あさきゆめ

私は町の道の中心の噴水まで来て、石垣に腰を下ろした。誰かと待ち合わせをする場なのだろうか、噴水の前では待ち人を待つ風のカップルや家族連れがたくさんいた。

「ふーんふーんふーーーん」私はその中に溶け込むようにして、鼻歌を歌う。

心臓に感情が宿る。目が、暗闇に満ちる。真っ黒な、目。夜の城の暗闇。ここはなんて明るい。素晴らしい。私が待つ朝も、きっとこのようであればいい。

「光音」私は魔術の表題をささやいた。

魔力のない普通の人には見えない光が、私を中心に空間中に広がっていく。この光は毒。空間をゆっくりと拡散する見えない光が、空気を伝わって人々の呼吸から体内に入っていく。

この毒はすぐには作動しない。

最初は風邪のような症状を呈し、三日間の発熱が始まる。
運が良ければ、それで体が慣れてそれ以上症状が進むことはない。発症率は90%。その咳と呼気が他者への感染を促す。

発熱の症状ののち、進行すれば心臓の挙動が弱る。なるべく苦しまずに殺してあげようと、300年以上前に考案した光の毒だ。
運が良ければ、それで死ぬ。ここまでに発症した二人に一人が死ぬ。

心臓発作で死ねなかったものは、呼吸発作で死ぬ。呼吸発作で死ななかったものは、多臓器不全で死ぬ。

そしてこれは空気感染であり、拡散し続ける光の毒なので、人口密集地域で、感染を逃れるすべはない。

単純に、空気の薄い、拡散しづらい、高所地帯に逃れるのが、この光音から逃れる数少ない方法だ。光の毒は伝染病の病原菌ではない、単純な見えない毒なので、やがて空気中に引き伸ばされて大気に解毒され、消えるが、それでも発生源を中心に数年間は人々を蝕む類の毒だった。

私は人には見えない光が、街に漂うのを見ると、魔術を止め、噴水の広場を去った。毒は人を介して人伝いに移っていくので、大量に放出した光の毒の濃度から、これで数年伝染し続ける病となるだろうと思って、離れた。


不死者たちが守衛の一団を突破して私の側につく。

私たちが門に向かってまた歩いてくるのを見て取ると、兵士たちが街の外へ逃がさないように城門の前で剣を構え、また城壁の上へ登って弓兵を招集していた。

隣にいるミエルという不死者が魔術の詠唱を始めた。

城門が破裂する。破裂というよりは爆発か。それと同時に他の不死者たちも次々と魔術を詠唱し始める。四方八方爆発、破裂。人の肢体が吹き飛び、家や城壁の欠片が飛ぶ。


私は適当に自分に障壁を張りながら、飛翔してくる瓦礫や血の雨を止めた。

私は破壊された城壁を乗り越えながら、後ろを振り返り、ビアの兵士と人々に言う。

「街に病気の人が出始めたなら、街を出て、山へのがれなさい。その時に、忠告に従わず、街に留まる人々は不幸だ」

そう言い残して、追撃してくるビアの兵士への対応は不死者たちに任せた。

まぁ病人が出始めた段階で他の人々も手遅れに近いのだけど。
運が良ければそれでも感染しないで済むかもしれない。


そして私たちがロアンまで戻るころには、聖王国で致死率の高い伝染病の噂が出始めていた。



8

聖王国南部で伝染病が広まっているからか、それともそもそも招集が捗っていないのか、半年たっても王国軍の襲来はなかった。

その間に私は旧知のネフィリムたちに使いを遣わして接触を図っていた。声をかけた14名のうち、返信があったのは三名。その内こちらに協力してくれるというのは一名だけだった。

ネフィリムとは人間とエルヨのハーフで、様々な部族があるが、その内仲間になりそうなものに声をかけていた。

エルヨの血が入っているので、魔術を天然で扱えるが、国を持たず、部族単位で動き、族長の意見が絶対という種族なので、個別の勧誘はなかなか難しかった。


ネフィリムは人間を略奪の対象として、国々をイナゴのように襲っては移動を繰り返しているが、時にエルヨにも牙をむく私たちにとっても危険な種族ではあった。

魔術を扱える数千のネフィリムの集団は、下手な国家を相手にするより遥かに厄介だ。

百年前も人間の軍勢の撃退で手一杯だったところに、盟友関係にあったネフィリムの部族の裏切りにあい、一気に敗北したという手痛い記憶がある。

とにかく手ごまが足りない。
アドカヤ制圧の戦役でグールたちの数が6000体まで落ち込んでいたし、グール志願者の数もそれほど多くなく、特にグールになり立ての頃は手駒として使いづらい。

グールとして夜の城で半年ほど配下の不死者たちに心構えを教えさせて、不死者になるための精神耐性の基礎教育、不死者とエルヨへの忠誠を教え込む必要もあった。

なので半年経っていないグールはグールの数に含めていない。

現在のグール増加数は一日に6体から7体ほど。

一年におよそ2400体だ。

配下の不死者には二週間に一体のグールをどのような手段によってでもいいから創れ、と指示してあるから、手段を問わず、一年に2400体のグールが増える。

それとは別に、アドカヤの住民からのグール志願者が少しいるから、年間のグール増加数はもうちょっと増えるはずだ。

やはり誰でも、寿命を超越できる可能性にすがりたいという欲求はあるのだ。

とにかく劇的なグール増加が見込めない以上、少しでも時間を稼いでグール数を増し、かつ敵軍との戦闘でグールを極力減らさない必要があった。

グールを増やすには不死者を増やすのが手っ取り早いが、私は気に入ったわけでもない人間に血を与えるのは嫌だ。困ったことにルキフグスも私と同じだった。

だから、ネフィリムの協力が欲しいという、単純な発想ではあった。

グールを増やすにはまず人間が必要で、人口を増やすために支配地域を増やす必要がある。
人間からグールを造るには不死者が必要となり、不死者は戦力としても大いに期待できるから、多ければ多いほどいい。
そして不死者を造るにはネフィリムとエルヨが必要で、私たちは計算に入らないから、ネフィリムに声をかけて協力を得なければならない。

わたしは自分の血を分けた側近の七人の不死者を側に置いている。
ルキフグスも同じように9名の側近の不死者がおり、それらの不死者にはお互いに干渉しないことにしている。
魔王擁立の折にも、私たちの血を分けた不死者は数に最初から入れてない。
だからもし不死者すべてで最も優秀なものを算定したら、魔王役はサクロではなかったかもしれない。






私は夜の城の自室で、ルキフグスと紅茶を飲んで、地図を見ながら今後どうするか話し合っていた。

ルキフグスは言う。
「いっそのことクロワに攻め込んで、クロワの領国を占領してしまうのはどうでしょう。貴方の魔術でクロワには伝染病が広がっておりますし、軍勢を招集できていない状態にあります。弱体化したこの州を、今のうちに占拠してしまうというのは」

私はルキフグスに言葉を返す。

「そうなると夜の城を守る軍勢、アドカヤを守る軍勢、そしてクロワに侵攻する軍勢、の三つが必要になる。夜の城を守るのはルキフグスがやるとして、アドカヤを守るのは私とその不死者たち。魔王にはクロワに侵略してもらう形になるかしら?」

ルキフグスはいいえ、と首を振る。

「サクロにはロアンを与えているから、彼女をロアンから動かすことはできません。侵略するとなると、貴方が軍勢を引き連れてクロワに攻め込んでいただきたいです」

私はふぅとため息をつく。
「面倒くさい…。それじゃあ何のために魔王を擁立したかわからないじゃない。こうしましょう、ロアンの統治する権利はサクロに与えたままで、私はそれを警護する守備兵団として駐留する。クロワを攻略すれば、クロワとその州都ビアはサクロにまた与える。ついでに私の血を一滴ほど添えて」


サクロには私の血を少しだけ飲ませてある。アドカヤ攻略を完了したから、約束通りその褒美に。サクロはなかなか面白い人物だし、役割も快諾してくれているから、血を与えるのに抵抗はなかった。

ネフィリムの血とエルヨの血を飲んだサクロは、それから数週間発熱して、苦しんでいたが、やがて体がなじんだようで、前線に復帰している。

私の魔力も少しばかり分与されたはずで、総合的な魔力も上昇したはずだ。


ルキフグスはサクロに伝える指示をまとめる。
「サクロたちには五千のグールを振り分けます。その編成と塩梅は任せるとして、クロワ攻略と、その州都ビアの陥落を指示します。クロワの統治管轄はすべてサクロに任せますが、税収の五割は夜の城へ。また新規に創り出されるグールの全ては私たちの所有となります。という条件でサクロに伝達します。残った成体のグール千体はサリエルに割り当て、アドカヤ守護に使います。夜の城の守護は私が担当します」

私は追加で、ルキフグスに伝達するようにこう頼んだ。
「遊ばせてる不死者を魔王軍に割り当てましょう。そろそろ聖王国の軍とぶつかる可能性も出てきたから、グール生産に充てている不死者のうち、五十名をサクロの配下につけましょう。これなら王国の正規軍相手にも戦力的にも負けないでしょうし」

今まで温存してきた不死者の大半を割いてサクロの軍に振り分ける。これなら聖王国の軍勢が攻めてきても十分迎え撃てる戦力になるはずだ。

潜伏させている斥候の不死者によれば聖王国の軍勢は2万五千から3万五千人。

60名の不死者たちと五千のグールなら、互角以上に戦えるという算段が経験上私には計算できた。

一騎当千の不死者が60名いれば、その突貫力から、相手の陣形の維持、心理的圧力、魔術による未知の攻撃からの恐怖、乗数的に上昇する魔術による火力、などが加わって、一騎当千以上の戦果を出すことが多いことが経験上分かっていたから、恐らく数の上では劣勢でも、勝つだろうと見込んでいた。

ルキフグスは笑う。
「それならクロワ攻略は簡単ですよ。確実に落ちます。伝達しますね」といってルキフグスは出ていった。

不死者たちはその多くが百年前の戦争で造った軍勢の生き残りだ。名のある人間の、さらに才能も経験も豊富な猛者たちを、不死者にして、育て上げた、選良の中の選良たちだ。

これを総動員するのだから、この国は最低でも落とさないと、この先の侵略が厳しい。

クロワと言わずに侵略できるところまで侵略してもいい、と私は追加で伝令をルキフグスに送って、久々に眠りについた。

9

眠りから覚めると、強い風が吹きつけて、レースを巻き上げていた。今日は天候が荒れているよう。雨も降っていた。

部屋の隅で、ソファにルキフグスがいつものように座っている。

私がおはよう、と声をかけると、彼女もおはよう、と返した。

「また長い間お眠りになっていましたね。三年間眠っていました。魔術を使ったせいかもしれないですね。人間たちが聖伐を開始しました。おかげで領土は奪われ、振り出しに戻りました」

聖伐…人間がエルヨやネフィリムを、まとめて討伐する死に物狂いの反撃のこと。エルヨやネフィリムの勢力が、一定程度人間の国々を襲い、奪うと、開始される、人間による最大限の攻撃だ。

こうなるとこの地方の人間世界は一致団結し、あらゆる資源を動員して、エルヨとネフィリムに攻撃を仕掛ける。

しかしまだ侵略を開始したばかりで、とても聖伐の原因となるとは考えられない。
恐らく私たちの他にも、人間世界を侵略していたエルヨやネフィリムがいたのだろう。私たちはその巻き添えを食らってしまったのだろうと思った。

私はルキフグスに言う。
「どういう状態になったの? 領土と軍は」

「領土は夜の城と、砦だけを守ってあとは失陥しました。クロワ攻略にあたっていたサクロの軍とアドカヤ防衛についていた守備隊は早期に撤退させたため、それほど失いませんでしたが、それでもグールは三千体まで減少しました。不死者の損失は五名で、残った不死者は89名です。今回の聖伐は私たちがメインの対象ではなかったようなので、この程度で済みました」


百年前は私たちが聖伐のメイン対象で、フルボッコにされたから、今回対象にされた魔族は哀れだ。