境界線を守りたい几帳面な僕が、無頓着な同級生と同室になりました。

 歓迎会から数日が経った。
 みんなが部屋に雪崩込んできたときは、恐怖で泣きそうになっていたけれど、あの夜を境に、僕に対して気さくに話しかけてくれるようになった人たちが増えた。
 月城くんが間に入ってくれるからか、クラスメイトたちともそれなりに交流できていると思う。といっても、月城くんほど距離を詰めてくる人はいない。みんな、ほどよい距離感を保ってくれている。
 佐々木くんなんかは特にその辺の空気を読むのが上手くて、僕が困っているとさりげなく話題を逸らしてくれる。ありがたい存在だ。

 そして月城くんは相変わらずだった。
 僕がうっかり教科書を忘れれば、僕が慌てふためく前に「大丈夫だよ」と、笑いながら机を躊躇なくくっつけて、肩が触れ合う距離で教科書を僕に見せてくる。
 食堂へ一緒に行けば、当然のように隣に座って配膳を手伝ってくれるし、なぜかデザートを僕のお皿にのせてくる。寮の部屋では四六時中だいたいそばにいて、おはようからおやすみまで、生活を共にしている。
 初日以来、ベッドに侵入されることは今のところないけど、なんやかんやといつも世話を焼かれていて、気が付けば僕は月城くんに頭を撫でられながら、本を読んだり勉強したりして過ごしている。
 こうして距離が近すぎる月城くんから、当たり前のように触れられながら過ごす日常に、少しずつ慣れてしまっている自分がいる。その事実が何より怖かった。

***

 今日は寮の掃除当番だった。
 僕と月城くんに割り当てられたのは、寮の共有スペースの掃除だ。清掃時間は放課後の一時間程度で、二人一組同じ部屋の者同士で割り振られている。

 同室になって、一緒に生活をしてみて、いろいろとわかったことがある。
 月城くんは整理整頓が苦手らしい。やろうという気持ちはあるのかもしれないけど、僕からすると片付け方があまりにもいい加減だ。

 だから、掃除当番も月城くんはさぼって僕一人でやる羽目になるんだろうと覚悟していたけれど、予想に反して月城くんは律儀に参加してくれた。
 むしろ、月城くんのテンションは掃除前より上がっている気がする。

「二人で掃除ってなんか楽しいよな」
「……そうかな」
「俺、しばらく寮の部屋一人だったからさ、掃除も一人でつまんなかったんだよな」

 だから湊と一緒に掃除できて楽しい、と月城くんは笑う。
 そういうことを真正面から堂々と言ってのけるところが、月城くんの強みだ。少し前までの僕だったら「実は心の中で何を企んでいるんだろう」と彼の言葉を疑ってたかもしれないけど、今はなんとなく彼の人柄がわかってきたので、素直に「そうなんだ」と納得できる。
 彼は多分本心からそう思ってる。もしかしたら、月城くんは寂しがりやなのかもしれない。
 ただ、問題がないわけじゃない。月城くんの掃除の仕方はあまりにも雑すぎる。

「月城くん、ダメだよそれ。埃、水拭きする前にまず掃除機かけないと」
「えー、めんどくせえ。こうやって一気にやったほうが効率的じゃね?」
「非効率的だよ! 濡れた埃が床にこびりついちゃうから」

 僕が眉を吊り上げて指摘すると、月城くんは「湊は細かいなあ」と呟きながらも素直に掃除機を取りに行ってくれた。今は素直に従ってくれたけど、僕がこんな風に注意したから、本当は内心ムッとしているかもしれない。
 月城くんがあまりにも自然に、なんでも笑顔で話を聞いてくれるから、僕は気を抜いて自己主張しすぎたかもしれないと、ちょっと後悔した。
 掃除のルールなんて、誰かに押し付けるものじゃない。でも、月城くんは、僕が思わず言ってしまったことを忠実に実行しようとしてくれているようだ。
 彼が部屋の隅のゴミや埃を丹念に掃除機で吸い取ってから、僕がモップで床を拭く。
 でもやっぱり僕が拭き始めたばかりの濡れた床を、月城くんはなんのためらいもなく上履きのまま横切ろうとしたりするので、僕は何度も彼の行動を遮らなければならなかった。

「あ、ちょっと待って! 今そこ拭いたばかり!」
「わりぃ」

 月城くんは「わりぃ」と言いながら、気にした様子もなく笑っている。
 僕は彼が通った後の濡れた床を、再度モップで拭き直した。拭いた後に踏まれると、せっかくの努力が台無しになるだけじゃなくて、床に汚れた足跡がついてかえって汚くなる。それが我慢ならない。
 僕は潔癖症なわけじゃないけど、それでも一定のルールは守りたい。

「湊って、マイルールが多いよな」

 不意に月城くんが言った。
 僕は心臓が凍り付くのを感じて、モップを握る手にぎゅっと力を込めてしまう。
 ついに僕のことが面倒くさくなったのだろうか。嫌な奴だと思われただろうか。胸がざわついて、僕はなんとか平常心を装いながら「……ごめん、やっぱり僕、細かすぎるよね」と謝っていた。

「なんで謝るんだよ。俺の方が悪いだろ。湊のやり方のほうが効率的で正しいし」

 月城くんは、あっさりとそう言った。
 そして、部屋の端の方へ移動しながら、僕が先ほどから気になっていた埃が溜まった場所を、手にしたハタキで取り始めた。
 
「湊が言ってたルール、ちゃんと覚えたからさ。まず乾いた埃をとって、それから水拭き。靴で濡れた床を歩かない。掃除の順番は上から下。あってるよな?」

 月城くんは、僕がさっき掃除しながら彼に説明したことをきちんと反芻してくれた。彼はさりげなく、自分の掃除のやり方を僕に合わせて変えてくれていたのだ。

「……覚えてくれたの?」
「えー、俺わりと湊から指摘されたら、改善してるつもりだけど。読み終わった本は本棚に、使い終わったものは元の場所に、洗濯物は放置しない。違うか?」
「あ……」

 よく考えたら最近、月城くんが脱ぎ散らかした制服やらジャージやらを僕が片付ける頻度が減っている気がする。あれは僕が寛容になったんじゃなくて、月城くんがちゃんと自分で片付けていたからだったのか。

「月城くん、でもそれ当たり前のことだよ」
「まあそうだけどさー。でも俺、結構ルーズなんだよな。弟たちからもよく怒られてたし。母さんにもガサツって言われてるし。湊に呆れられないようにって、結構気をつかってるんだけど」

 月城くんはバツが悪そうに呟きながら、髪を掻く。その仕草を見て、じわりと胸のあたりが温かくなるのを感じた。
 彼は僕の細かいルールをバカにせず、むしろ尊重しようと努力してくれていた。僕が月城くんのために何かを変える前に、彼は既に僕のために変わろうとしていたのだ。
 月城くんは人のお世話をするのは得意だけど、自分の世話は後回しにするタイプみたいだ。案外周りからは世話焼きだと思われている月城くんも、本当は不器用なのかもしれない。

「別に呆れたりしないよ。でも……ありがとう」

 消え入りそうな声でなんとかお礼を言うと、月城くんは一瞬目を丸くして、それから嬉しそうに破顔した。