境界線を守りたい几帳面な僕が、無頓着な同級生と同室になりました。

 翌日の朝。普段どおりアラームより早い時間に目が覚めた。
 いつもならばそのまま身支度を始められるのに、今日ばかりは何もできない。
 物理的に不可能な状況に置かれていた。

 昨夜僕の背後にいたはずの月城くんは、いつのまにか位置を変え、今や正面からすっぽりと僕を包み込む形で眠っていたからである。
 僕の腰に彼の両腕が巻きついている状態で、簡単には抜け出せそうにない。それに、無理やり引きはがせば、よく眠っている月城くんを起こしてしまう可能性もある。
 それはちょっと可哀想だ。

 僕にできることといえば、月城くんの腕の中でひたすら身を竦ませつつ、ただじっと彼が自然に目覚めるのを待つことだけだった。
 唯一動かせる首を動かして顔を上げると、至近距離で月城くんのきれいな顔がある。
 改めてみると、本当にイケメンだ。
 スッと通った鼻は高いし、眉もキリっとしている。睫毛はとても長いし、薄い唇は形が整っている。これだけ綺麗だと嫉妬すら覚えない。
 こんな人がなんで僕なんかと一緒のベッドで寝てるんだろう。疑問だ。
 今は瞼を閉じているけれど、キラキラした薄茶色の虹彩を持つ大きな瞳は、彼の魅力を何倍にも膨らませていることを僕は知っている。
 今、彼が目を覚ましたらこの瞳が僕を視界に捉えるのだろうか。そう思うとなぜか怖くて堪らなくなって、逃げ出したくなってきた。

 しばらく悶々と考えこんでいると、タイミングが良かったのか悪かったのか。月城くんは「ん~」と可愛らしく喉を鳴らしながらゆっくりと瞼を持ちあげた。

「……あ、おはよう」

 ようやく解放されるとホッとしたけど、月城くんは寝惚けているのか、彼の腕はまだ僕に巻きついたままだ。僕はとりあえず、彼を見上げながら緊張気味に挨拶をしてみる。

「ん、……おはよ」

 月城くんは僕を眺めながら柔らかい春陽のような微笑みを浮かべた。花でも咲かせられそうなその笑顔に見惚れていると、なぜか彼の顔がスルスルと近づいてきて、僕の額にチュッと軽いキスを落としてきた。
 え? 今何をされた?
 すぐに状況が把握できなくて僕が混乱していると、月城くんが徐々に覚醒してきたのか「ハッ」と小さく叫んだ。

「……ん、あ、あれ。……湊? あれっ俺……?」

 バチン、と漫画のように大きい音を立てて、月城くんは自身の両頬を勢いよく叩く。
 一拍遅れて、僕も自分がされたことを理解して、ぶわっと顔に血が上っていくのが分かった。多分今の僕の顔は熟した林檎みたいに真っ赤になっている気がする。

 飛び上がるようにして、月城くんは僕から離れていった。すごい勢いでベッドから降り、床に膝をついていきなり土下座をする。

「悪ぃ! 俺、完全に寝ぼけてて……っ! ちがくて、その、間違って湊を抱き枕にしてたよな?  眠れなかったんじゃないか?  本当ごめん!」

 月城くんは、寝癖で乱れた髪をぐしゃりと掻き乱しながら、心底申し訳なさそうにしょんぼり項垂れている。
 その姿を見ていたら、昨日の図々しいまでの天真爛漫ぶりとのギャップがありすぎて、妙な罪悪感が芽生えてくる。

 確かに最初は驚いたし、今も心臓がバクバクしているけど、予想外に安眠出来てしまっていたのも事実なのだ。

「……大丈夫だよ。ちゃんと眠れたし。まあ、ちょっとびっくりしたけど」

 そう答えたら、月城くんは弾かれたように顔をあげた。不安げだった双眸は大きく見開かれ、次第に喜びに染まっていく。
 あ、そういう反応するんだ。
 怒られると思っていたのに、ちょっと嬉しい。そんな心情が隠し切れないのが丸わかりだ。彼の頭の上に垂れ下がった耳が見えた気がした。
 月城くんの感情表現は、ストレートで分かりやすい。

「良かった~。初日から嫌われたらどうしようかと思って焦った」

 初日から部屋替えをお願いしようと、心の中で決心していた僕は、ちょっとだけ良心が痛むのを感じて目を逸らした。
 別に彼を嫌っているわけじゃない。月城くんに悪意は全くなさそうで、陽キャ特有の傲慢さも無い。寧ろ人に嫌われるのを恐れて、気をつかっている節さえある。距離感はおかしいけど。
 ただ、僕にとってそれは一番の問題だ。

 あと、もうひとつ気になることができた。

 ――『ハル』って、一体誰?

 そんな簡単な質問が口に出せなくて、僕はさっき月城くんからキスされたおでこを、俯きながら撫でていた。