私は城主の間を後にして、いとやんごとなき大王の一族様をどうしてこの国の民と兵士が犠牲になって守らなければならないのか、歯がゆかったが、祖父もイワベ様も既に命を投げ出す覚悟で動いているのだから、私もそれに応えないわけにはいかなかった。
尽くすに値する人々なのか、いまから非常に不安になった。
「魔王」
城主の間を去って歩いている廊下で、通り過ぎた従者が、突然そんなことを言った。
「魔王が来ます」
その声は私に向けている気がしたので、私はその従者に振り返った。
「悪いけれど、なんて?」
従者は無邪気な少年のような幼さを残した可愛らしい顔をしていた。
その顔に笑みを浮かべた。
「私たちの魔王がもうすぐきます。あなたは私たちの魔王を守ってください。すぐに彼のもとへ行ってください。大王族の首と呪物を土産にすると喜ばれますよ」
私は驚いて「何言ってるの?」と思ったことをそのまま口にした。
すると従者は不思議そうな顔をした。
「え、サダメ様はまだ思い出していないのですか? もう25歳にもなったのに」
なんだかわからないけれど、面と向かって失礼なことを言われた気がして、一瞬頭にきたが、すぐに心をなだめた。
「何の話? 言っている意味が分からないの」
従者は考える風をして、また笑みを作った。その笑みは嬉しそうで、嫌みがない。
「貴方は魔王を支える十人の枝の一つですよ。ぼくはその配下のダイモーンです。魔王はいまメシアの襲来に備えて呪物と物資と仲間とお金を集めています。あなたにもその内、声がかかりますよ。ではお元気で」
そういうと少年従者は歩み去ってしまった。
遠巻きに様子を見ていたササキがムラキに言う。
「なんだあいつ、頭おかしいんじゃないか」
ムラキはササキに言葉を返す。
「何の話をしているのかわかりかねて、止めに入れなかった。言葉が出なかったというか。しかし大王族の首を、という下りはまずいんじゃないか? 問いただしておかないと…」
私は後ろで囁きあう二人を制した。
「気にしなくていい。知り合いだから。それより寺に行きましょう」
初めて見る少年だったけれど、妙に親しみが湧いて、ふざけてるのだろう、ということにして、庇っておいてあげた。
どうせここの従者ならもう会うこともない。死ぬかもしれない運命の子だ。放っておいてあげようと思った。
そして私たちは寺に向かった。
7
法安寺には大王の一族が泊まり込んでいて、周辺の民家には一族の付き人たちが住民に泊めてもらっているらしい。
この大王の一族は「瑞葉」という一族らしく、苗字に漢字を使うことを許されているらしい。この列島では華族や王族は漢字を名前に使うことが許され、国主に代表される武家はカタカナ。農民や商人などの一般人はひらがなで名前をあらわされる。
王族にも品格があり、下位の王族は「王」中位の王族は「大王」上位の王族は「帝」とあらわされる。
帝は黄昏の時代にこの列島を支配した時代の皇帝であり、そのルーツは日本神話まで遡るらしい。源流ではないようだが。
黄金の時代までは天皇という一族が王家であったらしいが、艱難の時代にその制度が途絶えてしまった。黄昏の時代の文明再建の試みの時に、民衆統率のために再び王政の必要性が生じて、還俗していた元天皇家の後裔に声がかかったらしい。
今の王族はその再建に失敗した帝国の残照と言える。
それでも、今では再現できない呪物の制作がされた時期の国の王族であるので、その遺産に高品等の呪物を保持している点で、現代においても無下に扱われることがない一族だとされている。
また列島全体を形骸上統治しているとされる「国体」という政治組織において、いまだに列島の王家として扱われている。
まぁ国体自体が実体のない、領土を持たない政治組織で、列島の分裂し分権化した国々を統合していこう、という理念を掲げる団体であるらしい。
争いが絶えないのは単純に政治の中枢が列島に幾つもあるからであり、地域のそれぞれが分離独立しているから、古の時代のように列島を統一国家として確立し、文明の再建を目指し、大陸からの侵攻にも備えようということらしい。
「西から大群が来る。末法の時代。それはイナゴのように来る」
古い時代のどこかの言い伝えがある。150年ほど前ユーラシア大陸の北部では、珍しい大帝国が築かれたらしく、文明の再建の試みを始めているらしい。それに危機意識を持ったのは周辺の国々だけではなく、この列島もそうだ。最近では既にカムチャッカ半島まで迫ってきているらしいから、列島への南下も時間の問題だろうというわけだ。
そうはいっても現実的に列島は政権が分立していてそれどころじゃないので、侵略されたらそれまでだろう。
列島は80を超える国主と無数の領主からなっており、国主はそれぞれ独立した自治を持つ。
三百年以上この状態が続いているから、この列島のかつての名称である日本という名前は、もはや単なる地域名をあらわすものでしかなくなっていた。
大王の一族、「瑞葉」という一家は、五人いるらしい。
祖母、父母、娘二人。
父親である瑞葉清人様が当主らしく、最低でもこの方には会っておく必要がある。
瑞葉家の保有している呪物は特品が一つと、一品が一つ。二品等が三つ、三品等以下が七つという弱小国の国主か大国の領主が保有する呪物並みの数を保持していた。
その他に家財と金品を持ち込んでいるらしいが、それはどの程度であるかは知らなかった。その金品から私たちも養ってもらう算段なわけで、彼らの金品の量には期待しているところがある。
瑞葉家は呪物を保有しているだけで法術が扱えるわけではないらしく、呪物は人に移植されていない原形のままで所有しているらしい。
私か配下にくれないかなぁ、と密かに期待しつつ、瑞葉家の当主に挨拶に行った。
「金剛の領主、ムラナカ家の娘のサダメと申します。大王家の守護を仰せつかっております。以後よろしくお願いいたします」
私は瑞葉清人様に面会して、礼をしながらそのように挨拶した。
清人様はやや垂れ目で、温和そうな瞳で笑みを返しながら答えた。
「よろしく。フクワラ氏始め、この国の国主様とご重臣の方々には感謝の言葉も思いつきません。あなたも、私たちを護衛してくれるとか。ありがたく思っております」
謙虚な方で、わざわざ頭を下げている私に、腰を曲げてこちらの目を覗くようにそう返してくれた。
いい人っぽい。
「私も全霊をもってお守りいたします。あまり時間がありませんので、準備にあとどれほどかかるかお教え願えますか?」
清人様は答える。
「うん、そうだね、明日朝までにはなんとかなると思っています」
明日朝。どうなのだろう、祖父の砦がすぐに陥落するわけではないにしても、砦から山城まで半日ほどの距離にある。
人が命を削って稼いでいる時間の深刻さを、伝えたほうがいいだろうか迷った。
私はちょっといらいらしていた。
「できれば夜までに、準備していただきたいのですが。夜闇に紛れての脱出のほうが警護上都合がいいものですし、万が一にも敵がすぐに砦を突破すれば、朝では間に合いません」
清人様は少し考える風をして言った。
「わかりました。不必要なものは置いていくように指示して急がせます。ご迷惑をおかけします」
と神妙になった。
その後ほかの家族の方にも紹介していただいたが、私は出立とその準備に焦っていて本当に印象に残っていない。
連日の移動移動と急展開で、私は結構疲労していた。
挨拶を済ませると三人の兵と従者たちを集めて出立の準備と必要事項の確認、準備が済むと瑞葉家の準備完了待ちで、私たちは今後の身の振り方をどうするか、という話題で適当な雰囲気で雑談して気を紛らわせながら時間を潰していた。
8
虚空に浮かんでいた。また、空にいる。星々の距離が近い。月が大きくて、白銀に輝いている。
私はまたいつの間にか死んだのだろうか。また天国に戻ってきたのだろうか。
永遠に宇宙を漂う、この世界で。また、誰かから声をかけられるのを待つのだろうか。
「こんにちは」
また、誰かの声がした。あの時のように。
「こんにちは、誰ですか?」
わたしはまた以前と同じように返した。
「ぼくはゴマフアザラシだよ。また死んじゃったね」
落ち着いた心持で私はそれを聞いていた。
「そうなんだ。死んだときの記憶がないのだけど、なぜ私は死んだの?」
「すいじゃくしー。きみ、霊能の才能はすごいのに、心が弱いんだね。まさか疲労でそのまま死んじゃうとは思わなかったー」
「え、でもわたし死んだら地獄に落ちるんじゃ…」
「そうなんだけど。まだ役割こなしてないから、神様の特権で宇宙に呼んだの」
なんだか夢見心地で、感情がわかない。麻酔をかけられているように感情が鈍磨している。
「また一から転生させると大変だから、起き上がって頑張って」
「いや、もう死んでるんでしょう? 死んだ者は蘇らないよ」
正直わたしはもう地上でしんどい思いをしたくなくて、生き返るのを拒否した。
「いや、いや、僕が力を貸すから。がんばってー」
私は即答する。
「いやです。疲れたからしばらく天国漂う」
「いや、いや、お願い、頑張って。闇のメシアもなんかやる気ない感じだし、このままじゃ光の陣営が圧勝しちゃう! がんばってー!」
神のくせになんで闇の陣営を応援しているんだろう。でもわたしは今回の人生に疲れていたから、もう嫌だった。
「それも神のご遺志なのでしょう。光の陣営が勝って、預言が成就して、ハッピーエンドじゃない。めでたしめでたし」
私はそう言って、話を切り上げようとした。
「待って。お願い、それじゃあ話が終わらないの。闇の陣営に参加してくれた魂たちがかわいそうなの。みんな地上で苦労してるから。君が欠けるともう勝ち目無いの。みんなかわいそう」
「泣き落とし? 私だってかわいそうだよ」
「助けて。闇の陣営にはぼくのアザラシたちの魂も参加してるの。助けて。たくさん、助けて。いっぱい助けて。闇に眠らせないで。みんないろんな人生でつらい目を見てきたの。ぼくの選りすぐりなの。君もアザラシにしてあげるから、助けて」
全然魅力的じゃない提案だけど、言葉には感情が込められていて、なんかほだされそうになった。
「アザラシにはなりたくないけど、もう一回だけだよ。どうせなら子供からやり直したいんだけど…」
「目を覚まして」
夜の闇の中で、私は目を覚ました。
目の前にはアベやムラキがいて、素っ頓狂な声をあげた。
「サダメ様! 生きておられたのですね!」
「なに? やっぱり死んでた?」
私は夢の内容を覚えているので、驚かなかった。
「呼吸止まってました! 心臓も!」
「疲れたから止めてただけ。それより今どういう状況?」
冗談を言いながら質問すると、アベが動揺しながら答える。
「王様方の用意ができたので、厠に行ったお嬢様を呼びに行ったら、道端で倒れられていたのです。呼吸も浅く、ひどい熱があったので、僧たちを呼んで、横にさせました。すると間もなく呼吸が止まって、心音もなくなりました。大急ぎで医者を手配し、ムラキとどうすればよいか相談していたところです」
やっぱり死んでたんだ。あのアザラシ神本当にすごいのかも。生き返らせる力があるなんて。ありがたや。
「そう。じゃあ出発するよ。関係するものに伝えて、すぐに発つ」
私は寝起きの不機嫌さを倍にしたような機嫌の悪さであったけれど、そう指示を出して立ち上がった。
アベが支えようとして駆け寄るのを手で制した。
「大丈夫。歩ける」
私がすたすたと歩いて見せると、二人はようやく安心したような笑みを見せた。
その日の深夜のうちに出発すると、法安の城の門は閉ざされ、山道の関所も封鎖された。もう後戻りはできない。
気になるのは、闇のメシア、という単語と、その陣営、という言葉だった。
尽くすに値する人々なのか、いまから非常に不安になった。
「魔王」
城主の間を去って歩いている廊下で、通り過ぎた従者が、突然そんなことを言った。
「魔王が来ます」
その声は私に向けている気がしたので、私はその従者に振り返った。
「悪いけれど、なんて?」
従者は無邪気な少年のような幼さを残した可愛らしい顔をしていた。
その顔に笑みを浮かべた。
「私たちの魔王がもうすぐきます。あなたは私たちの魔王を守ってください。すぐに彼のもとへ行ってください。大王族の首と呪物を土産にすると喜ばれますよ」
私は驚いて「何言ってるの?」と思ったことをそのまま口にした。
すると従者は不思議そうな顔をした。
「え、サダメ様はまだ思い出していないのですか? もう25歳にもなったのに」
なんだかわからないけれど、面と向かって失礼なことを言われた気がして、一瞬頭にきたが、すぐに心をなだめた。
「何の話? 言っている意味が分からないの」
従者は考える風をして、また笑みを作った。その笑みは嬉しそうで、嫌みがない。
「貴方は魔王を支える十人の枝の一つですよ。ぼくはその配下のダイモーンです。魔王はいまメシアの襲来に備えて呪物と物資と仲間とお金を集めています。あなたにもその内、声がかかりますよ。ではお元気で」
そういうと少年従者は歩み去ってしまった。
遠巻きに様子を見ていたササキがムラキに言う。
「なんだあいつ、頭おかしいんじゃないか」
ムラキはササキに言葉を返す。
「何の話をしているのかわかりかねて、止めに入れなかった。言葉が出なかったというか。しかし大王族の首を、という下りはまずいんじゃないか? 問いただしておかないと…」
私は後ろで囁きあう二人を制した。
「気にしなくていい。知り合いだから。それより寺に行きましょう」
初めて見る少年だったけれど、妙に親しみが湧いて、ふざけてるのだろう、ということにして、庇っておいてあげた。
どうせここの従者ならもう会うこともない。死ぬかもしれない運命の子だ。放っておいてあげようと思った。
そして私たちは寺に向かった。
7
法安寺には大王の一族が泊まり込んでいて、周辺の民家には一族の付き人たちが住民に泊めてもらっているらしい。
この大王の一族は「瑞葉」という一族らしく、苗字に漢字を使うことを許されているらしい。この列島では華族や王族は漢字を名前に使うことが許され、国主に代表される武家はカタカナ。農民や商人などの一般人はひらがなで名前をあらわされる。
王族にも品格があり、下位の王族は「王」中位の王族は「大王」上位の王族は「帝」とあらわされる。
帝は黄昏の時代にこの列島を支配した時代の皇帝であり、そのルーツは日本神話まで遡るらしい。源流ではないようだが。
黄金の時代までは天皇という一族が王家であったらしいが、艱難の時代にその制度が途絶えてしまった。黄昏の時代の文明再建の試みの時に、民衆統率のために再び王政の必要性が生じて、還俗していた元天皇家の後裔に声がかかったらしい。
今の王族はその再建に失敗した帝国の残照と言える。
それでも、今では再現できない呪物の制作がされた時期の国の王族であるので、その遺産に高品等の呪物を保持している点で、現代においても無下に扱われることがない一族だとされている。
また列島全体を形骸上統治しているとされる「国体」という政治組織において、いまだに列島の王家として扱われている。
まぁ国体自体が実体のない、領土を持たない政治組織で、列島の分裂し分権化した国々を統合していこう、という理念を掲げる団体であるらしい。
争いが絶えないのは単純に政治の中枢が列島に幾つもあるからであり、地域のそれぞれが分離独立しているから、古の時代のように列島を統一国家として確立し、文明の再建を目指し、大陸からの侵攻にも備えようということらしい。
「西から大群が来る。末法の時代。それはイナゴのように来る」
古い時代のどこかの言い伝えがある。150年ほど前ユーラシア大陸の北部では、珍しい大帝国が築かれたらしく、文明の再建の試みを始めているらしい。それに危機意識を持ったのは周辺の国々だけではなく、この列島もそうだ。最近では既にカムチャッカ半島まで迫ってきているらしいから、列島への南下も時間の問題だろうというわけだ。
そうはいっても現実的に列島は政権が分立していてそれどころじゃないので、侵略されたらそれまでだろう。
列島は80を超える国主と無数の領主からなっており、国主はそれぞれ独立した自治を持つ。
三百年以上この状態が続いているから、この列島のかつての名称である日本という名前は、もはや単なる地域名をあらわすものでしかなくなっていた。
大王の一族、「瑞葉」という一家は、五人いるらしい。
祖母、父母、娘二人。
父親である瑞葉清人様が当主らしく、最低でもこの方には会っておく必要がある。
瑞葉家の保有している呪物は特品が一つと、一品が一つ。二品等が三つ、三品等以下が七つという弱小国の国主か大国の領主が保有する呪物並みの数を保持していた。
その他に家財と金品を持ち込んでいるらしいが、それはどの程度であるかは知らなかった。その金品から私たちも養ってもらう算段なわけで、彼らの金品の量には期待しているところがある。
瑞葉家は呪物を保有しているだけで法術が扱えるわけではないらしく、呪物は人に移植されていない原形のままで所有しているらしい。
私か配下にくれないかなぁ、と密かに期待しつつ、瑞葉家の当主に挨拶に行った。
「金剛の領主、ムラナカ家の娘のサダメと申します。大王家の守護を仰せつかっております。以後よろしくお願いいたします」
私は瑞葉清人様に面会して、礼をしながらそのように挨拶した。
清人様はやや垂れ目で、温和そうな瞳で笑みを返しながら答えた。
「よろしく。フクワラ氏始め、この国の国主様とご重臣の方々には感謝の言葉も思いつきません。あなたも、私たちを護衛してくれるとか。ありがたく思っております」
謙虚な方で、わざわざ頭を下げている私に、腰を曲げてこちらの目を覗くようにそう返してくれた。
いい人っぽい。
「私も全霊をもってお守りいたします。あまり時間がありませんので、準備にあとどれほどかかるかお教え願えますか?」
清人様は答える。
「うん、そうだね、明日朝までにはなんとかなると思っています」
明日朝。どうなのだろう、祖父の砦がすぐに陥落するわけではないにしても、砦から山城まで半日ほどの距離にある。
人が命を削って稼いでいる時間の深刻さを、伝えたほうがいいだろうか迷った。
私はちょっといらいらしていた。
「できれば夜までに、準備していただきたいのですが。夜闇に紛れての脱出のほうが警護上都合がいいものですし、万が一にも敵がすぐに砦を突破すれば、朝では間に合いません」
清人様は少し考える風をして言った。
「わかりました。不必要なものは置いていくように指示して急がせます。ご迷惑をおかけします」
と神妙になった。
その後ほかの家族の方にも紹介していただいたが、私は出立とその準備に焦っていて本当に印象に残っていない。
連日の移動移動と急展開で、私は結構疲労していた。
挨拶を済ませると三人の兵と従者たちを集めて出立の準備と必要事項の確認、準備が済むと瑞葉家の準備完了待ちで、私たちは今後の身の振り方をどうするか、という話題で適当な雰囲気で雑談して気を紛らわせながら時間を潰していた。
8
虚空に浮かんでいた。また、空にいる。星々の距離が近い。月が大きくて、白銀に輝いている。
私はまたいつの間にか死んだのだろうか。また天国に戻ってきたのだろうか。
永遠に宇宙を漂う、この世界で。また、誰かから声をかけられるのを待つのだろうか。
「こんにちは」
また、誰かの声がした。あの時のように。
「こんにちは、誰ですか?」
わたしはまた以前と同じように返した。
「ぼくはゴマフアザラシだよ。また死んじゃったね」
落ち着いた心持で私はそれを聞いていた。
「そうなんだ。死んだときの記憶がないのだけど、なぜ私は死んだの?」
「すいじゃくしー。きみ、霊能の才能はすごいのに、心が弱いんだね。まさか疲労でそのまま死んじゃうとは思わなかったー」
「え、でもわたし死んだら地獄に落ちるんじゃ…」
「そうなんだけど。まだ役割こなしてないから、神様の特権で宇宙に呼んだの」
なんだか夢見心地で、感情がわかない。麻酔をかけられているように感情が鈍磨している。
「また一から転生させると大変だから、起き上がって頑張って」
「いや、もう死んでるんでしょう? 死んだ者は蘇らないよ」
正直わたしはもう地上でしんどい思いをしたくなくて、生き返るのを拒否した。
「いや、いや、僕が力を貸すから。がんばってー」
私は即答する。
「いやです。疲れたからしばらく天国漂う」
「いや、いや、お願い、頑張って。闇のメシアもなんかやる気ない感じだし、このままじゃ光の陣営が圧勝しちゃう! がんばってー!」
神のくせになんで闇の陣営を応援しているんだろう。でもわたしは今回の人生に疲れていたから、もう嫌だった。
「それも神のご遺志なのでしょう。光の陣営が勝って、預言が成就して、ハッピーエンドじゃない。めでたしめでたし」
私はそう言って、話を切り上げようとした。
「待って。お願い、それじゃあ話が終わらないの。闇の陣営に参加してくれた魂たちがかわいそうなの。みんな地上で苦労してるから。君が欠けるともう勝ち目無いの。みんなかわいそう」
「泣き落とし? 私だってかわいそうだよ」
「助けて。闇の陣営にはぼくのアザラシたちの魂も参加してるの。助けて。たくさん、助けて。いっぱい助けて。闇に眠らせないで。みんないろんな人生でつらい目を見てきたの。ぼくの選りすぐりなの。君もアザラシにしてあげるから、助けて」
全然魅力的じゃない提案だけど、言葉には感情が込められていて、なんかほだされそうになった。
「アザラシにはなりたくないけど、もう一回だけだよ。どうせなら子供からやり直したいんだけど…」
「目を覚まして」
夜の闇の中で、私は目を覚ました。
目の前にはアベやムラキがいて、素っ頓狂な声をあげた。
「サダメ様! 生きておられたのですね!」
「なに? やっぱり死んでた?」
私は夢の内容を覚えているので、驚かなかった。
「呼吸止まってました! 心臓も!」
「疲れたから止めてただけ。それより今どういう状況?」
冗談を言いながら質問すると、アベが動揺しながら答える。
「王様方の用意ができたので、厠に行ったお嬢様を呼びに行ったら、道端で倒れられていたのです。呼吸も浅く、ひどい熱があったので、僧たちを呼んで、横にさせました。すると間もなく呼吸が止まって、心音もなくなりました。大急ぎで医者を手配し、ムラキとどうすればよいか相談していたところです」
やっぱり死んでたんだ。あのアザラシ神本当にすごいのかも。生き返らせる力があるなんて。ありがたや。
「そう。じゃあ出発するよ。関係するものに伝えて、すぐに発つ」
私は寝起きの不機嫌さを倍にしたような機嫌の悪さであったけれど、そう指示を出して立ち上がった。
アベが支えようとして駆け寄るのを手で制した。
「大丈夫。歩ける」
私がすたすたと歩いて見せると、二人はようやく安心したような笑みを見せた。
その日の深夜のうちに出発すると、法安の城の門は閉ざされ、山道の関所も封鎖された。もう後戻りはできない。
気になるのは、闇のメシア、という単語と、その陣営、という言葉だった。

