黒瀬くんのひみつ

 黒瀬くんと一緒にいる時間が増えたのは、偶然が重なったからだと思う。

 委員会の仕事、図書室での調べ物、放課後に先生に呼ばれた帰り道。どれも特別な出来事じゃないのに、気づけばその隣には黒瀬くんがいた。

「平川先輩、帰り同じ方向ですよね」

「え、あ、うん……」

 声をかけられるたび、少しだけ心臓が跳ねる。断る理由も、嫌な理由もなかった。ただ、理由のない落ち着かなさが胸の奥に残るだけで。

 校門を出て並んで歩くと、黒瀬くんはいつも、ほんの少し歩幅を緩める。意識しているのか、していないのかは分からない。でも、その距離が妙に心地よくて、同時にくすぐったかった。

「……黒瀬くんは、部活入らないの?」
「今のところは。やりたいのが見つからなくて」
「そっか」

 会話は短く、途切れがちだ。それなのに沈黙が重くならない。不安になって、無理に話題を探さなくてもいい空気がそこにはあった。沈黙が怖くない相手なんて、家族以外にできたことがあるだろうか。

 図書室でも、自然と向かいの席に座ることが増えた。黒瀬くんは静かに本を読む。ページをめくる音すら控えめで、まるで最初からそこに存在していたみたいに、周囲に溶け込んでいる。

「…ねえ、黒瀬くん」
「はい」

名前を呼ぶと、すぐに本を閉じてこちらを見る。

「何の本?」
「心理学です」
「難しそうだね…」
「面白いですよ。人がどうして同じ行動を繰り返すのか、とか」

その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

僕は、何度同じことを繰り返してきただろう。
他人に合わせて、嫌なことも笑ってやり過ごして、選べなくて。そうして気づいたときには、誰も隣にいなくなる。過去の記憶がいくつも浮かび上がって、慌てて視線を本に落とした。

「平川先輩は?」
「え? あ、えっと……小説」
「どんな?」
「恋愛、かな……」

 言葉にした瞬間、顔が熱くなった。どう思われるかが怖くて、視線を上げられない。けれど黒瀬くんは、少しだけ目を見開いたあと、静かに言った。

「いいと思います」
「……え?」
「感情を知るのに、一番分かりやすいですから」

 慰めでも、からかいでもない。ただ、自分の考えをそのまま口にしたような声だった。その一言が、不思議なくらい胸に残った。

『不思議な子。』

 最初はそう思っていたのに、いつの間にか、その“不思議”が心地よくなっている自分に気づく。

ある日の帰り道、黒瀬くんは唐突に言った。

「俺、秘密があるんです」
「……え?」
「平川先輩には、いつか言います」

あまりにも前触れがなくて、言葉に詰まる。

「な、なにそれ……? 気になるよ」
「今は、内緒です」

 ほんの一瞬、口元が緩んだ気がした。その表情を見た瞬間、胸がどくんと鳴る。

「……」
「そのうちです」

 それ以上、黒瀬くんは何も言わなかった。けれど、その「秘密」は、僕の心に小さな引っかかりを残した。家に帰っても、ふとした拍子に思い出す。黒瀬くんの声、視線、並んで歩いた距離。

どうして、僕に?

 特別なことをした覚えはない。それなのに、黒瀬くんといると、無理に笑わなくていい自分でいられる。その事実が、嬉しくて、同時に怖かった。

また、大切になってしまったら。
もし失ったら、きっと今度こそ立ち直れない。

「……明日も、会えるかな」

 そんなことを考えてしまう自分に、はっとする。
黒瀬くんの「秘密」が何なのか、今は知らないままでいい、と思った。

知ってしまったら、もう戻れない気がしたんだ。