「……そこ、もう一回。ボケとツッコミのタイミング、0.5秒ずれてる」
部室の空気は、昼間の熱気を残したまま少しずつ冷え始めていた。だけど、僕たちの間にある密度は増すばかりだ。 『高校生漫才グランプリ』の予選まであと二週間。僕たちは放課後のすべてを、この狭い放送部室に注ぎ込んでいた。
「厳しいなぁ。高田、お前さっきからその『0.5秒』にこだわりすぎだろ。もしかして職人としての完璧主義、出ちゃってる?」
神崎くんが冗談めかして笑いながら、シャツの第一ボタンを外した。喉仏が動く。その無防備な仕草に、僕の視線はどうしても釘付けになってしまう。
「……漫才はリズムなんだよ。特にこのネタは、神崎くんが『完璧な王子様』として振る舞えば振る舞うほど、僕のボソッとした一言が生きるんだから。……ねえ、聞いてる?」
「聞いてるよ。聞いてるけどさ、高田がそんなに真剣な顔して俺のこと見てるから、内容が半分くらいしか入ってこないんだよね」
神崎くんは、僕の手にあった台本をひょいと取り上げた。 「休憩。ほら、座れよ」
彼は床に敷いたカーペットの上にどかっと座り込み、僕の腕を引いた。僕の体が彼の隣に崩れ落ちる。1.5メートルあったはずの距離は、今や肩が触れ合うマイナス数センチだ。
「……神崎くん、近すぎ。ネタ合わせにならないよ」 「いいんだよ。今はオフの時間。ねえ、この前のラジオでさ、『好きな人と一緒に聴きたい曲』の特集やってたろ。高田なら何を送る?」
神崎くんは、僕のイヤホンを半分奪うように自分の耳に入れた。 いつも一緒にラジオを聴く時の、僕たちの「接続」の合図。
「……僕は、送らない。だって、好きな人とラジオを聴くなんて、恥ずかしくて死んじゃうよ」 「俺は送るね。……今、隣にいるやつと、一生笑ってたいからこの曲を、って」
神崎くんの視線が、僕の唇に落ちた。 部室の遮光カーテンの隙間から、街灯の白い光が差し込み、彼の瞳を怪しく光らせている。 心臓の音が、静かな部室でうるさいほどに鳴り響く。イヤホンから流れる深夜の軽快なトークも、今は遠い世界のノイズのようにしか聞こえない。
「高田。お前さ、自分がどれだけ魅力的な言葉を使ってるか、自覚してないだろ」 「……僕はただの、ハガキ職人だよ。陰キャで、背景で……」
「違うよ。お前は、俺の孤独を笑いに変えてくれた、世界で唯一の相方だよ」
神崎くんの手が、僕の頬を滑り、耳元に触れた。イヤホンのコードが、二人の間でピンと張る。 逃げ場はない。彼の体温が、僕の理屈を一つずつ剥がしていく。
「……ねえ、高田」 「……なに」 「漫才の練習、もう一つ追加していい?」
「……え?」
「『緊張した時の、落ち着かせ方』」
そう言うと、彼はゆっくりと顔を近づけてきた。 長い睫毛が触れ合うほどの間近で、神崎くんの熱い吐息を感じる。 僕は目を閉じることもできず、ただ彼の瞳を見つめていた。
深夜ラジオを聴いている時の、あの「自分だけが知っている特別な時間」が、今、目の前の彼と共有されている。 それは台本にも、投稿ハガキにも書けない、僕たちだけの秘密のフリートーク。
唇が触れる直前、廊下で遠く、警備員さんの足音が聞こえた。
「……っ、危ない!」 僕は飛び退くように距離を取った。顔が熱くて、爆発しそうだ。
「……ははっ、高田、顔真っ赤。……これ、予選の本番でやったら、絶対優勝だね」 神崎くんは悪戯っぽく笑いながら、外れたイヤホンを僕に返した。
「……バカ。……ネタ合わせに戻るよ!」
僕はノートで顔を隠した。 だけど、繋がっていたイヤホンのコードがまだ震えているように、僕の心も、彼の手の感触を覚えて、ずっと震えたままだった。
部室の空気は、昼間の熱気を残したまま少しずつ冷え始めていた。だけど、僕たちの間にある密度は増すばかりだ。 『高校生漫才グランプリ』の予選まであと二週間。僕たちは放課後のすべてを、この狭い放送部室に注ぎ込んでいた。
「厳しいなぁ。高田、お前さっきからその『0.5秒』にこだわりすぎだろ。もしかして職人としての完璧主義、出ちゃってる?」
神崎くんが冗談めかして笑いながら、シャツの第一ボタンを外した。喉仏が動く。その無防備な仕草に、僕の視線はどうしても釘付けになってしまう。
「……漫才はリズムなんだよ。特にこのネタは、神崎くんが『完璧な王子様』として振る舞えば振る舞うほど、僕のボソッとした一言が生きるんだから。……ねえ、聞いてる?」
「聞いてるよ。聞いてるけどさ、高田がそんなに真剣な顔して俺のこと見てるから、内容が半分くらいしか入ってこないんだよね」
神崎くんは、僕の手にあった台本をひょいと取り上げた。 「休憩。ほら、座れよ」
彼は床に敷いたカーペットの上にどかっと座り込み、僕の腕を引いた。僕の体が彼の隣に崩れ落ちる。1.5メートルあったはずの距離は、今や肩が触れ合うマイナス数センチだ。
「……神崎くん、近すぎ。ネタ合わせにならないよ」 「いいんだよ。今はオフの時間。ねえ、この前のラジオでさ、『好きな人と一緒に聴きたい曲』の特集やってたろ。高田なら何を送る?」
神崎くんは、僕のイヤホンを半分奪うように自分の耳に入れた。 いつも一緒にラジオを聴く時の、僕たちの「接続」の合図。
「……僕は、送らない。だって、好きな人とラジオを聴くなんて、恥ずかしくて死んじゃうよ」 「俺は送るね。……今、隣にいるやつと、一生笑ってたいからこの曲を、って」
神崎くんの視線が、僕の唇に落ちた。 部室の遮光カーテンの隙間から、街灯の白い光が差し込み、彼の瞳を怪しく光らせている。 心臓の音が、静かな部室でうるさいほどに鳴り響く。イヤホンから流れる深夜の軽快なトークも、今は遠い世界のノイズのようにしか聞こえない。
「高田。お前さ、自分がどれだけ魅力的な言葉を使ってるか、自覚してないだろ」 「……僕はただの、ハガキ職人だよ。陰キャで、背景で……」
「違うよ。お前は、俺の孤独を笑いに変えてくれた、世界で唯一の相方だよ」
神崎くんの手が、僕の頬を滑り、耳元に触れた。イヤホンのコードが、二人の間でピンと張る。 逃げ場はない。彼の体温が、僕の理屈を一つずつ剥がしていく。
「……ねえ、高田」 「……なに」 「漫才の練習、もう一つ追加していい?」
「……え?」
「『緊張した時の、落ち着かせ方』」
そう言うと、彼はゆっくりと顔を近づけてきた。 長い睫毛が触れ合うほどの間近で、神崎くんの熱い吐息を感じる。 僕は目を閉じることもできず、ただ彼の瞳を見つめていた。
深夜ラジオを聴いている時の、あの「自分だけが知っている特別な時間」が、今、目の前の彼と共有されている。 それは台本にも、投稿ハガキにも書けない、僕たちだけの秘密のフリートーク。
唇が触れる直前、廊下で遠く、警備員さんの足音が聞こえた。
「……っ、危ない!」 僕は飛び退くように距離を取った。顔が熱くて、爆発しそうだ。
「……ははっ、高田、顔真っ赤。……これ、予選の本番でやったら、絶対優勝だね」 神崎くんは悪戯っぽく笑いながら、外れたイヤホンを僕に返した。
「……バカ。……ネタ合わせに戻るよ!」
僕はノートで顔を隠した。 だけど、繋がっていたイヤホンのコードがまだ震えているように、僕の心も、彼の手の感触を覚えて、ずっと震えたままだった。

