湖都の帷帳



 退職届を社長宛てに郵送した。これで来年からは自由の身だと思うと心が躍った。残る仕事は知事の新春インタビューのみだ。事前に提出していた質問項目は広聴広報課から了とするメールが届いていたし、聞き手は論説委員で私は写真を撮るだけ。本記は私が書かねばならないから、非常に悩ましい。録音した一時間のインタビューを繰り返し聴いて文字起こしをしなくてはならない。溜め息が出そうになった。グッとこらえて私だけしか勤務していない松江支局の照明を消して施錠した。
 支局はオフィスというより一軒家と評したほうが的確な外装をしている。内中原という島根県内で一等地の住宅街に立地しているので社長がそのようにしたのだろう。ふだんならすぐに帰宅するところだが、淡い感慨が胸裏をざわつかせていたので、仕方なく付近を散歩することにした。
 眼前に広がるのは堀川と城山の雑木林でおもしろくもなんともない。松江城はライトアップの照明が夜空を明るくしているだけで、肝心の城はこの場所からは見えない。
私は生まれも育ちも松江の人間だが、松江城や小泉八雲旧居など県外者が観光に来るような場所にいちども足を運んでいない。通勤の際に八雲旧居の前を車で通る。武家屋敷の並びの一角に旧居は存する。いつか行こうと思ってはいたものの、仕事に忙殺され、ついぞ行かずじまいだった。八雲は松江を中心に出雲地方の紀行文を著したので、いまや誇るべきものが何もない我が県においては住民の精神的支柱となっているに違いない。が、八雲は何かの著作で、松江もほかの街のように近代化し、美しい景観は自然と失われるという主旨を述べていた。現在ではドラッグストア、コンビニ、大手スーパー、ディスカウントショップなどが街中に散在しており、どこにでもある地方都市と相違なくなってしまった。
 武家屋敷まで歩くのが億劫になったので足を止めた。たしか芥川龍之介と志賀直哉がまさにこの内中原の堀川沿いに短期滞在していたはずだ。再び歩きだすと、鼕太鼓を保管する蔵の近くに完成してまもない石碑が立っていた。スマホのライトで照らすと、「芥川龍之介」「志賀直哉」とあるのを視認できた。碑文によれば彼らは松江に好印象を持ったようだ。短期滞在だったから、この地の表面的な良さだけ感じ取ることができたのだろう。出雲や県西部はともかく、概して松江は風土も人もつまらない。「アイドル不毛の地」との呼称が象徴するように、総じて文化水準が低い。その文化を涵養する住民が心に裏表のある者ばかりだから諦めるしかない。冷たい風が吹き、雑木林がカサカサ鳴った。私は踵を返して車に乗ると家路に就いた。
 松江は街を東西に流れる大橋川によって橋北、橋南という二つのエリアに分かれている。橋北は城や官公庁、報道機関の社屋が存し、いわば文化・行政エリアということになろう。対して橋南は松江イオンを筆頭に大中小の商業施設、企業の本社が立地しており、商業エリアといえる。そのうえ、耕作放棄地だった場所を新たに住宅地にして次々と土地開発が進んでいるのは橋南で、市民の多くは橋南に居住していると思われる。私は橋南の上乃木に住んでいる。厳密には上乃木五丁目だ。徒歩圏内で生活必需品を購入でき、飲食店も多く、総合病院も近い。まったく不自由していない。ますます来年からの新生活が楽しみになった。が、住まいのボロアパートを目にしてひどく心が沈んだ。冬風が強くなった気がしたので駐車場に車を止めると玄関まで走った。
 チャイムがないのが難儀だ。鍵で開錠するのが面倒だったので、ドアを叩いた。誰も出てくる気配がないので、再度ドアを叩いた。ドタドタと駆けてくる音が聞こえ、ドアが開いた。私は同居人に挨拶もせず靴を脱ぐと汚いキッチンを横目に部屋に入った。
 私の根城は1Kという侘しい造り。そこに同居人と二人で暮らしている。同居人は女性なのでルームシェアというより同棲という表現が適切かもしれないが、私はいまの生活様式を同棲だと認めたくない。陽子という名のこの女を見ると不快になるので部屋の真ん中に黒い仕切りカーテンを設置し、六畳を分割して生活している。部屋は陽子が借りていて、私は居候の身だ。彼女の狂信的な好意を利用してここに引っ越した。それから二年が経とうとしている。陽子は四十二歳。私の三歳上だ。三ケ月まえから急に職場の人間関係が嫌だと言い出し、鬱状態と診断された。鬱病と違って鬱状態は原因が明らかな場合に診断される。そのため、彼女は退職し、煩わしい人間関係から解放されるとたちまち元気を取り戻した。すでに寛解していると見え、買い物や外食など家から出ることにまったく抵抗がない。私は元来、インドア派で外出をあまり好まない。長年この街に住んでいると、すべての事象が不快に感じる。いまとなっては道徳心や倫理観の欠片もない私だが、青少年期はどこに出しても恥ずかしくない真人間だった。モラル、マナーが欠如した松江の人々を目の当たりにしているうち、いつしか私もまっとうな人間性を失っていた。松江における最後の良心たる私が斃れたということは、もう八雲が称えたような「神々の国の首都」などではない。首都は陥落した。悪霊の手に落ちた。いまや、私を含む魑魅魍魎が跳躍跋扈する魔都だ。とはいえ、私は悪霊に堕ちたことを後悔していない。そうしなければ不条理な社会で生きていくことは極めて困難だったろう。
 陽子とのコミュニケーションは概してLINEを用いる。自然とそうなったが、主たる理由は三点あると考えられる。口頭では話が噛み合わない、彼女の顔を見たくない、一人の空間が欲しい。さらに付け加えるならば、LINEにおいても陽子は誤字脱字が多く、本当に日本人なのか疑わしい文章を平然と送信してくる。私はそれゆえに怒りが爆発しそうになると、邦楽や洋楽を大音量で聴いて心を鎮めていた。が、落ち着いたバラードであっても次第に不快を覚えるようになった。邦楽は日本語が煩わしく、英語はなんとなく意味がわかってしまう。インストゥルメンタルや韓国のトロットを聴くようになって、なんとか平静を保っている。
 なぜこんなにもイライラしながら生活しているのだろうと今度は自分に腹を立てながら部屋着に着替えた。この部屋はエアコンの設定温度を上げても温かくならない。とにかく寒い。原因はエアコンではなく老朽化した建物のほうだろう。転居まえは冬でも部屋着は半袖Tシャツだったが、ここはあまりに寒いのでブルガリア海軍のセーラー服を着るようになった。セーラー服といっても白線などの意匠はなくヤッケのように見えるので、この下に襟付きのシャツやポロシャツを着ていれば官公庁にも不自由なく入庁できる。これまで知事、市長、日銀松江支店長の定例会見などでセーラー服を着用して参加したが、誰かに指摘なり注意されたことはない。私に限らず、往々にして地方の報道関係者は動きやすい服装をしている。背広は選挙報道かそれこそ知事インタビューの際に着る程度のものだ。
つい先日、海軍セーラー服は仕事着でもあるから、くたびれていると体裁が悪いと思い、コスプレ用セーラー服を購入した。生地が薄いのは言を俟つまでもないが、肥満体の私は少し動くと額に汗が滲むので薄手でもいい塩梅だった。試着して鏡を見たら気色悪かった。陽子は聞くに堪えない濁声で哄笑していた。
三畳しかパーソナルスペースがないので、自然と万年床になった。布団に転がるとスマホで適当な動画を漁った。それに飽きるとサブスクで短編映画を観た。たいていの作品は鑑賞したので、いよいよやることがなくなってきている。陽子も一日中、何かを鑑賞しているから観るものがないと訴えてきたことがあった。そういうときは、二人とも未鑑賞の韓国ドラマを視聴し、その後に感想を言い合って楽しく時間を過ごしたりもする。が、私は目を随分と酷使してきたので字幕を追うのがつらくなっていた。彼女はそうでもないらしく、字幕の映像を一・四倍速で観ている。個人的に視聴速度を上げることは作品に対する冒涜だと思っているが、情報中毒になっているのか私自身も標準速度で視聴することが難しくなった。今晩は気楽な本でも読んで過ごそうと、本棚代わりにしているカラーボックスに近寄った。すると、布団の上でスマホが振動する音が聞こえた。また布団に転がってスマホの画面を見た。陽子からのLINEだった。
『コンビニ行ってきます。欲しいものない』
 このような文面は掃いて捨てるほど見てきたので怒るほどではない。私に欲しいものがないかどうか訊いているのだ。
『僕はない。あなたの好きな煙草を六つ』
 私はスマホを脂肪で膨れた腹に載せると目を閉じた。陽子は喫煙者にもかかわらず自分が吸っているセブンスター以外の銘柄を知らない。同居してからしばらくピースを覚えさせ、買わせていた時期があった。私はヤニクラにならないと満足できないという変わったチェーンスモーカーで、四十本を連続吸引してようやく頭が痛くなるという具合だった。ただ、それだけ紫煙を排出していると六畳間という狭い空間では当の私も目が痛くなったりすることがわかった。隣では陽子がコンコンやかましく咳込むので頭に血が上る。そこでニコチンは高めのままタールを落とそうと考えた。アメリカンスピリットを買って来るよう厳しく指導したのち送り出したものの、買ってきたのはラッキーストライクだった。憤怒と諦念が入り混じった複雑な気分になったのを覚えている。それからというもの、陽子に複雑なことはできないと判断して私もセブンスターを吸うことにした。
 まだ行かないのかと腹を立てていたら、ガラガラと部屋の引き戸を開閉する音がした。その後、ガチャンと玄関のドアが閉まる音も聞こえ、私は少し心安らかになった。いまの隙に自慰行為をすましてしまおうと頑張ったものの、射精には至らなかった。自覚はしていたが、精巣の生産力、勃起力とその維持力が著しく低下している。もとより、家庭を築くという願望は遥か昔に捨てているので差し支えない。生殖能力は皆無に等しいのに性欲だけは溌溂と感じられることが自身の体なのに気持ち悪い感じがした。上半身セーラー服の中年男が性に執着しているのも冷静に考えると滑稽だった。その後、性欲を鎮めることができず、短パンの上から股間をまさぐっては一撃をくらったムカデのように悶えていた。
 しばらくしてガチャンと玄関から音がした。陽子が帰ってきた。「ええい」「けえい」と言いながら冷蔵庫に購入物を入れているようだ。彼女が出先から帰り、部屋着になって布団に落ち着くまで三十分はかかる。そのほとんどは仕切りカーテン越しでわからない。一つ確かなことは、「ええい」「けえい」といった言葉は高齢者らが何かに苦戦している際に発するものだ。ときおり深い溜め息を織り交ぜながら不快な生活音を発射し続ける。平時においても何かをしようとすると「つ!」とか「っかな?」などの声を発する。同居して二年が経過しても慣れるどころか不快感は増すばかりだ。打擲は絶対にしない。怒りの矛先をどこに向けたらよいかわからなくなったら、ひとまず外の空気を吸うようにしているので、部屋着のまま外に出た。
 夜間に変な格好をしていても行人がないから不審者だと疑われない。今日は月が見えない日のようだ。晴れていても月がまったく見えない日がある。星は見飽きた。都会に住む人ならば大パノラマに感動するだろう。星々が輝くのは自分を見てくれと自己主張していると考えるようになって興味がなくなった。それより月が見当たらない理由がさっぱりわからなかった。



 支局は県庁、市役所、県警本部に徒歩で行ける場所に立地しているから便利だ。新型コロナウイルスが大流行していた時分は仕事が億劫になって職場でしばしば飲酒していた。ジンやウオッカで臭わないようにしていたものの心許なかったので、当時のマスク着用強制社会には随分助けられた。公的機関からのFAX通信がないのを確認すると車で県庁に向かった。報道機関用駐車場が満車だったので、事業者用駐車場に車を止めた。守衛に社員証を見せ入庁すると四階の県政記者室まで階段を登った。最近の若者だけなのか報道陣がそうなのかわからないが、テレビカメラマン以外は軟弱者ばかりだ。体型が貧相だから暖房を強力噴射しているのだろうとムカムカしながら記者室に足を踏み込んだ。暑い。灼熱地獄だ。自社シールが貼ってある木箱からプレスリリースを取って各社に割り当てられたブース席を眺めた。我が社の席に男が座っている。軟弱者らに侮蔑の視線を飛ばしながら男に近づいた。薄い頭頂部、半袖ラグビーシャツにチノパン、サンダル。知事の新春インタビューをともにする論説委員の来島だ。私は彼の肩を軽く叩いた。脂肪で丸みを帯びた肩がピクリと動いた。来島は私の顔に目を向けると、
「梅原さんか。びっくりしましたよ。とりあえず暑いので出ましょう」
 と小声で言った。私たちは一階の県民室でロビーチェアに腰を下ろした。梅原は県の漁獲量に関する記事で悩んでいるようだった。私は資料を見せてもらうと、過去記事を参考にするよう助言した。三十八歳にして遊軍の論説委員という他社にはないポストを与えられている敏腕記者が何を悩んでいるのかわからなかった。金融経済にも詳しいから、その視座を加味した力作を出稿したいのかもしれない。
 来島は足を組んで天井を見上げたまま頭をクルクル回していたが、何か思いついたように私の顔をジッと見た。
「知的障害者に対する詐欺と性暴力はまだ取材してます?」
 私は一瞬ドキリとしたが、してないと答えた。
「あれは全国的問題ですよ。せっかく島根でも糸口を掴んだのにもったいない」来島は組んだ足をほどいては組み直し「陽子さんは大丈夫ですか?」と訊いた。
「あー、僕の家で転がってるよ。僕というか彼女の家だけど」
 来島はフッと軽い溜め息をつくと、また頭をクルクル回し始めた。私が退職して陽子の失業手当と障害者年金を頼りにヒモ生活を満喫せんと企んでいることはお見通しのようだ。
「梅原さんを悪くは思ってませんよ。記者生活に疲れたんでしょう? 伝説の一人出雲駅伝は忘れません」
 来島はメモ帳を一片ちぎってテーブルの上に置くと去った。県警記者クラブ総会の決定内容だった。退職に浮かれていて出席するのを失念していた。来年一月から三月末までは我が社が幹事社のようだ。幹事社はクラブ総会の司会が主な役割でとくにやることはない。ただ、一つだけ厄介な役割があって、警察官による重大不祥事が発覚した際に各社の代表を担う。たとえば飲酒運転や違法薬物所持。県警本部は容疑者の氏名、年齢、所属警察署などを伏せ、情報提供には消極的だ。報道機関の総意として情報開示を求める申し入れ文書の作成およびその提出は幹事社がやらなければならない。だが、県警が謝罪会見を開いたとしても、警察庁からのガイドラインに則って公表したとの一点張りで埒が明かない。
 過去を振り返っていたら、かつて県議会で警察官の不祥事を追及された際に答弁に立った本部長をわざとアホ面で撮影し、二日連続で一面に掲載したことを思い出した。権力に勇敢に立ち向かったとして、自分史の大事な一ページとして残しておこう。
 来島が言っていた「一人出雲駅伝」は大したことではない。他紙から移籍してきたベテラン記者や全国紙から落ちぶれて我が社に流れ着いた記者らが口を揃えて出雲駅伝を一人で書いたことに驚いていた。そういえば、来島は出雲駅伝の取材はしたことがないのではないかと気づき、急いで記者室に戻った。彼は相変わらず頭をクルクルさせながら県の漁獲量資料と格闘していた。
「すまん……。来島は、出雲駅伝の、取材経験は?」
 急いで階段を登ったので息が切れていた。額に汗が滲み始めた。来島は考えすぎて参っているという表情をしながら答えた。
「出雲で本社勤務してたときに一度だけ。俺も一人でやれます。トリックは見抜きました」
「そっか。じゃあ、来年の出雲駅伝の記事を楽しみにしとくわ」
 来島は心にもないことを言わないでほしいと話すと視線を資料に戻した。今日の仕事は終わりだ。本来なら紙面を埋めるため、最低でも一本は出稿しなければいけない。が、私はもうすぐ退職だ。残日を無断欠勤して会社都合退職になってもかまわないと思っていたので、さっさと帰宅した。駐車場では私と同い年くらいの男性がタイヤ交換をしていた。随分と遅い交換だなと思った。手伝ってあげたかったが、私は同じアパートの居住者に存在を知られたくなかったので何事もなかったかのように自室に入った。
 洗面所の電気を点けると手洗い、うがいをした。すぐ横の浴槽に目をやると脚が針のように細い小さなクモが奥の縁でせっせと動いていた。私は虫が大好きだ。虫の耐久度、生命力に関心がある。私はシャワーヘッドで巣を少し破壊した。クモは残った巣を伝って回転するように素早く逃げた。このままシャワーヘッドですべてを壊すとクモはどこかにいってしまうと感じて、赤い蛇口をひねり、熱湯をクモに浴びせた。米粒ほどに縮んでしまったクモは排水口に吸い込まれていった。
 六畳間は遮光カーテンで真っ暗だった。私と陽子は常に布団に転がっていで、天井の白色照明を嫌った。目が痛くなるからだ。それで暖色の小さなフロアライトを常時点灯させている。それにしても、完全に消灯しているのは珍しい。おそらく寝ている。壁にぶつかると起こしてしまうため慎重に歩を進め、自分の領域に入るとサッと着替えを済ませ、布団に転がった。少し尻を強くついたので振動が彼女に伝わったかもしれない。尻の下がブブと振動した。まずいと焦ったが、遅かった。
『おかえり』
 やはり起こしてしまったようだった。
『うぃ。今日は来島に会った』
 返信が遅いので、仕切りカーテンから顔を出して陽子を見た。スマホの画面を注視していた。
「何やってんだよ」
「LINEの文章読んじょった」
 陽子の返信の遅さは文章読解能力の遅さに起因していたのか。私は口頭で、返事は不要と断って布団に座った。来島を話題に出したことで動揺したのかと思ったがそうではないらしい。トロットを聴こうとイヤホンを耳に突っ込もうとしたら、陽子の濁声が聞こえた。
「おい!」私は頭に血が上っていた。「なんか言ったか?」
「里親さんから連絡あった」
「ハイハイ。LINEで詳細送ってくれ。僕は忙しい」
 彼女の小さい肩がさらに小さくなっている気がして少し不安を覚えた。が、大事ではないだろうと煙草を吸ってメッセージの着信を待った。私は眠くないときにニコチンを摂取すると脳が眠いと錯覚して本当に眠くなってしまうので、早く送ってこいと貧乏ゆすりした。寝た際にすぐ起きれるようスマホの着信音をオンに設定して目を閉じた。すぐに耳元で大きな着信音が鳴った。それは里親とのショートメール上でのやりとりをスクショしたものだった。賢明な判断だ。内容は、明日の午前十時に運動公園で子供と遊ぶ。サケを具にした握り飯を持参。陽子の子供については随分まえから知っている。もうすぐ四歳になる男児だ。彼女によると、言葉を話し、元気いっぱいのようだ。「陽輝」と書いて「はるき」と読ますらしい。よっぽど古い人間じゃない限り読める名前だ。もしかして自分の一字を当てたのだろうか。再度仕切りカーテンの隙間から顔を出して陽子に訊いた。
「陽輝って名前はあなたから一字とったの?」
「いんやだよ。自分の子供だいて(だから)、そーでも、真剣に考えちょうわね」
 イヤホンを耳に突っ込んでトロットを大音量で聴いた。コテコテの出雲弁に腹が立った。どう過ごしたらそんな「ザ・出雲地方のオバサン」のような喋り方になるのか。七十歳を迎える私の父よりひどい。二年の同居生活で確信したことは、陽子が生粋の出雲地方のオバサンだということ。そして、この事実が未来永劫変わることはないということ。とっさに新たな考えを閃いた。未来永劫変わらないという事象はない。変わらない事象はないということが未来永劫変わらないという哲学的思弁だ。換言すれば万物流転だ。それは真理なのかもしれないが、しょせん哲学的言辞は現実として自らに迫る「圧倒性」に打ち勝つことはできない。こんなことを考えていても仕方がないので遮光カーテンから外の様子を窺った。小さな雪が風に吹かれて舞っている。天気予報アプリ通りになった。
「もしかしたら、初雪かもしれんな」
「えっ?」
 私は部屋干しの洗濯物を丸めて床に叩きつけた。で、すぐ陽子に謝罪した。彼女はちゃんと聞いていなかった自分が悪かったと頭を下げた。彼女は私の癇癪玉が破裂するといつも自分のほうが悪かったと自己否定する。私に非があると繰り返しても自分が悪かったと譲らない。自己否定されるとそのまま脳に刻まれて否定し続けてしまう性分なのだろうか。もっと早くに気付くべきだった。これからは言葉を選んで厳に慎まなければならない。布団に仰向けになると、仕切りカーテン越しに陽子に話しかけた。
「あなたは陽輝にどう成長してほしいの?」
 彼女はグラタンのような臭いを漂わせ、コシュコシュとプラスチックが擦れる音を出した。どうやら食事中で私の発言は馬耳東風のようだった。コンビニにグラタンやシチューがあるのかわからないが、臭いといい食事の際の種々の音が我慢ならなかった。それに加え、彼女は一食にかける時間が途方もなく長く、それも私の怒りを増長させた。私は先ほど言葉を慎もうと決意しながらできなかった。
「人の話を聞いてねえのかよ!」
「こうなってしまったから仕方ない!」
 私は予想外の開き直りともとれる叫びに思わず哄笑してしまった。陽子はなぜ笑っているのか問うたが、私が変なだけだと何度も言って納得させた。しばらくすると何かをすする音がした。私が最も不快としている音だ。イライラしたが、ここはなんとしても慎もうと思い、他の対処法を考案した。それは喫煙だ。食事の際に煙草の臭いがすると喫煙者の私でも不快になる。それを陽子の食事中にする。と同時に吸った煙をできるだけ鼻から噴出し、自身の嗅覚を麻痺させてしまう。これで臭い対策は万全だ。問題は音だが、これに関しては私も下品な音を立てていることは想像に難くないので自省する。
 仰向けのまま、もう一度、仕切りカーテンの向こうの陽子に訊ねた。
「あなたは陽輝にどう成長してほしいの?」
「そぎゃんこと(そんなこと)まだわからんがねー」
 私は子育ての経験もなければ、子供に興味もないので黙っていた。



 昨日は古き良き時代の美少女戦士アニメを二作観ていた。一方は関心を引かなかった。もう一方は現代ライトノベルやアニメで主流の異世界転生モノだった。視聴してまもなく転生してテンポもよく、ご都合主義展開が苦痛にならない。現代を先取りしていると感服した。夢中になっていたら日付が変わり、いつのまにか眠っていた。私が寝ていると陽子は連られるように寝てしまうらしく、私は仕切りカーテンの隙間を覗いた。陽子はこちらに背を向け横になっている。スマホで時刻を確認すると八時半だった。私はLINEを送信した。
『十時から運動公園だろ? 米は炊いたか? ラップフィルムあるのか?』
『うちにある。サケフレークも買ってある』
 起床していたことに驚くと同時にサケフレークを購入していたことにも驚かされた。部屋の隅に置いてある炊飯器が「保温」になっているから米は炊いたようだ。しかし、熱い米を握って運動公園に間に合うのだろうか。彼女は自動車免許を保有していないので、自転車で行くことになる。自転車だとここからの所要時間は十五分から二十分といったところだろう。里親はどうだか知らないが、子供は母親を待っているはずで、私は急かすために腰を上げた。視界の下奥がパッと光った気がしたので、視線を落とすとスマホに着信があったようだ。
『こんなこと言ったらまた怒られるかもしれんけど梅ちゃんのアソコ舐めたい。セックスしたい。またできるよね』
 私は、機会があればと返信して握り飯と出かける準備を急ぐよう送信した。陽子ぐらいの年齢は女性ホルモンの減少によって相対的に男性ホルモンが増えて性欲が増長するらしい。だが、いい加減にしてほしいものだ。これまでヒモになる対価として望まないセックスを捧げてきたが、化粧もせず、服装には無頓着、幼児体型の陽子に欲情できない。口まわりの髭、脛毛も剃らずホモサピエンスのメスとして本能が揺さぶられない。もとより、私は生殖に伴う諸機能がほぼ失われているのでセックスをしているのかどうかわからない。彼女の膣内も出産の影響なのか弛緩しており、作業として腰を振っているだけだった。陽子が欲情しているときに女性用風俗店の利用や同じアパートの男性を誘惑しろと勧めたがいずれも嫌がった。
 ようやく布団から出るような音がしたかと思うと落ち着きなく動き回り、「ええい」「けえい」を連発した。私はいつものようにイヤホンを耳に突っ込みトロットを大音量で流しながら、早く出かけてくれと半ば怯えたような心持ちで布団にくるまった。エアコンが風力を上げた。その風に乗って香水の臭いがした。陽子が香水を持っているとは想定外だった。
「おい!」
「はい。なーんでしょーうか?」
 ふだん見慣れた醜い顔が母親の顔になっていた。黒いパーカーにジーンズという出で立ちも子供と公園で遊ぶ母親という想像が目に浮かぶようで安心感を覚えた。だが、私にはどうしても訊いておきたいことがあった。
「来島に本当のことを言わなくていいんか?」
 陽子はセミロングの傷んだ茶髪を慣れた手つきでまとめながら、
「教えんでいい。もう関わりたくない」
 と言って部屋を出て行った。スマホを確認するとまだ九時十分だった。知事の新春インタビューは二時からなので気楽に過ごせそうだった。知事の週間予定表や毎日配布される日程表を見る限り、とてもじゃないが常人のやれる仕事ではないと思った。ごくまれに「終日公務なし」つまり休日がある。それ以外は、会議やら表敬訪問で埋まっている。当然、議会もある。土日もイベント出席があり、たまったものではない。私には到底できない仕事だ。知事に若干の憐憫と多大な尊崇の念を抱きながら呆けていたらスマホが振動した。画面を見たら父からだった。
『涼平、おまえ、明日の午前は暇しとるかいな? 仕事なら来らんでもいい』
 久しぶりに聞いた父の声だったが、とくに何も感じなかった。
「なんかあんの?」
『母さんの十三回忌を合同でやるけん、時間があったら来なさいよ。終わったらみんなで弁当なと食おうや』
 口うるさい叔父さんも来るのかと思うと憂鬱になった。私が学生の時分から男は働けと、とかくやかましい。父にもそのきらいはあるものの、端的に勘所を話せば親子関係が破綻すると自覚しているようなので、あまり口に出さない。
「叔父さんは来るんか?」
『兄貴は用事で来ない。俺とお前と真也だけ』
 それを聞いて安心した私は、実家に戻り出席する旨を伝えると通話を終えた。我が家は旧習に囚われながらも変わった点で新しい家だ。現代においてもなお家父長制的でありながら、炊事洗濯など家事にまつわることはすべて父がやる。私が小さいころからそうだったので、弟の真也と私の間では、父のことを「執事」とひそかに呼んでいる。三人で暮らしていたころは各々が世帯主だったので、選挙の際は選管から投票ハガキが三通届いた。全員が自由気ままに過ごしていて、父は定年退職後、北海道と沖縄をのぞく都道府県を自家用車で旅した。弟は働き者だが、稼ぎをすべて推し活に費やしている。熱烈な女性アイドルファンで週末はどこかに行っている。二人とも何も告げずに出かけていくので、実家にいたころは随分呆れる機会が多かった。
 あまりにやることがないので、歩いて本屋に行った。私が目当てにしている哲学思想の研究書は絶対にないので、人文社会科学の古典が文庫本で置いてないか探した。いったいこれを誰が読むのだという本が読みたかった。が、やはりそういうものは書棚にない。立ち読みの人たちを縫って行き、自動ドアに視線を向けると来島が入店してきた。会話するのが億劫に感じ、そのまま店を出ようとしたら背後から声をかけられた。私は去ろうとする足を止めなかった。なおも声をかけるので仕方なく振り返った。
「なに? まだ漁獲量が終わってないの?」
 つい口調がぶっきらぼうになった。
「いえ、あの一人出雲駅伝ですが。……本当は全然トリックがわからなかったんです」
「まあ、来年、一人で現場に行ってみればわかるって」来島に恨みはないが、私は突き放すように言った。「出雲の行事なんだから、本社の人が取材するっしょ」
 午後はよろしくと伝え、早々に退店した。あまりに暇すぎて支局で酒を飲もうかと考えたが、脳内で退けた。仕事中だからとか、知事のインタビューがあるからとかそんな理由ではない。暇だから飲むだけだ。すぐにでも飲みたいが、悲しいことに内中原やその周辺は観光地でもあるので昼間からアルコールを提供する飲食店はない。カラオケは好きだが、一人で歌うのは淋しい。そして、この魔都で唯一の慰安所であるパチンコ屋もすべからく店内禁煙になってしまった。
 ここはつまらない、あそこもつまらないと逡巡しているうちに初詣の写真をいまのうちに撮っておこうと思い立った。出雲大社が最善だろうが、三箇日はみな休みたいはずだ。記者も初詣写真を撮るためだけに面倒な外出は避けたいだろう。会社に対して置き土産ができたとほくそ笑んだ。凄まじい数の参拝者を撮る必要はない。逆にそんな写真は飽きている。一人でもいいから、心の底から神に願っている人の写真を撮れば足りる。といえば聞こえはいいが、要は背景をぼかして真剣に祈りを捧げる人にフォーカスすれば写真なんてものはなんとでもなる。さすがに元日から大雪が続けば背景のごまかしもばれてしまうが。
 気分が乗ってきたところで、橋南でこの書店から近い八重垣神社へと車を走らせた。恋愛成就やパワースポットとして有名な神社だから、若い男女がたくさんいるに違いない。脳内にユーロビートを再生させて気分上々で到着した。が、往来に参拝者が誰もいない。そんなことはないだろうと駐車場に車を止め、鳥居をくぐった。境内に参拝者はいたが、季節外れの観光客か毎日参拝していると思しき老人らがゆっくりと散策していて、とてもじゃないがヤラセを頼める雰囲気ではなかった。さっきから目の前をチョコチョコ跳ねていたカラスが鳴きながら飛んで行った。焦燥と憤懣が混在したまま脳から全身を巡った。私は凋残な気持ちのまま賽銭箱には目もくれずただ合掌して神社を後にした。残りの一時間を誰もいない県政記者室で過ごそうと思った。八重垣神社から県庁に向かうにあたって自動車専用道路を通った。橋南と橋北をつなぐ橋梁は六本あるが、この縁結び大橋から眺める松江市街は意外にも都会に見えた。「県庁 松江城」と記された標識通りに下道へ降りた。ここで降りるのが最速最短といえるか定かではない。終点で下道に降りても大して所要時間は変わらないだろう。あくまで観光で訪れた人向けの標識だと思った。
 そのまま県庁に向かわず知り尽くした市内の道路をあてもなく走っていたら一時四十分になっていた。少し車の速度を上げ、県庁に着くと一時五十分だった。余裕で間に合った。広聴広報課の担当者と来島はすでに知事室で待機しているに違いない。セーラー服を脱ぎ、ジャケットを羽織った。シャツの第一ボタンを留めてネクタイもウィンザーノットでしっかり結んだ。革靴を忘れていたが、そこは冷静に対処し、安全靴を履いた。しっかり磨いて色が剥げている所は黒く塗ってあるので問題ない。守衛に挨拶し、社名、入庁目的、入庁時間を記入して知事室へと急いだ。少し時間をとられた。
 知事室に駆け込むと、知事と来島が談笑していた。しまったなと後悔したが、知事は、
「よろしくお願いします。どうぞ」
 と安物に見せかけておそらく高価な椅子に着席するよう促した。ひとまず腰を下ろしたものの、被写体に動きがあって、なおかつ笑っている一瞬を撮影することは極めて難しい。聞き手の来島はユーモアの欠片もないつまらない男だから冗談も言わず、淡々と質問するだろう。
「すみません。お話の前に椅子に座っとられる写真を撮らせてもらっていいですか?」
 自分の機転の良さに自画自賛したくなった。こと新春インタビューに関しては、動きのある写真は我が社では使われない。繰り返すようだが、それは撮影が難しいからだ。まだ知事が疲れていない時点で写真は済ませてしまう。これで業務終了。あとは知事の迷惑にならない範囲でシャッターを切って仕事してますアピールをするだけだ。
 知事は、最初に撮ったほうがいいですねと快諾してくれた。何度も撮るのは失礼なので、少し笑ってほしいなどのリクエストをしておく。アングルはやや下からが定石だ。知事を見下ろす、あるいは対等な目線にあるという印象を抱かせる写真を撮ってはならない。目に光が入るようフラッシュを焚いたが、うまくいかず、結局、五回も撮影する羽目になった。私の失態だ。テーブルにレコーダーを置くと、こっそりシャツの第一ボタンを外し、ネクタイをゆるめた。私と県の担当者はなぜかときおり目を合わせては互いに微笑んだ。意味がわからなかった。おそらく、去年の新春インタビューは聞き手が記者魂を炸裂させて時間超過してしまったから、それを心配しているのだろう。昨年も私はカメラマンとして同行していた。来島は大真面目に質問している。掲載の不可を返答から瞬時に判断してメモしているようだった。だから、質問項目にないような余計な質問はしなかった。知事はたびたび話が脱線しておもしろかった。
 インタビューは所定時間を五分残して終わった。私は余計なことだと自覚しながらも知事にクリスマスが近いことを話した。知事は私の意図を察したのか、
「今年最後の定例会見で訊かれるね、それ。クリスマスかあ。考えないとな」
 と苦笑した。クリスマスをどう過ごすかという質問はテレビ局の記者が好んで質問するので、おせっかいを焼いた。私と来島は帰り支度を整えると多忙な知事に配慮して辞去した。記者室で休憩しようとドアを開けると消灯されていて誰もいなかった。さすがに土曜は休みかイベント取材に出かけているのだろう。来島はプレスリリースを見るなりシュレッダーに突っ込むとテレビ前の長椅子に腰かけた。私もテーブル向かいの長椅子に腰かけた。そして、仰向けになった。
「疲れましたね」
「僕も疲れた」
 しばしの沈黙が流れた。窓ガラスが風でガタガタ鳴った。
「知らんでいいこともある」
 私は唐突に言った。自分で自分を疑った。
「なにがです?」
「県内における知的障害者に対する詐欺、性暴力問題と例のトリック」
 来島は肩肘をついて上半身を起こした。
「はあ。やばい事案ってことですか?」
「後者はともかく前者はやばい。だから僕は身を引いた。これから出世していくような来島が首を突っ込んじゃだめだ」
 素直に了解ですと言いながら来島は立ち上がった。私はなおも仰向けでいた。我が社のような弱小報道機関がぬるい調査をしただけでは組織的犯罪に対抗できない。それでは被害者はずっと泣き寝入りすることになる。警察が動かなければいけない。といっても、その警察ですら実態を把握できていないから、報道が闇を暴かなければいけないこともまた事実だ。
 早くこの仕事を辞めたかった。報道腕章は、丸に三つ葉葵の紋所のようなもので、記者に入れない場所はない。だが、悪党退治となれば、そう首尾よくいかない。壁時計を見ると三時半だった。守衛が訝しがっているかもしれない。私は走ってエントランスを目指した。薄暗い庁内と激しさを増して音を立てる窓ガラスが不気味だった。



 陽子は大イビキをかいて寝ていた。昨日は元気溌剌な息子と遊んで疲れたのだろう。私は、しばらくしたら実家に赴くつもりでいる。橋北の坂本町にある築五十年の日本家屋だ。平成の大合併前、同町は松江市における北部僻地の一つだった。行政区画としても小さく、いまなお僻地であることには変わりない。が、片道二車線の道路や近場に大型スーパーが進出し、市街地へのアクセスも改善された。民家が少なく自然豊かで生活に不便なしという理想的な場所だ。
 法要は父だけが寺の本堂に上がる。私と弟は冠婚葬祭用の礼服を持っていない。起床後、平服でもよいか電話で父に訊ねた。墓参りだけだから問題ないとのことだった。静かになった陽子が「うっ!」「ひえっ!」と寝言で叫んでいる。こちらが驚くので、以前に何事か訊いてみたら私とセックスする夢を見ているのだそうだ。最近になって頻繁に叫ぶから気になっている。私は滅多に夢を見ない。覚えているのはただ一つで、来島に対し、なぜブログをやらないのか詰問する本当に何の脈絡もないものだった。
 菓子パンの包装を破く音が聞こえた。たいていのことは見ずともわかる。陽子は口が小さく、世にも不快な咀嚼音を発する。もう慣れているが、どうしようもなく腹が立ってしまったときは怒る。私は起床していることを知らすために、カチカチとライターを着火させ、大げさに咳払いした。
「あ、起きちょっただ?」
「うん。今日は法事に行ってくるわ。明日の朝には戻る。この家に戻る」
 陽子は私が私自身の話をしているときに、一度も聞いたことのない体験談でも、そうそうと言う奇妙な節があって、なぜだろうかと分析したら話の途中から自他の分別ができなくなるようだ。それは他の文物に関する話題においても同様で、話が長くなるほどそれは顕著になる。
「昨日、里親さんに梅ちゃんのこと言ってしまったけど、いけんかった?」
 私は二の句が継げなかった。我に返ると荒く鼻息を吐いた。
「ごめーん。だって、訊いてくるんだもん」
「いままで黙ってただろ! いっそのこと父親は来島だと話してしまえよ!」
 イライラして仕方がなかった。もうこの女とは限界だ。一人になりたい。陽子は何も喋らずビニール袋に触れる音を発していた。私が彼女のことを概ね理解しているのと同じで、彼女も私の生態や怒り出したら止まらないことを承知している。以前、言葉を慎むよう努める決意をしていたのを思い出した。法的強制力はなく私の勝手な努力義務なのだから、当面は留保という形式を採用することにした。セーラー服に袖を通し、彼女に行ってくるとのLINEを送信した。車に乗って一人の空間に安堵していたら、怒った祖父は恐ろしいと祖母が語ったことを思い出した。隔世遺伝だろうか。エンジンをかけて実家へ向かった。早くも帰省しているのか県外ナンバーの車が多くて不愉快だった。自動車専用道路を通らず、悠長に市街地を走ったのがまずかったのかもしれない。
 実家には九時に到着した。車庫に父の車が置いてあったが、家のなかにはいなかった。仏壇に線香を立て、居間に転がった。やがて弟が顔を出した。誰に似たのか容姿端麗だ。
「もう帰ったのかよ。弁当買いに行くぞ。貴様の車でな」
 弟はもとから私を貴様呼ばわりするが、私も弟を貴様と呼ぶので対等な関係だ。
「これから? 墓参りはまだなんか?」
「親父が弁当を先に買っとけってよ。弁当ってか寿司」
「阿蘇山」
 弟は二階に上がって行った。「阿蘇山」というのは、これまた私たち兄弟のみで使用されている用語で、もう話すことはないから会話を終えるという意味だ。先に乗車して弟を待った。なかなか姿を見せないのでムカムカしてきた。ギアをニュートラルに入れて空吹かししていたらようやく出てきた。
「おせえよ!」
「すぐ行くとは言ってねえだろ。こちとら忙しいんや」
 何もしてないだろと言いかけたが黙っていた。弟とは年々ソリが合わなくなっている。職種も違えば価値観も違う。そんな相手に話しても意味がない。弟も同じ考えで、いつしか必要最低限の話だけ交わすようになった。同じ血を分けた世界で唯一の兄弟なのに悲しいことだ。私はそれを強調して毎年、誕生日が近づくとプレゼントをねだるのだが、もらえたことはない。出発してからスーパーまでの約五分間、私たちは呼吸だけしていた。世の中年兄弟もこんなものなのだろうか。老年ではあるが、父と叔父さんの会話は互いへの敬意が感じられた。
 弟は降車するとスタスタと入店した。動きに迷いが一切ない。鮮魚コーナーに真っ直ぐ歩いて行く。私が追いついたときには盛り合わせを三パック手にしていた。
「おい。僕は盛り合わせはいらん。サーモンを二パック」
「阿蘇山」
 手順が厄介なセルフレジを安々とこなすとスタスタ出口へ歩き出した。まるで感情のないロボットだ。母が他界した際も弟は泣かなかった。父は泣いていた。私は人前で涙することはなかったが、高熱と幻覚、不整脈にしばらく悩まされた。大儀そうに車体に体を預けている弟を一瞥するとドアを開けた。帰りも無言かと思ったら、父と電話しているようだった。墓参りするから、すぐ来いとのこと。Uターン可能な交差点で引き返し、アクセルを強く踏み込んだ。
 寺の駐車場はほぼ満車で六十台は止まっている感じだった。私と弟をのぞく人々はみな黒の礼服着用で、さすがの私たちもマジかと同じ言葉を口にした。空いている場所に駐車すると墓所に上がる石段の前で白髪スポーツ刈りの私に似た男が花を持って立っていた。少し体躯が小さくなっている気がしたが、間違いなく父だった。先祖を供養していいことがあった試しがないので、無心で墓石とその周辺を掃除した。線香を立て合掌した際、なにもいいことがなければ墓じまいにするぞと心中で先祖を脅迫した。父は分家に線香を立ててくるから先に帰れと言って去った。駐車場に戻ると県外車が多いことに驚いた。「鳥取」「岡山」は珍しいナンバープレートではないが、「世田谷」「釧路」を見つけたときには間近に寄ってしまった。上京者は多いにも関わらず東京都内のナンバープレートを見かけない。北海道に関しては遠方からはるばる来たなと心の底から感心する。「帯広」「札幌」もごくまれに見かける。弟が帰ろうと急かすので家路に就いた。車内で彼は腕を組んで目を瞑っていた。
 私はまったく実家に帰らなかったので、二年ぶりに家族が一堂に会した。三人とも好き勝手に生活しているので、とくに話題もなく黙食になった。私は来年からヒモになるとは言えず、父が仕事の話を振ってくることを怖れたが杞憂だった。父は箸を置くと、これから自分の金は自分のために使うと宣言した。弟は平然と聞いていた。私は父に理由を訊ねた。
「おまえらのせいで孫がいねえじゃん。もう日本の将来を考える必要がない」
 もっともな意見だったので私は黙り込んだ。弟は首を傾け、ポキッと骨を鳴らすと、聞いていられないという表情で食堂から出て行った。
「真也もなにやってんだか。てことで、あたくしは高校の非常勤講師も今年度で辞めます」
「旅してたんじゃなかったのか?」
 この二年間で父が教職に復帰していたことを初めて知った。とはいえ、仮に実家で同居し続けていたとしても知らなかっただろう。
「旅は飽きた。それと、もう日本がどうなろうと知ったこっちゃないわけですからぁ? よその子供らに教える気力もなくなるよな?」
 父の言うことに異論はまったくなかった。これまで私たちのために、あるいは前途多望な生徒たちのために働いてきた人間だ。残りの人生を自分のために生きる資格は有している。余計な口は挟まず、上乃木の自宅に戻ろうと席を立った。
「もし結婚するなら誰もが喜ぶ結婚しろよ」
わかったよと言って実家を出た。父の今後の生き方を否定するわけではないが、車を走らせているうちに少しの遺産くらい残しておいてほしいという欲が胸中で煮えていた。一方で、私たちの十年後、二十年後の安泰など想像もできず、日本という国家が消滅しているとも限らないと本気で考えた。
 自宅のドアを開け、部屋に入ったとたん、さっきまでの悩みは一瞬で吹き飛んだ。陽子のエリアの壁に陽輝の写真が貼ってあったからだ。それは小さいフロアライトでも明瞭に見える位置に貼られていた。
「おい! ガキをとるのか僕をとるのかはっきりしろよ! まだ女でいたいんだろ?」
 それは口が裂けても言ってはならないことなのではないかと悔いたが、後の祭りだった。
「ごめん。すぐ取るけん許して。陽輝より梅ちゃんのほうが大事。だから許してください」
 彼女は布団の横にある小物入れに写真を押し込むと、土下座して謝罪した。違う。私はこのような展開を望んでなんかいない。私は腰を折りながら着座した。だが、頭を床に付けることができなかった。土下座が嫌なわけではない。そんなプライドは遥か昔に捨てている。ここで謝罪してしまうことで、女の愚直で懸命な生き方、考え方そのものを否定してしまいそうな気がした。
「僕も大事かもしれんが、子供も大事だ。僕のことを里親に言っちゃったんだろ?」
「うん。梅ちゃんが大事」
 相変わらず、人の話を誤解してしまうのかと腹が立ってきた。言葉を慎まないといけないと思い直し、
「僕も大事だけど、陽輝も大事。僕も大事だけど、陽輝も大事」
 となるべく穏やかな声で諭すように話した。陽子は理解したのかしてないのか、うんと微笑しながら布団に背中から倒れた。彼女が私のことを里親にどこまで話したのか気になった。もしかしたら、陽輝の父親のことも喋ってしまっているかもしれない。これまで他人事だと思って里親に関心を持たなかった私にも落ち度があるので、陽子に説明してもらった。
 彼女によると、里親は堀田信夫・美枝子夫妻。八重垣神社が立地する佐草町在住。信夫は元高校教師で美枝子は自治会役員をしているという。年齢は不明だが、七十歳ぐらいに見えるらしい。私については生活面において助言してくれる新聞記者と紹介していて同じ屋根の下で暮らしていることは話していないようだ。また、不特定多数の男性から無理やりセックスさせられたことや、公的には父親不明であることも話していないという。あまりに里親のことを知らなすぎないかと不思議に感じた。訊けば経歴などを語るだろうが、先方もどうして陽子がシングルマザーになったのかといった肝心な点については一切触れないらしい。陽子は悪阻が発現せず、生理がこなくなったことも生理不順と認識していた。そのため、妊娠している自覚がないまま働き続けた。そのうち、職場の女性から腹部が膨らんでいることを指摘され初めて産婦人科を訪ね、三十六週と診断されたようだ。入浴の際に気づくようなものだが、なにかの病気で太ったと思っていたと述懐した。
 陽子は話し終えると、自分がバカだったと泣き声で悔いた。二年間で彼女が悔やんでは泣いている姿を何度も目にしてきた。私は、過去は変えられないから前だけ向いて人生を歩んでいこうと誰にでも言えるような慰め方しかしてこなかった。というより、まったく関心がなかった。陽子のほうも望まぬ妊娠で生まれた子供だから一時は母親としての自覚を忘れて、ただ私にすがりつくという有様だった。このごろは言わなくなったが、私の子供を産みたいと連日せがまれた時分はかなり参ってしまって、眠れない日が続いたこともある。ともあれ、里親に対して私のことはさほど紹介していないようで安心した。
「たまにはドライブして外食でもするかネ?」
「ドライブしたい。ラーメンか寿司が食べたい」
 寿司は昼に食べたばかりだったので、ラーメン屋に行こうと誘った。本心では外食なぞしたい気分ではなかった。あてもなく車を走らせて心中に暴風のごとく吹き荒れる感情の混沌を鎮めたかった。



 文字起こしは骨が折れる。レコーダーのデータをノートパソコンに移行してから、聴いてはキーボードを叩く作業を繰り返す。初めて臨んだ知事の新春インタビューの文字起こしは専門用語が出てくると勉強し、聴こえにくい声も逃さず真面目に取り組んでいた。慣れてしまった現在は、質問項目に直結しないような話は無視する。重要政策の課題や問題点について核心をついた話でも読者が一見して理解できない内容ならば躊躇せず無視する。結果、当たり障りのない仕上がりになってしまうが、むしろそれでいい。私は報道に公平さを期待していない。それどころか、偏見はあってしかるべきだと考えている。公平、真実など人間の本質を少しでも考えたことのある人ならば成立しえないことは明らかだ。偏見なしに物事は認識できないし、偏見なしに記事は書けない。熟練記者は会見の席にいながら記事を書いてしまうが、それは記者のなかですでに偏見に満ちた物語が完成しているからだ。
 私もそのような堕落した報道人になる一歩手前だ。デスクに提出する文字起こし「全文」はあえて冗長にしておき、こっそり提稿用に削りに削ったものを保存しておく。今回の知事インタビューは退職が迫っていて、会社がどうなろうが知ったことではないので「全文」を送る気もない。代わりに音声データを送ろうと企図している。最後まで職務をまっとうして退職するという使命感もない。私の胸中はヒモになって余生をのんびり過ごしたい一心だった。
 横からイヤホン越しでも聞こえる大きな音がした。昨晩は寿司屋に行かず海鮮居酒屋に行った。そこで陽子は酔いの勢いを借りて里親に私と同居していることも話したと打ち明け、号泣した。その場では面食らってしまったが、私自身も今日は飲酒しながら在宅ワークだ。もうデータを送受信するだけなので出勤する必要がない。妙に捨て鉢な気分なのは酒のせいかもしれない。陽子は私の連絡先まで教えてしまったというから、里親が会って話したいと架電してくるのは時間の問題だろう。酒が効いてきて知事と来島の音声が遠くなってきた。今日はここまでにしようと布団にドスンと横向きで倒れた。壁がグルグルと渦を巻いている。いよいよダメだ。陽子は二日酔いで苦しんでいるのだろうと考えているうち、自然と瞼が閉じていった。
 目が覚めても部屋のカーテンは遮光仕様なので昼か夜か、はたまた翌朝なのかわからなかった。フロアライトの横にスマホと白い紙があった。時刻は午後二時四十三分だった。「着信があります」をタップすると見たこともない携帯番号だった。おそらく里親だろう。本気で面会を望むならまた架電してくるだろうと放っておいた。白い紙は小さいメモ帳から一枚とったもので、陽子の直筆だった。

 愛する梅ちゃんへ♡
セックスやエッチをする時が一番幸せでハッピだったな
チンポ舐める時はじょうねつで燃えるにムラムラして興奮して凄く気持ちよかった。
今までずっーと思ってた素直な答えです。字が汚くって本当にゴメン オヤスミ

 私はどうしたらいいのかわからなくて泣きたかったが、涙は出そうにない。頭を四方八方に傾けたり、手首でこめかみを強く押さえたりした。純粋に愛されているのか色情魔に呪われたのか。気持ちが掻き乱され、整理できそうにない。何かが壊され、何かが生まれてはまた壊れた。急に羞恥心が込み上げてきて、枕元に積んである書籍の一冊に紙を忍ばせた。布団に転がって大音量でトロットを聴いていたら、珍しく陽子が仕切りカーテンの隙間から顔を出した。私は片方のイヤホンを外した。
「夜はなんか食うだ?」
 陽子はいつもの調子で「ザ・出雲地方のオバサン」だった。
「いや、夜は食えそうにないな。明日の朝の弁当買ってきて」
 彼女はわかったと言って顔をひっこめるとゴソゴソ音を立てた。すぐに出かけるつもりなのだろう。私は心中錯綜していて額に手を当てると、そのまま髪をガシガシと搔きむしった。
「おーい。やっぱ来島に言ったほうがいいんじゃねえか? 僕もよく考えたら組織の末端と言えなくもない」
「梅ちゃんは違う! 悪くない!」
 私の職歴は新聞記者一筋ではない。前の仕事はタクシードライバーだった。佐々木という仲のいい同僚が知的障害者を狙って金を騙し取ったり、愛をささやいて性欲のはけ口にしていた。彼は自身でも語っていたが、下っ端だった。それでも対象者を四人抱えていて組織の幹部らに金とセックスを上納していた。親玉が出雲に住んでいることは聞かされたが、組織の詳しい内情や運営実態などは話さなかった。四人の被害女性のうち、陽子は佐々木が自由に扱うことを許されていたようだ。3Pしようと佐々木に提案された私は誘いを断って純粋な正義感から陽子を救おうとした。しかし、陽子とは連絡先を交換しただけで何も行動に移せない日々が続いた。心身ともに不調になった私は快復すると、極めて評判の悪い地元紙に転職した。佐々木と陽子とは記者になってからも連絡を取っていたが、二人に会うことはなかった。この間に私は中途採用者の研修担当だった来島と親交を深めた。そして、佐々木らの悪行を伝えた。だが、来島はすでに出世頭で現場に出る一兵卒ではなかった。新米の記者だった私は一人で悪事を暴くと来島に訴え、彼も協力は惜しまないと約束した。私は潜入捜査気どりで来島を佐々木に紹介した。結果論でしかないが、紹介したのは痛恨のミスだった。ある日、陽子が私を気に入っているらしいと佐々木から連絡があり彼女と食事をした。その際、これ以上の被害を防ぐため引っ越すよう提案した。それで陽子は組織と佐々木から逃れ、私との同居を望んだ。
 来島が陽輝の父親というのは明白で、私が佐々木に来島を紹介してから佐々木は陽子の家に行っても彼女に触れることすらしなかった。同僚だったときから感じていたが、佐々木は頭の回転が早く、切れ者だったから、記者がもう一人加わったことに対し警戒心を抱いたはずだ。陽子によると、半年ほど佐々木と来島が連れ立って自宅に訪ねてくる期間があったらしい。佐々木は何もせず、陽子の裸体を抱いたのは来島だったそうだ。佐々木は陽子が妊娠しにくい体質ということを知っていた。避妊具を装着せずにセックスをする来島を見て楽しんでいたらしい。
私は写真でしか陽輝を見たことがない。だが、陽輝は成長するにつれ、誰がどう見ても来島の面影が浮かぶようになった。とくに目の形がそっくりだ。陽子によれば、DNA鑑定をするまでもなく、三十六週からさかのぼって自分とセックスしていたのは来島しかいないそうだ。
 陽子は弁当を買いに出ると言っていたが、「ええい」「けえい」と腹立たしそうな声を発していた。おそらく、財布が見当たらないのだろう。たいてい買い出しに行く際はサッと行ってしまうが、時間がかかっているときは財布を探していることが多い。私は天井を仰ぎながら深呼吸した。
「来島とのセックスはどうだった? 気持ちよかったとか、そういうことじゃなくて」
「んぇ? 興奮してたんじゃない? いろんな人とやりすぎて覚えてない」
 私は、そっかと言いながら後ろ首をポリポリ掻いた。手紙を読んだことによる得体の知れない心中の混乱も沈静化していた。差し当たって私が憂慮すべきことは里親からの電話だ。ガラガラと部屋の引き戸が開く音がした。
「あっ、ナプキンがないけん、ホームセンター行くから遅くなる。最近、血が多いわ」
 もう一度、ガラガラと音がしたあと、玄関のドアを閉める音が聞こえた。忘れ物が多いので、しばしば往復することがある。もし戻ってきたら、いまの私の精神状態でも立腹して怒鳴ってしまうだろう。そのまま無事に出発してくれと祈った。ちゃんと家を出たかどうか心配になって玄関のドアを開けた。全身を針で刺すような寒気がビュウと屋内に流れ込んだ。自転車がなかったので出発したようだ。と同時に今日は晴天だということを知った。今晩はたいそう綺麗な月が見えるだろう。
夜になるまで時間があったから、月について調べようと思った。月が見えない謎の現象が不思議で仕方がなかったので、ネットで「月 見えない」で検索した。結果を見て思わず叫びそうになった。月が見えないのは「新月」という。小学校の理科の単元だったと記憶している。月の満ち欠けが云々と習った覚えがある。どうやら私は三日月や半月も忘れていたらしい。月はまん丸お月様か見えないかのどちらかだと完全に認識を誤っていた。実家で生活していた時分は毎晩のように夜空を見上げていたにもかかわらず、月は見えないか満月のいずれかであるという誤謬を素朴に信じていた。己の無知を少し恥じたが、それより月が見えないという不思議な現象が解決できて嬉しかった。ひところ流行したアハ体験に似た感覚だ。すこぶる気分がよくなった。月について調べだしたら、ネットサーフィンがとまらなくなって北極星についても調べた。松江の冬空は澄んでいて、どの星も同等に眩しい。ひときわ明るく見えるという星の分別がつかない。そういった事情でいったい北極星はどれなのかと検索してみたところ、北極星は代替わりすることがわかった。私にとっては驚愕の事実だ。すでに次の北極星が決定していることも面白いと思った。
北極星はともかく、新月について陽子に自慢してやろうとニヤニヤしていたら、ちょうど帰ってきた。彼女は布団に落ち着くまで三十分かかる。この発見の喜びを伝えたくて仕方なかったので、ガラガラ音が鳴り、部屋に入ってきた瞬間に声をかけた。
「おい!」
「なんでございますか?」
「新月って知ってるか?」
 突然笑い出したので気がおかしくなったのかと思った。いったい何を笑うことがあるのだろうか。
「知ってるよ。あたりまえじゃん。私だって知ってる」
「いや、あなたは知らない。見えない状態の月のことを新月って呼ぶんだぜ?」
 陽子は明らかに私を小馬鹿にしたような小さい笑い声を漏らした。
「だーから、知ってるって!」
 彼女はドタドタと足音を立てたり、「ええい」「けえい」といつも通りの行動に移ったらしく、本気で新月について知っているようだった。随分まえに、陽輝が就学年齢に達したときに算数と理科を教えられるか心配だと嘆いていたのは嘘だったということなのか。私は天を衝くような歓喜を共感してもらいたくて大学の後輩にLINEを送った。自分が無知だったことも隠さず、メッセージに長々と天上の悦びを綴った。すぐに返事が送られてきた。
『大人になると忘れてることってありますよね』
 随分と淡白な返答で私は憤りを感じた。次第に私の思考は、翻ってなぜ新月をみなが知っているのか、ひいては、なぜ私だけが忘れてしまったのかという疑問に到達した。が、いくら考えても答えは出ず、その後、陽子からのウンザリするほどの嘲笑を甘んじて受けた。



 運動公園の駐車場でノンアルコールビールを飲みながら空を見上げていた。今日も晴天だ。昨今の気候変動ないし異常気象のせいなのか、松江で雨天が極端に減った。「出雲」という地方名を冠しているのには理由がある。朝は晴れていても昼を過ぎれば必ず曇天になる、あるいは雨天になる。少なくとも、三十年前まではそうだった。曇天がデフォルトでない出雲地方はその名称を変更すべきだと知人が言っていた。その通りだと思う。
 昨日、新月について陽子に嘲笑されたあと、里親から連絡があった。八時まえで常識的に架電するには遅い時間ではないかと若干ムカムカしたが、私は深更に平気で知人友人に架電することがあるので他人事ではなかった。昨晩は夫婦が一言ずつ挨拶してしまいだった。今日は信夫さんが一人で来るらしい。で、こんな私でも多少は緊張するので、集合場所でノンアルコールビールを飲んでいる。信夫さんが非喫煙者だと煙草の臭いは印象が悪いと思い、自宅で機関車のごとく煙を吐いたあと入浴してやってきた。目印にしてほしいと信夫さんが言っていた青のコンバクトカーが入構してきたので、一気に飲み干して車内に空き缶を放った。
 車は徐行しながら私に寄ってくると眼前で停車した。助手席側の窓がジジーと下がって開いた。羨ましい。私の車は手動だ。
「梅原さんですか?」私は左手を軽く上げてうなずいた。「助手席に乗ってください」
 綺麗な白髪で短髪。元教員というのも納得の融通がきかなそうな真面目な顔つきで、つまらないという第一印象だった。陽子が言ったように七十歳ぐらいだと思われた。漁師が着るような防寒着を身に着けていたことに関しては高く評価したい。昨日、簡単にした打ち合わせではこれから喫茶店に行くことになっている。ファミレスでいいのにと思っていたが、反抗的だと判断されたくなかったので了承した。
「梅原さんは松江出身でっちゃろ?」
「ええ」
ハンドルをたびたび右手でパパンと叩くのが癪に障った。ちょっと運転も荒い。高齢者なので仕方ないかと気楽に構えていたら、どんどん速度が上がっていく。
「ちょっと急ぐけえ。ワシ、スポーツ走行好きじゃけん」
 言葉の語尾から出雲地方出身の人ではないと確信した。初対面の人間にすぐ自らの趣向を明かすのもこちらの対人文化ではない。運動公園を西へ直進し、宍道湖が目の前に広がる丁字路交差点で赤信号に捕まった。ここに来るまでにいくつか交差点を過ぎたが、一つ曲がれば飲食店が軒を並べる大字を彼は平然と走り抜けた。左のウインカーに触れたので出雲方面、つまり西に行こうとしている。ここを左折してしまうと喫茶店は数えるほどしかない。宍道湖の水面が冬風を受けて幾重もの波を走らせていたが、鈍い光を放っていて何も感性に訴えてこない。湖畔には夕日撮影スポットもあるが、岸はとかく風が強いので、写真が撮りたければ冬は避けるべきだろう。急発進して左折したので、尻の右側に若干の負荷を感じた。
「巻き込み確認はしましたか?」
 高齢者、後期高齢者の自動車事故はニュースでよく聞くので、純粋な老婆心から自然と言霊があふれた。
「や、あんた失礼な。ずっとゴールド免許じゃ。巻き込み確認は心の目でしとったけえ」
「してないじゃないですか。絶対にしたほうがいいですよ。とくに自転車は要注意です」
私は柄にもなく、里親とはいえ赤の他人にまっとうな指摘をしたことを後悔した。信夫さんはいきなり哄笑すると、
「まあ、そんなヤンヤン言わんと見逃してえな。教習所の教官じゃあるまいし」
 里親は品行方正で慎ましい人格者だと思っていたが、少なくとも信夫さんは違うようだ。私の彼に対する評価は第一印象から逆転した。方言は方々のものがチャンポンになっていて特定するのは難しそうだった。
「信夫さんのご出身は?」
「松江よ。高校出てからはウロウロしよったけど」
 これだけ方言がチャンポンになっていることから察するに大学や卒業後の勤務校は県外で公立ではなく私立だと考えられた。あまり深追いして訊くのもためらわれ、またそこまで信夫さんの過去に関心が持てなかったので、右側に広がる宍道湖を見ていた。
「玉湯に行くけえ。そこにワシの隠れ家があるのよ。隠れ家が」
 里親としては間違いなく異端と思われるが、私は彼と波長が合うような気がしていた。玉湯町は松江市の温泉街だ。美肌に効能がある湯として知られていて、出雲大社の参詣者らが主として泊まる。平成の大合併で松江市に編入されて以降はベッドタウンとして発展し、人口増加に伴いスーパーなどの各種商業施設が激増した。むろん、橋南エリアだ。私が幼少期から存在している巨大な勾玉が見えたので、玉湯町の街中を走っているとわかった。
「あっこじゃけえ」
 信夫さんが右手の人差指をフロントガラスに押し当てながら言った。その先にはこれまた私の幼少期から営業している老舗の喫茶店だった。店の目の前を何度も車で通っていたが入店するのは初めてだ。彼は走行時とは打って変わって駐車は慎重だった。決して下手というわけではなく、駐車場での事故が多いことを弁えていることが何度も目視していることから容易に伝わった。後退しながら駐車する際、助手席の後ろに左手を強く押し当てられた。男ながら少し心臓が高鳴った。降車してわかったことだが、彼は高身長で手足が長かった。いかにも元教師という面構えも実直で誠実な印象へと変化した。彼は車を施錠して私の数歩前をゆっくり歩いた。他者への気遣いが、ゆっくり揺れる肩と歩調から滲み出ていた。この人は立派な里親だと確信した。
 店内は広くて、牛丼チェーン店の一・五倍くらいはあった。店員が好きな席にどうぞと言うので、私たちはトイレに近い席で向かい合った。信夫さんは私にメニュー表を渡すと自分はもう決めていると言って、顔をおしぼりでゴシゴシ拭いた。私は彼と同じものを注文すると決めて、おしぼりで顔を拭いた。温めてあったので顔を上げると被せた。品は決めたのかと信夫さんが訊いてきたので、店員を呼ぶと私たちはアメリカンを二つ注文した。
「ここがワシの隠れ家やけえ」
「たしかに、マダムの溜まり場になってもおかしくないのに人が少ないですね」
 信夫さんは得意げな様子も見せず、防寒着を脱いで椅子の背もたれにかけた。対面当初はおかしな人だと感じたが、ものの一時間ほどで私は彼を信頼してしまっていた。それゆえに、いつ陽子との同居について言及されるかと神経をとがらせていた。が、俯きがちに手を組んでいる彼を見ているうち、それについては訊いてこない気がした。
「梅原さんのお父さんは、もしかして梅原先生? 違ったら申し訳ないけど、よう似とるけえ」
「親父を知ってるんですね。もう化石ですけど」
 信夫さんは大きく肩を揺らしながら化石ではなかろうと笑った。父とは全国校長会で知り合い、楽しく酒を飲んだらしい。専門教科は数学らしく、父が高校数学で現在でも使用されている問題集の共著者であることも彼は知っていた。改訂版を出すたびに誤字脱字や問題文の間違いが目立つようになったので執筆者一覧から外してもらったと父は言っていた。
「ほんま懐かしいけえ。梅原先生は元気にしとっちゃる?」
「ええ、まあ」
「すごい人っちゃよ。たぶんワイルズより早くフェルマーの最終定理を証明しとったで」
 私は運ばれてきたコーヒーに口をつけるなり、吹き出しそうになった。父は家庭生活では「執事」として忙しかったし、幾人もの天才数学者が一生かけて証明できなかった難問を父が証明できたとは到底考えにくい。信夫さんは私の緊張が解けていないと判断して気を遣ったのだろうと思った。彼はコーヒーをすすりながらニコニコしている。彼の言う通り、父はワイルズより先に証明していたと冗談を返そうとしたが、なんだか面白くないので黙ってコーヒーを飲んでいた。信夫さんは、ちょっとごめんと断るとスマホ片手にトイレに入って行った。
実は、私はコーヒーが苦手だ。十代のころは大人ぶってブラックを飲んでいた。二十代になり、喫煙するようになるとブラックよりミルクコーヒーを飲むようになった。煙草のお供としてブラックより甘い飲み物のほうが私には適していた。ブラックは飲めないわけではないが、端的に口に合わないので自発的に飲むことはない。この店のアメリカンはやけに苦いとチビチビ飲んでいたら、信夫さんが戻ってきて着席した。
「もう少ししたら女房が来るけんね。そがいに長話せんと思うわ」
 信夫さんが語るによると、美枝子さんは里親会が早く終わったらしく、私に挨拶だけでもしたいそうだ。わかりましたと私が言う前に信夫さんは席を立って会計を済ましてしまった。私の分の代金を渡そうとしたら、小刻みに手を横に振って、いいけえと微笑んだ。店を出ると極小の雪が降っていて地に落ちる前に消えた。晴れているのに小さな雪がチラチラ降る現象はよくあることだ。あいにく私は気象はおろか、新月すら知らないので上空にとても冷たい寒気があるとか適当な理解で満足している。陽射しが強くなって雪が消えた。青の軽自動車が信夫さんの車の横に止まった。少し白い線が混じった黒髪ショートヘアの女性が降車してきた。一瞬で上品な人だと感知した。ダウンジャケット、スカートの下に黒タイツ。行政などの公的機関で働く女性のスタンダードな出で立ちだった。年齢は六十代後半に見えた。
「はじめまして。堀田の妻の美枝子です」
 柔和でいかにも慈悲深そうな顔だった。その目は一点の曇りもない光を宿していた。とてもいい人なのだろうと思った。ただそれ以上の感情が湧出してくることはなかった。私は名前だけ名乗って頭を下げた。
「陽子ちゃんは元気にしとられます?」
「ええ。僕が見る限りでは」
 彼女が乗ってきた軽自動車を見ていたら、後部座席に子供が乗車していた。おそらく陽輝だろう。面倒ごとは避けたかったので、見ていない風を装った。彼女は風邪をひかないよう気を付けてほしいと温かみのある声で言うと辞去した。夫と違って車の発進も加速も丁寧だった。
 美枝子さんの車を見送ったのち、私たちも運動公園に戻ることにした。堀田夫妻の放つ雰囲気から、私と陽子の関係を深堀りして聴取してくるような感じは受けなかったので安心した。帰路は助手席から宍道湖を眺めることができた。凡庸な湖だが、白い人工物が列を成していることに気付いた。私はこの道を夜間に通ることが多かったので漁火かと思っていたが、近くに出雲空港があることから、誘導灯だと論決した。なんでもかんでもネットですぐに調べられるのは便利だ。どうやら「進入灯」が正しい名称のようだ。
「梅原さんは温泉好きなん?」
 信頼したとはいえ、いったい信夫さんが何を考えているのかわからなかった。私は里親の二人にもう用事はない。ハンドルをパパンと叩く音が妙にリズミカルになっている気がした。意図不明だが、ここで詰めを怠って心証を悪くするわけにはいかない。
「好きですよ。皆生とか三朝とか」
「どっちも鳥取やんけ。松江には玉湯があるやん。こんど一緒に玉造温泉に行こうや」
 やたら心の距離を縮めてくるのが早い人だなと不快だった反面、この人となら今後の人生が楽しくなりそうな予感がした。私は直感に従って快諾した。私の返事に満足したのか運転の危なっかしさがなくなった。その代わり、ハンドルを叩く音が鳴りやまなくなった。
 運動公園に戻ってきたはいいが、私は耳からパパンという音が離れなくなっていた。降車して信夫さんに一礼した。彼は真剣な面持ちで、
「陽子ちゃんも大変やけん、支えてあげんちゃい」
 と、やや強い口調で言った。そして、バイバイと車窓から手を振りながら去った。陽子に関しては、先ごろの手紙の一件もあって精神状態が安定と不安定を交互していた。自分の車に乗り込むと放り入れたノンアルコールビールの空き缶が助手席のフロアマットに転がっていた。それをドリンクホルダーに置くとエンジンをかけ帰路に就いた。運転中、陽子がナプキンがなくなりそうだと話したことを思い出した。私は厳密には月経の仕組みを知らない。生殖能力を喪失しているので排卵日について知る必要もない。だが、頻繁に頭痛や腹痛などで苦しんでいる陽子を二年間も見てきた。いくら人でなしとはいえ、二年も一緒に暮らしていて月経に伴う種々の悩みを知り、寄り添うことは同居人として当然だ。言葉を慎むことは留保にしてしまっているが、解禁することにした。そして、陽子に接する態度も慎まなければいけないと思った。私自身が情緒不安定なときもあるが、それを言い出したらきりがない気がする。私は渦巻く混沌を切り裂きたいとの願いから車の速度を徐々に上げていった。



 知事の新春インタビューの文字起こしは捗っていなかった。最悪の事態を想定してデスクに音源は送信した。すべて投げ出して自由の身になりたいという願望が天蓋を突き抜けて私の理性では制御しきれなくなっていた。もうノートパソコンを開く気にもならない。
かつて与党の党首が松江で演説会をした。国政選挙前だったので、彼らの動員も含め会場には一五〇〇人を超える聴衆が集まった。政治に関心のない私は無難に本記をまとめた。そして、与党に対する期待や批判を参加者から聴取してサイド記事を出稿するつもりでいた。十六人からコメントを拾うことができたうえ、期待と批判がいい塩梅だったので、本記はすでに出稿済みで、サイド記事は翌日に出稿するとデスクに伝えた。デスクは大喜びで私も満足した。翌日、なぜか何もやる気が出ない。もったいないことにサイド記事は出稿できなかった。いま思えば鬱病だったのかもしれない。デスクは病院にすぐ行くよう指示した。が、私は外出するのも億劫でそのまま自宅で過ごしていた。何をして過ごしていたかは覚えていない。三日ほど休暇をとったら気力も戻ってバリバリ働いた。鬱病ではなく、軽度の燃え尽き症候群の可能性が高そうだ。
 現状の無気力はかつて体験したものと似ているような気がした。一方で、退職が近く、ヒモになる日が着実に近づいているという精神の脆弱さから惹起される怠慢とも考えられた。いずれにしても、いまの私に奮起して仕事をせよという至上命題は果たせそうにないし、果たす気もない。自らの怠惰さを顧みる心の強さもどんどん失われているという実感があった。トロットを聴けば気分も変わるだろうとスマホをタップしてミュージックアプリを開いた。所定の場所に置いてあるイヤホンに手を伸ばしたが、何も感触がなく、手は空気を無茶苦茶にかき回しているだけだった。どこだと右往左往しているうち、異変に気付いた陽子が仕切りカーテンを開いて私のエリアに侵入してきた。
「どうしただ?」
「ワイヤレスイヤホンがない」
 寝る直前まで音楽を聴いていたので、間違いなくこの部屋にある。しかし、布団の裏や隅に固めた私物の山中を探しても見つからない。
「部屋のどっかにあるでしょ?」
「うん。それは間違いない」
 たった三畳なのに見つからない。もしかしたらキッチンやトイレに置いたのかと探してみたが見つからなかった。仕方がないので有線イヤホンで見つかるまで我慢しようと思った。陽子はまだ私のエリアに立っていて、里親との面会の様子を聞きたがった。私は夫だけでなく、妻とも顔を合わせたと話し、自分のエリアに戻るよう促した。
「二人ともいい人だったよ。同居のことも何も言われなかった」
 陽子は自分の三畳間のほうへ移動しながら、安堵の言葉を発した。
「陽輝、私のことママだとわかってるのかな」布団に尻を落とす音が聞こえた。「里親さんにすごい懐いてるみたいだし」
 私は里親がうまくやってくれていると言ってトロットを大音量で聴き出した。気が滅入っていたので、リフレッシュのため信夫さんと温泉に行こうと考えを新たにした。昨日の今日で付き合ってくれるほど暇ではないだろうと思いながらも架電した。
『もしもしぃ! 梅原さん? なんかあった?』
 元気溌剌といった声色だった。
「いえ。今日の夕方、温泉にと思いまして」
『よかよー。ちょっと用事があるけえ、また連絡するわ。梅原さんの家に迎えに行くけえ』
 まったく期待していなかったので、良い返事だったことが嬉しかった。陳腐な表現かもしれないが、暗い曇天が一気に開けて快晴になったような気持ちだ。浮かれているうちにスマホが振動している音に気付いたが、手に取ろうとした瞬間にピタリと止まってしまった。「着信があります」をタップすると来島からの電話だった。私はデスクとの連絡を絶っているから来島が代役というわけか。善処するとの一言だけLINEで送信した。ほどなくしてスマホが振動した。来島からの電話だ。「応答する」「拒否する」の二択が画面に表示されている。後者に指先が触れかけた。それはいけないと良心が拒んだため、掛け布団にスマホを包んで放置した。スマホがなければトロットが聴けないため、耳障りな振動音が鳴りやむのを待つしかなかった。約一分が経過した。なかなか来島もしつこい。……三分ぐらい経った。なかなかしぶとい。…………十分ぐらい経った気がする。私にはノートパソコンもあるし、振動音がいよいよ不快になれば外出すればいいので、何時間でも何日でもコールしてろと気炎万丈だった。有線イヤホンを揺れるスマホから引き抜き、耳栓代わりにして布団で大の字になった。掛け布団がないので少し寒い。
「おい! エアコンの温度上げてくれ!」
「はーい」
 陽子に対して言葉と態度を慎むことを失念していた。これでは亭主関白ならぬ低種関白だ。うつ伏せになると、ペニスを布団に押し付けて上下に動いてみた。予想に反せず、まったく快感は得られなかった。この方法で自慰することを「床オナ」と呼ぶらしい。私は高校までこの流儀だったが、大学から通常の自慰行為に転向した。理由は単純で、パソコン画面に映るセクシー女優の演技を鑑賞しながら自慰に耽るには座っているか立っているほうが都合がよかったからだ。……三十分ぐらい経過しただろうか。気付けば振動音は消えていた。ふう、と溜め息をついてスマホを手に取った。メッセージの着信が一件あるようだ。LINEを開くと来島からのメッセージだった。タップして内容を確認した。
『家の前で待っています』
 来島にもようやくユーモアというか、冗談が言えるようになったのかと気分を良くした。先ほどから眠気に襲われていたので、再度、仰向けになるとスマホから解放された掛け布団を被った。とても心地よかったが、徐々に暑くなってきたので、自分でエアコンの設定温度を下げた。小便をしてから眠ろうと部屋を出てトイレに入ろうとしたら、玄関のドアがコンコンと鳴っている。まさかと思って、その場で聞き耳を立てた。数秒おきにコンコンとドアをノックしている。一抹の恐怖感が脳裏をかすめる一方で来島の根性に喝采を送りたい気分だった。小便を済ますと、念のためドアスコープを覗いた。来島だ。とくに何も起こらないと思うが、寒空の下で長時間立たされていた恨みで刺されないとも限らない。私は短パンと腹の間にまな板を挟むとドアを開けた。
「どうも。来島です」
「梅原です。何かご用でしょうか?」
 来島は無表情だったが、目には憤怒の光が宿っていた。
「新春インタビューですよ! 時間がない! 本記は僕も協力します!」
 私は黙礼して抱いてもない感謝の念を伝えた。来島は我が家で仕事をするつもりで来たようだったが、私は陽子が風邪を引いていると嘘をついて支局で仕事をするよう仕向けた。来島を先に向かわせ、私は煙草専門店に行って缶ピースを買い、その店の自販機でココアを三本買ってから支局に行った。
来島は支局のデスクトップパソコンに有線イヤホンを差し込んで音源を聴いていた。自分のメモと知事の発言の整合性を確認しているのだろう。支局に業務用机は五つあり、それぞれに固定電話とデスクトップパソコンが備え付けられている。ネットニュースの普及や活字離れで経営が傾いたのか、私が入社したとき、すでにこの支局は私を入れて記者二人。半年後には私一人になった。
 熱心に仕事に取り組む来島を横目に、私は応接用ソファーに深々と腰を下ろすと、缶ビースを吸い始めた。やはり両切り煙草はいい。唇が湿っていると葉が付いてしまうから、私は一口吸うごとにセーラー服の袖で唇を拭った。来島はさすがに煙草の臭いに気づいたのか、
「梅原さんがやらんといけんでしょうが!」
 と私の背中に怒りをぶつけた。私は自分の机の引き出しからガラス製の大きな灰皿を取り出すと、応接テーブルの上に置き、紫煙をくゆらせながら、なおもソファーに座り続けた。ココアの缶をよく振ってタブをプシュと開けたら、鋭い視線を背後に感じた。が、気にせずココアと煙草の絶妙なコンビネーションを堪能した。振り返ると、来島はキーボードには触れず、肩肘をつきながらまだ音源を聴いていた。ココアによって湿った唇を拭くことを失念してしまい、私は付着した葉をブブッと吹き飛ばした。後ろから来島が声をかけてきた。激昂を必死に抑制しようとしているようだった。
「やる気がないなら帰ってください。もう俺一人で十分です。お疲れさまでした」
「おつかれさん。しばらくここにいていいか? 僕らもう会うことないし」
「勝手にどうぞ」
 私は継ぎ煙草でどんどんピースを吸っていった。五十本が四十本になり、三十本になった。オフィス内は白く煙っていた。来島はイヤホンを外し、ようやくキーボードを打ち始めた。凄まじいタイピングの速さだった。私はソファーの縁を枕にして仰向けになると、咥え煙草で腕組みした。天井の照明が眩しくて目を閉じた。
――バチバチ、バチバチ。
――バチバチバチ、バチ、バチ、バチバチ。
 静かなオフィスに響くのはキーボードを叩く音だけ。私は目を開くと、過去の選挙報道資料や県内自治体の議事録などが収納されたガラス扉の大きな本棚を見つめた。来島の後ろ姿が光の反射でうっすら見えた。
「なあ、出雲駅伝のトリックだけど……」
「別に聞きたくないです。ちょっと黙っててください!」
 来島が語気を強めることはないので、最後にそういう彼の一面を知ることができて嬉しく思った。
「スポーツ紙が一区ごとにネットに記事出すだろ? それを……」
「黙れよ!」
 そうとうお冠のようなので、またプカリプカリとピースを吸いだした。残り二十本になって、ちょっと頭が痛くなってきた。わずかな頭痛が私の脳神経を刺激した。
「さっきは怖かったよ。けっこう暴力的なところがあるんだな。彼女に対してもそうなのか?」
「彼女はいないし、暴力的なことはしませんよ」
 声色に動揺が乗っていた気もするが、気のせいかもしれない。二本目のココアを開けるとぐいっと半分ほど飲んだ。引き続きピースを吸い続けた。
夕方になり、陽が沈んでから本棚のガラスに来島の後ろ姿がよく映るようになった。かつてより挑戦しようとしてしてこなかった煙草ピラミッドに取り組んだ。ピラミッドといっても井桁状に組んでいくだけだ。三段目までは順調に組みあがった。が、四段目の最後の一本が落ちてしまった。調子に乗って杜撰な組み立て方をしていたので失敗したのだろう。一段目からしっかり組んでいれば、もっと上段までいけた気がする。
「なあ、新月って知ってるか? 僕は最近まで知らなかったんだけど」
 返事がなかった。本棚のガラスにはまだ机に向かっている来島の姿があった。まったく意味のない行為だが、こんどは煙草で「月」を書いてみようと思った。応接テーブルの上に並べるだけ。不格好になってしまったが、使用本数は七本、ハネを入れると八本だ。
「なあ、陽子の性欲がすごくてさ。女性用風俗とか同じアパートの男を誘惑しろって助言したのよ。僕のは使い物にならないだろ? でも嫌だって聞かないのよ。おまえ、頼めないか?」
 またも返事がなかった。変わらず継ぎ煙草で吸っていたら、残りのピースが八本になっていた。さすがに頭が痛い。置き薬はある。私はけっこうな世間知らずで置き薬の意味がわからなかったので、消費期限の点検に来たという製薬会社の社員に仕組みを説明してもらった。使用すると次の点検補充の際に使用料を徴取するという仕組みだそうだ。いま頭痛薬を服用しても請求は私ではなく会社にいくだろう。まだ社員なのだから。さすがに個人に請求されることはないと思い、私は置き薬の箱を開き、頭痛薬を服用した。そして、残り少ないピースにライターを近づけた。口をとがらせ、フゥーと煙を真っ直ぐ噴き上げた。本棚のガラスにはそこの住人のように来島が映っている。が、まったく動いていないように見えた。さすがに気を失っているわけではないはずなので、そっと後ろを振り返った。来島は小刻みに震えていた。
「体調悪いのか? せっかく協力してくれると言ってくれたのに申し訳ない」
「その……、う、梅、梅原さんは、どど、どこまで知ってる、知ってるんですか?」
 来島は自身では制御できないほど激しく震えているようだった。これは救急車が必要かもしれない。
「なんも知らねえよ。おまえと一緒に悪の組織を暴こうとした。でも、僕は保身のために佐々木と縁を切って陽子を逃がした。調査も手を引いた。それだけだろ」
 私はデスクトップに表示されている新春インタビューの原稿を見た。どの質問項目も知事の回答は適当な箇条書きか意味を成していない文章ばかりで、完成している項目は一つもなかった。来島は顔面蒼白で唇は薄紫色、瞳孔も開いていた。これは本当にまずい症状なのかもしれない。私は彼の右肩を担いでソファーに寝かした。この応急処置で合っているのかはわからない。
「来島! 救急車呼ぶぞ! いいな?」
 彼は嫌だと叫んで激しく抵抗した。巡り巡って警察のやっかいになるとでも思っているのだろう。私は戦争映画でまもなく死ぬという兵士に仲間が煙草を与えるシーンを浮かべて、それを真似た。ただ煙草を口に入れただけなのに、来島は激しく咳き込んだ。もったいないので、彼の唾液がべっとり付いてしまったピースを吸った。
 置き薬から来島の症状に該当する薬をすべて飲ませた。しばらくすると随分顔色もよくなり、唇の血色も戻った。ただ、震えだけは治まらなかった。やむなく私はデスクに架電して指示を仰いだ。デスクがなんとか本記を仕上げるという。叱責を食らうかと覚悟していたが、何も言われなかった。ただ、こんな非常時に退職するのは卑怯者だと罵られた。
 スマホを見ると信夫さんからの不在着信が五件あった。強く胸を突かれた感覚がして、しまったと悔やんだ。悠長にピースを吸ったりしている場合ではなかった。来島が言った通り帰ればよかったのだ。こうなったら来島をスケープゴートとして利用するしかない。事実、彼のせいできりきり舞いだったのだから。私は重い足取りで支局の外に出た。やたら厚手のコートを着た男が目の前を横切った。夜空には見事な月が浮かんでいたが、それどころではない。私は強くスマホを握ると、そろりと耳に当てた。



 昨晩は多大な迷惑をかけたにもかかわらず、信夫さんは自宅に招待してくれた。それは仕方のないことだと言って怒ることはなかった。十二月下旬に大雪警報が発令されることは昨今では珍しい。いまは朝の八時だが、県庁では対策本部が開かれ、知事、知事部局の部長、行政委員会の長らが松江気象台から報告を受けているはずだ。
 私が無邪気な子供だった三十年前は二月をピークによく雪が降って積もったものだった。かまくらを作ったり、雪合戦をして遊んだ。近年は十二月から三月にかけて、よく降ったと思えるような積雪は二、三回ほどだ。中山間地は別世界だが、こと松江に関してはとくべつ警戒するほどの雪は降らない気がする。大雪がないぶん、ちらつくほどの小雪が舞うことが多くなった。私はこちらのほうが好みだ。雪国ほどではないにしろ、埋もれてしまった車や駐車場の雪かきは腰が痛くなる。
 対策本部の取材は誰が行ったのだろうか。昨日の時点で本社にも県から連絡が届いているはずだ。来島は自宅療養中で、私は職務放棄となるとデスクの出動か。他社の事情は知らないが、我が社のデスクは記者の出稿が午前には集まらないので午後から出勤する。記事に直しをするだけの楽な仕事だ。たまには早朝から現場に出て初心を思い出せばいい。
 私は玄関のドアを少し開けて外の様子を感じた。空は曇天で、無風だった。私の独自基準では無風状態のときに大雪が降る。気象庁によると、今晩から朝方にかけて大雪が予想されるという。信夫さんは大雪警報を考慮してか、午前中に来てほしいと言っていた。そろそろ堀田宅へ出発しようと陽子に声をかけた。
「そろそろ行くぞ。そんな急ぐほどでもないけど」
「わかりました」
 我が家から八重垣神社まで二・八キロ。車だと六分で着く。神社の周辺に住宅は少ないので、考えられるのは佐草公民館の周辺だ。公民館まではちょうど三キロ、車での所要時間は七分だ。三キロなんて都会の人は平気で歩くだろうなあと思った。あくまで私見と断っておくが、建物が道にズラリと並び信号が無数に存する都会の三キロと田畑ばかりで信号がほとんどない地方都市の三キロでは体感距離が異なる。あきらかに地方都市のほうが遠く感じる。と傲然たる私見を誇示したところで、五百メートルもないコンビニに陽子を使いに出しているのだから、ばつが悪い。
 ドタドタ動き回っているので、準備が整ったとういことだろう。私は先に車のエンジンをかけて車内を温めておくことにした。車のフロントガラスを見ると霜が降りていた。旧式の空調パネルを回して、フロントガラスに最大の温度で最大の風を送った。さすがにブルガリア海軍のセーラー服は里親の自宅訪問にはふさわしくないと思い、アメリカ陸軍第二機甲師団のタンクジャケットにした。私はミリタリーオタクではない。これは好きな俳優が映画で着用していた特別モデルだ。冬に着るにはやや薄いが、肥満体の私が着る分には十分温かい。ネックウォーマーを身に着けていたので、こいつで霜を取ろうと思ったが、ひとたび濡れてしまうと気持ちが悪い。経験上、何もなくても手の平でガシガシこすっていると霜は取れる。かなり冷たいので忍耐が必要だが、両手を使えばなんとかなる。視界を妨げないほど落とせたら走っているうちにぶつかる風で飛んでいく。
 ポケットに手を突っ込んで温めていると陽子が姿を現した。セーターのうえにダウンジャケット、ジーンズ。いたって無難だ。私は変なオジサンだが、陽子は普通のオバサンにしか見えない。まだ送風が冷たかったが、七分ていどで着くならエンジンが温まる前に到着してしまうだろうと思った。
「それで、信夫さんの家はどこよ?」
「実は、あたしもよくわかってなーい。いつも迎えに来てもらってるし」
 想定していた回答だったので、八重垣神社の近くで公民館が近いかどうか訊ねた。
「神社も近い。公民館も近い」
それではわからないとムシャクシャしそうになったので言葉を慎もうと我慢した。
「佐草公民館の近くにあるというわけだネ?」
「はい、そうです。すみません」
 私は再度確認した。
「さ、く、さ公民館ですよ? さ、く、さ」
「あーん。どこの公民館かはわからーん!」
 類似の会話は二年間で気が遠くなるほどやってきた。慎むことさえできればなんということはない。佐草公民館の周辺と目星をつけて発車した。大通りに出たら左折、交差点右折、ひたすら直進、交差点右折、コンビニ前の路地を右折、あとは道なり。橋北は自身のない道が存するが、橋南は知悉している。ひとます公民館に駐車させてもらって「堀田」という表札のある家を手分けして探すことにした。
「あ、あったよ」
「よく見なさいよ。堀部かもしれん」
 私は小庭を抜けて陽子が指さす表札を見た。「堀田」とある。なんだか家の中がやかましいので子供がいる可能性がある。陽子に目配せすると、私はチャイムのボタンを押した。ドタドタと誰かを思わせる足音が近づいてきた。しばらくして、信夫さんのどうぞと言う声が聞こえた。引き戸を開けると写真で見た通りの子供が土間に裸足で降りてきて陽子の手を取った。
「陽子ちゃん、あそぼ!」
 写真でしか見たことのない人間に実際に会うと不思議な感覚に襲われる。本当に実在していたのだなと思う。子供にもかかわらず面構えがいい。少なくとも来島よりは。
「こりゃ、いい男になりそうだぞ」
 私は陽子にささやいた。彼女は、
「イ・ヤ・ダ」
 と小声で私を睨んだ。
いらっしゃいと堀田夫婦が遅れて現れた。私たちは挨拶を済ますと上り框に腰を落として靴を脱いだ。居間に案内されると、真っ先に仏壇に線香を立てて合掌した。島根県東部は曹洞宗が大半で、よその家に上がった際には、まず仏さんに手を合わせることが慣習になっている。子供は幼少期から人様の家に上がったら仏壇に線香を立てることを叩きこまれる。もしかしたら、全国共通の慣習かもしれないが、必ず家人に喜ばれる。現に堀田夫妻は声をそろえて感謝の言葉を述べた。
 居間は陽輝の遊び場のようだった。彼はリコーダーを手にすると唄口に小さな口を付け、頭部管を左手で軽く、右手で強く握って吹いた。音孔を押さえていないから同じ音しか出ない。だが、行弱や調子が伴っていて何かを演奏していることはわかった。美枝子さんこと「みーちゃん」は満面の笑顔で上手になったと褒めていた。陽子もニコニコしていたが、やや笑顔に翳りがあった。
 リコーダーに飽きるとアニメグッズと思われるトランペットを吹き出した。子供用とはいえ、第三ピストンまである本格的なものだった。私には雑音にしか聞こえなかったが、陽子も美枝子さんも大拍手で陽輝の演奏を称えた。
 トランペットに満足すると陽子と陽輝はぬいぐるみ競争を始めた。ルールは単純でコースのないコースを先にゴールしたほうが勝ちだ。信夫さんが私の耳元で言うには、数あるぬいぐるみのなかでも陽輝は羊が気に入っているらしい。陽子はいつもウサギを選ぶという。いつもは二時間くらい競争しているらしいが、今日は早めに切り上げさせると信夫さんは言った。競争が始まり、早くも羊が独走状態。ウサギは飛び跳ねて追いついてはこける失態を繰り返していた。陽輝は目を輝かせながら、
「のーちゃん、また陽子ちゃんに勝ったよ!」
 と手を水平にピンと張って羽を広げたバッタのように腕を広げて喜んだ。陽輝は虫が大好きらしく、温かい季節になるとバッタとダンゴムシを手の平に乗せてジッと観察しているらしい。「のーちゃん」こと信夫さんは、また勝ったねと頭を撫でた。陽子はこれから何度も負け続けなければならず、悔しがっていたが、半分は本音だろう。競争はいつもなら二時間もやっているらしいが、信夫さんは数レース後に終了を告げた。陽輝は腹が減ったのか、
「みーちゃん、バナナ」
 と叫んだ。美枝子さんはハイハイと言いながらすぐにバナナを持ってきた。陽輝は陽子の膝に座ると自ら皮を剥いて食べだした。咀嚼している最中は目玉があさっての方向を見ていることを私は面白く感じた。そのうち、陽子は胡坐をかいて両脚に陽輝を収めると左右にゆらゆら揺れた。陽輝はバナナを食べるのを忘れて陽子に体を預けて揺れていた。そのうち、意図せず顔を上げた陽輝の頭が陽子の顎を直撃した。二人は目を合わして笑っていたが、美枝子さんが心配して陽子の顎を確認した。このまま母子の美しい光景を見ていたかったのに落胆した。
「はるちゃん、陽子ちゃんは大丈夫だよ。今度は絵本を読もうよ」
 陽子は見るからに肩を落としていた。が、母親は自分だという気概と里親には世話になっているという感情の相克が美枝子さんに付いて歩いて行く、その歩調から滲み出ていた。
読み始めたのはアニメキャラの絵本で音が鳴る仕様になっていた。全文ひらがなだったが、陽輝はスラスラと音読していた。陽輝の横には陽子と美枝子さんが寄り添っていて、複雑な気分になると同時に両手に花ではないかと陽輝を少し恨めしく思った。
 私も遊びたくなったので、昨日失敗した煙草ピラミッドの自己更新に挑んだ。建物も基礎が大事なはずなので、一段目を四本とも直線に交わるよう時間をかけて組んだ。二段目の一本目を置こうとしたらコロコロ転がって行った。居間は畳の場とフローリングの場に分かれていたが、私は畳のうえにそのまま組み上げていた。畳表のわずかな凹凸に煙草を固定するという真摯さを欠くやり方が悪かったのかもしれない。記録を伸ばそうと欲を出したのがいけなかったのか。煙草ピラミッドも奥が深いと思った。
「ちょっと梅野さん、こっちへ」
 信夫さんが背後から声をかけた。居間の隅で話をしようと言う。私はこの空間がいささか不愉快になっていたので、縁側で話そうと提案したが、彼は寒いから勘弁してほしいと話した。私たちは居間の隅に腰を下ろした。
「子供は無邪気ですね。でも、信夫さんの家にいたら性根が腐りそうです」
「あんた相変わらず失礼っちゃね。正直、雰囲気はようないね」彼は絵本を見ながら笑う三人を見た。「ワシらも探り探りなんよ。距離感おかしかったじゃろ?」
「ええ、まあ。実母を渾名で呼ばせるというのはちょっと……」
 信夫さんは頭を掻くと黙ってしまった。陽子によると、堀田夫妻は里親のベテランらしい。訳あって一人ではどうしても育児困難な親の子供だけを育ててきたようだ。いわばプロ中のプロだが、なんだかそんなことは関係ない気がしていた。実績は抜群だと聞いている。だが、信用はできても信頼はできない。育児の「い」の字も知らない私が具申するのもおかしなことだが、率直に思ったことを言った。
「お二人がご苦労されとることはよくわかります。でも、子供に実母を渾名で呼ばせるのは……やめて、やめてください」
 なぜ私は泣きながら訴えているのか自分でもわからなかった。が、それは意図的に遠くへ追いやった優しさ、厳しさ、憤怒、希望、絶望などを惹起する記憶に起因するものだという確信があった。
「ワシらも心が痛いんで? でも、一定の距離は置かんといけん。この家では全員が渾名で呼び合っとる」
「はい。びっくりしましたよ」
 私は周囲に目をやった。三人はまたぬいぐるみ遊びを始めたようだ。一時、感情的になってしまったせいか、混乱していた。育児放棄や虐待は論外だが、子供のいない私でも育児に正解のないことはわかる。この先、陽輝がどのように育っていくのかわからないが、この夫婦に任せるほかない。
「もう行っていいですか?」
「ええよ」
 三人はアニメキャラが、おきあがりこぼしのように作動する玩具を楽しんでいた。叩くと倒れるが、時間を置いて立ち上がる。陽輝はこの玩具を宿敵のように考えているのか、倒すたびに、
「勝った! 勝った!」
 とジャンプしながら喜ぶのだが、起き上がると悔しさを表すどころか嬉しそうに叩いていた。私が左右の肩を回しながら近づくと、美枝子さんが私の目を直視しながらわずかに頭を下げた。頼むから本気で叩いて壊さないでくれという意思表示だろう。陽子はすごいねと繰り返し褒めていた。たまに自分で挑戦するとわざと手を抜いて、なかなか強敵だとうそぶいた。
 やがて振り子時計が鳴った。私の実家にも古いゼンマイ式の振り子時計があるので感覚で鳴った回数がわかる。十二回鳴った。もう正午だ。堀田夫妻は昼食を食べて帰るよう勧めてくれて、嬉しく思ったが断った。また会う機会はあるだろうに、三人そろって玄関の外まで出てきた。信夫さんが寄ってきて、
「また来んちゃい」
 と笑った。私はあまり関わりたくなかったので、
「もし僕が陽輝の父親だったら、どうします?」
 と訊いた。信夫さんは長考のすえ、わからないと答えた。
「そのような可能性も考慮したほうがよいのでは?」
 私は出過ぎたことを口走ってしまったと詫びた。彼は一瞬、表情を曇らせたが、笑って手を振った。美枝子さんは陽輝に挨拶するよう促すと夫とともに手を振った。陽子は陽輝の手をなかなか離そうとしなかった。彼女は陽輝の目をずっと見つめたままで動きそうになかった。寒風がビュッと吹き、堀田夫婦は両手を擦り合わせた。陽子は息子の小さな手を握りしめた。母子は互いにバイバイと言っては繰り返していた。
私は堀田家の人々を一瞥すると踵を返して歩き出した。先ほどより激しく冷たい風が吹いて山手の木々がぶつかり合う音がした。ネックウォーマーを目元まで上げた。惜別の声がいつまでも聞こえてくる。歩調が少しずつ早くなっていった。(了)