境界線を守りたい几帳面な僕が、無頓着な同級生と同室になりました。

 その夜、僕は寮の自室で引き攣った笑みを貼り付けたまま、固まっていた。

 部屋に招き入れた客は総勢十人を超える。同級生だけでなく、先輩や後輩もいるらしい。
 昼間クラスで話した佐々木くんや岡崎くんの顔はかろうじて分かるけれど、それ以外の人たちはもう誰が誰だか区別がつかない。
 圧倒されて、月城くん以外の顔はみんな同じに見える。じゃがいもだ。
 月城くんがお風呂に行ったあと、部屋の扉がノックされたので、てっきり月城くんがタオルでも忘れたのかと思って何も考えずに扉を開けたら。
 「湊くんの歓迎会だよ!」と言いながら、この大量の人間が部屋に雪崩れ込んできたのだ。

 本来プライベートなはずの自室が、あっという間に共有スペースと化した。

 部屋の中央にどこから持ち込まれたのか座卓が設置され、周囲をみんなが取り囲んでいる。が、明らかにキャパオーバーの人口密度で、狭い空間は熱気で蒸されていた。
 各々が持参したお菓子やジュースが雑多に並べられ、賑やかな笑い声が飛び交っている。

 そして何よりも最悪なことに、僕の私物が置かれたデスクのすぐそばに、おそらく先輩と思われる人たちが陣取ってしまっていた。
 つまり、僕が定義するところの『安全地帯』である机の辺りに、侵入者がいる状態だ。
 今のところ先輩たちは穏やかに談笑しているだけだけど、いつ私物を勝手に触られるか分からないと考えると落ち着かない。
 どうしよう。どうしたら追い払える?
 必死に考えているけど、恐怖と焦りでまともな思考は働かない。
 その場所に入らないでと告げたら、どう思われるだろうか。角は絶対に立てたくない。平和に済ませたい。そのためにはどう行動すればいい?

 そもそも彼らがこの部屋に集まってくれているのは、ほぼ間違いなく社交的で人気者の月城くんが原因だ。
 僕の歓迎会を建前に、みんな月城くん目的で集まってきた人たちなのだ。そんな僕が陽キャ軍団に物申したりなんかしたら、一気に空気が変わる。
 もし、「ナニこいつ」みたいな冷たい視線を向けられたり、無視されたら、と想像するだけで身体が凍りついてしまう。

 僕がみんなからの質問に適当に答えつつ、愛想笑いで苦しげにごまかしていると、救いの神こと月城くんがやっと浴室から部屋に戻ってきた。濡れた髪から水滴が飛んでくる。

「げ、なんだよこの人数。しかもお前ら来るの早すぎだろ」
「待ちきれなくて来ちゃった。実は白倉、航にいじめられてるんじゃないかと事情聴取してた」
「いじめてねーよ!」

 月城くんが現れると、彼は一瞬で中心となり、今まで以上に盛り上がる輪ができていく。
 彼はぐるっと部屋を一瞥して、死にかけている僕のことを視認した。

「湊! わりぃ、来ていきなりこんな人数押しかけさせちゃって」
「え……うん」
「あ、先輩! そこ湊の机なんで、あんま詰め寄らないであげてくださいよー!  緊張でフリーズしちゃってるじゃないですか」

 彼の明瞭な声が、部屋中に届く。冗談めかしつつも、はっきりとした牽制の一言。けれど、一瞬で周囲の空気が緩み、僕の机を取り囲んでいた先輩たちは「あ、悪い悪い!」と苦笑いしながら、さっとスペースを空けてくれた。
 先程まであれほど脅かされていた僕の机が、一瞬で安全地帯に戻る。僕の聖域を守り抜いてくれた。
 すごい。まるで魔法使いみたいだ。
 月城くんの言葉には、不思議な力がある。
 ちゃんと自分の意見を主張しているのに、その場の空気を全く壊さない。どうしたらそんなことができるんだろう。彼の人柄が成せる技なのだろうか。
 
「湊、俺の隣おいで」
「……うん」

 僕が緊張してパニック寸前であることを見抜いてか、月城くんが優しく手招きしてくれる。
 僕は月城くんが指示するまま、フラフラとゾンビのように彼に近づき、その隣の狭いスペースにちょこんと収まった。
 お風呂帰りの月城くんのシャンプーの匂いが、ふわりと鼻腔をくすぐる。
 月城くんの隣は、さっきまでの孤独な戦場に比べたら百倍マシだった。マシ、なんだけど……今度は別の意味で、心臓の音がうるさくて落ち着かない。距離が、近すぎるのだ。
 月城くんは先輩たちとにこやかに話しながら、周囲にいる人たちが何者なのか僕にも丁寧に教えてくれた。落ち着いてきちんと会話してみれば、みんな気のいい人ばかりだった。
 僕は勝手に陽キャに対する偏見を抱きすぎていただけなのかもしれないと反省する。苦手な気持ちは変わらないけど。

 お菓子パーティーは予想に反して終始和やかに進行し、楽しい会は二時間ほど続いた。
 その間、月城くんはずっと僕の隣にいて、盾になるように外側の賑やかさから僕を護ってくれていた。
「ほら、湊。これも食べろ」
 そして、なぜか僕にせっせとお菓子を与えてくる。なんだろう。世話をしなければと思われているのだろうか。
 僕が月城くんからもらったお菓子を、彼の隣で大人しくモグモグしていると、月城くんはニコニコしながら僕の頭をポンポン撫でてくる。
 緊張するからやめてほしいはずなのに、彼の大きな手のひらから伝わる熱に、僕は身体の芯が微かに溶けるような感覚を覚えていた。
 この温かさに慣れてしまうのは、ちょっと危険な気がしていた。

「警戒心強いくせに、お菓子あげると大人しくなるところがハルっぽいな」
 
 月城くんの柔らかい声が耳元で響く。
 『ハル』。またその名前だ。
 その名前を聞いた瞬間、心臓が変な音を立てて波打った。
 今日一日、僕を護ってくれたこの優しさは、全部その『ハル』に向けられたものの残像なのだろうか。
 そう思うと、温かかったはずのシャンプーの匂いまでもが、どこか切なく感じられた。
 それでも僕は、お菓子を口に運びながら、彼の隣で小さく頷くことしかできなかった。なんだかんだ言っても今日一日を振り返ってみれば、彼には感謝するべきことが多い。