深夜3時。部屋の明かりをすべて消し、布団の中で耳にイヤホンを差し込む。 そこから流れるノイズ混じりの「くだらない話」だけが、僕の血となり肉となる。 伊集院光さんの言葉のナイフや、オードリーの二人が作り出す男子校の部室のような空気。それを摂取している間だけ、僕は「ただの高田将太」ではなく、何者かになれている気がした。
だけど、太陽が昇れば僕はまた、クラスの「背景」に戻る。 私立聖鳳高校2年B組。僕の立ち位置は、窓際から二番目の、誰の視界にも入らない空白の地帯だ。
「……何聴いてんの?」
不意に頭上から降ってきた声に、心臓が跳ねた。 顔を上げると、そこには不釣り合いなほどの光量を持った男が立っていた。 神崎龍一。 整いすぎた顔立ちに、仕立ての良い制服をさらりと着こなす、この学園の絶対的な太陽。生徒会長であり、女子たちの視線の終着点。
「……別に。ラジオ、だけど」 「へぇ。何? 音楽じゃなくて?」 「うん。深夜のやつ。神崎くんには、きっと縁のない世界だよ」
僕は急いでイヤホンを外し、カバンに放り込んだ。僕のような人間が、彼のような人間と関わってはいけない。住む世界の周波数が違いすぎる。
「縁がない、か。決めつけないでほしいな」
神崎くんは意味深に微笑むと、僕の机の端を指先でトントンと叩いた。 「今日の放課後、放送室に来てよ。放送部、君一人だろ? 幽霊部員でいいからさ、俺を部員に入れてよ」
それが、すべての狂いの始まりだった。
放課後。埃の匂いが染み付いた放送部室の扉を開けると、先に来ていた神崎くんが、備え付けの古いマイク(サンパチと呼ばれているタイプだ)の前に立っていた。
「遅いよ、高田」 「……本当に来たんだ。生徒会長がこんな地味な部活に来て、何するの?」 「決まってるだろ。誰にも邪魔されずに、ラジオの話をするんだ」
神崎くんは、僕が座るはずだったパイプ椅子を勝手に引き寄せ、僕を手招きした。 狭い部室。機材が並び、吸音材が貼られた壁に囲まれたこの空間は、外の世界から切り離された潜水艦のようだ。
「高田。お前、昨日の『オードリーのオールナイトニッポン』、聴いたろ。春日さんのあのフリートークの構成、どう思った?」
心臓が、どくんと大きな音を立てた。 「……え、神崎くん、リトルトゥースなの?」 「ああ。最高だったよな。あの、話のオチに向かっていくまでの『タメ』。でもさ、高田ならもっと違うオチを想像したんじゃないかって思って」
神崎くんが、グイッと僕の方へ顔を寄せた。 近い。彼から漂う清潔な石鹸の香りと、ほんの少しの緊張の汗の匂い。 彼の瞳は、獲物を見つけた子供のようにキラキラと輝いている。
「なんで、僕ならって思うの?」 「お前、ずっとノートに何か書いてるだろ。授業中も、休み時間も。あれ、ネタだろ? 投稿用の」
僕は息が止まりそうになった。誰にも見せていない、僕だけの聖域。 「……見てたの?」 「見てたよ。ずっと。お前が一人でクスクス笑いながらペンを走らせてる時の顔、すごくいいんだ。俺、あんなふうに何かに夢中になってるやつ、他に知らない」
神崎くんの手が、僕の膝の上に置かれたノートに触れた。 指先が少しだけ重なる。その熱に、脳が痺れるような感覚に陥る。 夏の日差しに照らされた彼の髪が、窓からの光を透かして、ひどく綺麗に見えた。
「高田。お前のその頭の中にある面白い世界を、俺にも見せてよ。二人でこのマイクの前に立って、ラジオみたいなことしようぜ」
「無理だよ。僕は、表に出るような人間じゃないし」 「俺がいるだろ。俺が、お前の言葉を全部受け止めるから」
神崎くんの視線が、真っ直ぐに僕を射抜く。 その瞳には、嘘も計算もなかった。ただ純粋に、僕という人間を面白がっている、熱い好奇心。
僕は、生まれて初めて「背景」から「主役」の隣へと、無理やり引きずり出されたような気がした。だけど、それは決して嫌な気分じゃなかった。
「……じゃあ、とりあえず、昨日の放送の反省会から始める? 君の考察、ちょっと浅いから」 「言うねぇ! さすが職人。よし、始めようぜ、俺たちの『アフタートーク』を」
神崎くんが嬉しそうに笑い、僕の肩を抱き寄せた。 1.5メートルしかなかった僕たちの間の距離が、ゼロになる。 放課後の放送室。夕闇が迫る中、赤い「ON AIR」のランプはついていないけれど、僕たちの心の中では、確かな放送が始まっていた。
だけど、太陽が昇れば僕はまた、クラスの「背景」に戻る。 私立聖鳳高校2年B組。僕の立ち位置は、窓際から二番目の、誰の視界にも入らない空白の地帯だ。
「……何聴いてんの?」
不意に頭上から降ってきた声に、心臓が跳ねた。 顔を上げると、そこには不釣り合いなほどの光量を持った男が立っていた。 神崎龍一。 整いすぎた顔立ちに、仕立ての良い制服をさらりと着こなす、この学園の絶対的な太陽。生徒会長であり、女子たちの視線の終着点。
「……別に。ラジオ、だけど」 「へぇ。何? 音楽じゃなくて?」 「うん。深夜のやつ。神崎くんには、きっと縁のない世界だよ」
僕は急いでイヤホンを外し、カバンに放り込んだ。僕のような人間が、彼のような人間と関わってはいけない。住む世界の周波数が違いすぎる。
「縁がない、か。決めつけないでほしいな」
神崎くんは意味深に微笑むと、僕の机の端を指先でトントンと叩いた。 「今日の放課後、放送室に来てよ。放送部、君一人だろ? 幽霊部員でいいからさ、俺を部員に入れてよ」
それが、すべての狂いの始まりだった。
放課後。埃の匂いが染み付いた放送部室の扉を開けると、先に来ていた神崎くんが、備え付けの古いマイク(サンパチと呼ばれているタイプだ)の前に立っていた。
「遅いよ、高田」 「……本当に来たんだ。生徒会長がこんな地味な部活に来て、何するの?」 「決まってるだろ。誰にも邪魔されずに、ラジオの話をするんだ」
神崎くんは、僕が座るはずだったパイプ椅子を勝手に引き寄せ、僕を手招きした。 狭い部室。機材が並び、吸音材が貼られた壁に囲まれたこの空間は、外の世界から切り離された潜水艦のようだ。
「高田。お前、昨日の『オードリーのオールナイトニッポン』、聴いたろ。春日さんのあのフリートークの構成、どう思った?」
心臓が、どくんと大きな音を立てた。 「……え、神崎くん、リトルトゥースなの?」 「ああ。最高だったよな。あの、話のオチに向かっていくまでの『タメ』。でもさ、高田ならもっと違うオチを想像したんじゃないかって思って」
神崎くんが、グイッと僕の方へ顔を寄せた。 近い。彼から漂う清潔な石鹸の香りと、ほんの少しの緊張の汗の匂い。 彼の瞳は、獲物を見つけた子供のようにキラキラと輝いている。
「なんで、僕ならって思うの?」 「お前、ずっとノートに何か書いてるだろ。授業中も、休み時間も。あれ、ネタだろ? 投稿用の」
僕は息が止まりそうになった。誰にも見せていない、僕だけの聖域。 「……見てたの?」 「見てたよ。ずっと。お前が一人でクスクス笑いながらペンを走らせてる時の顔、すごくいいんだ。俺、あんなふうに何かに夢中になってるやつ、他に知らない」
神崎くんの手が、僕の膝の上に置かれたノートに触れた。 指先が少しだけ重なる。その熱に、脳が痺れるような感覚に陥る。 夏の日差しに照らされた彼の髪が、窓からの光を透かして、ひどく綺麗に見えた。
「高田。お前のその頭の中にある面白い世界を、俺にも見せてよ。二人でこのマイクの前に立って、ラジオみたいなことしようぜ」
「無理だよ。僕は、表に出るような人間じゃないし」 「俺がいるだろ。俺が、お前の言葉を全部受け止めるから」
神崎くんの視線が、真っ直ぐに僕を射抜く。 その瞳には、嘘も計算もなかった。ただ純粋に、僕という人間を面白がっている、熱い好奇心。
僕は、生まれて初めて「背景」から「主役」の隣へと、無理やり引きずり出されたような気がした。だけど、それは決して嫌な気分じゃなかった。
「……じゃあ、とりあえず、昨日の放送の反省会から始める? 君の考察、ちょっと浅いから」 「言うねぇ! さすが職人。よし、始めようぜ、俺たちの『アフタートーク』を」
神崎くんが嬉しそうに笑い、僕の肩を抱き寄せた。 1.5メートルしかなかった僕たちの間の距離が、ゼロになる。 放課後の放送室。夕闇が迫る中、赤い「ON AIR」のランプはついていないけれど、僕たちの心の中では、確かな放送が始まっていた。

