境界線を守りたい几帳面な僕が、無頓着な同級生と同室になりました。

「うわ、湊! 大丈夫か」
 慌てて手を伸ばした月城くんが、お湯を止める。だけど僕の方は、頭からかぶったシャワーのお湯よりずっと強烈な言葉に頭を殴られていた。
 不用意に尋ねてはいけないことを、聞いてしまった。

「ごめん……変なこと聞いて」
 動揺しながら謝ると、月城くんは湿った髪から水滴を垂らしながら、困ったように小さく笑った。
「別に俺が言ったことだし。それにもう昔のことだから」
「……辛いこと、思い出させてごめん」
「平気だって。俺がちゃんと、見ててやればよかっただけだから」

 彼はあくまで気丈に振舞っていたけど、目の奥が少しだけ陰っているように見えて、僕の心がざわついた。
 僕が「ハル」と間違われたのも、あの夜抱きしめられたのも、全部、月城くんが亡くなったその人に対する、強烈な未練と後悔ゆえのことだとしたら?
 自分でも驚くほど、胸がキリキリと痛んだ。
 でも、それは思いやりとか同情でもない、自分勝手な痛みだった。

 その日はそれ以上、なにも聞けなかった。
 僕は黙って月城くんの髪の泡を流してやり、それから背中を手早く洗った。必要最低限の動きで、さっきよりも事務的に。もう絶対に、「ハル」については話題にしなかった。
 月城くんも、そのあとはずっと黙っていて、時折僕に撫でられると気持ちよさそうに細めていた目を、じっと閉じていた。

 僕はその日以降も、怪我をした右手を気にしながら着替える月城くんを手伝い、一緒に食堂へ行き彼の配膳を手伝った。
 授業中は彼のためにノートをとってあげて、休み時間には次の授業の準備を手伝う。そんな日々が一週間ほど続いた頃には、僕はすっかり月城くんの世話をすることが日常になっていた。

 けれど、あの日以降、僕の中では月城くんを見る目が少しだけ変わった。
 以前よりもずっと、月城くんが僕に構う行動の裏側が透けて見えるようになってしまった。
 ふとした時に、月城くんは「あぶない」とすぐに僕の手を引く。僕がため息をひとつでも吐けば「疲れたのか?」と顔を覗き込み、ご飯をちょっと残しただけで「食欲ない?」と食い入るように見つめてくる。
 「お前、ちゃんと食わないとすぐ調子悪くするだろ」と、過保護なくらいに。
 
 今までは彼の人柄と優しさだと単純にくすぐったく感じていた行動の裏に、罪悪感や贖罪の気持ちが隠れているかもしれないと思うと、途端に彼の過保護な優しさが怖くなった。
 君はいったい、僕の向こうに誰を見てるの?
 誰かの代わりができるほど、僕は図太くできていない。ただの同級生だ。ただ、たまたま相部屋になっただけの。
 だけどその一方で、大切な人を失った悲しみを背負う月城くんを何とかしてあげたいという、傲慢な気持ちもあった。
 もし僕が「ハル」という人なら、月城くんのその痛みを全部拭ってあげられたのに。
 そんな大それたことを考えてしまう自分が、どうしようもなく惨めだった。
 
 いつの間にか、彼の隣が僕の特別な場所になっていた。
 月城くんが笑ってくれるだけで、心の中がポカポカとしてきて、居心地がよかった。それなのに、彼の優しさの宛先は僕じゃない。
 これ以上気持ちが止まらなくなる前に、離れた方がいいのかもしれない。
 僕の気持ちはふわふわと雲のように揺れ動き、頭のなかは矛盾でいっぱいだった。

 結局僕は、月城くんとの間にそっと見えない壁を作り始めていた。
 表面上は今まで通りに振る舞っているつもりだ。だけど僕から彼に触れることは一度もないし、あいかわらず撫でられることは拒否しないけど、表情を変えないように身構えるようになってしまった。
 別に今までと同じだ。なのに、なぜか心の奥底が抜けてしまったような喪失感がなくならない。