冷徹な鬼隊長は、虐げられ女官を独占したがる

  朝の報告を終え、雪月は静かに執務室を後にした。
 回廊には柔らかな光が満ち、女官たちの足音が規則正しく響いている。

 距離をとっていたことを破魔に気づかれてしまった。
 どうして?
 態度には表さないよう気を配っていたはずなのに。

 はやく、内侍省へ向かおう。
 今は与えられた役目を全うすることだけを考えないと。もう破魔様には迷惑をかけないって決めたんだから。そう思い、角を曲がろうとしたとき。

「……あの、雪月さま」

 控えめな声に、呼び止められた。
 振り向くと、まだ年若い女官が立っていた。

 淡い色の衣に、不安そうに揺れる瞳。
 かつての自分にそっくりだ。
 ひと目でわかる。きっと新人だろう。

「どうかなさいましたか?」
「少し……お願いがあって……」

 遠慮がちに、頭を下げる。

「書庫の整理を手伝っていただけませんか? 私ひとりでは、どうしても不安で……」

 胸に、感情が流れ込んでくる。

 戸惑い。緊張。必死さ。

 ——そこに一切の悪意は、ない。

 本当に困っているだけだ。
 後宮は分からないことだらけだよね。
 分かる。私もかつてそうだったから。

「少しだけなら良いですよ」
「ありがとうございます……!」

 ぱっと表情が明るくなる。
 新人女官は深く礼をし、先に立って歩き出した。
 二人は、人通りの少ない回廊を進んでいく。
 進んでいくたびに、壁の装飾が減り、灯籠の数も少なくなる。どうしてだろう? 胸騒ぎが止まらない。

 ——……あれ?

 少しずつ、違和感が募る。

「……書庫って、こちらでしたか?」
「え? あ……はい。たぶん……」

 新人女官は、曖昧に答える。
 本当になにも知らないらしい。
 とはいえ、今まで雑用ばかりさせられていた雪月が書庫へ足を踏み入れた経験はない。
 やがて、古びた扉の前で立ち止まった。

「ここです」
「……ここ?」

 扉には、小さく札が掛けられている。

 ——関係者以外立入禁止。

 胸が、ひくりと跳ねた。

「ほ、本当にここなんだよね?」
「い、いえ……錦蘭さまが……」

 その名を聞いた瞬間。
 雪月の背筋に、冷たいものが走った。

「……錦蘭様が?」

 新人女官は、申し訳なさそうに視線を伏せる。

「ここに雪月さまを連れてくるようにって……書類を渡すだけだから、大丈夫だって……そう言われたんです」


 嫌な予感が、確信に変わる。
 あの女、きっと察しの良い雪月に直接命令すれば気づかれてしまうからと新人女官を使って、罠に嵌めようとしたのだ。

 怒りに震えそうであったが、なんとかこらえる。
 この子はなにも知らないのだ。ただ利用されただけ。
 雪月の胸が、締めつけられる。

「伝言を教えてくれて、ありがとう」

 そっと、微笑む。

「でも……ここは入ってはいけない場所みたいだから帰るわね」

 扉に触れる前に、後ずさる。
 くるりと背を向け「さぁ、帰りましょう」と新人女官に告げ、走り去ろうとすると――。

「待て!」

 鋭い声が響いた。
 複数の足音が勢いよく近づいてくる。
 次の瞬間、大きな手に腕を強く掴まれた。

「——っ!」
「禁域付近を徘徊していたな?」

 現れたのは、警備兵だったな。

「許可証は持っているのか?」

 許可証? なんだそれは?
 雪月が困惑していると、新人女官は銀色の鈴がついた木札を取り出した。どうやらあれが許可証らしい。
 きっと錦蘭から渡された物だろう。
 許可証を持たない雪月だけが捕まるように。

「お前は?」

 疑いの目はすぐに雪月へと向かった。

「ち、違います……!」

 必死に首を振る。

「私は……頼まれて……」

「言い訳は、取り調べで聞く」

 警備兵たちの視線が一気に集まる。
 胸に、恐怖が押し寄せる。

——終わった。

 頭が、真っ白になる。
 破魔の顔が、ふと浮かんだ。

——結局、迷惑かけちゃった。

 そう思った瞬間――悔しくて涙が止まらなくなった。