冷徹な鬼隊長は、虐げられ女官を独占したがる

 鏡の前に映る自分が、どこか知らない人のように見えた。
 紅色の衣は、上質な絹に金糸の刺繍が施され、灯りを受けて静かに輝いている。袖を揺らせば、さらりと柔らかな音を立てた。

――これ、本当に私なの?

 かつて、薄い布の衣を何度も繕いながら着ていた日々が、遠い昔のことのようだった。
 髪は結い上げられ、玉の簪が差されている。頬には淡く紅がのり、唇にも艶が与えられていた。
 どれも、破魔の隣に立つために用意された装い。
 そう思うだけで、胸が熱くなる。

「緊張するなぁ」

 今でも時々、不安になる。
 本当に私でいいのか。
 破魔にはもっとふさわしい人がいるんじゃないか。
 けれど――思い出すのは、いつも不器用で、無口で、それでも誰よりも私を守ってくれた人の背中だった。

――信じてみよう。

 決心を固めた雪月は静かに立ち上がった。

***

 夜の庭園。灯籠の光が水面に揺れ、甘い花の香りが風に乗って漂っている。
 その中央に、破魔様は立っていた。
 背筋を伸ばし、腕を組んで、いつもと同じはずなのに、どこか落ち着きがない。

 もしかして緊張しているのだろうか?

 そう思った瞬間、少しだけ可笑しくなった。
 私が近づくと、破魔様は顔を上げた。
 そして――ぴたり、と動きを止めた。

「……」

 目が合う。

「……あの、破魔様?」

 一歩、近づいた瞬間。
 すっと、手首を取られた。

 強くない。けれど、逃がさないという強い意志を感じる力加減で。

「……待て」

 低く、掠れた声。心臓が跳ねる。

「は、はい……?」
「こんなの反則だ」
「え……?」

 何が? と思う間もなく、破魔様は視線を逸らしながら言った。

「そんな格好で来るな。これでは俺の心臓が、何個あっても持たない」

 一瞬、意味が分からなくて。
 次の瞬間、熱が一気に顔に集まった。

「そ、そんな……っ」
「可憐すぎる」

 破魔は照れているのだろうか。
 弱々しい声で呟いた。

「破魔様……」

 私が名前を呼ぶと、破魔様は覚悟を決めたように、こちらを見つめ直した。

「今日はしっかり言おう」

 真剣な声だった。
 もう逃げない、と決心した人の声。

「俺は、お前がいないと駄目だ」

 心臓が、止まりそうになる。

「守るとか、責任とか、そういうのじゃない……そばにいないと、落ち着かない。笑ってる顔を見てないと、不安になる」

 一つ一つ、噛みしめるように言葉を紡ぐ破魔。

「お前が傷つくのは、耐えられない。泣くのも、俯くのも……全部、俺の胸が痛む」

 温かくて、優しい手が雪月の手を包む。

「……だから」

 一瞬、言葉に詰まってから。
 はっきりと言った。

「俺の隣にいろ。一生、俺のそばにいろ」

 ――それは、命令でもなく、強制でもなく、不器用な、最大限の愛情だった。

「俺の嫁になってくれないか?」

 涙が、ぽろっと落ちた。

 嬉しくて。
 幸せで。
 胸がいっぱいで。

「……はい……っ」

 何度も頷きながら答える。

「ずっと……ずっと、そばにいます……!」

 破魔様は、ほっとしたように息を吐き、私をそっと抱き寄せた。

 この人とならどんな未来でも、怖くない。
 紅に染まる夜の下で二人はようやく、本当の幸福を見つけることができた。