした。部屋に駆け付けると、前原は大の字になって苦笑していた。
「おい、どうした?」
「酔って何もないところで足を滑らせてしまったんですよ」
「そうか。僕もよくやるよ」
 前原の部屋は、大量の書籍やビールの空き缶、酒の空瓶で散らかっていた。何もないところで滑ったのは、不幸中の幸いだった。腰を下ろして部屋を眺めていたら、ビリビリに破かれた前原の会社のミニコミ誌を見つけた。一片を手に取ってみた。細い字で「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」と書いてあった。
「前原、これは……?」
「もう……限界です」
「そうか。僕もよく書いていたよ。それより、背中が痛くないか? 酒飲みなよ」
 前原は明日にも社長に退職届を出し、すぐに別府を離れるという。脳の機能上、断ることができない前原は、ずっと社長から仕事を押し付けられていたらしい。新居が決まったら、着払いでいいから私物を送るよう頼まれた。私は快諾した。
「前原、僕は自己破産する。三ケ月かかるらしい。なんとかこの家に住み続けたいが、どうにかしてもらえないか?」
「死んでもどうにかします。あのクズ社長、一人じゃ何もできないくせに!」
 前原は社長への罵詈雑言を吐き続けたが、そのうち眠った。私は前原に毛布をかけると、居間に戻って、眠剤と酒をいつもより多めに飲んで床に就いた。
 次の日の正午ごろ、前原は自分の車を玄関前に横付けし、詰め込めるだけの荷物を載せて別府を去った。彼の車は大きなワンボックスカーだったので、かなりの物が減った。前原の部屋を使おうと思ったが、淋しさが込み上げてきたので、引き続き居間で生活することにした。
 前原は社長に対し、相当強く主張したようだった。私はミニコミ誌の配布要員として社宅に残留できることとなった。「ボンバー」を服用して気分を高揚させると、私は前原がいた部屋のベッドに座った。魔が差してシーツや枕の臭いを嗅いだ。意外にも無臭だった。しばらく何となしに部屋を見まわしていたら、スマホが鳴った。弁護士事務所からだった。重要なことなので、手透きなら今すぐ来てほしいという。すぐに事務所へ向かった。
 前回と同様に、事務員か佐藤の妻であろう女性が出てきて、また同じ部屋に案内された。女性は深刻そうに書類を一瞥すると、裁判所の認可が出ず、管財事案として破産手続きを進めることになったと話した。どうやら、通帳に競馬の払戻金が三〇万円、五〇万円などと記帳されていることや、少額ではあるが何回か賭けていることが問題だったらしい。女性は続けて、管財事案になると、裁判所から選ばれた破産管財人の弁護士が今後、生活ぶりを調査するという。毎日、家計簿を書く必要があり、郵便物はすべて破産管財人が確認してから自宅に送付されると説明した。免責決定が出るのは年末になるとのことだった。
「破産管財人の弁護士費用は三〇万円です。小野さん、どうされますか?」
「……考えます」
 その後の説明は馬耳東風だった。家路に就いたが、足取りは重く、彷徨のすえ帰宅した。玄関には携帯番号が書かれた怪しいデリヘルのチラシが落ちていた。私は前原の部屋に行き、酒を飲んだ。そして、チラシの裏にボールペンで「死ね死ね死ね死ね」と書き殴った。今すぐにでも前原のもとへ逃げたかったが、十分な転居資金がなかった。失業手当の支給開始は五月初旬だった。
ベッドに横になり、「ボンバー」を五錠飲んだ。あの港にいるような感覚になった。書き殴ったチラシを見て架電した。しばらくすると、アジア系の女性がやってきた。彼女はあらゆる性的サービスをしてくれた。そして私の股間に跨った。が、私のペニスは勃起しなかった。女性の乳房をまさぐったが、勃起しなかった。それでも私は延長に延長を重ねた。
 彼女はその後、汗だくになりながら、四時間も腰を振り続けた。……裁判所から「破産を許可する」との通知が来たのは予定より早めの八月末だった。

       三

 最後の客が帰った。冬の冷たい風が店内に入ってくる。私は入口付近のカウンター席から奥の座敷に移ると、寝そべりながらメニュー表を見た。この店は海鮮居酒屋を謳っておきながら、スーパーで手に入るような寿司しか置いていない。アルコールだけは無駄に充実している変な店だ。
「店長、ロマネ・コンティをくれ!」
「お客さん、さすがに置いてないよ。ん? もしかして『薬剤師さん』かい?」
「そうだよ。取引は今日の閉店後だろ。忘れたのかよ?」
 店長はトイレに入ると、紙袋を手に出てきてテーブルの向かいに座った。私は眠剤二五〇錠をテーブルに置いて煙草に火を付けた。
「さすがは『薬剤師さん』。新見に限らず、瀬戸内海側の都市部にも進出したら?」
 言いながら、店長は「ボンバー」を同錠テーブルに置いた。取引成立だ。
「店長がいるなら新見だけで十分だよ。じゃ、僕は帰るよ」
 灰皿で煙草を揉み消すと、私は店から出た。十二月の新見は針で刺されるような寒さだった。コンビニでカップ酒を買い、その場で飲み干すと、新見駅付近の自宅へと歩き出した。午後一〇時を過ぎると、街から人はほとんどいなくなる。街を縦断する一級河川の水音を聞きながら橋を渡り、線路沿いの小道を道なりに進んだ。二〇分ほどして自宅に着いた。
「前原、帰ったよ」
 返事がなかった。飲酒過多で伸びているに違いなかった。私は九月上旬に別府から中山間地の岡山県新見市に転居した。失業中でどこにも家を借りれそうになかったので、結局、前原に頼るしかなかった。前原は必要最低限の物はすべて自分の車に載せていたので、ハウスクリーニングに任せて、残った諸物品は全部捨ててしまった。
 リビングでビールを飲んでいたら、灰皿がなくなっていることに気づいた。
「前原! 灰皿がないぞ!」
 呼んでも無意味だとわかっていたが、前原は起きていた。
「帰ってたんですね。すみません。最近、耳が聞こえづらくて」
「介護職のストレスじゃないのか? それで、灰皿はどこやった?」
「入所者の方に悪いと思って、今日から禁煙しました。小野さんこそ酒を控えてください。最近、ひどいですよ」
 そう指摘すると前原は自室に戻った。異論はなかった。近頃の私は、泥酔しては手当たり次第、友人知人に電話して迷惑をかけていた。あともう一本飲んで今日は寝ようとプルタブを開けた。一口飲んだ。全然うまくない。飲むたびに虚無感が増していく。ウィスキーでさっさと寝てしまおうとラッパ飲みした。三〇分もすれば気絶したように眠れるだろう。気を失う前に小便を済まそうとトイレに行くと、丸めたティッシュが床に散らばっていた。自室で自慰行為をすればいいのにと思いながら、その臭いを嗅いでみた。精液の臭いではなかった。広げてみると、鼻水だった。
 リビングに戻ると、スマホの電話帳を開いた。スクロールしているうち、ルナが目に留まった。何をしているのか気になったので架電した。約四〇コールでようやく繋がったが、なぜか怒っていた。
『もう三度目ですよ! 子供が起きるから迷惑だって言ったじゃないですか! 旦那も怒ってます。本当に、本当にやめてください!』
 電話は切れた。ルナを電話帳から削除した。腹が立ったので、全削除した。ラインの全削除はできかねて全員を「非表示」設定にした。怒りの矛先がなくなったので、自室に戻り布団にくるまった。ペニスの先をつまみ、思いっきり伸ばしては離す行為を繰り返した。
 夜が明けたが、私は寝不足で酔いから醒めてなかった。それでも、病院巡業をしないわけにはいかなかった。市販の頭痛薬を飲んで四ケ所を廻った。これで次の取引も万全だと安堵して入眠した。
 深更に目が覚めた。煙草の臭いがした。発生源のほうへ足を運ぶと、前原がリビングで喫煙していた。灰皿は山盛りで、今にも崩れそうだった。私は何も言わず、悠然と冷蔵庫を開けてビールを取ろうとした。
「私にも一本ください」
「あいよ」
 私は前原の横に座った。テーブルの下に空いたウィスキーの瓶が転がっているのが見えた。前原はじきに眠ってしまうと思ったので、「賢者」を飲むと自分のビールには口を付けなかった。私たちは無言のまま俯いていた。前原が何を言いたいのかはわかっていた。
「小野さん、実は……」
「辞めたいんだろ? 仕事」
 前原の体が震えだした。そして、テーブルを何度も叩いた。私はそんな彼をただ見つめていた。前原は突然立ち上がると、今まで抱え込んでいた感情が決壊したように叫びだした。
「私のいいところって何かあります? ないですよね! 男も女も私を無視する。障害をカミングアウトすると急に馬鹿にする! 既婚者がそんなに偉いのか。ガキがいれば、結婚してればクズでも偉いのかよ! こんな私を好きになってくれる女がこの世にいます? 世界の果てまで行っても誰もいない! 世界に一人もいない! 私は……私は、ただありのままの自分を認めてもらいたいだけなのに……」
 前原は泣いていた。私は大きく深呼吸すると、平静を装って言った。
「残りのビールを飲みなよ」
 前原は一気に飲み干すと、「世界に一人もいない……」とつぶやいた。私はいよいよ堪えられなくなって吹き出した。
「世界に、一人も、いないって、こと、はないだろ」
 前原は呆然としていた。私は彼の必死の訴えを笑ったことを恥じたが、笑いは募るばかりだった。笑いすぎて涙が出た。
「なぁ、前原。島根に行かないか? 野蛮なクズどもの本場だよ。法も秩序もない、地獄の楽園さ」
 前原は涙を拭うと、呆れたように破顔した。
「地獄の楽園は変ですよ。でも、興味はあります」
 眠れなかったので、エロ動画を観たが、時間をかけたところで射精には至らないと思い、勃起不全の治療とエクササイズも兼ねて腰を前後に動かすことに時間を費やした。スマホに好きな芸能人の水着や下着姿の画像を映すと、それを床に置き、本番さながらに訓練した。想像以上に体力を消耗したので、「ボンバー」を飲んだ。
 午前九時に、思い出したくもない船会社のセンター長に架電した。中途採用試験はどうでもよいから、とにかく本社で総務部長と話をさせてほしいと頼み込んだ。「お願いします!」と力を込めると一方的に電話を切った。今度は本社に架電し、総務部長にも同様のことを力説した。総務部長は会社見学という形で検討すると話した。最後に私は、前原だけは採用を真剣に考えてほしいと懇願した。
 通話を終えると、前原の部屋に行ったが、不在だった。抗不安薬を飲んで、数時間ウトウトしていると、スマホが鳴った。五桁の市外局番だったので、本社からだとわかった。すぐに画面をタップして電話に出た。総務部長は、明後日から出張に出るので、明日なら対応できると話した。前原については、人員不足で前向きに検討したいが、まずは人物像を見たいと言った。私は礼を述べると相手が先に電話を切るのを慎重に待った。電話を切り損ねたのか、話し声や物音が聞こえてきたので、仕方なく自分から電話を切った。
 前原は夕方に帰宅した。私はかなり興奮しながら、明日、隠岐島に行けることになったと伝えた。前原は何かやることがあるのか「一応、履歴書は書いておきます」と言って部屋に駆け込んだ。「朝九時発の船だから、早めに寝ろよ!」と叫ぶと「はーい!」と返ってきた。
 ここからG港の船乗り場まで車で約二時間。下道でも高速道路でも大して変わらないが、中国山地を越えるので、下道は除雪が十分か不安だった。前原を新たな環境で生活させるためなら高速道路代など、はした金だった。私は、ガソリン残量、エンジンオイル、タイヤの空気圧などを一通りチェックしてから就寝した。
 目を覚ますと午前四時だった。眠剤を服用せずに寝たのが幸か不幸か、出発までの準備がゆっくりできる。スーツに袖を通し、立ったまま腰を振る運動をしていると、「起きてるなら出発しますよ」。前原の声だった。「了解。行こう」。私は春用コートを着て家を出た。
 ハンドルは私が握った。車は前原のものだが、彼は積雪地帯の運転に慣れていない。それに加えて、あまり眠れていないようだった。Nインターチェンジから高速道路に乗って鳥取県のYインターチェンジで降りる。そこからは下道を道なりに走るだけだ。高速道路は快適だった。路面が濡れているだけで雪はなかった。ふと、横を見ると前原はすやすや眠っていた。私は「ボンバー」三錠をノンアルコールビールで飲むと心中で「よし!」と気合を入れた。
 Yインターチェンジを降りて下道になった。積雪はなく、路面は乾いていた。まだ六時前だったので、車の往来も少なかった。かなり早く到着しそうだと思っていたら、車から突然異音がして急に減速し始めた。前原が驚いて目を覚ました。警告ランプは何も点灯していなかった。総走行距離を確認すると、二十二万キロだった。私は一瞬だけ強く目を閉じ、荒く鼻息を吐いた。
信号で止まるとエンジンストールしそうになったが、すぐ青になったので、走り続けることはできた。ただ、異音の激化とともに、車体がガタガタと揺れだした。生きた心地がしなかった。私は、なるべく島根県に近い場所でタクシーを呼ぶ算段で走り続けたが、時速が三〇キロしか出なくなった時点で駐車場の広いコンビニに入った。前原は「保険屋に連絡します」と言って外へ出たが、強風で通話が難しいのか、すぐに車内に戻ってきた。
「ここの場所わかりますか?」
「わからん。コンビニの店員に訊くしかない」
 前原はうなずくと店内へ走って行った。彼は店員に話しかけると、そのまま店内でスマホを握って通話を続け、外を見たり、天井を見上げたりしていた。しばらくすると私に架電してきた。
『レッカー車は一時間で到着らしいです。それと、タクシー代も保険で何とかなるようです』
『そんなオプションがあるのか。わかった。ゆっくり行こう』
 通話を切ると、私は座席のシートを倒し、抗不安薬を飲んで目を瞑った。前原が冷えた缶ビールを二本持って戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
 強風で車内はどんどん寒くなった。私たちはビールをちびちび飲んでは「寒い、寒い」と言って身を震わせた。コンビニ店内で暖を取ろうとしたら、レッカー車とタクシーが同時にやってきた。私たちは車をレッカー車の運転手に任せ、タクシーに乗り込んだ。運転手はすでに事情は承知済みのようだった。目的地を訊かれたので、私は「G港の船乗り場まで」と答えた。
八時半に乗り場に着いた。チケット売り場で受付係に「会社見学です」と言うと、押印された無料チケットを渡された。
乗船してまもなく、前原はトイレに行くと言って、揺れる船内の壁に手をつきながら離れていった。私は急いで船の底部へ向かうとタラップを降りて下船した。私はここぞとばかりに「ボンバー」を五錠噛み砕いて飲み込んだ。しばらく労務員の仕事ぶりを見ていた。福田が仏頂面で指示を出しているのが見えた。浜村さんが笑顔で接客している姿も見えた。ぽつりぽつりと雨が降ってきた。空は明るい曇天だった。
やがて短い汽笛が鳴った。それはこれから出港することを意味していた。前原に見つからないよう、船尾からひっそり見送ることにした。二人の労務員が係留ロープを放り投げた。轟音を立てながら船はじりじりと横に移動し、旋回して海原へ出ようとしていた。長い汽笛が鳴った。感傷的な気分になったので、係留杭に右足を乗せた。
「かっこつけないでください」
 心臓がどくりと跳ねた。
「前原……なのか? どうして?」
 私は振り返った。そこにはまぎれもなく前原の姿があった。
「私も小野さんだけ乗せるつもりだったんですよ。履歴書も書いてません。野蛮なクズどもの本場なら、読んでもくれませんよ」
私は二人して随分と大掛かりな芝居を打ったものだと呆れてしまった。空を仰いで小雨に顔を濡らすと、コートのポケットに手を入れ、黒々とした冬の日本海を眺めた。前原も私の横に並ぶと日本海を見やった。
 風が強く吹いていた。波が勢いよく音を立てて岸壁に当たっては砕けた。船がどんどん遠ざかっていく。私たちは、交わっては離れてを繰り返す二筋の航跡をずっと見つめていた。(了)