体育祭の興奮は夜になっても冷めず、クラスメイトたちは寮の食堂に集まって、ささやかな打ち上げをしていた。
あちこちで笑い声が上がり、誰かがスマホで撮った写真を見せ合ったり、もう既に筋肉痛に苦しんでいたり。
テーブルには大量のお菓子が積み上がって、紙コップにはジュースが注がれている。
僕もその輪の中にいた。岡崎くんは「お前のおかげで勝てた」と何度もお礼を言ってきて、そのたびに佐々木くんが「ちょっとは反省しろ」と冷静にツッコんでいた。
山下くんは相変わらず皆の様子を見守っていて、時折僕にも「白倉、疲れてない?」と声をかけてくれる。転校してくる前は、こんな風にクラスメイトたちと一緒に笑える日が来るなんて、想像もしていなかった。
全部、月城くんが引っ張ってきてくれたおかげだ。
打ち上げは短時間で終わって、みんなとお別れして部屋に戻る。
月城くんと二人きりになって、僕はまだ心臓が落ち着かないのを感じていた。今日一日だけで、どれだけ彼に心が揺さぶられただろう。
僕たちの間にあるぎこちない壁は、今日で完全に溶けてなくなった。そう思いたかったけれど。
部屋のドアを開けて、月城くんが「疲れたなー」と伸びをしながら中に入っていく。その広い背中を見ていたら、ふと、以前言われた下くんの言葉が蘇ってきた。
『できればちゃんと二人で話し合って決めてくれると助かるよ』
「……月城くん」
もう、逃げずにちゃんと伝えなきゃ。これ以上、中途半端な関係で甘えたくない。
月城くんが振り返る。いつもの明るい表情のまま、僕の言葉を待ってくれている。そのまっすぐな瞳を見ていると、胸がぎゅうっと苦しくなった。
「あの、さ。山下くんからちゃんと話し合えって言われたんだけど」
「ん?」
「部屋替えの話」
その瞬間、月城くんの動きがピタリと止まった。和やかだった空気が、じわじわと張り詰めていくのを肌で感じた。
「座って話そうか」
優しい声で促されて、おずおずと僕が自分のベッドに座ると、「隣、座ってもいい?」と月城くんが尋ねてきた。無言でうなずくと、月城くんが少し距離をあけてゆっくりとベッドの端に腰を下ろした。その微妙な距離感になぜか寂しさを覚える。
今日、彼の近くに行くことができたと感じたのに。
「その、部屋替えの件だけど。ちょっと言っておきたいことがあって」
「やっぱり、俺といるとストレス溜まった?」
「……えっと、そうじゃなくて」
言葉を選んでいるうちに視線が宙を彷徨う。自分でもどう伝えればいいのか整理できていない。
多分僕が今から伝えようとしていることは、ものすごく自分勝手な言い分だ。
月城くんは、僕がプチ爆発をしてから、僕と接触するのを意図的に避けていたし、これ以上面倒ごとにしたくないのかもしれない。
伝えることで、月城くんが完全に離れていってしまうかと思うと、言葉を紡げなくなった。
月城くんは、そんな僕を見つめながら苦し気なため息をつき、天井を仰いだ。
「あー、今日も嬉しくなってつい抱きついちゃったしな。ほんとマジごめん。嫌だったよな」
部屋に戻ってくるまであんなに楽しそうだった月城くんの顔が、みるみるうちに申し訳なさそうに曇っていく。僕は慌てて全力で首をブンブンブンと横に振った。違う、そうじゃない。誤解されるほうが嫌だ。
「違う。嫌じゃなかったよ。あれは、すごく、その。は、恥ずかしかったけど……嬉しかったし」
「マジで? 固まってたから、嫌がられたのにやっちまったかもって」
「……嫌だったら、もっと全力で暴れてる」
顔が熱くなっていくのが自分でもわかる。ストレートな表現は恥ずかしすぎてできそうにないけど、ちゃんと伝えなければ。すると月城くんは、心底ホッとしたような顔をした。
「そっか。よかった」
素直に微笑まれ、気恥ずかしくなって俯く。
「でも、湊はやっぱり何か嫌なことがあって、俺に対して我慢してたことがあるんだよな? それは事実だろ?」
月城くんから顔を覗き込まれて、ドキリとした。痛いところを突き刺されてしまう。月城くんはなんでもわかってしまうから、本当に凄い。
「うん。実は、ずっと気になってて。僕……」
言い淀む僕を月城くんが黙って見つめている。
「僕、自分が『ハル』さんの身代わりにされてるんじゃないかと思ってた」
「『ハル』?」
「だって、初めて会った時に『雰囲気が似てる』って言ったの、月城くんだよ。なんか放っておけないって。ずっと……死んでしまったその人を忘れられないんじゃないかって、怖かったんだ」
少し前に、僕がキレ散らかす前に、月城くんはハルのことを話してくれた。あの時、酷く寂しそうな表情をしていたからこそ、ずっと胸に引っ掛かってた。
月城くんは、目を丸くしてきょとんとしている。
「まあ、最初は似てると思った。警戒心丸出しでビクビクしてるところとか、食べ物与えると大人しくなるところとか。自分のペース乱されると、すぐ怒ってシャーって歯向かってくるところとか、そっくりだなって」
ハルさんを思い出しているのか、懐かしむようにそう呟く月城くんはほんのり笑っているようにも思えた。けれど、言われてる内容はだんだん酷くなってきた。
言葉どおりに受け取れば、なんだか「ハル」はものすごく面倒くさい奴みたいだ。そんな人に似てるってことはつまり、僕って月城くんの「面倒くさい」を煮詰めたような存在なのか? ちょっとだけ傷ついた。
「でもやっぱり湊はぜんぜん違うし、身代わりとか思ってないよ」
「本当?」
「ハルは気難しいところも含めて可愛かったけど、湊の扱いの方が何倍も気つかう。すぐ拗ねるし、怯えるし、深読みしすぎるし、落ち込んだらとことん殻にこもって反省会始めるし。地雷踏んだら怖いなって……たぶんハルの方がまだわかりやすい」
月城くんはフォローしてるつもりなのかもしれないけど、追い討ちかけられてる気分だ。
僕は思わず口を尖らせて、月城くんをジト目で睨みつける。
「僕って月城くんにとって、そんな『面倒くさい要員』ってわけ?」
「あー……、確かに面倒だけど、違うんだよ」
月城くんはガシガシと乱暴に後ろ頭を掻きながら、珍しくどう言ったものかと困っている。やっぱり、本当は僕の存在は煙たいのかもしれない。
嫌われてないとは思いたいけど、いちいち気をつかう同級生を部屋に置いておく理由はない。やっぱり彼の希望どおり部屋を変えた方がいい気がする。僕が出ていくしかない。
「僕、別の部屋に移動するから。月城くんが部屋を出る必要はないよ」
「は?」
「身代わりにすらなれてなかったってわかって、なんかよりショックだけど。ハルさんをとても大事にしてたってことは、ちゃんと伝わってた。それなのに勝手に嫉妬したりして、本当に僕、馬鹿みたいだ」
これまでの自分を振り返りながら、僕は静かに続ける。
いつの間にか、僕は月城くんのことを特別に思っていた。友達としてじゃなくて。
月城くんは優しいから、このままだと、彼と一緒にいるのが当たり前になっちゃって、僕はどんどん彼に依存していってしまうかもしれない。そんな自分が嫌だったし、これ以上彼の優しさに甘えて迷惑をかけるわけにはいかない。
僕は、淡々と言葉を選んで、気持ちを紡いだ。
「あんなに後悔して、死なせてしまったって悲しそうに言ってたし。その人の代わりに僕を見て、優しくして、触ってただけなんだよね」
自分に言い聞かせるように呟いた途端、寂しさが募って、涙が滲んできた。
視界がじわりと歪む。月城くんの前では泣きたくないのに、言葉が声になる前に喉の奥につっかえる。
「……やっぱり、ちょっと切なくて、辛かった。でも、もうこれ以上迷惑かけないようにするから。ごめん」
泣き虫な自分を晒してしまうことが恥ずかしい。それ以上何かを口にしてしまう前に、僕は立ち上がった。
「ちょっと待て」
立ち上がろうとした僕の腕を引き止めて、月城くんが座ったまま僕を見上げてくる。
「あのさ、湊。お前、なんか盛大に勘違いしてないか?」
困り果てたような顔で月城くんが僕を見ている。
「俺が部屋を別にしようとしたのは、ハルがどうとか、お前が迷惑とかそういった理由じゃないんだけど」
「え? 違うの?」
月城くんはベッドの上で少し僕ににじり寄ってきた。
あちこちで笑い声が上がり、誰かがスマホで撮った写真を見せ合ったり、もう既に筋肉痛に苦しんでいたり。
テーブルには大量のお菓子が積み上がって、紙コップにはジュースが注がれている。
僕もその輪の中にいた。岡崎くんは「お前のおかげで勝てた」と何度もお礼を言ってきて、そのたびに佐々木くんが「ちょっとは反省しろ」と冷静にツッコんでいた。
山下くんは相変わらず皆の様子を見守っていて、時折僕にも「白倉、疲れてない?」と声をかけてくれる。転校してくる前は、こんな風にクラスメイトたちと一緒に笑える日が来るなんて、想像もしていなかった。
全部、月城くんが引っ張ってきてくれたおかげだ。
打ち上げは短時間で終わって、みんなとお別れして部屋に戻る。
月城くんと二人きりになって、僕はまだ心臓が落ち着かないのを感じていた。今日一日だけで、どれだけ彼に心が揺さぶられただろう。
僕たちの間にあるぎこちない壁は、今日で完全に溶けてなくなった。そう思いたかったけれど。
部屋のドアを開けて、月城くんが「疲れたなー」と伸びをしながら中に入っていく。その広い背中を見ていたら、ふと、以前言われた下くんの言葉が蘇ってきた。
『できればちゃんと二人で話し合って決めてくれると助かるよ』
「……月城くん」
もう、逃げずにちゃんと伝えなきゃ。これ以上、中途半端な関係で甘えたくない。
月城くんが振り返る。いつもの明るい表情のまま、僕の言葉を待ってくれている。そのまっすぐな瞳を見ていると、胸がぎゅうっと苦しくなった。
「あの、さ。山下くんからちゃんと話し合えって言われたんだけど」
「ん?」
「部屋替えの話」
その瞬間、月城くんの動きがピタリと止まった。和やかだった空気が、じわじわと張り詰めていくのを肌で感じた。
「座って話そうか」
優しい声で促されて、おずおずと僕が自分のベッドに座ると、「隣、座ってもいい?」と月城くんが尋ねてきた。無言でうなずくと、月城くんが少し距離をあけてゆっくりとベッドの端に腰を下ろした。その微妙な距離感になぜか寂しさを覚える。
今日、彼の近くに行くことができたと感じたのに。
「その、部屋替えの件だけど。ちょっと言っておきたいことがあって」
「やっぱり、俺といるとストレス溜まった?」
「……えっと、そうじゃなくて」
言葉を選んでいるうちに視線が宙を彷徨う。自分でもどう伝えればいいのか整理できていない。
多分僕が今から伝えようとしていることは、ものすごく自分勝手な言い分だ。
月城くんは、僕がプチ爆発をしてから、僕と接触するのを意図的に避けていたし、これ以上面倒ごとにしたくないのかもしれない。
伝えることで、月城くんが完全に離れていってしまうかと思うと、言葉を紡げなくなった。
月城くんは、そんな僕を見つめながら苦し気なため息をつき、天井を仰いだ。
「あー、今日も嬉しくなってつい抱きついちゃったしな。ほんとマジごめん。嫌だったよな」
部屋に戻ってくるまであんなに楽しそうだった月城くんの顔が、みるみるうちに申し訳なさそうに曇っていく。僕は慌てて全力で首をブンブンブンと横に振った。違う、そうじゃない。誤解されるほうが嫌だ。
「違う。嫌じゃなかったよ。あれは、すごく、その。は、恥ずかしかったけど……嬉しかったし」
「マジで? 固まってたから、嫌がられたのにやっちまったかもって」
「……嫌だったら、もっと全力で暴れてる」
顔が熱くなっていくのが自分でもわかる。ストレートな表現は恥ずかしすぎてできそうにないけど、ちゃんと伝えなければ。すると月城くんは、心底ホッとしたような顔をした。
「そっか。よかった」
素直に微笑まれ、気恥ずかしくなって俯く。
「でも、湊はやっぱり何か嫌なことがあって、俺に対して我慢してたことがあるんだよな? それは事実だろ?」
月城くんから顔を覗き込まれて、ドキリとした。痛いところを突き刺されてしまう。月城くんはなんでもわかってしまうから、本当に凄い。
「うん。実は、ずっと気になってて。僕……」
言い淀む僕を月城くんが黙って見つめている。
「僕、自分が『ハル』さんの身代わりにされてるんじゃないかと思ってた」
「『ハル』?」
「だって、初めて会った時に『雰囲気が似てる』って言ったの、月城くんだよ。なんか放っておけないって。ずっと……死んでしまったその人を忘れられないんじゃないかって、怖かったんだ」
少し前に、僕がキレ散らかす前に、月城くんはハルのことを話してくれた。あの時、酷く寂しそうな表情をしていたからこそ、ずっと胸に引っ掛かってた。
月城くんは、目を丸くしてきょとんとしている。
「まあ、最初は似てると思った。警戒心丸出しでビクビクしてるところとか、食べ物与えると大人しくなるところとか。自分のペース乱されると、すぐ怒ってシャーって歯向かってくるところとか、そっくりだなって」
ハルさんを思い出しているのか、懐かしむようにそう呟く月城くんはほんのり笑っているようにも思えた。けれど、言われてる内容はだんだん酷くなってきた。
言葉どおりに受け取れば、なんだか「ハル」はものすごく面倒くさい奴みたいだ。そんな人に似てるってことはつまり、僕って月城くんの「面倒くさい」を煮詰めたような存在なのか? ちょっとだけ傷ついた。
「でもやっぱり湊はぜんぜん違うし、身代わりとか思ってないよ」
「本当?」
「ハルは気難しいところも含めて可愛かったけど、湊の扱いの方が何倍も気つかう。すぐ拗ねるし、怯えるし、深読みしすぎるし、落ち込んだらとことん殻にこもって反省会始めるし。地雷踏んだら怖いなって……たぶんハルの方がまだわかりやすい」
月城くんはフォローしてるつもりなのかもしれないけど、追い討ちかけられてる気分だ。
僕は思わず口を尖らせて、月城くんをジト目で睨みつける。
「僕って月城くんにとって、そんな『面倒くさい要員』ってわけ?」
「あー……、確かに面倒だけど、違うんだよ」
月城くんはガシガシと乱暴に後ろ頭を掻きながら、珍しくどう言ったものかと困っている。やっぱり、本当は僕の存在は煙たいのかもしれない。
嫌われてないとは思いたいけど、いちいち気をつかう同級生を部屋に置いておく理由はない。やっぱり彼の希望どおり部屋を変えた方がいい気がする。僕が出ていくしかない。
「僕、別の部屋に移動するから。月城くんが部屋を出る必要はないよ」
「は?」
「身代わりにすらなれてなかったってわかって、なんかよりショックだけど。ハルさんをとても大事にしてたってことは、ちゃんと伝わってた。それなのに勝手に嫉妬したりして、本当に僕、馬鹿みたいだ」
これまでの自分を振り返りながら、僕は静かに続ける。
いつの間にか、僕は月城くんのことを特別に思っていた。友達としてじゃなくて。
月城くんは優しいから、このままだと、彼と一緒にいるのが当たり前になっちゃって、僕はどんどん彼に依存していってしまうかもしれない。そんな自分が嫌だったし、これ以上彼の優しさに甘えて迷惑をかけるわけにはいかない。
僕は、淡々と言葉を選んで、気持ちを紡いだ。
「あんなに後悔して、死なせてしまったって悲しそうに言ってたし。その人の代わりに僕を見て、優しくして、触ってただけなんだよね」
自分に言い聞かせるように呟いた途端、寂しさが募って、涙が滲んできた。
視界がじわりと歪む。月城くんの前では泣きたくないのに、言葉が声になる前に喉の奥につっかえる。
「……やっぱり、ちょっと切なくて、辛かった。でも、もうこれ以上迷惑かけないようにするから。ごめん」
泣き虫な自分を晒してしまうことが恥ずかしい。それ以上何かを口にしてしまう前に、僕は立ち上がった。
「ちょっと待て」
立ち上がろうとした僕の腕を引き止めて、月城くんが座ったまま僕を見上げてくる。
「あのさ、湊。お前、なんか盛大に勘違いしてないか?」
困り果てたような顔で月城くんが僕を見ている。
「俺が部屋を別にしようとしたのは、ハルがどうとか、お前が迷惑とかそういった理由じゃないんだけど」
「え? 違うの?」
月城くんはベッドの上で少し僕ににじり寄ってきた。


