薄曇りの朝の光が、下級女官の宿舎の細長い窓から差し込んでいた。石畳の中庭を囲むように並ぶ古い建物は、湿り気を含んだ空気のせいで、いつもどこか黴と薬草の匂いが混じっている。その一室で、雪月は小さな木箱を前に、自分の持ち物を詰めていた。
――破魔の傍付き女官になる。
その事実が、まだ胸の奥でうまく形にならない。皇族である破魔の傍付き女官になれるのは、本来上界、悪くとも中界の商家出身者ぐらいだ。それなのに、貧乏人の娘でしかない私が傍付き女官だなんて……。
部屋の中には、同じ下級女官たちが数人、洗濯物を畳んだり、髪を結ったりしながら、ちらちらと雪月の様子を盗み見ている。やがて、誰かが我慢できなくなったように声をかけた。
「……ねえ、雪月。ほんとに破魔さまのところに行くの?」
雪月は小さくうなずいた。
その瞬間、空気が一気にざわめく。
「すごーい!」「やっぱりね」「いいなぁ……」
口々に投げられる声は、祝福の形をしていながら、どこか粘り着くような嫌悪感が孕んでいた。
「羨ましいわ。あの破魔さまの傍付きなんて」 「なんかコツがあるんでしょ?」
「そうそう。偉い方に気に入られるコツ」
笑い混じりの声。
けれど雪月の耳には、その裏にある感情が否応なく流れ込んでくる。
――妬み。
――焦り。
――どうしてあの子だけ、という苛立ち。
胸の奥がちきりと痛んだ。
雪月は曖昧な笑みを浮かべながら、手を止めずに荷物を箱へと収める。
「……何も、してません。ただ、いつも通りお仕事をしていただけで」
それは事実だった。
けれど、誰もそれを信じていないことも、雪月にはわかってしまう。
「またまたぁ」
「謙遜しちゃって」
「どうせ破魔さまに取り入ったんでしょ?」
軽い調子で言われる言葉が、胸の奥に小さな棘を残す。雪月は自分が選ばれた理由を、正確には説明できなかった。
破魔が雪月に向けていた感情。あれの正体をうまく言葉にすることはできない。
「たぶらかすだなんて。私にはそんなことできません……」
小さく呟いた言葉は、誰にも拾われなかった。
女官たちはもう次の噂話に移り、笑い声が部屋に広がっていく。
雪月は木箱の蓋を閉じ、静かに息を吐いた。この部屋で過ごした日々。蔑まれ、疎まれ、それでも耐えてきた時間。それを置いていく安堵と、そして破魔の傍へ行くことへの、言いようのない不安感。
窓の外で、後宮の屋根が朝日に淡く光っていた。その向こうに、破魔がいる――そう思うだけで、胸の奥がざわめく。
私にはちゃんと、できるでしょうか……?
誰にも聞こえないように、雪月はそっと心の中で呟いた。
――破魔の傍付き女官になる。
その事実が、まだ胸の奥でうまく形にならない。皇族である破魔の傍付き女官になれるのは、本来上界、悪くとも中界の商家出身者ぐらいだ。それなのに、貧乏人の娘でしかない私が傍付き女官だなんて……。
部屋の中には、同じ下級女官たちが数人、洗濯物を畳んだり、髪を結ったりしながら、ちらちらと雪月の様子を盗み見ている。やがて、誰かが我慢できなくなったように声をかけた。
「……ねえ、雪月。ほんとに破魔さまのところに行くの?」
雪月は小さくうなずいた。
その瞬間、空気が一気にざわめく。
「すごーい!」「やっぱりね」「いいなぁ……」
口々に投げられる声は、祝福の形をしていながら、どこか粘り着くような嫌悪感が孕んでいた。
「羨ましいわ。あの破魔さまの傍付きなんて」 「なんかコツがあるんでしょ?」
「そうそう。偉い方に気に入られるコツ」
笑い混じりの声。
けれど雪月の耳には、その裏にある感情が否応なく流れ込んでくる。
――妬み。
――焦り。
――どうしてあの子だけ、という苛立ち。
胸の奥がちきりと痛んだ。
雪月は曖昧な笑みを浮かべながら、手を止めずに荷物を箱へと収める。
「……何も、してません。ただ、いつも通りお仕事をしていただけで」
それは事実だった。
けれど、誰もそれを信じていないことも、雪月にはわかってしまう。
「またまたぁ」
「謙遜しちゃって」
「どうせ破魔さまに取り入ったんでしょ?」
軽い調子で言われる言葉が、胸の奥に小さな棘を残す。雪月は自分が選ばれた理由を、正確には説明できなかった。
破魔が雪月に向けていた感情。あれの正体をうまく言葉にすることはできない。
「たぶらかすだなんて。私にはそんなことできません……」
小さく呟いた言葉は、誰にも拾われなかった。
女官たちはもう次の噂話に移り、笑い声が部屋に広がっていく。
雪月は木箱の蓋を閉じ、静かに息を吐いた。この部屋で過ごした日々。蔑まれ、疎まれ、それでも耐えてきた時間。それを置いていく安堵と、そして破魔の傍へ行くことへの、言いようのない不安感。
窓の外で、後宮の屋根が朝日に淡く光っていた。その向こうに、破魔がいる――そう思うだけで、胸の奥がざわめく。
私にはちゃんと、できるでしょうか……?
誰にも聞こえないように、雪月はそっと心の中で呟いた。

