ボケとツッコミと、震える唇

「……『砂の惑星』さん。君のネタ、今夜も採用されてたね」

部室のパイプ椅子に深く腰掛けた神崎くんが、手元のスマホ画面を眺めながらポツリと言った。窓の外はもう完全に夜の帳が下りていて、校舎は静まり返っている。

僕は機材の片付けをしていた手を止め、心臓が跳ねるのを隠すように背中を向けた。 「……聴いてたんだ」 「当たり前だろ。寝落ちしそうになっても、お前のラジオネームが呼ばれた瞬間、目がバッチリ覚めるんだから。昨日の『一行大喜利』のコーナー、最高だった。あの短文に人生の悲哀を詰め込めるのは、世界中でお前だけだよ」

神崎くんはそう言って、椅子をガタつかせながら僕の隣まで歩いてきた。 「ねえ、高田。どうしてあんなに面白いのに、学校ではあんなに……なんて言うか、気配を消してるの?」

僕は苦笑いした。 「深夜ラジオを愛する人間っていうのは、基本、二重生活なんだよ。夜の三時にラジオの前で大笑いしている自分と、朝八時に教室のドアを開ける自分は、別々のチャンネルなんだ。……神崎くんこそ、生徒会長の仕事とかいいの? 『高校生漫才グランプリ』の予選のエントリー、もうすぐでしょ」

「いいんだよ。今はこっちが本業。エントリーシート、もう書いたよ」

神崎くんは制服の内ポケットから、丁寧に折りたたまれた紙を取り出した。そこには、彼の几帳面な筆跡で、コンビ名が記されていた。

「……『砂の惑星と王子様』?」 「ダサいか? だったら『高田と神崎』でもいいけど」 「いや、そうじゃなくて……。僕の名前、出しちゃダメだよ。僕はあくまで構成。表に出るのは、神崎くんと……誰か他の……」

「またそれか」

神崎くんが、少しだけ声を低くした。彼は僕の肩を掴み、そのまま壁際まで後退させる。機材ラックに背中が当たり、行き場を失った僕の顔の横に、彼の腕が置かれた。いわゆる「壁ドン」というやつだけど、今の彼にはそんな甘い雰囲気はなく、ただ切実な熱だけがあった。

「高田。ラジオは確かに声だけの世界だけど、漫才は『目』の世界だ。お前が隣にいないと、俺の言葉は死ぬんだよ。……お前の書いたネタを、お前の呼吸で、俺にぶつけてくれなきゃ意味がない」

神崎くんの瞳が、至近距離で僕を見つめる。 その視線の強さに、僕は呼吸の仕方を忘れそうになる。彼は僕のイヤホンを片方だけ取り上げ、自分の耳に差し込んだ。

「これ、録音した昨日の放送。一緒に聴こうぜ」

イヤホンを通じて流れてくるのは、僕が愛してやまないパーソナリティの笑い声。だけど、僕の意識はその音声よりも、イヤホンのコードで繋がった「神崎くんとの距離」に集中してしまっていた。

片耳ずつのイヤホン。 コードが短くて、僕たちは肩を密着させなければいけない。 彼の体温が制服を通して伝わり、かすかに香るシトラスの香りが鼻をくすぐる。

「……このボケ、高田が書いたんだよな」 「……うん」 「天才だよ、本当。俺、お前の大ファンなんだ」

神崎くんが、耳元で囁くように言った。 ラジオから流れる笑い声。静かな夜の部室。そして、隣にいる「完璧な王子様」からの、本気の告白。 僕の胸の奥で、今まで経験したことのないような熱い何かが、ラジオのノイズみたいに激しく渦巻いていた。

「……神崎くん」 「ん?」 「……高校生漫才グランプリ、出よう。僕も、君の隣に立ちたい」

僕がそう言うと、神崎くんはパッと顔を輝かせ、僕を力いっぱい抱きしめた。 「よし! 決まりだ! 高田、大好きだ!」 「……っ、苦しいよ。それに、声が大きい!」

「いいんだよ。誰もいないんだから」

彼は離れようとせず、僕の首筋に顔を埋めた。 その瞬間、僕は気づいてしまった。 僕が本当に守りたかったのは、ラジオの中の居場所じゃなくて、この温かくて少しだけ強引な「相方」の隣なのだということに。

深夜の周波数が、僕たちの鼓動を一つに繋いでいく。 放課後の1.5メートルは、いつの間にか、ゼロになっていた。