ボケとツッコミと、震える唇

「え、ここ……?」

神崎くんに連れられてやってきたのは、学校の裏手にある、今は使われていない古い講堂だった。蔦が絡まり、窓ガラスの一部が割れたその建物は、夕暮れ時ということもあって少し不気味な気配を漂わせている。

「ここなら誰にも邪魔されないし、声も響く。予選のホールに近い感覚で練習できると思ってさ」

神崎くんは慣れた手つきで重い扉を開けた。ギギギ、と錆びた音が響き、中からは埃と古い木の匂いが立ち上る。 埃が舞う光の下、神崎くんが講堂のど真ん中に歩いていき、そこにある「見えないマイク」の前に立った。

「さあ、高田。深夜の電話で書いた、あのネタ、合わせようぜ」

僕はノートを抱きしめ、彼の隣へ向かう。 舞台の中央。客席は暗闇に沈んでいて、まるで宇宙の果てに二人きりで取り残されたような感覚になる。

「……ねえ、神崎くん。一条くんの言ってたこと、まだ少しだけ考えてたんだ。血を通わせるって、どういうことかなって」

僕は足元の板張りを見つめながら呟いた。 神崎くんは僕の肩を掴み、自分の方へぐいと向かせた。

「理屈で考えるなよ。……高田、ちょっと目を閉じて」

言われるがままに目を閉じると、視界が真っ暗になる。代わりに、耳の感度が異常に上がった。 古い建物が軋む音。遠くで走る車の音。そして、すぐ隣にいる神崎くんの、少し早まった呼吸の音。

「……何、聞こえる?」

「……神崎くんの、息の音」

「それだよ。それが『血』だ」

神崎くんの手が、僕の頬を包み込んだ。吸音材の貼られた放送部室とは違う、広い講堂ならではの反響。彼の声が、僕の全身に直接染み込んでくるみたいだった。

「お前が書く文字を、俺が声にする。その間に流れるこの空気、この体温。それが合わさった時、ただの紙切れだったネタが、生きた漫才になるんだ。……一条には見えない、俺たちだけの『秘密の周波数』があるんだよ」

神崎くんは、僕の額に自分の額をこつんとぶつけた。 「俺はお前が好きだ、高田。……これは、台本にない俺のフリートーク。お前はどうなんだよ」

突然の直球に、僕は言葉を詰まらせた。 でも、不思議と嫌な感じはしなかった。深夜の静寂の中で、ラジオのチューニングを合わせる時のように、僕の心が彼と同じ場所にピタリと重なる。

「……僕も。……君がいなきゃ、僕の言葉は、ただのノイズだった。君が、僕に意味をくれたんだよ」

僕は彼の制服の胸元をぎゅっと掴んだ。 広い、誰もいない講堂。 僕たちは、誰に見せるためでもない、世界で一番贅沢な練習を始めた。

ネタの中に散りばめた、僕たちの日常。 喧嘩したこと。ラジオを聴きながら笑ったこと。 そして、今この瞬間の、言葉にできないほど熱い想い。

「……どうもー! 砂の惑星と王子様です!」

暗い客席に向かって投げた声は、壁にぶつかり、大きな反響となって僕たちの元へ戻ってきた。 それは、まるで未来の観客からの拍手のように、僕たちの背中を優しく、力強く押し上げてくれた。

練習が終わる頃には、僕のノートは汗と涙で少しふやけていたけれど、そこには一条にも、誰にも汚せない、僕たちだけの「血」が確かに通っていた。