境界線を守りたい几帳面な僕が、無頓着な同級生と同室になりました。

 全員参加の体育祭は、午前中で終わる。
 午前中の最後の種目は、クラス対抗リレーだ。これの結果で勝敗が決まる。
 僕たちのクラスは現時点で二位だった。リレーの勝敗次第で十分逆転の可能性はある。体育祭全体の順位はさほど気にならないけれど、クラスメイトたちはわりと盛り上がってる。

「白倉、お疲れ。よかったな」
 テントに戻るなり山下くんが声をかけてくれた。五位なんていうへぼ順位なのに、労われてしまう。
「……よくないよ。五位だもん」
「そうじゃなくて、仲直りできてよかったなって」

 ついさっきまではお互いに気まずい雰囲気だった僕と月城くんが、障害物競走をきっかけに、完全ではないけれど、ちょっとだけ関係の改善が図られている。
 山下くんはそれを見抜いているらしい。寮長を任せられるくらいだから、そういう人と人との関係には目敏いのだろう。

「月城くんとは、別に喧嘩してたわけじゃないから……」
「はいはい」

 生返事で流される。これ以上ツッコまれると恥ずかしくて死にそうになるので、僕は大人しく黙ることにした。
 月城くんはちょうどトイレに行ってて不在だ。なんとなく、彼がいる前でこの話題をされなくてホッとした。

 自分の出番が終わって肩の荷が下りたので、僕はゆっくり休ませてもらおうと、テントの隅に座って一息ついた。朝からずっと憂鬱だったけど、今は清々しい気分だ。むしろ月城くんが走っているところをきちんと見たことがないので、リレーがちょっと楽しみかもしれない。
 
「月城、そろそろ出番だから行くぞ」

 ちょうどテントに戻ってきた月城くんに山下くんが声をかけると、月城くんがテント内をぐるりと見渡す。

「岡崎と響は? もう先に行った?」
「さあ、体育委員の仕事で呼び出しくらったんじゃね?」
「次、本番で出場する選手なのに?」
「そうだなあ」

 山下くんが顎に手を当てながらのんびり構えている。あまり深刻に考えていない様子だ。
 しかし一通り時間が経過しても二人は一向に戻ってこなかった。さすがにそろそろ準備しなければいけない。

「ふたりとも遅いな……なんかあったか?」
「一応、救護室覗いてみるか」

 月城くんがテントを出ていこうとしたのと入れ替わるように、青い顔をした岡崎くんと、ニコニコした佐々木くんがテントに戻ってきた。

「あ~、よかった。白倉がいた」

 佐々木くんは僕を見つけるなり、にこやかな表情のまま口にした。その笑顔を見て、ものすごく嫌な予感がする。

「悪いんだけどさ、俺、実はちょっと足を捻挫したっぽくて」
「は?」
「え?」
 僕と月城くんの驚く声が重なる。

「ついさっき階段で足を踏み外してさ。たいしたことないと思ったんだけど、結構腫れてて。さすがに走れそうにないんだ。悪い」
 
 佐々木くんはご丁寧に自分の右足首を指さした。なるほど、たしかに靴下の上から見てもわかるほどに腫れている気がする。この状態ではとてもではないが全力疾走は不可能だ。……というか、わりと痛いだろうに、そんな素振りは全くみせていない。こんな時に冷静でいる佐々木くんはさすがとしか言いようがない。が。
 それよりも。僕は重大な事実に気がついてしまった。
 佐々木くんがテントに入ってくるなり、僕の名前を呼んできた理由。

「あの、ということは……もしかして……」

 言葉を濁す僕をまっすぐに見据えながら、佐々木くんは軽やかに笑った。いや、だめだ。想像通りのことを言おうとしているに違いない。

「悪いけど、白倉。代わりに出てくれない?」
「え、いや、でも」
「よろしく頼む。補欠だし」
「そ、そういう問題じゃなくて、……僕、絶対」

 無理、と言いかけた言葉をのみ込んだ。佐々木くんの隣にいる岡崎くんが、なぜか真っ青な顔をしているからだ。
 
「ごめん、白倉。佐々木が怪我したの、俺のせいなんだ」
「え?」
「俺が階段を駆け下りててぶつかりそうになって、それを佐々木が回避しようとして、派手にこけたんだ……ほんとごめん。さすがにこの状態の佐々木を走らせるわけにはいかないし。お前がリレーに嫌な思い出あるのも知ってるけど……」

 泣きそうな顔をしている岡崎くんを見て、逆に少し冷静になる。
 岡崎くんは確かに悪いかもしれないけど、事故だ。彼が意図してやったことじゃない。自分のせいで誰かが傷つくことの辛さは僕も知っている。

 ただ、それ以上に僕の個人的な問題としてリレーは怖い。どうしようもなく怖い。
 というかそもそも嫌な思い出どうこうというより、僕はバトンパスができないのだ。どうしても他人と領域を重ねることができない。できないのに、前の学校では真面目にやれって怒られたし、誰も僕の恐怖を理解してくれない。
 じわじわと記憶が蘇ってきて全身の肌が粟立つ。
 練習のときですら、手が震えてしまったのに、ぶっつけ本番で成功できるわけがない。
 何より、これは僕ひとりの問題じゃない。
 僕が代わりに走っても、絶対失敗する。みんなの足を引っ張って、またクラスのみんなに迷惑をかけることになる。
 岡崎くんに何を言われても、最初の時点で補欠すら断るべきだったんだ。今さら走れないって言ってもまた迷惑になる?
 困惑して立ち尽くす僕の目の前に、影が落ちた。

「湊」
「月城くん……」

 ずっと黙って成り行きを見守っていた月城くんが、僕の顔を覗き込んできた。視線が絡まると、にっこりと笑顔を向けられる。

「いいから出よう。一緒に走ろうぜ、湊」

 こちらの不安なんて一切受け付けないと言わんばかりの断言だ。僕の事情は伝えているはずなのに。
 いつもの自信に満ち溢れた月城くんの顔を見て、なぜか僕の心臓はうるさく跳ねた。